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そしてその週の金曜日になって、優羽はΨΨテレビの森原プロデューサーから直接電話を受けた。
「あなたの歌唱を見たけど、今すぐデビューさせたいくらいに凄いと思った。今度の日曜に、東京の中野スターホールで観客も入れて2次予選をするので、出てもらえませんか?」
何か凄く評価されているっぽい。森原さんはΨΨテレビで『平成歌の祭典』という歌番組も担当している人である。そういう専門家から評価されたのが嬉しかったので、優羽は
「はい、参ります」
と即答した。
(森原から似たようなことを言われた子が7人もいたことを優羽は知らない)
森原さんからは、保護者が書いた芸能活動許可証を用意し、水着審査もあるので歌唱用の衣装のほかに水着を持って来てくれるよう言われた。
「ただ、私は今回偶然通りかかった所で『ちょっと歌ってみて』と言われて歌っただけで、ほんとに偶然参加する形になったのですが、以前芸能活動をしていたこともあるのですが」
ときちんと言っておく。
「デビューしてた?」
「それはしていません。§§プロの研修生になって、アクアとか品川ありさとかのバックで踊ったり、1度はギターの担当者が急病でピンチヒッターでライブのギターを弾いたこともあります」
「ああ、そのくらいは全然問題無い。オーディション受ける子にはその程度の活動歴のある子はけっこういるよ。最終的に合格した場合は、新しい事務所が移籍金を払えばいいことだけど、デビュー前の子の移籍金はそう高くないから」
「なるほどー」
そうか。移籍金か。私たちって商品なのねと思う。それがコスモス社長が言っていた業界上で必要な手続きという奴かな?
それで優羽は森原さんとの電話の後で、秋風コスモスに電話し、テレビ局主催のオーディションの一次審査に合格したことを伝えた。
「ああ、あのオーディション受けたんだ?」
「いやそれが・・・」
と言ってただの通りがかりだったのですが、と当日の経緯を話すとコスモスは笑っていた。
「でも案外そういう縁で受けたオーディションのほうがうまく行ったりするもんだよ」
とコスモスは言う。
「この業界、わりとそういうの多いですよね」
「うん。だから頑張ってね。通るといいね」
とコスモスは言ってくれた。
優羽は次の日曜日、母にも付き添ってもらい、東京中野のスターホールに出かけて行った。どうも参加者は40人くらい居るようである。
審査は全て観客のいる前でステージで行われるということだった。テレビ局の主催だから、このような手法になるのだろう。
最初にΨΨテレビの名古尾さんという人が挨拶してから“ステージオーディション”は開始された。審査は3ステップで、最初は1人ずつ普通の服でステージに登場して、30秒間の自己紹介の上で審査員の質問を受ける。審査員は最初に挨拶した名古尾さん、番組の司会役らしいデンチューの2人、番組アシスタントの金墨円香、★★レコードの社員証を首からかけている中年女性(後に滝口という人だと分かる)、同じく★★レコードの社員証をかけている若い女性(同様に明智という人と分かる)の6人である。もっともデンチューは2人で1人分という扱いのようだ。
確かラララグーンのソウ∽(そうじ)さんがプロデュースするとか言ってなかったっけ?と思ったが、ここには来ていないようだ。また先日優羽に直接電話を掛けてきてくれた森原プロデューサーも入って居ないようである。急病か何かで名古尾さんが代行しているのだろうか?この人は『開く胃の電動』とか『EXP-#♭運動会』などといったバラエティ番組を担当していた人のはずである。この辺りは§§プロの研修生を1年以上やったことで覚えた業界知識だ。
優羽はステージに立つのは慣れているので、無難に審査を通り、48点をもらった。審査員が5組なので50点満点である。
この第一次審査で参加者は42人から34人に絞られた。落とされたのは大半がステージ上であがってしまって、まともに応答ができなかった子たちだった。
二次審査は水着審査である。優羽はジル・スチュアートのとびっきり可愛い水着を着けて出て行った。会場から凄いざわめきがある。
「むっちゃくちゃ可愛いやん!」
とデンチューの殿山から言われる。
「ねぇ、あんたの写真付きで3万円でその水着売ってくれん?」
などと相棒の昼村。
「いいですけど、即警察に通報していいですか?」
と優羽は笑顔で答える。
会場からは爆笑の声がある。
金墨円香は笑顔ひとつ見せずに訊いた。
「君に真剣に尋ねたいことがある」
「はい?」
「その水着のフリルは全部で何個?」
「57個です」
と優羽は即答した。
「数えたの?」
「ガイドブックに書かれていましたよ」
「ガイドブックがあるんだ?」
「私が執筆します」
「だったら、できあがったら1冊私にちょうだい」
「価格は1億円ですけど、いいですか?」
「あんた、その水着はいくらよ?」
「8億7千万円ですが」
「よく買えたね!」
「『サンシャイン・ムーンライト』のCDを街頭で売って稼ぎました」
と優羽が言うと、会場から笑い声が起きる。
『サンシャイン・ムーンライト』というのは金墨がアイドル時代にヒットさせたCDである。金墨も無茶振りしたボールをこちらに返されてしまったので、参った!という表情だった。
水着審査で10人落とされ24人となる。正直この判定基準は分からんと思った。いよいよ最終審査は歌唱審査である。最初に最終審査はこの歌唱のみで行われ、一次審査の自己アピール、二次審査の水着審査の点数はいったんリセットするというのが宣言される。テレビ番組らしい演出である。
優羽は川崎ゆりこからもらったステージ衣装のドレスを着て、ももクロの『夢の浮世に咲いてみな』を格好よく熱唱した。観客も他の参加者たちも優羽の歌に聞きほれている。
満点の50点を取る。
この三次審査で50点を取ったのは実は5人いた。北海道から来た花山波歌(かやま・しれん)、長野県の種田広夢(おいだ・どりむ)、石川県の雪丘八島(すすぎ・やまと)、福岡から来た島田春都(しまだ・はると)、それに優羽である。
この5人は最終的には全員芸能界に来ることになる。控室では50点満点の5人は既に進出確定ということで、“金の椅子”に座らされ、その様子もカメラで撮影されたので、全員カメラに向かって手を振った。
「でもなんか皆さん名前の読み方が難しい」
と言ったのは春都である。
確かに月嶋優羽(つじま・ことり)を含めて難読氏名ばかりである。
「実は難読氏名コンテストだったりして」
と広夢が言う。
「だったら私、落ちた〜」
などと春都は言っている。
「はるとちゃんがいちばんマトモな名前だ」
と波歌(しれん)。
「私、自分の名前正しく読んでもらったことない」
と八島(やまと)。
「まあ私の場合は元々落選は確定しているんだけどね」
と春都が言うので
「まさか、これ既に合格者は決まっているとか?」
と波歌が訊く。
「違う違う。私は実は応募条件を満たしていないから失格なんだけど、面白いから私の失格は、私がもし最終審査まで行ったら、カメラの前で暴露していいかと言われたから了承した」
「応募条件を満たしてない?」
「もしかして年齢不足?」
「日本国籍ではないとか?」
このオーディションは14歳以上(上限無し)の、事務所と契約関係のない女子ということになっている。外国人の場合は、永住者、あるいは歌手としての就労許可が取れる人ということである。
春都は見た感じは高校1〜2年くらいに見えるが、ひょっとしたらまだ中学1年なのだろうか?
「いやぁ、実は私、女子じゃないから」
「は?」
と他の4人はしばらく意味が分からず考えていた。
「まさか、あんた男〜?」
と優羽が言った。
「正解」
「女の子にしか見えないのに!」
「うん。だから最終審査まで行く間はその問題は不問にする、と森原さんから言われたんだよ」
「それは最終審査前に性転換手術を受けて完全な女の子になってもらうパターンだな」
「え〜〜!?」
「そういう話はたまにあるよね」
「たまにあるの〜〜?」
「アクアもデビュー前に声変わりが来ないようにするために性転換手術を受けたという噂だし」
と波歌が言っているので優羽は笑いをこらえるのに苦労する。うん、あの子は世間的にはしばしばそう思われている。そもそも世間的には去勢手術と性転換手術の違いが分かっていない人も多い。むろん声変わり防止なら睾丸だけを取ればよいので、ペニスまで取って女の子の形に股間を変更する必要は無い。
「きっと春都ちゃん、今日の撮影が終わったら、バンコク行きの航空券を持たされて」
「ちょっと心の準備が・・・」
「でも森原さん、首になっちゃったからそのあたりもどうなるか分からないね」
と八島。
「うん。実はそれも不安がある」
と春都。
「え?森原さんが首?」
と優羽は驚いて言った。
「あれ?知らなかった?ΨΨテレビの社長と衝突して辞表を提出したんだよ。事実上の解雇。ニュースでも流れていたよ」
「うっそー!?」
「何で対立したの?」
「森原さんがメインで担当している『平成・歌の祭典』でさ、最近口パクする歌手とか、手の動きが音と合ってないギタリストとかが増えてきているのを憂慮して、4月以降、この番組は口パク・当て振り禁止にする、と記者会見で言ったんだけど、それを社長が撤回しろと言って、森原さんは一歩も引かず、結局辞表を提出した」
「なぜ社長は撤回を迫る?」
「森原さんの姿勢には局内にも結構異論があった。生演奏をするとどうしても放送事故が起きやすい。歌詞忘れたり演奏ミスったり、マイクが入っていなかったり、ケーブルが断線したり。それを嫌って最近はテレビ局側が口パク・当て振りを要求するケースも多い。だけど森原さんは、それなら歌手など呼ばずにCDやビデオを最初から流せばいいと言っていた」
「ああ、そういう対立があった訳か」
「でもそれ以上に、口パクとか当て振りでしか演奏できない歌手やミュージシャンを抱えたプロダクションかレコード会社からの圧力もあったんじゃないの?」
「アイドル系も酷いけど、かつての名歌手で歌唱力が衰えて、もうまともに歌えない人も多いよね」
「そういう歌手は政治力だけは持っているから」
「やだなあ、そういうの」
「森原さんも口パク・当て振り自体がそのミュージシャンのスタイルである場合は例外的に認めると言っていたんだけどね」
「どういうアーティストだっけ?」
「Perfumeみたいに音声を全てシステムで処理していて生演奏が不可能な場合、金爆みたいなエアバンド、チェリーツインやラララグーンみたいにバックで別のバンドメンバーが生演奏しているケース。これメンバーであることが大事」
「チェリーツインは分かるけど、ラララグーンもそんなことしてるんだっけ?」
「あ、それファンの間では常識となっているんだけど、一般には知られていない」
「そうそう。あのバンドには実は、ソウ∽が2人いるんだよ。パフォーマーのソウ∽と、実際に演奏しているソウ∽」
「そんなの初めて知った!」
だったらこの番組に関わるソウ∽さんって、どちらのソウ∽さんなんだろう?と優羽は考えた。
「まあそれでこの番組に関しては名古尾さんが後任プロデューサーだよ」
と春都は語る。
「名古尾さんは歌番組は未経験なのでは?」
と優羽が言った。
「だからどうも本人も苦労しているみたい」
「あぁ」
審査は実際かなり揉めていたようで1時間ほど待たされた。それで50点満点の5人を含む12名の名前が発表され、最終審査の前に5月3-5日に合宿をするということが伝えられた。
実際には30点しか取れなかった東北出身の参加者をめぐり、滝口が強く推したものの、あんな音痴を合格させたら、この番組の良識が問われて、以後まともな参加者が来なくなるとして名古尾が反対し、これに金墨も同調。最終的には立場上意見を出していなかった明智が、点数が全て公開されているのに得点の低い人を通すのは問題があるとして合格に反対。滝口も渋々同意してこの参加者は落選となった。それで、41点以上が10人おり、40点が4人いるので、その4人の内、誰と誰を通すかというのだけ、審査員の合議で通過者を決めた(こちらの議論は5分で終わった)。実際には一次審査と二次審査の合計点が高い2人を通すことになった。