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■春気(3)
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「遅くなっちゃった。ごめんね、仕事中だったのに」
「いつものことだから平気平気」
「私もお店に帰らなきゃ」
「その前に少し話そう」
と言い、彼は自分のアパートに和実を誘った。
「変なことはしないから」
「それは信頼してるよ」
伊藤君が途中で電話してピザの宅配を頼んだ。ふたりが伊藤君のアパートに戻ってから10分ほどしたところで届く。それを食べながら話す。
「和実、当選金の一部でピザを焼くオーブン買わない?クレールにはピザがあるといいのにと前々から思ってた」
「検討する」
「まずこれはお前ひとりで受けとる?それとも淳さんと共同で受けとる?」
「どっちみちお店のことでほぼ使ってしまうと思うんだよ。共同名義にするのは話を面倒にするだけだから、私単独でいいと思う」
「じゃそうしよう。そしたら当選したことを報せる人を決めよう。名前を書き出そう」
最初に月山和実、月山淳、伊藤春洋、と3人の名前を書いた。
「銀行の人も言ってたけど、親とかお姉さんには話さないほうがいいと思う。絶対人間関係が壊れるぞ」
「トワイライト(胡桃が経営に参画している美容室)の借金返済に姉ちゃんに2000万円くらいあげてもいいんじゃないかと思ったんだけど」
「やめとけ。後々経営が悪化したような場合に無心されるぞ。姉貴のこと大事に思うならお金は渡すべきじゃないし、そもそも話さない方が良い」
「でも誰に話そう。淳とハルちゃん以外には話さないようにしようと思っていても資金運用とかで誰かと話したくなる気がする」
「若葉ちゃんは?あの子はお金持ちだからお金貸してと言われる心配だけはない」
「そうだよね。若葉は引き込もう」
と言って、和実は4人目の名前として山吹若葉と書いた」
「あと政子さんにお金返さないといけないけど、それなら政子さんにも話さないといけないよね?」
「あの子はとっても危ない。言いふらすに決まってる。返済については冬子さんに話せばいい。どうせ政子さんは自分のお金がいくらあって、いくら使っているかとか把握してない。全部冬子さんが管理していると思う。冬子さんは秘密を守ってくれる。資産も1000億円を超えているから、あの人も借金を申し込んでくる可能性は無い」
「1000億円持っているんだ?だったら若葉は?」
「1桁上だと思うぞ」
「恐ろしい」
和実はお金のある所にはあるもんなんだなと思った。それで5人目の名前として唐本冬子と記入する。
「冬子が1000億なら千里は?」
「ほぼ同じくらいの資金力だと思う」
「じゃ千里にも話していいかな」
「あの人は問題無い。それに冬子さんも千里さんも人脈が凄いみたいだから色々役に立つと思うよ」
「じゃ千里にも話そう」
と言って和実は6人目の名前として村山千里と書いた。
「村山でいいんだっけ?旦那が死んだ後、もう籍抜いたんだっけ?」
「Wリーグには村山千里で登録しているみたいだし村山で多分いいと思う」
「ほほお」
むろん2人は千里の分裂は知らない。
「千里に話すなら青葉は?」
「まあ千里さんとセットと考えたほうがいいだろうな」
それで7人目の名前として川上青葉と書いた。
「もうこの7人だけでいいんじゃない?」
「そうしようかな。他の人には話さない」
その後、老後資金や教育資金に2億円リザーブしておいた方がいいよなどといったことも話すが、詳細は淳が到着してからにしようということになる。
淳は18:20くらいに伊藤君のアパートに到着した。
話を聞いて驚く。
「8億5千万って凄いね。大きすぎて感覚がつかめない」
「2万円のディナーを毎日食べても116年間食べ続けられる」
「20万円の海外旅行に毎週行っても76年間」
「850人の男の娘に性転換手術を受けさせられる」
「それ政子さんとかが言いだしそうな話」
「乗せたらやるかもよ。性転換基金とか作って、政子さんが審査して可愛いということで合格した子は即手術」
「第1号でアクアを強制性転換させるんだろ?」
「ああ、絶対そう言い出しそう」
「あとジャンボ宝くじの三連バラが9万5千セット買える」
「さすがにそういう使い方する人はいないだろうな」
伊藤君は自分が受けとった『「その日」から読む本』を淳に渡した。
和実は、この件は少なくとも親や姉には話さない方がいいと思うと言った。
「それがいいだろうね。お金のやりとりしたら必ず人間関係が壊れるよ。宝くじ当たった人でいちばんやりがちな誤りだよ。だからお金は誰にも告げないまま、使い道を決めて全部仕分けしてしまった方がいいと思う。老後の資金、希望美と明香里の教育資金に、そうだなあ、合計1億円くらい取っておいて、残りはお店の設備投資とかに使ってしまえばいいよ」
「老後資金と教育資金で2億かなと言っていたんだけど」
と和実が言うと
「それでもいいよ。2億取っておくつもりが多分色々必要なものが出て来て、最終的に1億残るかも」
と淳。
「ああ、ありそう」
8億5千万当たったことを言う人として月山和実、月山淳、伊藤春洋、山吹若葉、唐本冬子、村山千里、川上青葉と7人の名前をあげたことについては、妥当な人選だと思うとして、淳も追認した。ただ淳はこう言った。
「若葉ちゃんには、そもそも言う必要が無い。あの人にとっては8億なんて、ほとんどハシタ金だから。8億当たったというのは、僕らの感覚に直すと1000円当たったという程度」
「そうかも」
「じゃ若葉には特に言わなくてもよい、ということで」
と言って和実は若葉の名前を線で消した。
「使い道としてはまず銀行と政子への借金返済だよね」
「うん。それが第1優先」
クレールを作る時、銀行とは1.5億借りることで同意していた。しかし銀行の融資が下りるのは店の建物が完成して引き渡しされる時である。それだとお店で使うテーブルや椅子、食器等が発注できず、融資が下りてからそれを頼んでいたらお店の開店は夏くらいになってしまい、お店がまだ営業できないのに借金の返済だけ毎月しなければならなくなる。それでは開店前に倒産する。
それで政子が6000万円貸してくれたのである。それで早めにそれらを発注することができて、建物が完成してからすぐにプレオープン、内装が完成して春にグランドオープンすることができた。
政子から6000万円借りたことから、銀行の融資は1.2億に圧縮した。そして銀行から融資金が振り込まれたらすぐに政子に2000万返却した。これが2016年12月のことである。銀行には元利均等で毎月37万5042円ずつ返しているので2019年12月までに36回返して残金は1億925万3480円である。政子への返済は冬子からの申し出で当面保留することになっていたので4000万円まるごと残っている。
とにかくこの合計約1億5千万円をまず返済することにした。
「すると残り7億円で、教育資金・老後資金に2億円リザーブすることにして、あと5億円を使っていいことになる。この際、海外旅行とかにでも行ってくる?」
と伊藤君は言ったが、和実は言った。
「旅行なんていいよ。それより仙台市街地に新しいクレールのお店用の土地を買ってもいい?」
と訊いた。
「引っ越すの?」
「それも考えたんだけど、ここはここで意義があると言うんだよね。それに千里がここの隣の土地を買って、公園を作ると言っているから、それができたら、お客さん増えるかも知れないし」
「公園を作る!?」
伊藤君も淳も初耳だったので話を聞くと
「IR誘致とか言って、自分の懐も増やそうという魂胆だったのか」
といって2人ともQ議員のことで怒っていた。
「でもその山崎さんの意見もよく分かるよ。確かに周囲に住宅とか無いから気兼ねなく音を出せる」
「それで支店を作る場所の心あたりでもあるの?」
そこで和実は今日、TKRからの帰りがけに素敵な売り地を見たという話をした。
「そこ幾らなの?」
「8億円だって」
「足りないじゃん」
「それに建設費のことを考えていない」
「建設費はここと同程度と考えても1億5千万かかる。土地代に使えるのは3億5千万だけ」
「それなんだけど、千里が隣の土地を買った時に頼んだという必殺値切り人さんを頼もうかと思うんだよ」
「必殺?」
されで和実が説明する。
「20億を14億まで値切ったのか」
「凄いな」
「大阪のおばちゃんも負ける」
などと言われる。
「それもし4億円程度まで値切れたら頼むとかいう条件付きで頼めないのかな?」
「8億を4億というのは厳しいと思うよ。6億くらいが限界じゃない?」
すると淳は言った。
「6億は許容範囲だと思う。建設費はまた銀行から借りればいい。その土地を担保にすれば貸してくれるよ」
和実は土地を買っちゃうなんて言ったら、もっとよく考えろとかいって反対されそうな気がしたのに賛成してくれるって、淳も伊藤君も、理解のある人だなあと思って嬉しくなった。
「でもこれで淳さんはこちらに引っ越せるだろ?」
と伊藤君は言った。
「うん。きりのいい所で会社は退職させてもらってこちらで暮らすよ」
「やっと別居生活解消だね」
「宝くじ様様だな」
それで和実は必殺値切り人さんのことで若葉に電話した。
「ああ、土地を買うのね。いくら?」
「売主さんは8億と言っているんだけど、6億くらいまで値切ったりできないかなあと思って」
「8億って安いね。狭い土地かな。でもいいよ。行ってもらう。そこは今更地?」
「今は昭和30年代に建てたという古いビルが建ってるけど、売主さんが近いうちに取り壊すと言ってる」
和実は極めて大雑把な計画図を若葉にメールした。なおこちらで資金が用意できるのは今月下旬になるということを伝えたが、それは問題無いと若葉は言った。
「これ、解体はこちらでやるから、その分安くしろって交渉していい?」
「うん。それでいい」
「凄く短時間で、安い費用で解体できる所知っているから」
「そうか。若葉、建設会社作ったんだったね。そこに工事頼んでもいいよ」
「OKOK。多分相場よりかなり安くできるから。これ4階建てなら普通の解体工事屋さんなら解体に5千万掛かるけど、私が知っている所なら多分1千万でやっちゃうから」
「随分安いね」
「千里の会社で播磨工務店という所なんだよ」
「千里か!」
「千里にもこの件、話していい?」
「千里ならいい。ただ他の人には無闇に話さないで」
「OKOK。じゃ長谷川主水さんには、取り敢えず明日にも行ってもらうよ」
「中村さんじゃなかったっけ?」
「あ、そうか。中村平蔵さんだった。本人も冗談で南町同心・中村主水である、とか火付盗賊改め方・長谷川平蔵とか名乗ったりするから混乱して」
「それだけ聞くとお茶目な人っぽい。だったらよろしく」
値切り人さんの報酬は、交通費などの実費の他に、圧縮した額の1割ということで、和実もそれで了承した。報酬は翌月末くらいまでに払えば良いということだった。
なおお店の子たちには「3等の100万円が当たっちゃったよ」と言って、実際の100万円の札束(この程度は用意できる)を見せ、今度の土曜の午前中にお祝いのパーティーをしようと提案した。希望を募ったら、しゃぶしゃぶがいいという話になったので、仙台市内の梵天丸というお店でパーティーをすることにした。
またこの当選金の一部を使ってピザを焼くオーブンを買おうと思うというと、「あ、ピザ欲しいと思ってた」という意見がけっこうあった。
中村平蔵さんは翌日1月7日、仙台にやってきた。
現場に連れて行く。
「なるほど」
と頷いてから、レーザー測定器とかGPSとかで土地の寸法や方位などを測定して確認しているようである。どうも建物の材質とか工法なども確認している雰囲気だった。また近くをかなり歩き回ってはメモしていた。
「ここの登記、担保状況、都市計画、などを確認して明日また参ります」
「はい、よろしくお願いします」
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