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■春気(6)

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青葉は4月1日に〒〒テレビに入社する予定ではあったが、青葉は昨年の世界水泳で金メダルを取っており、4月初めの日本選手権でたとえ2位以内に入らなくても、世界水泳の成績で日本代表になるのは確実と思われた。
 
そこで、〒〒テレビ社長と水連の話し合いで、オリンピックまでは、やはり定常的な出演は困難であることから、月2回程度の15分番組を制作して、その司会をすることになった。
 
そこで『作曲家アルバム』という15分番組が企画され、青葉が様々な作曲家やシンガーソングライターの御自宅を訪れ、インタビューする番組構成をすることになった。これは青葉が作曲家としても活動しており、また音楽界に広いコネを持つことからの企画になった。それにこういう企画は撮り貯めができるのである。
 
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その作曲家の歌を歌唱する役として“ラピスラズリ”こと東雲はるこ+町田朱美を起用する。これは石川県出身の新人歌手ということ、この2人、特に東雲はるこが広い音域を持っていて、たいていの曲を歌いこなしてしまうことからの起用である。
 
番組の第一回目は“歌謡界の大御所”東堂千一夜さんであった。“ラピスラズリ”に歌わせたのは、今は亡き昭和の名歌手・白百合花住(しらゆり・かすみ)の最後のヒット曲でもある『涙のスタートライン』である。町田朱美のピアノで、東雲はるこがメインメロディーを歌い、町田朱美もピアノを弾きながら3度唱したりオブリガードを入れたりした。このアレンジは青葉がして東堂先生に事前に許可を頂いていたものである(実は時間が無かったので松本花子(上杉光世)にアレンジさせた)。
 
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この曲をヒット当時リアルタイムで聴いていたのは、多分40代以上の世代だろうが、カラオケではずっと歌い継がれているし、度々懐メロ番組で様々な歌手が歌っているので、若い人にも結構知られていたようである。東堂大先生が10代の時に書いた意欲的な作品で無調っぽいメロディーラインは今の時代にも色あせない。もっとも東堂先生はその後は調性音楽の世界で多くのヒット曲を送り出してきた。
 
青葉は実は1月21日(入社前!)に田園調布の東堂先生のご自宅をローズ+リリーのケイに付き添ってもらって訪問。〒〒テレビのスタッフにキー局・◇◇テレビのスタッフも加わって撮影している。但し番組内にケイは映っていない。この番組は◇◇テレビ系列の全国20局ほどでも遅れネットで放送されることになっている。
 
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第2回の放送は多くの人を驚かせた。もう28年間にわたって、マスコミの前に姿を見せていなかった東城一星先生だった。この撮影は東城先生の要望により、青葉と、もうひとり東城先生が昔親しかった元◇◇テレビのカメラマン住吉氏(現在は映像制作会社の社長)の2人だけで、北海道に存在する東城先生の“山小屋”を訪れてインタビューしている。
 
青葉と住吉氏は東堂先生宅での撮影の翌日、北海道に飛び、冬山登山の装備で車が入れる限界の場所から、案内役の桃川春美(チェリーツイン)と一緒に3人で雪山を2時間歩いて到達している。この場所は誰にも教えないという誓約書を先生に提出している。
 
(この場所を知っているのは、木ノ下大吉、その弟の藤吉真澄(小屋の所有者)、雨宮三森、桃川春美、ローズ+リリーのケイ、近藤七星、くらいだが、冬山登山ができるのは、雨宮と桃川だけである。マリも来たことがあるし、真枝亜記宏と有稀子も迷い込んだことがあるが、3人とも再到達は不能)
 
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ラピスラズリの歌は予め収録してDVDを一緒に持参し、先生にご覧に入れて放送の承認を得ている。先生は
「このメインボーカルの子、もしかして男の娘?」
と鋭い指摘をしたが、この発言はむろん放送しない。
 
歌った曲は1990年に中島はるかが歌った『白鳥サンバ』(三羽の白鳥に掛けていて、そのメロディーが間奏に使用されている。ミー・レミレ・ドーという曲。四羽の白鳥ラド、ドッドッドーの方では無い)で、これもカラオケで長く歌われている曲である。実は1992年に先生が実質隠棲してしまった後、奥さんと子供さんの生活は主としてこの歌の印税が支えたらしい。
 
先生は4年前にローズ+リリーに『赤い玉・白い玉』という幻想的な曲を提供し、(上島先生の謹慎で楽曲数が逼迫していた)2年前にはチェリーツインに『チェリーメタル』というメタルサウンドの曲を提供した以外は長く作曲活動を休止しているように見えるが、“究極の1曲”を書くために引きこもっているのだとおっしゃっていた。
 
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青葉が
「せめて1年に1曲くらいは何か発表しませんか?」
と言ったら
「だったら、さっき歌を聴かせてくれた女子中学生のデュオにこれをやる」
とおっしゃって、机の引き出しに入った“五線紙の山”の中から五線紙を2枚抜き取って青葉に渡した。
 
「先生、もしかしてたくさん書いておられるのでは?」
と青葉は言ったが
「いや、なかなか発表できるほどのものは無い」
と先生はおっしゃっていた。
 
先生が青葉に渡した曲は『夢見るからくり人形』という可愛い曲である。チェリーツインにもメタルを渡していたが、これもちょっとメタルっぽさのあるポップロックという感じだ。この曲は(青葉が忙しいしさすがに先生の久しぶりの作品を松本花子に編曲させる訳にもいかないので)先生の指名により桃川春美が編曲して、ラピスラズリの2枚目シングルに使用されることになる。
 
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1月9日(木)の夜、龍虎は仕事が終わった後、緑川志穂マネージャーが運転するボルボに乗って八王子市市内の民家まで来た。ガレージ内にアテンザが駐まっていて、千里が降りてきた。
 
「じゃ醍醐先生、よろしくお願いします」
「うん。志穂ちゃんも気をつけて帰ってね」
 
志穂が帰ってからアテンザの後部座席に居たもうひとりの龍虎が出てくる。志穂はアクアが複数居ることを知っているので別に隠すこともないのだが、複数のアクアが並んでいるところは知っている人にもできるだけ見せないようにしている。
 
千里がアテンザのガレージの扉を閉め、隣のガレージの扉を開ける。中にPorsche 996 40th anniversary edition が駐まっている。
 
この民家は実はこのポルシェを駐めておくためだけに、5年ほど前に800万円で龍虎が買って所有している家である。元々は40坪の土地に、20坪ほどの住宅と6坪ほどの離れが建っていたのだが、その本宅の方を潰して4台駐められるガレージをユニットハウスで建てた。解体費は100万円、建築費は120万円で、合計1020万円でこの物件を入手したことになる。元は離れだったほうの住宅(2階建てで延べ床面積12坪)には誰も住んでいないが、水道・電気は使用できる(ガスは安全のため使わない)しトイレとシャワーもある。念のため簡単な調理器具(IHヒーターや電気炊飯器など)・食材・食器に寝具も置いている。時々三宅先生がチェックに来てくれて備蓄食材も更新してくれている。雨宮先生や千里がたまに使うこともある。
 
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「出すのは私がやるね」
と言って、千里は車庫から車を出した。
 
「高速に乗るまでは私が運転しようか?最初のPAで交替することにして」
「お願いします。一般道の方が高速より怖いです」
「そうそう。高速は割と楽なのよね。首都高みたいな所以外なら」
「若葉マークの内は首都高に入ったらいけないと言われています」
「首都高は戦場だし迷路だからね」
と千里は言った。
 
それで千里がポルシェの運転席に座り、Fが助手席、Mが千里の真後ろの席に座った。車を道路まで出して、リモコンで門を閉める。
 
ポルシェは豪快な音を立てて発進し、やがて八王子ICを登って中央道に入った。
 

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龍虎の両親がポルシェ996を暴走させて2003年12月27日に事故死した後、テレビで無責任な“専門家”たちが、300km/hも出る車を販売するのがおかしいなどと批判した。それに憤慨したのがポルシェの熱烈なファンで自分でも多数のポルシェを所有していた重富音康氏だった。彼は上島たちに接触してきて言った。自分が事故を起こした車と同型のポルシェを持っているからこれを譲るので、ポルシェの安全性をアピールして欲しいと(重富氏自身は嫌う人・恨んでいる人も多いので自分が表面に出るのを避けた)。
 
そこで上島雷太は協力してくれる放送局と組んで、ポルシェでのんびりと各地を旅する番組を制作した。田舎道を40km/hで走り、農家のおじちゃん・おばちゃんたちと交流して、農機を牽引したり、おばちゃんの夕飯の買物につきあったりする上島の姿がテレビで放映されると、(一部「ポルシェで農協に買物かよ?」などと嘆く声はあったが)ポルシェに対するイメージが随分変わり、批判は影を潜め、かえってポルシェの販売台数が増えた。
 
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この時、実は上島は重富さんからこのポルシェを買い取るお金が無かった。それで★★レコードの星原社長(当時)が代わりに買い取って上島に貸与していた。星原は2014年に龍虎がデビューの報告に行った時、自分も老い先短いので、死んだ後に遺産整理で揉めると面倒だからと言って、龍虎にこのお父さんゆかりのポルシェを買ってくれないかと打診した。
 
当時はむろん龍虎にはお金が無かったので、龍虎は上島からお金を借りてこの車を買い取った(星原氏は2015年死去)。上島から借りたお金は半年で返却することができた。それで2015年以来龍虎はこのポルシェのオーナーであった。ただ、これまでは免許がないから運転できなかった。
 
しかし9月に免許を取り、毎日10-20kmくらいずつ練習で運転して、無事故無違反だったのでコスモス社長からもお許しが出て、このポルシェの試乗をすることにしたのである。誰か運転のうまい人に同乗してもらってということで、コスモスは最初国内A級ライセンスを持つ高村マネージャーを考えていたようだが、龍虎は「醍醐先生にお願いしたいです」と言った。それで打診してみるとOKということだったので、この日の試乗になったのである。千里(千里2)は国際C級ライセンス持ちである。
 
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そういう訳でこのポルシェは龍虎の父が乗っていた車そのものではないのだが、同型車なのである(限定品なので現在では入手難易度が高い)。
 
千里の運転で中央道を走り藤野PAに停める。若葉マークを車の前後に貼る。Fが運転席に座り、Mが助手席、千里は助手席の後ろに座った。Fは“アクア人形”をスカートの上に置いた。自分で運転できないNの代わりらしい。
 
「じゃ行ってみようか」
「はい。右良し、左良し。発車します」
と言ってFはポルシェをローで発進させた。すぐにセカンドに上げる。PAの出口に行き、ウィンカーを点ける。右後方を目視確認して、Fが運転するポルシェは本線に合流した。シフトレバーをトップまで上げていく。
 
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「この子、凄いパワーです」
「うっかりするとスピードオーバーするから気をつけてね」
「はい」
 

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