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■春茎(15)
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目次 #
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ここは、廃線になった筈の《のと鉄道能登線》の中で唯一今でも列車が走っているということで、すぐ近くの恋路駅に行くことにする。取材クルーが行くので何かあるようだと思った観光客がぞろぞろ付いてくる。
「可愛い!」
と幸花も明恵も声を挙げた。
「トロッコ列車ですか」
(2019.6.27撮影:カバーの掛かっている状態で済みません)
「のトロと言うんですよ」
「能登のトロッコかな?」
「ここで質問です。このトロッコ列車の動力は何でしょう?」
と運営会社の人が尋ねる。
「えっと。電気かな?」
と幸花。
「もっとエコなものです」
「風力?」
と幸花。
「究極のエコですよ」
「もしかして人力ですか?」
と明恵が訊いた。
「正解!」
そういう訳でこのトロッコ列車は人力で動く(動かす)のである!
幸花と明恵が並んで先頭に乗り、その後ろの席に青葉が乗る。神谷内さんはカメラを持ってその様子を撮る。一般のお客さんの中にも乗りたいという人があるので、乗ってもらう。結局満員の8人乗ってトロッコ列車は人力で!200mほど向こうの宗玄駅まで到達した。思わず拍手が沸き起こった。
この宗玄駅は、地元の酒蔵《宗玄》が、のと鉄道の廃線になった後のトンネルを利用して日本酒の醸成をおこなっているものである。
結局この後は観光客が多数乗って、トロッコ列車は何往復もしていた。神谷内さんはその様子をずっと撮影していた。
なおこのトロッコ列車の運賃は1人500円である。
恋路駅には、のと鉄道の廃線後もずっと旅の記念を書き綴るノートが置かれて訪問者が思い思いのメッセージを残している。見てみるとだいたい週に10件くらいのペースで書き込まれているようであった。
車に戻る。神谷内さんが運転して、旧道を更に進む。松波の中心部を通過して、県道35号を少しだけ進み、九里川尻付近の十字路を右折する。少し走って、消防署の十字路を右折する。少し行った所にある《あまめはぎ公園》に車を駐める。
トイレがあるので行っておく。
「さあ、みんな登山の用意はいいか?」
「今回の旅ってひたすら軽登山ですね!」
公園の向かい側にある林道に入っていく。道はわりと広くて歩きやすい。但し所々岩盤の上を歩くような所もあった。
「ふつうのハイキングですよね、これなら」
と明恵も言っている。
例によって機材は青葉と明恵が持っていて、神谷内さんはカメラのみ、幸花は手ブラである!
途中竹林がある。
「ここイノシシがよく出るらしいから気をつけて」
「どう気をつけるんですか!?」
「まあ出会わないことを祈ろう」
軽快に20分ほど歩いた所に唐突に簡易トイレがある。
「どうもここのようだ」
「あ、左手に何かある」
というので、左手に行ってみると、事前の写真で見たような岩だらけの地形があった。
「これがヒデッ坂ですかね?」
「分からないけど撮影しておこう」
「ここ転落しやすそうだから気をつけて」
「滑落したら救助隊が出て大騒ぎになる」
杖代わりに持って来た傘を突きながら慎重に動き回った。軍手と杖が無ければ動き回れない場所だ。絶対に小学生などは連れて来たくない。
それでだいたい撮影した所で道に戻る。
それでトイレそばの階段を登ると「ヒデッ坂」の説明板が立っていた。
「こちらがヒデッ坂だったのか」
などと言いながら、その説明板の向こうまで行くと、そこに息を呑むような地形が広がっていた。
(2017.6.10撮影)
「これは凄い」
「これは林道を20分も歩いて来ただけの価値がありますね」
広い範囲にわたって岩盤が出ているが、一見羅漢様が数体斜めに立っているようにも見える。
「でもこれはおとな限定だよ。子供連れてきたら転落事故のおそれがある」
「18禁でいいかな」
「18禁といえば、その岩何かに見えない?」
と幸花が訊く。
「うーん。あざらし?」
と青葉。
「え〜〜!?」
青葉たちは反対側に回ってみた。
「こちらからはキティちゃんのリボンに見える」
と明恵。
「あんたたち、どんだけ心がキレイなのよ?」
と幸花が言っているが、神谷内さんは苦笑していた。
このヒデッ坂の大斜面の左手に細い山道があった。少し進んでみるとさっきの大斜面と似たような地形があったが、やや小規模である。こちらは近くまで行く道が存在しないようなので遠景だけを撮影した。
「この道、まだ先に進みます?」
「いや、戻ろう。今日中に羅漢山まで見たい」
「そうですね」
それで引き上げることにして、山道をヒデッ坂まで戻り、林道に戻って、あまめはぎ公園に向かって降りて行った。
公園で再度トイレに行ってから、車を5分ほど走らせて、この山の向こう側になる河ヶ谷(かがたに)集落に向かった。大きな道路から「河ヶ谷」という案内板のある細い道に入るが、この道路自体がもう林道らしい。
その林道を少し走ると集落がある。少し大きな三叉路の所で車を停め、神谷内さんが電話をすると、70歳くらいの男性が軽トラで来てくれた。
今日最後の取材地である羅漢山(らかんやま)は、行ったことのある人と一緒でなければ、まず到達不能ということで、町役場から案内可能な人を紹介してもらったのである。男性は新田さんといった。
「ああ、その車なら登り口の所まで行けるね」
というのでヴィッツの助手席に同乗してもらい、細い林道を1分ほど進んだ。
「ここから行くよ」
と言って新田さんは“何も道の無い所”に入って行く。
「あのぉ、そちらの道は違うんですか?」
と遠慮がちに幸花が細い道の見える所を指さすが
「ああ、その道からは到達できんよ」
と言われた。
そういう訳で、新田さんに案内されて取材クルーは“道無き道”を歩いて行く。傾斜もかなり急である。幸花が荒い息をしているので、時々新田さんは待ってくれた。
「機材持ってるあんたらの方が平気そうだね」
と青葉たちの方に声を掛ける。
「私は水泳の選手なので」
「私は毎日8km走っているので」
「なるほどー。スポーツ・ウーマンか」
と言う新田さんの英語の発音がきれいなので、青葉は「おっ」と思った。
「でも今回は霊界探訪じゃなくて秘境探訪だったかも」
などと幸花が言っている。
そんなことを言えるというのはまだ多少の精神的余裕があるようだ。
20分ほどの完璧な登山で、青葉たちは羅漢山に到達した。
「これはヒデッ坂とは別の意味で凄い」
「千体地蔵ともヒデッ坂とも違うタイプの浸食を受けていますね」
(*5)羅漢山の写真は例えば↓参照(能登町のホームページ内)
https://bit.ly/2xck5KH
本文中にも書いたようにここは行ったことのある人と一緒でないと、まず到達困難であるらしい。私は1度は普通の地図を見ながら5kmほど、その後、日を改めて、町役場の人からFAXしてもらった書き込みのある地図を見ながら河ヶ谷を更に12-13km歩き回ってみたのだが、やはりこの場所を発見できなかった。
役場の人によると、登り口は物凄く分かりにくいらしい。特に5月以降は草が茂ってくるのでまず見つけられないという話なので、ここも行くなら3月下旬か4月上旬かも知れない。
↓は歩き回っている最中に遠景に見た、たぶん羅漢山と同種の造形の場所。役場の人が書いてくれた地図の場所とは全く違うので、羅漢山ではないと思うが、ここもかなり凄そうな感じであった。
役場の人が送ってくれた地図では河ヶ谷林道から右手に入っていくのだが、現地で地元の人に道を尋ねたら左に入れと言われた。実は↑の写真は林道の左手に見えたのである。ひょっとすると“羅漢山”は2つあって、この写真はもうひとつの羅漢山なのかも知れない。
羅漢山の撮影はもう日没近くの撮影になった。
日が沈んでしまうと遭難の恐れがあるので、素早く撤収する。
車を駐めた所まで降りた来たらもう日が沈んでしまった。
「ギリギリだったね」
「でも凄いものを見られた」
三叉路の所まで戻り、青葉たちは新田さんによくよく御礼を言って別れた。
この日は河ヶ谷から10分ほど車で行った、能登町の中心部、宇出津(うしつ)の民宿に泊まった。
今日は神谷内さんは「男1人・女3人」で予約していたのだが、この日の宿泊客は青葉たち4人だけということで、8畳の部屋を2つ自由に使ってくれと言われた。この日は先に食事ということだったので、荷物を置いてすぐ食堂に行く。夕食は海の幸をふんだんに使ったもので、みんな美味しい美味しいと言って食べていた。
食事が終わった後、入浴タイムである。
「明恵ちゃーん、一緒にお風呂入ろうね」
と幸花が誘う。
「今日は3人だけみたいだから安心ですね」
と明恵も応じて、青葉も含めて3人でお風呂に行き、女湯と書かれている方に入って、ゆっくりと今日の汗を流した。湯船の中で明恵が
「マッサージしていいですか?」
と言い、幸花の足を揉んでくれたが、幸花はそれで随分凝りが取れたようだった。
「明恵ちゃんもしてあげるよ」
と言って、青葉が明恵の足を揉みほぐす。
「この揉み方はまた違う流儀だ。気持ちいいー」
「まあこういうのも幾つかやり方があるみたいね」
最後は明恵が青葉の足を揉みほぐしてくれた。
そんなこともやっていたので結局1時間近く入っていた。お風呂から上がると今日は昨日以上にハードだっただけあり、全員ぐっすりと眠った。
2019年3月25日(月).
またお魚たっぷりの朝御飯を食べてから出発する。
今日はわりと良い道を通るので、明恵に運転してもらった。
県道6号を上町(かんまち)ICまで行き、珠洲道路に乗って30分ほど走り、能登空港ICで能越自動車道に乗る。これを横田ICで降りて県道23号を通って山を越え、外浦側の志賀町の富来(とぎ)に到達する。
最初に行ったのはその県道23号の終点近くにある“世界一長いベンチ”である。
「これは確かに長い!」
と幸花が声を挙げる。
(2019.6.19撮影)
「何メートルあるんですかね?」
と明恵が訊くが
「そこに460.9mと書いてあるね」
と神谷内さんが答える。
「世界一長いベンチってギネスブック認定ですかね?」
「そうそう。1987年にギネスブックに認定された。でもその後、ドイツに500mのベンチができて抜かれた」
と神谷内さん。
「ありゃ、ドイツに負けましたか」
「でも2011年に富山県南砺市の瑞泉寺前ベンチが653.02mで世界一を取り返したんです」
と青葉が言う。
「おお、さすが富山県人」
「あそこ通る度に案内板を見ますから」
「じゃ今はそこが世界一ですか?」
「そうそう」
「しかし460mって、走ったら何分かかりますかね?」
と幸花は言ってしまってから数秒後に後悔することになる。
「走ってみれば分かるね」
と神谷内さんは言った。
「それ・・・誰が走るんでしょうか?」
「霊界探訪3人娘、頑張ってみよう」
「何か皆山さんが質問した時点でこうなりそうという気がした」
「結局私も走るのか」
それで神谷内さんが「用意ドン」と声を掛け、3人で走り始める。
すぐに青葉>明恵>>幸花と距離が開く。青葉は向こうの端まで到達した所でストップウォッチ・モードにしていた自分の腕時計を見る。1'23"だった。やがて明恵が到着する。明恵は1'41"である。かなり経ってから幸花が到着し、激しい息をしながら両手を膝に置いている。言葉も出ないようである。彼女が2'23"だった。明恵と幸花が端に到達する所は、青葉が自分のスマホで撮影した。
「でも全員端まで到達したね!」
(実はあちこちに貼ってあるこのベンチの写真は圧倒的に入口の所から写したものが多く、この終点側から写したものは少ない)
「ところであそこのギリシャ風の柱は?」
「さあ」
近寄ってみると《太陽のモニュメント》という案内板が立っていた。
「どこいら辺が太陽なのかな?」
「まあ芸術はよく分からない」
帰りは3人で歩いて帰ったが、4'10"で帰り着いた。もっとも青葉と明恵のペースに合わせるのに、幸花はかなりきつかったようである。
「体力の限界を感じる」
「毎日ウォーキングしましょう」
「アナウンサーは体力勝負ですよ」
「私、アナウンサー採用じゃないんだけどな」
「でも事実上アナウンサーみたいな仕事してますよね」
「まあレポーターかな」
「なるほど」
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