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■春根(19)
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「まあこれだけのCPUがあると凄まじい熱が出て、水で冷却しているからその熱で“藍小浜”のお風呂を沸かしているんだよね」
「エコだね」
「これからの時代は、いかにエネルギーを無駄にしないかというのが営業効率と密接に関わってくると思うよ」
500年間?生きて来た人は、やはり時代の変化にも敏感なのかもと青葉は思った。
そんな話をしていた時、白衣を着たスタッフらしき人がこちらに近づいてきた。
「お話し中の所大変申し訳ありません。社長、Muse-2の施設部分の屋根が一部今回の豪雨(*14)で壊れたらしいんですよ。取り敢えずMuse-2は停めて、あり合わせのシートを筐体の上に掛けているそうなのですが、被害の修復はどうしましょうか?それと2を停めている間の生産体制は?」
(*14)2019.8.27-29に前線がもたらした豪雨。九州北部の被害が大きかった。Muse-1/Muse-2のある場所は九州南部だが、元々の施設自体が古い工場を改造したものなので、弱くなっていた所もあったのだろう。
「Muse-1は動かせるの?」
「そちらの屋根の部分は大丈夫だそうです」
「1が使えるなら、そちらで代替させて。生産についてはストックにも余裕があるし、大丈夫だと思う。向こうはまだ雨降っている?」
とアイが訊く。
「今は、やんでいるそうです」
「取り敢えず屋根にビニールシートを掛けさせよう。手配するよ」
と言ってアイは電話を掛けていた。
九州はそもそもアイの親族が経営する企業グループの本拠地である。今回の豪雨での被害も大きかったろうが、たぶん動員できる人員も多いだろう。
「でもそれ雨に当たったのなら、Muse-2自体の点検補修が必要だろうね」
と千里が言う。
「そうなんですよ、常務。それで今何人かで話していたんですが、今回のアクアちゃんのライブが終わった所で、こちらからも技術者を派遣したほうがいいのではないかと」
「それがいいね。じゃ金井さん、大原さんと2人で、派遣するスタッフの人選をしておいてくれる?」
と千里。
「分かりました。すぐ検討します」
それでその金井と呼ばれたスタッフは戻っていった。
丸山アイが呆れている。
「3番さん、まるでうちのスタッフを全員把握しているかのようだ」
むろんスタッフは千里3を見て、ここの常務をしている千里2と間違えたのである。そもそも千里が3人もいるなんて想定外である!
その時、青葉は唐突に尿意が生じた。
「あの済みません。トイレお借りしていいですか?」
すると千里3が言った。
「トイレはそこの廊下を出て右手30mくらい行った所のT字路の先。青葉が男の子なら左側、女の子なら右側」
「ありがとう」
それで青葉は部屋を出るが、丸山アイは呆れている。
「3番さん、なぜこの施設のトイレの場所が分かる!?」
「アイちゃんだって、沖縄で松本花子の窓口をしている女性の父親の名前を知っている癖に」
と千里3が言うとアイは“参った”という顔をして
「それ知っているのは多分木之下先生の他は、ボクたちくらいかもね」
と言った。
31日のアクア・ライブは前座の§§ミュージックの多数の歌手たちのライブも含めて、大いに盛り上がった。7万人が集まり、そして去って行くのは、ひとつの都市ができて、また消えて行くかのようである。
例によって地元の商店街や青年会などによって多数の出店が出ていて、その売上げも凄まじかった。ここには2000器もの便器数があるトイレ群も付属している。実際このトイレを収容するため、アリーナ横の4階建ての建物“サイドストリート”は建てられたのである。今回はその建物の余剰の部屋に作られた出店用スペースが活用された。
ライブが終わった後は、青葉や千里3も含めて打ち上げの焼き肉パーティーをした。アクアは今回の“こけら落とし”のお祝いに来てくれた小浜市長の名代の市会議員さんにつかまって、ずっとお話をしていた。議員さんも娘さんもアクアの大ファンだと言っていたので、サインを進呈したら喜んでいた。
青葉は丸山アイと今後のミューズや松本花子の方向性について結構話した。
「今度、そちらの本拠地もみせてよ」
「いつでもどうぞ。歓迎しますので」
「歓迎ってパイが飛んでくるとか?」
「食べ物を無駄にするのは嫌いです」
「同感同感」
それで近日中に、アイを小樽ラボに招待することにした。
千里3は西湖と話し合っていた。
「でも女の子の身体になっていること、意外とバレないもんでしょ?」
「そうなんですよ。ボクが元々女の子だと思っている人は当然何も疑問を感じないし、実は男の子だと思っている人もうまく偽装してると思っているし。母だけです。ボクが性転換手術しちゃったと思っているのは」
「でもおかげで、お母さんの“魔の手”から逃げられたね」
実は西湖の母や政子、あるいは《こうちゃん》などの“魔の手”から逃すためにわざと西湖を女の子に変えてしまったというのが本当の所である。そのことは本人にも言っていないが。実際昨年性転換した直後にお母さんがアパートまで来て、西湖に眠り薬を飲ませ、意識を失った所で麻酔注射をして、去勢手術を実行しようとしたらしい。しかしちょうどそこに、偶然山村マネージャーこと《こうちゃん》が来合わせた。彼は勝手に西湖の豊胸手術をしようと思っていたらしい。しかし2人がかちあったため、どちらの手術も中止になったという。
毒を以て毒を制す?
「母はあからさまにボクを女の子に変えたがってましたから。病院に去勢手術の予約とかもされていたんですよ。この身体になったことで去勢は不要というか不可能になったから予約取消しして、返金も受け取ってお小遣いにさせてもらいましたが」
「ああ、いいんじゃないの?」
「それで西湖ちゃん、どうする?男の子に戻る?それとも女の子のままでいる?」
「それ考えていたんですけど、ボク女子高に在籍している間はやはり女の子の身体でいるのが便利なんです。ですから、高校卒業後にその判断を延期できないでしょうか?」
「いいけど、その間、西湖ちゃんの身体はどんどん女性化して、男の子に戻っても、必ずしも男らしい身体付きには戻れないよ。特に骨格はどうにもならない」
「それは全然構いません。男性器を戻すかどうかだけの問題ですよね?」
「そうそう。でも西湖ちゃん、精液は保存しているんだし、別にちんちん無くてもいいのでは?」
「それで悩んじゃうんですけどねー。ここだけの話、アクアさんはどうもやはり女の子になっちゃったみたいだし。だったらボクも女の子でいいかなあという気もして。でも積極的に女の子になりたいような気持ちは無いんですよ」
「ああ、西湖ちゃんは別にGIDとかでもないもんね」
「自分の心は間違いなく男の子だと思うんですけど、既に完璧に女性不感症になっちゃってます。女性の裸とか見ても何にも感じないし、日常的にクラスメイトの女子たちとスキンシップしてるけど別に興奮したりもしないし」
「それは別にいいんじゃないの?将来、女の子が好きになったら、お友だち同士みたいな夫婦になってもいいし、男の子が好きになった場合は、西湖ちゃん、いいお嫁さんになれると思うよ」
「お嫁さんになるのも悪くない気はしているんですけどね。お料理は好きだし」
「それも含めて1年半後までモラトリウムということね」
「そうなんです。お手数お掛けしますが」
「じゃ、私が1年半後に忘れているようだったら、西湖ちゃんから連絡してね」
「はい、済みません」
青葉は冬子から、アルバム『十二月(じゅうにつき)』を制作するのに、しばらく郷愁村に籠もることにしたので、その間、恵比寿のマンションの留守番を誰かにお願いしたいのだが、適当な人物が居ないかと相談を受けた。
どうも冬子と同世代の友人たちの多くが家庭を持っており、主婦という立場ではなかなか長時間そこに泊まり込んだりするのは困難なようである。それで青葉の友人たちの中にそれが可能な人がいないか打診してきたようだ。
青葉は1人は日香理を思いついた。彼女は相沢海香が以前住んでいたアパートに格安家賃で住んでいるのだが、調布飛行場の傍で大きな道路も通っており、凄まじい騒音があるらしい。それで普段そこに住んでいるのは構わないのだが、卒論をまとめる間だけでも、どこか静かな場所で作業したいという話だった。
そしてもう一人青葉が考えたのが“アキ”だった。
青葉は佐藤玲央美に電話した。
「いつも姉がお世話になっております。ちょっと相談事があるのですが」
実は左倉アキは、玲央美の“代役”というお仕事をしているのである。玲央美は日本の社会人チーム・ジョイフルゴールドに所属している一方で、フランスLFBのオルレアンのチームにも所属していて、日本とフランスの昼夜が逆転するのをいいことに、両方兼任しているのである。
日本が昼・フランスが夜→日本に玲央美、フランスにアキ
日本が夜・フランスが昼→フランスに玲央美、日本にアキ
位置交換はどうも千里の眷属の力を勝手に使っているようである。
(玲央美が日本代表の活動をしている間はフランスのチームも休むのでアキは休暇となり、ハルのそばに居る)
それでアキに日本に居る間、つまり日本が夜の時間帯に恵比寿のマンションのお留守番をしてもらえないかと玲央美から打診してもらえたらと言ったのである。
「なんならハルさんも一緒でもいいですよ」
「取り敢えず訊いてみるね」
すると結局、ハルとアキの2人でやってくれることになった。話が面倒なので、冬子にはアキと飼い猫ということにして話をしたが、冬子はちゃんと躾けのできているネコなら問題無いと言った。
それで基本的に昼間は日香理、夜間はアキ(またはハル)がお留守番していることにした。日香理が大学などに出かける時は、アキの“知り合いのネコ”で信頼できる子に留守番させる、とアキは言っていた。
「ボク、玲央美ちゃんからもたくさんバイト代もらっているけど、まさにこれ“ネコに小判”なんだけど」
「必要に応じてカリカリやちゅ〜ると交換してもらうということで」
その夜は、アキは“ネコの集会に出る”とかでハルがお留守番をしていたのだが、そこに千里1がやってきた。
「頼まれていた編曲が出来たんだけど、急ぐみたいな話だったから直接持ってきた・・・って、あれ?ハルちゃんだ」
「さすが、私とアキの区別が付きますね、千里さんは」
「青葉はあまり区別が付いていないみたいね」
と言って千里も笑っている。
「W大でも私とアキで交替で部活しているんですけど、まずバレないです」
「面白いことしてるねー。自分が2人いたら便利だろうね」
「そうなんですよね。生理が重い時とかアキに代わってもらうんです。あの子は男の子だから生理が無いし。もっとも男子だから女子の試合には出せませんけどね」
この子の“生理”って何なんだろうなと千里は前々から疑問を感じていた。
なおアキのほうがハルより運動能力が高い主たる要因はアキが男の子だからということのようである。アキは“人間の女の子”には興味が無いので、女子更衣室で着換えても平気である。人間側も女子更衣室にオス猫がいても誰も気にしないだろう。
アキは人間態(人間体?)の時、お股はほぼ常時タックしているしバストも偽装しているようだ。もっともアキが女の子だったら、バストが8個くらいあって隠すのが大変かも!?(猫の乳首の数は個体によって6-12個。なぜ個体により違うのかは理由不明らしい−但し猫の乳は人間のように脂肪は付いていない)
「そうだ。こないだ桐蔭横浜との練習試合で初めてスターターに使ってもらったんですよ」
「おお、1年生からスターターって凄いね。私が教えた甲斐があったよ。このまま関女リーグ(9月)でもスターターに使ってもらおう」
「はい、頑張ります」
「だったら握手握手」
と言って、千里1はハルと“握手した”。
「そういえば、千里さん、髪切ったんですか?」
「うん。自分自身少しナマってるなあと思って鍛えなおそうと思って、今自宅から車で30分くらいの所に建てた板橋区の練習場に毎日通って特訓しているんだよ。シュートの練習ができるだけの狭い練習場だけどね。髪が元の長さに戻る頃にはだいぶ戻っているかなと思って」
「千里さんのレベルでもそうなら、私も頑張らないと」
ハルは千里が日本代表としてバリバリ活躍していると認識している。でも“この千里”は日本代表候補にまたリストアップしてもらえるくらい頑張ろうと思っている。
「練習場、私だけが使っているんだけど、何ならハルちゃんも使う?ハルちゃんならタダで貸すよ。防音をしっかりしているから夜間でも使えるし。私はだいたい午後に使うから、午前中も夜間も空いてると思う」
「板橋区ならわりと近いかも」
「ハルちゃん、アパートはどこ?」
「としまえんの近くなんですよ。うるさいおかげで安いアパートがあったんです。学校へは自転車で通っているんですよね。雨の日が大変だけど」
「としまえんからなら4kmくらいしか離れてないよ」
「それなら自転車で10分あれば行くかな」
「4kmくらいジョギングで行こうか。ウォーミングアップ」
「そうですね!頑張ります!」
「シャワーも洗濯乾燥機もあるから、着換えを置いておけばいいよ」
「そうしようかな」
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