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■春封(5)
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(C)Eriko Kawaguchi 2017-08-19
2016年の9月下旬から10月上旬に掛けて、ローズ+リリーは制作中のアルバム『やまと』に収録する楽曲『寒椿』の制作作業をしていた。この曲は千里が鴨乃清見の名前で書いた曲なので、千里自身にも龍笛で参加してもらった。
その製作をしている時、和実が進めているメイド喫茶の建設の話題が出た。
「へー。場所決まったんだ?」
「今基礎工事をしている最中だよ」
「どこに作るんだっけ?」
「ぎりぎり仙台市内かな。駅からバスで20分掛かる」
「そんなに離れていてお客さん来るの?」
「うん。それが最大の問題だと思う」
などと千里は言っている。
「でも一度見に行ってみたいね」
などとマリが言い出す。
「いつ〜?」
とケイが訊く。結構逼迫したスケジュールで制作をしているので、よけいなスケジュールは入れたくない所であろう。
「カウントダウンをM市でやることになったじゃん。そこの会場下見を兼ねて行って来ない?」
とマリ。
ケイは頭を振っていたが、マリちゃんは言い出したら聞かない性格だ。
「んじゃ、この『寒椿』が予定より早くできたら、まとめて見学に行ってみようか」
とケイは妥協した。
「だったら私、歌の練習頑張る」
とマリは張り切っていた。
結局、この曲の収録が10月12日くらいまで掛かる予定だったのが、マリの歌唱が早く仕上がったため、10月8日にはミクシング作業を除いて完成した。それで10月9日に友人の博美の結婚式に出た後、10月10日(祝)に、冬子と政子は新幹線で仙台に向かった。
担当の氷川さんとドライバーの佐良さんが同行しており、仙台駅前でレンタカー(プリウス)を借りて、佐良さんの運転でM市まで走り、カウントダウンライブの予定地を見学した。
「何にも無い」
と政子は文句を言う。
「だからまだ何も無いよと言ったじゃん」
と冬子は言っている。
「だいたいそのあたりにステージを設置する予定なんですよ」
と言って氷川さんが案内する。
(実際にはステージの位置は後で変更になってしまった)
「へー、ここから観衆に呼びかけるのか」
と政子は言っているが、既に頭はもう数万人の観衆を前にしたかのような感覚になっているようである。
「ケイ、歌うよ」
と言って、政子は先日まで制作をしていた『寒椿』を歌い出す。冬子は
「それキーが違ーう!」
と言って正しいキーで歌い出した。政子もすぐそれに合わせた。
その様子を見て、佐良さんは
「ほんっとにこの2人、歌が好きなんですねー」
と言った。
氷川さんも笑顔で頷いていた。
30分くらいそこに居たら、別のプリウスが会場前に停まる。和実が降りてきて手を振る。氷川さんが会釈すると向こうも会釈を返す。政子が結局ここでたっぷり10曲熱唱した所で、移動することになる。
和実のプリウスの後を、佐良さんが運転するプリウスが続き、三陸自動車道・仙台東部道路を20分ほど走り、その後下道を10分ほど走って現場に到達する。
「まだ何も建ってない」
とまた政子は文句を言っている。
「先月の下旬に基礎工事を始めたばかりだよ。今月いっぱいはこれに掛かって建物を建て始めるのは来月に入ってからだと思う」
と和実は説明する。
「基礎工事ってそんなに時間が掛かるんだ?」
と政子は言うが
「何事でも基礎は大事だよ。お勉強でもスポーツでも基礎ができてない人はいくら応用問題ばかりしてもダメ」
と冬子が言う。
「そうだよね〜。男の娘もいくら外見だけ可愛い服を着ても、基礎的な表情とか仕草が女の子っぽくないと、可愛くないよね」
などと政子は言っている。
佐良さんが呆れたような顔をしているが、こういう発言に慣れている冬子はスルーである。
結局ここでも政子は10曲くらい歌い、冬子も付き合っていた。工事をしていた人たちが
「お姉ちゃんたち凄く上手いね。NHKののど自慢とか出てみない?」
などと言っていた。
見学が終わった後で1時間ほど道を戻り、和実の現在の住まい(石巻市の胡桃のアパート)まで行った。氷川さんと佐良さんは遠慮して、しばらく近くのファミレスに行っていると言っていた。
今日は盛岡から出てきたお母さんが希望美ちゃんのお世話をしていた。
「だいぶ大きくなったね」
と冬子も政子も言っている。
「すくすく成長している感じだよ。まだ夜泣きには悩まされるけどね」
と和実。
「へー。東京のお友達なんですか? 娘がお世話になってます」
と和実の母は笑顔で挨拶している。
そう言われて和実は、はにかむような顔をした。多分親から「娘」と言ってもらえるのが嬉しいんだろうなと冬子は思った。
和実がコーヒーを入れて出す。
「美味しい!」
と政子が言う。
「さすがプロの味だよね」
と言って冬子も感心している。
「これ、千里がブラジルで買ってきたサントス」
「ああ!」
「私たちももらったね?」 と政子。
「うん。飲んじゃったけどね。でもこれは自分たちで煎れたのよりずっと美味しい」
と冬子。
「やはり、そのあたりが技術の差だなあ」
「でもお店はいつ完成するの?」
と政子が訊く。
「工務店レベルでの建築作業は年内に終わる。実際には11月中にほぼ完成するんだけど、細かい内装をしたり、最後は所定の検査を経て引き渡しになるんだよね。その検査にまた半月掛かる」
「じゃ、基礎工事1ヶ月、本体工事1ヶ月、内装と検査で1ヶ月?」
「その前に1ヶ月掛けて設計をしている」
「なんか周辺の作業が大変なんだね」
「コンサートとかも演奏は2時間で終わるけど、準備に2-3ヶ月は掛かるでしょ」
「確かに!」
「年明けから、防音工事とか事務所のカーテンやカーペット、ロッカー類の導入とかやって、店舗用の家具とか食器とかの選定・搬入を始める。その付近の作業は、費用の問題で建設が終わるまでは手を付けられないんだよ。少しでも現金を手許に残しておきたいから」
「ああ、資金繰りが大変でしょ」
と冬子が言う。
「そうそう。工務店への支払いは、だいたい着手時と建設の途中と完成時に分割して払わないといけないんだけど、銀行からの融資は完成後にしか行われないんだよね。だから、特に中間金の支払いが辛いんだよ」
と和実は説明する。
「あれの工事代金っていくら?」
と政子が訊いた。
「9976万円。一応工務店との話し合いで、着手金を2000万円、中間金を4000万円払って残額は引き渡し時に払うことにした」
「もしかして、中間金までは自己資金で払わないといけないの?」
「だから銀行からつなぎ融資を受けるんだよ。住宅ローンから工事代金が支払われるまでの間だけ、中間金の分を貸してもらえる」
「ああ、そういう制度があるんだ!」
「それが無ければ、ふつうの人には住宅とか店舗の建築は無理だよ」
「だよね〜」
「中間金っていつ払うの?」
「11月末の段階で中間検査というのをするんだけどその時に払うことになる。だからその時点で1ヶ月のつなぎ融資をしてもらうように今銀行と交渉中」
「最初の着手金は払えたの?」
「うん。実はその時点で手許に2000万円しか無かったから、それで勘弁してもらった」
「なるほどー!」
「どんな感じのお店になるの?」
と政子が訊くので、図面を出して来て見せてくれる。
「大きなステージがある」
「2階にスタジオ?」
「エヴォン銀座店と同様にライブ演奏をしようと思っているんだよ。2階のスタジオは出演前の練習用だけど、どうせなら音源制作できるくらいの機材を揃えたいと思っている。そしたらそのアーティストさんたちが自分たちでCDを制作することもできるでしょ?それで、出演してくれるアーティストを年明けくらいから募集するつもり」
「それかなりの人数が必要だよね」
「銀座店の場合、契約アーティストは50組を超えている」
「凄い」
「こちらもスタート時点で20組は欲しい」
と和実が言うと
「私たちも出る?」
などと政子が言い出す。
「さすがにお客さんが入りきれない」
と和実。
「プラチナチケットになって大騒動になっちゃうだろうね」
と冬子も言う。
「じゃ私たちは募集してるよ!というのを広報してあげようよ」
と政子。
「まあそのくらいは協力できるよね」
と冬子。
「営業開始はいつ頃の予定?」
「5月くらいを予定しているけど、銀行の融資が下りるまでは事実上何もできないから、結果的に秋になってしまうかも知れない」
「でもそれ、秋に営業開始するとしても、ローンの支払いは即始まる訳でしょ?」
「そうなんだよね。だからその間は淳の給料頼り」
「厳し〜い。毎月どのくらい返済しないといけないの?」
「借りるのが1億5千万で、30年ローンだから年間560万円、月あたり47万円」
「それ淳さんの月給を上回っていたりしない?」
「ボーナス入れたら何とかなる」
「生活費は?」
「ふりかけごはんで頑張る。まあ私と希望美の分は姉ちゃんのすねをかじる」
「あぁぁ」
その時、政子が言った。
「そんなに厳しいんだったら、銀行に借りずに私が貸してあげようか?1億5千万とか言わずに2億か3億でもいいし。私なら利子も要らないし、利益が出始めてから、少しずつ返してもらえばいいよ」
冬子はピクッとしたが、和実は途端に難しい顔になった。
そして言った。
「ごめん。政子の好意は感謝するけど、これは私のお店だから。お金持ちの友だちがいるからといって、それを頼っていたら、自分に甘くなってしまう。だから、悪いけど、その申し出は辞退させて。何とか頑張るからさ」
「え?そお?遠慮することないのに」
などと政子は言っている。冬子は、政子が全く分かってないようだと思ったのでハッキリ言った。
「政子、私たちがアルバム作るの大変だからと言って、演奏も歌も代わりに他の人たちにやってもらったら、どう言われる?」
「それは私たちのアルバムじゃないと思う」
「お店の経営は資金繰りまで含めて経営なんだよ。私たちがお金を出したら、それは私たちのお店になってしまう。和実は自分でこのお店をやっていきたいんだよ」
と冬子は説明した。
「あっそうか。ごめんねー。変なこと言って」
と政子はやっと理解したようで、和実に謝った。
「ううん。気持ちだけはありがたく受け取っておくよ」
と和実は笑顔で言った。
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