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それで次の5番にはまた粘られたものの何とかライトフライに打ち取った。
2アウト13塁と変わる。
右の6番打者が出てくる。ネクストバッターズサークルに入った7番でピッチャーの近藤君も右打者である。
この6番打者がまた粘りに粘った。
そして4ボールを選ばれる。
司がマウンドに行き「2アウトで1人殺せばいいんだから、ランナーは気にせず打者に集中しよう」と声を掛ける。
2アウト満塁で7番の右打ち・ピッチャーの近藤君を迎える。
初球だった。
失投気味の山園のボールはド真ん中に来る絶好球。近藤君はフルスイングして、ボールは大きく飛ぶ。
スタンドの中段に飛び込む特大ホームランだった。
満塁一掃で4点が入り5−0となる。多くの人がこれでもう勝敗は決したと思った。
監督が選手交代を告げる。複雑なのでメモに書いて渡した!
監督から聞いて司は仰天した。場内アナウンスはこう告げた。
「センター柳田君に代わりましてレフト橋坂君、ピッチャー山園君はレフト、キャッチャー福川君がピッチャーに回り、キャッチャーは宇川君。1番センター橋坂君、2番キャチャー宇川君、8番ピッチャー福川君、9番レフト山園君。以上に代わります」
つまり山園を外野に回しておいて、司がピッチャーをすることになったのである。
司は準決勝でも完投しているが一週間経っているので連投規定に掛からない。
強力なT中打線相手に前川君や小森君のボールは通用しない(女子マネの水野尚美なら行けたりして。尚美ちゃん度胸もあるし)。それで山園君が打たれたら、投げる人は司しかいなかった。
山園は念のため外野に回した。相手が左打者の代打を出してきた時の用心である。逆に左打者の代打を使うなら山園をまた出すぞと相手を牽制することになる。
ここでライトにはクリーンナップの一角を打つ前川が入っているのでセンターの1年生・柳田を下げた。結果的に柳田君は1度も打席に立たないうちに交代で退いた!
司はプロテクターとレガースを外し、キャッチャーズミットをピッチャーズグラブに交換し、マスクをかぶった宇川君相手に軽く投球練習をした。
「プレイ」という球審の声。司はまずは8番打者をセカンドゴロに打ち取って、この回を終えた。
そして1回裏、S中の攻撃。満塁ホームランを打って気を良くした近藤君は剛速球を投げてくる。1番の橋坂君、2番の宇川君と連続三振に取る。
そして3番の菅原君になる。
近藤君にとっては今季初失点(取り消しになったけど)を取られた相手である。近藤君はリベンジに燃えて
「打てんだろう」
という感じの全力投球をド真ん中に投げ込んだ。
ところが菅原君はこの“コース的には”絶好球をジャストミート。スタンドに運んでしまったのである。
呆然とする近藤君。
つまり近藤君としては自分の球速に自信があるのでわざとド真ん中に剛速球投げ込んだ。普通のバッターなら、いくらド真ん中でもこんな速い球は打てない。でも菅原・阪井・前川のクリーンナップ3人はここ1ヶ月ピッチングマシンで彼の球速の球を打つ練習をしてきた。
だから“絶好球”を打ったのである。
これで近藤君は自信が崩れ、菅原君に苦手意識を感じてしまった。今季2本もホームランを打たれた相手である。この苦手意識は高校に行ってからも続くことになる。
菅原君がダイヤモンドを一周してホームイン。5−1と1点返した。
気を取り直して次の4番阪井君と相対する。少し警戒して両サイドに散らす。でもアウトサイドの球を打たれて阪井君はライト前ヒットで出塁する。
5番前川君と対峙する。右中間に転がる長打コース!
阪井君が全力疾走する。ホームでクロスプレイになったものの判定はセーフ。これで5−2。その間に打った前川君は三塁へ。
6番小林君が出ていく。小林君はファウルで粘る。そして7球目、低めの球をキャッチャーが後逸した!
前川君がホームインして5−3。
試合の行方は全く分からなくなった。
ついに向こうの監督が動く。近藤君をライトに回して2番手として原岡君がマウンドに登った。昨年の新人戦で山園君と投げ合ったピッチャーである。
原岡君は冷静に小林君をセカンドゴロに打ち取り、1回裏を終わらせた。
1回の表裏を終えて5−3というのは、この試合打撃戦を予想させた。
しかし2回表のマウンドに登った司は120km/h程度の速球とカーブ、そして時折見せるチェンジアップで向こうの9番・1番・2番を連続三振に取った。
「福川さんの直球って先週見た時も思ったけど山園君より速いよね」
「いやうちの原岡と、いい勝負の速球だと思う」
「華奢な身体なのによくあのスピードが出るね」
「彼女は物凄く身体が柔らかい。全身のバネを使って投げてくるんだよ」
「でもそういう投げ方って球質が軽くなりがちですよね。でも彼女準決勝では外野に届く当たりは3本しか打たれてませんよ。G中結構打撃力あるのに」
「意識的にボールの回転を減らしてるのかなあ」
「それに彼女のボールって手元で微妙に変化しない?」
「ムービング・ファストボールだと思う」
「・・・・・」
「俺も先週スタンドから見てた時は自信が無かったんだけど、ここで見てて確信した。彼女の球は直球(ストレート)ではなく速球(ファストボール)だ。アメリカではこれ投げるピッチャー多いけど日本では少ない」
「それで打ちにくいのか」
「芯で捉えるのが難しい。彼女みたいに体重の軽いピッチャーの球は軽くなりがちだけど、多分女の身体で男にも打たれにくい重い球にするのにあの投げ方をマスターしたのだと思う」
「だとすると彼女の速球は普通のストレート(直球)を打つつもりでは打てんな」
「彼女を先発させなかったのは、やはりうちが左打者打線で来ると思ってたからだろうなあ」
(普通に「彼女」と言われている)
「しかし打ちにくさ以前にこの速度で投げてこられること自体で今日の打線では厳しいぞ」
実際菅原君にも指摘されたが、今日のスタメンは一軍半なのである。しかしここで全員左打者に入れ換えると、山園君が戻ってきて抑えられるのが目に見えている。だからT中としても安易に代打を出せない。
実際、この後、2〜4回はどちらも三者凡退という、一転して緊迫した投手戦になったのである。(緊縛ではない←コラコラ)
S中としても近藤君の超高校級の140km/hボールが打てるなら、それより緩い120km/hの原岡君のボールも打てそうなものだが、原岡君は近藤君より制球力があるし、カーブも持っているので、キャッチャーの巧みなリードでS中の打者を打ち取っていく。
5回も両者無得点に終わり、6回表、T中は3番の所に本来の三番打者である左打者を代打で出してきた。
司は“普通の”速球とアウトサイドからストライクゾーンに“入ってくる”カーブで2ストライクを取った後、アウトサイドに今度は115km/h程度の遅い球を投げる。打者は見送って1−2。そして次の球、司は内角低めギリギリに全力投球130km/h超の速球を投げ込んだ。
空振り三振!
アウトになった打者が「嘘だろ?」という顔をしていた。
「何だ?今の球は?」
「あんな速球、先週のG中戦では見せてなかったぞ」
「あれが彼女の本当の決め球か!」
(実を言うとあの試合では司は女性体だったので120km/hが限界だった)
4番に本来の4番打者の左打者が代打で出てくる。彼は目の前で130km/hの速球を見たので、その球を打ってやるという気持ちで出て行く。
しかし司の初球は外角ぎりぎりに“入ってくる”緩いカーブである。
2球目。司が速球の腕の振りで投げてくる。
バットをフルスイング。
でもチェンジアップで空振り!
追い込まれたのでバッターは微妙な球はカットする態勢である。
1球外角に今度は外すボールで1−2。そして次の球は速球の腕の振りである。
バットをフルスイング。
でもチェンジアップで空振り!三振!!
4番打者が物凄く打ち気だったのでチェンジアップが効いた。
5番に本来の5番打者の左打者が代打で出てくる。
いきなり内角低め、外れてもいい感じでに130km/hの剛速球。アンパイヤの判定はストライク。
「凄い球だ。本当に女とは思えん。それに確かに今微妙に変化した。これは相当気合入れないと芯には当てられんぞ」
と思う。
しかし次のボールはチェンジアップである。空振り!
「これはとんでもないピッチャーだ。色んな速度で投げてくるからタイミング取るのが難しい」
と彼は思った。
そして外角一杯への速球で三振!
こうして司はT中の本来のクリーンナップを三者三振に取った。
6回裏、先頭の2番宇川君は三振したが、3番・菅原君が少し疲れの見えてきた原岡君からレフト前ヒットを打って出塁する。続く4番阪井君もライト前ヒットで1アウト12塁である。
近藤君がマウンドに戻ってくる。
近藤君は名誉挽回とばかり気合が入っていた。
しかし5番前川君は近藤君の140km/hの直球を左中間に運び菅原君が生還する。5−4と1点差に迫る。
結局近藤君は直球以外の球種が無いので、この速度にさえ慣れることができたら結構打てるのである。それをS中の打者たちはここ1ヶ月ずっと練習してきた。
6番小林君が出ていく。粘って粘って4ボールを選ぶ。これで1アウト満塁。
キャッチャーが近藤君のところに行くが「いい。分かってる」という感じで追い返す。
そして7番加藤を三振に取る。これで2アウト満塁。
「8番ピッチャー福川君」
という場内アナウンスで司が出ていく。近藤君は
「こいつ女とは思えん凄い球投げるけど、俺は女に負けるわけにはいかん」
とむっちゃ気合が入っていた。
近藤君が全力投球で投げ込んでくる。司はフルスイングした。
ボールは大きな放物線の軌跡を描いて・・・スタンドに飛び込む。
近藤君が呆然としている。
阪井君、前川君、小林君、そして司がホームインして、球審はセーフのポーズ。
この満塁ホームランで5−8とS中は土壇場で大逆転した。
ピッチャーは3番手の1年生ピッチャー北野君が出てくる。近藤はベンチに下げられた。ベンチでも彼は呆然とした顔をしていた。
しかし北野君が9番山園を打ち取ってこの回終了。
7回表、T中は左打者の代打を次から次へと出して来るが司は6回に出て来た3人ほどではない気がした。
130km/hの速いファストボールを使うまでもなく120km/hの速球とカーブ、そしてチェンジアップだけで3人の左打者を打ち取りゲームセット。
結局130km/hの速い速球は2回しか使わなかった。
両軍整列挨拶して試合が完全に終了する。近藤君はまだ呆然としていた。しかし彼が司に握手を求めるように近づいてくる。司も握手しようと右手を出す。しかし近藤君は握手ではなく司をハグした。それは問題無い?司も抱きしめ返す。司の柔らかいバストが近藤君の厚い胸と接触して圧力を感じる。
そして近藤君は言った。
「福川さん好きだ」
司はびっくりしたものの言った。
「ぼくは今野球にしか興味ないから。だからお互いがんばろう」
「うん。がんばろう」
と言って2人は再度握手した。“女の子”の柔らかい手と握手した近藤君は頬を赤らめていた。
球審は近藤君が司を抱きしめた時は「ん?」と思ったものの、2人が友好的に握手するのを見て、まあいいかと思った。
でも司は男の子に告白されてドキドキしていた。
ベンチを片付けて球場を出たところで、スーツ姿に着替えた球審さんが強飯監督に声を掛ける。それで強飯さんも笑顔で球審さんと握手した。それで2人の間にはこれ以上わだかまりは残らなかった。(本当はこのような馴れ合いのようなことをしてはいけない)
あの事件はこの球審さんにとってもずっと心の重荷になっていたのだろう。だから今回の試合もやらせてくれと申し出、照会された強飯監督もOKOKと応じたのでこの試合をジャッジすることになった。
S中の選手たちは「またあの球審かよ?」と文句を言っていたが。
しかしこれでS中は北北海道大会に優勝して、とうとう全道大会に駒を進めた(30年ぶりくらいらしい:スケソウダラと炭鉱で留萌に人があふれていた頃以来)。
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女子中学生・春ランラン(18)