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■春封(19)
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ところで、後でマキコのバイクを見たみんなは驚愕した。カワサキの巨大なリッターバイク、Ninja-H2だったのである。
「すごいマシンに乗ってるね!」
「これのローンを返すためにもお仕事頑張らなきゃ」
「ああ、それは頑張りなさい」
と言いつつ、和実は、この子、こういう趣味持っていたらいつまでたっても、“例の手術”を受けるお金は貯まらないのでは?と思った。
「それ新車で買ったの?」
とライムが訊く。
「うん。中古にしたかったけど、新車でなきダメってお母ちゃんが強く言うから妥協した」
「お母さんが新車しかダメというのなら、お母さんがお金出してくれるとかは?」
「まさか」
「ああ」
「だから、男の娘を2人性転換させてあげられるくらいの金額をローンで組んだ」
「じゃ誰か男の娘がいたら2人性転換させてあげよう」
千里は12月18日(日)には大牟田でフラミンゴーズとの試合をしたが、これ以降、Wリーグはオールジャパン・オールスターに向けてのお休み期間に入った。千里は渡辺純子・湧見絵津子・鞠原江美子・高梁王子・佐藤玲央美と6人で出羽に20-22日の3日間籠もって集中的な練習をした。
12月23-28日は、ウィンターカップに出場する旭川N高校のメンバーのサポートをする。ただしプロ選手である千里や絵津子は、御飯作りや買い出しなどの作業は「免除」(OGチームのキャプテンである暢子がそう言った)で、純粋に練習のパートナーを務めたが、これが高校最後の試合になる福井英美が鬼気迫る雰囲気でひたすら千里や絵津子と1on1をやっていた。
「でも最後オールジャパンにも出て高校を卒業したかった」
「来年からは私たちはライバル。同じ土俵で勝負だよ」
「はい。千里さんを倒します」
「うん。頑張ろう」
千里が「超本気」だったので、英美はこの合宿期間、1度も千里に勝つことができず「うっそー!?」と言っていた。
「私、2年前から進化してないのかなあ」
と言う。2年前の東京合宿の時も、英美は1度も千里に勝てず、それまで超天才だの将来の日本のエースなどとさんざん褒めちぎられていたのが、意識がまるで変わって、一時期サボりがちだった練習も人の数倍するようになったのである。岐阜F女子校にも何度か留学させてもらっている。
「英美ちゃんは凄く伸びたと思う。でも私もこの2年間に伸びた」
と千里が言うと、彼女の顔が引き締まっていた。
「来年には追い越します」
「うん。頑張ろう」
と言って再度彼女とは握手をした。
阿倍子はふだんあまり神社とかお寺といったものには行かないのだが、その日はたまたま前を通りかかったお寺でお汁粉を無料でふるまっており、京平が食べたいと言ったので、中に入って頂いた。そしてなんかタダでもらって悪いなと思った時、おみくじが目に入ったので引いてみた。
「う〜ん。末吉かあ」
末吉というのは概して「吉」というのが名ばかりで、ろくなことが書かれていない。金運は「悪し」と書かれているし、失せ物は出ず、待ち人は来ず、病気は長引く、相場は待て、などとひどい状況で「これ凶じゃないのか?」と思いたくなった。
その中で「良し」と書かれているものがあるので「おっ」と思って見ると、「縁談良し。良縁あり」と書かれている。
既に結婚しているのに、良縁もないだろう〜?
と阿倍子は嘆くと、結局そのおみくじをお寺の手すりに巻き付ける。
「そこにまきつけるものなの?」
と京平が訊く。
「ここに巻いて帰るとこのおみくじは無かったことになるんだよ」
「へー。よくないことがかいてあったの?」
「そうそう」
「だったら、いいことがおきるといいね」
「うん。憂さ晴らしに宝くじでも買って帰ろうかな」
そう言って、阿倍子はその日が最終日だった年末ジャンボを1枚!買って帰った。
「それなあに?」
「宝くじだよ。これ4億円になるかも知れないんだよ」
「4おくえんってどのくらい?」
「そうだなあ。パパの車が100台買えるくらいかな」
「くるまを100だいかって、どこにおくの?」
「それが問題だなあ。100万円くらいでもいいから当たらないかなあ」
「それだとどのくらい?」
「USJに100回行けるくらいかな」
「あ、それならいってもいいね」
「まあUSJは2回くらいにして、あとは焼肉を196回くらいしてもいいかもね」
「やきにくもすきだけど、ラーメンもすきだなあ」
「まあ色々買えるよ」
「へー」
青葉は引き続きローズ+リリーのツアーに同行していたが、12月25日の福岡公演の後はいったん高岡に帰った。しかし28日の沖縄公演の後は冬子たちと一緒に東京に戻り、そのまま彪志のアパートに転がり込んだ。
29日には桃香とフェイという2人の《管理中》の妊婦の様子を直接確認する。日々リモートでメンテしているし、念のため桃香には笹竹、フェイには小紫を付けて何かあった時は対処できるようにしているのだが、やはり直接確認も時々はしておきたいのである。フェイは
「だいたい週に1回は醍醐先生が来てくださるんですよ」
と言っていたが、桃香は
「最近、なかなか千里と会えない」
などと言っていた。
しかし青葉は眷属を2人も飛ばしているので実はけっこう辛い。
「たぶんちー姉も眷属を2人に付けているよね?こちらは付けてなくても何かあったら、ちー姉から連絡があるんじゃないかなあ」
とは思うものの、青葉の責任感が、そこで手抜きをすることを許さない。
「ところで、青葉、食糧のストックを作ってくれたりはしない?」
などと桃香は言っている。千里が最近忙しいようで、全然食糧の備蓄が無く、かなりインスタント食品や、ピザの出前などに頼っているらしい。
「桃姉、そういう食生活はお腹の赤ちゃんによくないから、頑張って自分で料理しようよ」
と青葉は取り敢えず言っておいた。
でもまあちー姉は、冬の間はWリーグで忙しいだろうなと青葉は思った。むろん青葉も今無茶苦茶忙しくて、とても食糧作りまでしている余裕は無い。
29日の夕方、青葉が彪志のアパートに戻ると、千里が来ていた。千里は昨日までウィンターカップに出場していた旭川N高校の東京遠征(合宿)に協力していたらしい。
「仙台にはいつ入る?」
「迷っているんだけどね。当日でもいいかなあと思う。和実のお店も引き渡しが済んだらしいから見に行こうかと思ったんだけど、和実、ローズ+リリーのカウントダウン・イベントに出店を出すことになったんだって」
「へ?クレールってもうオープンしたんだっけ?」
「保健所の営業許可と消防署の確認は取ったらしい」
「じゃ年明けくらいにオープン?」
「いやそれがオープンは3月末だと言ってた」
「なんで〜?」
「アールヌーボー調の室内装飾を売りに営業するつもりだけど、その装飾とかアールヌーボー調のテーブル・椅子がまだ来ていないらしいんだよ。その工事がたぶん3月中旬になるんで、結局オープンは3月末だって」
「じゃテーブルや椅子無しで保健所の営業許可取ったの?」
「仮のテーブル・椅子を入れているらしいよ」
「よく分からないけど効率の悪いことしてるなあ。なんで建設終了に間に合うようにそういうの発注してなかったんだろう」
「お金が無かったって」
「あぁ!」
「だけど、政子さんが資金を貸してくれたから、それで発注したらしい。政子さんが貸してくれなかったら、オープンは秋になっていた所だって」
「営業もしないまま1年間建築費のローンを払い続けたら、オープン前に倒産するよ」
「和実ってわりとそのあたりがアバウトだから」
「同感、同感」
彪志がトイレに立った時、千里は小さい声で言った。
「ところでさ、青葉」
「うん?」
「私のタロットが言っている。私はたぶん来年結婚する」
「え?貴司さんと?貴司さん、離婚するの?」
「そっちは分からない。でも私は結婚するハメになるけど、たぶん相手は貴司ではない」
「え〜〜〜〜!?」
「青葉、その結婚が早々に壊れるように、呪いを掛けて欲しい」
青葉は厳しい顔になった。そして数秒考えるようにしてから言った。
「分かった。遠慮無くぶち壊すから」
「こんなこと頼めるのは青葉しかいないから」
「ところでさあ、ちー姉って結局何人いるわけ〜?」
と青葉はやや投げ遣りな感じで言った。
「自分でもよく分からないんだよね〜。でも別の自分の分身と遭遇したことはないよ。あれってたぶん遭遇したら対消滅しちゃうんだと思う」
などと千里は冗談とも本気ともつかないことを言っている。
「対消滅は、周囲に迷惑だね」
「半径数km吹き飛んだりしてね」
「数kmで済むといいね」
仮に体重50kgの人が消滅して全てエネルギーになった場合E=mc
2で計算すると1ギガトン(1000メガトン)のエネルギーになることになる。
2.99792458e8
2× 50 / 4.184e15 = 1074 (mega-ton)
これは東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の地震エネルギー(477Mt)の倍である。(広島型原爆の約7万倍)
「分身といえばさあ、青葉はバナッハ=タルスキーの問題は分かる?」
と千里は唐突に訊いた。
「私は文系だけど、そのくらいは分かる」
と青葉は答える。
「球をうまく分割すると、完全に同じ球をもうひとつ作ることができる。例えば半径1cmの球があった時、これを上手に分割すると半径1cmの完全な球2個に分けることができる」
と千里。
「最初話を聞いた時は、そんな馬鹿な!?と思ったけど、証明を読んだら納得した」
と青葉。
「証明を読んで理解できるってことは、青葉はけっこう理系の脳を持ってるよ」
と千里は言う。
「あれは『賢いホテルの支配人』と同じ原理なんだよ」
と青葉。
「そうそう。本質的にはあれと同じことをしてる。もう少し難しいけどね」
賢いホテルの支配人というのはこういう思考実験である。
ある所に無限個の部屋があるホテルがあった。その日ホテルは満杯だったが、そこにお客が来て泊めてくれと言った。
ホテルの支配人は1号室の客にお願いして2号室に移ってもらった。2号室の客には3号室に移ってもらう。同様にn号室の客にはn+1号室に移ってもらった。すると泊まっている客は全員別の部屋に移動しただけで、誰もあふれていないのに1号室が空いたので、支配人はその部屋に新たな客を泊めた。
「この話も騙されたような気がするけど、数学的には正しいからね」
と千里。
「同じようにしてうまく都合を付けると、ちゃんと球が2分割できる。ホテルの例でいえば、新しいホテルが建ったので、1号室、3号室、5号室、・・・・の客を新しいホテルに移動させ、2号室、4号室、6号室、・・・の客は元のホテルの1号室、2号室、3号室、・・・に移動させる。すると客の数は変わっていないのに、元のホテルも新しいホテルも満員御礼になる」
と青葉は言った。
「うん。球を元の球と同じサイズの2個の球に分割できるというのは原理的にはその無限ホテルと同じ事なんだよ」
と千里。
「青葉、人間をあれと同様にして同じ人間2人に分割できると思う?」
と千里は訊く。
「それはできない。球が同じもの2つに分割できたのは球が無限個の点で構成されているから。人間は有限個の粒子で構成されているから、形だけ2分割したとしても密度が半分になる」
と青葉は答える。
「私がもし3分割されたら、体重も各々20kgずつになったりしてね」
「ちー姉なら、適当にうまく都合をつけて60kgずつにしそうだけどな」
千里は「新婚家庭をあまり邪魔してもいけないから」
などと言って18時頃、引き上げて、桃香のアパートに行った。桃香は
「カップメン飽きた、ピザ飽きた、お寿司飽きた。レトルトカレー飽きた。千里〜。何か食べさせて」
などと言っている。
「はいはい。じゃ、今日は肉ジャガでも作ろうか?」
「おお!なんと素敵なことばだろう!肉ジャガなんて」
この日桃香は肉ジャガを「美味しい美味しい」と言って凄く嬉しそうに食べていた。あんまりお代わりしようとするので
「妊婦はカロリー制限守らないとダメ。赤ちゃんを大きくしすぎると難産になるよ」
と言って途中で止めた。
「それ辛いよお。病院の先生から、お刺身に醤油掛けたらいけないと言われたし」
「うん。塩分のコントロールも大事。だからカップ麺禁止にしようよ」
「カップ麺が食べられないと、私は命をつなげない」
「これ買ってきたから、自分で頑張ってみよう」
と言って、千里は『初心者妊婦さんの易しい食事』という本を桃香に渡した。
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