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■夏の日の想い出・東へ西へ(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-12-24
それで星原邸を辞そうとしていた時であった。私の携帯に着信があるが、見ると町添部長である。町添さんからなら緊急の要件かもと思い、私は星原さんに断って電話を取る。
「はい。ケイです」
「ねね、ケイちゃんとマリちゃん、ESTAは取ってる?」
「エスタって、アメリカに入国するのに必要な電子認証ですか?」
「そそ」
「いえ。ふたりとも取ってませんが」
「だったら即取ってくれない?」
「待って下さい。どこかに行くんですか?」
「ちょっと今週末、ハワイに行ってきて欲しいんだけど」
「ハワイですか!? 分かりました。今外出先なので、帰宅したら即申請します。滞在先の住所を自宅のFAX宛て送って頂けますか?」
「うん。それはすぐ送らせる。じゃよろしく」
「君たちも忙しいね!」
と星原さんが言っていた。
私はその場で再度、断った上で政子に電話して、自分のパスポートを探しておいてくれるよう言った。そして帰宅すると「やっと見つけた!」と言っていた政子のパスポートと旅行鞄に入っている自分のパスポート、およびFAXで届いていたハワイの滞在先の住所を見ながら、アメリカ国土安全保障省(United States Department of Homeland Security)のサイトesta.cbp.dhs.gov/esta/に接続し、日本語画面に切り替えてから、必要事項を記入していった。幸いにも結果はふたりとも即「渡航認証許可」と表示された。
すぐに承認済画面の画像データを町添さん宛てメールした。
町添さんからは5分後に電話が掛かってきた。
「今自宅だっけ?」
「はい、そうです」
「実は今週末、アクア君と一緒にハワイに行って来てもらえないかと思って」
「アクアとですか!」
「アクア君の写真集を今週末、ハワイで撮影するんだよ」
「ああ、ハワイになったんですか! でも私たちは何をすれば?」
「写真集と一緒にビデオクリップを撮りたいんだよね」
「はい」
「それで写真くらいなら、日本に帰国してから選択すればいいんだけど、やはりビデオクリップとなると、アクア君をプロデュースしている、ケイちゃんにも現地で監修してもらいたいと思ってね」
「ちょっと待ってください。私、いつの間にアクアのプロデューサーになったんです?」
「え?アクアってケイちゃんたちがプロデュースしてるんじゃないの?」
と町添さんは驚いたように言った。
「違いますけど」
「あれ〜?ごめん!勘違いしていた。じゃ誰がプロデュースしてるか知らない?」
「それ先日から、アクアに関わる数人で話してたんですよ。このプロジェクトは一体誰が主導してるんだ?と」
「その状態はまずいね。誰かリーダーを決めないと」
「ええ。今の状態だと色々混乱が生じると思います」
「じゃさ、忙しい時に申し訳ないけど、今回の写真集とビデオクリップ撮影だけでもケイちゃんたちにプロデュースお願いできない?」
「まあいいですよ。アクアには色々と関わっているので、やりましょう」
「助かる!」
そういう訳で、私は町添さんの勘違い?から、この写真集とビデオクリップ制作のプロデュースをすることになったのである。
しかし・・・・写真集の話は千里が上島先生に提案して、そこから紅川社長に話が行ったはずなのに、なぜ町添さんから私に依頼が来たんだ???本当にアクアに関する情報や指示の流れはどうなっているのだろう?
「ところで写真とかビデオの撮影は誰がするんですか?」
「写真を撮るのは桜井理佳さん、ビデオの撮影は美原友紀さんにお願いした」
「一流どころですね!」
「100年に1度のアイドルではないかという声もあるようだから、それなら最高のスタッフで支えなきゃと思ってね」
「確かにそのくらいの奇跡のアイドルかも知れません」
「それにこういう素材は、女性の視点から見て撮影した方がいい絵が取れる気がするんだよ」
「あ、それ割と賛成です」
と私と町添さんは話をし、意見の一致を見た、と、この時は思ったのだが、ここでとんでもない誤解が生じていることを、私も町添さんも気付いていなかったのである。
ゆみは帯広で温泉などにも浸かって1日過ごした。北海道外の人にはあまり知られていないものの、実は帯広は結構な温泉地である。
その後、釧路・根室と移動して11月6日には納沙布岬で水晶島・貝殻島を見た。
北海道の東端には2つの半島が出ている。南側がこの納沙布(のさっぷ)岬のある根室半島で、北側が知床(しれとこ)五湖や羅臼(らうす)岳などのある知床半島である(先端は知床岬)。
なお東側の根室の先にあるのが納沙布(のさっぷ)岬で、北側の稚内の先にあるのは野寒布(のしゃっぷ)岬である。納沙布岬は日本が実効支配している地域の中で東端であるが、野寒布岬は北端ではなく、北端は野寒布岬の東側にある宗谷(そうや)岬である。
納沙布岬の翌日は知床五湖を見に、知床半島に行く。その途中のことである。
この日の午前中は結構曇っていて時折雪もちらついていた。道も積雪しているが、ブリザックのタイヤはしっかりとその雪の上を走ってくれる。これ凄いなあなどと思いながら運転していた。
他の車が結構な速度で走っているので、ゆみもそれに合わせてかなりの速度を出していたのだが、ちょうど上り坂の左カーブにさしかかった時、突然車がカーブの内側に流された。
「きゃっ」
と心の中で叫んで、思わず反対側にハンドルを切ろうとしたのだが、その時、突然頭の中に
「左に流されたら左ハンドル!」
という天野さんの声が聞こえた気がした。
そうだった!
と気付いたゆみは天野さんに言われたように《少しだけ》左にハンドルを切る。すると車体はちゃんと前向きの状態を回復した。
ゆっくりとブレーキを踏み、左路側帯に停車させる。
やったぁ!無事停まれた!
と、ゆみは嬉しくなった。
念のため外に出て車体をチェックするが、傷などもできていないようである。
初めてのスリップ実体験で安全に停まれたなんて、私って天才じゃない?などとゆみは結構気持ちが高揚した。
知床五湖を見たあと、駐車場で少し休憩していたら、窓をトントンされる。制服の警官なので窓を開ける。
「免許証を拝見できますか?」
「はいはい」
と言って見せる。
「ああ、東京からおいでになったんですね」
「ええ」
「おひとりですか?」
「そうです」
「観光ですか?」
「はい、そうです。車でのんびりと回ってます。苫小牧からこちらまで10日掛けて走ってきました」
「ああ、ほんとにゆっくりとした進行なんですね」
「ええ、北海道出身の友人に絶対スケジュールで無理するなと言われたので」
「それがいいです。雪道の運転には慣れておられます?」
「苫小牧で知人にだいぶレクチャーされました。わざとスリップさせて体勢を立て直す練習とかもしましたよ」
「ああ、そのくらいしていれば安心ですね。このあと、どちらに行かれますか?」
「この先のカムイワッカまで行ってみようかと思っていたのですが」
「あそこは今の時期は無理ですよ」
「あらぁ、そうでしたか」
「夏でないと難しいですね」
「じゃ、このまま網走に回ることにします」
「それがいいですね」
「教えて下さってありがとうございました」
「いいえ。では運転お気を付けて」
ゆみは7年間ずっとアイドルとしてちやほやされる生活を送っていたので、こういう地で「ふつうの人」として扱われることに快感を感じていた。
私、やはりアイドルである前に、ひとりの人間なんだよなあ、というのを再認識していた。
そういう訳で、ゆみは「湯の滝」で有名なカムイワッカは断念し、そのまま網走に入った。翌日は午前中晴れていたのでサロマ湖まで往復してきたあと、夕方は小雪のちらつく中、網走市内を少し歩き回った。
11月9日は、また晴れていたのでR391を南下して屈斜路湖・摩周湖を見た上で阿寒湖温泉に行こうと思った。
ところがそこに苫小牧で会った天野さんから電話が掛かってくる。
「順調ですか〜?」
「ありがとうございます。調子良いです。実は一昨日は知床でスリップしたんですけど、ちゃんと流された方向にハンドル切って無事でした」
「それは良かった。あれ一度実際に体験していたら、そのあと全然違うんですよね。怖いけど」
「ええ。怖かったです!」
「今どこですか?」
「今日はR391を下ってきて、屈斜路湖と摩周湖を見た所なんですよ」
「野上峠すごかったでしょ?」
「ヘアピンカーブの連続できゃーと思いましたが、慎重に走りました」
「ヘアピンは下りの方が怖いから、帰りはスピード抑えて気をつけて下さいね」
「あ、はい。でもこの後、そちらには戻らず、R241を通って阿寒湖温泉に泊まって、そのあとR240で美幌町に北上した後、R39で層雲峡へ行こうかと思っているのですが」
「・・・・・」
「どうかしました?」
「そのルート、初心者には絶対無理」
「え〜〜!?」
「網走に友人がいるんですよ。千里とも友人ですが。彼女に運転してもらった方がいいです。連絡しますから、いったん網走に戻って下さい」
「分かりました!」
「あ・・・ただ・・・」
「はい?」
「彼女、実はオカマさんなんですけど、構いません?」
「あ、それは全然気にしません!」
それでゆみは来た道をほんとに慎重に運転して網走方面に戻った。網走市までは行かず、その前の小清水町の浜小清水駅で、その《彼女》と落ち合った。有名な小清水原生花園の最寄り駅である。
「こんにちは〜」
と言って彼女は寄ってきた。
「こんにちは」
とこちらも挨拶を返す。
言われなければオカマさんというのは気付かないかもと、ゆみは思った。声もちゃんと女声である。身長は170cmくらいだろうか。ゆみは芸能界で多数のモデルさんを見ているので、この程度の身長の人はたくさん見ている。
「村山千里の友人で、四谷勾美(よつや・こうみ)と申します。こうちゃんでいいですから」
「水森優美香です。じゃ私もゆうちゃんでいいです」
とゆみは応じながら《ゆうちゃん》って、幼い頃に死んだ自分の実父がそう自分のことを呼んでいたよなと思い起こしていた。
《こうちゃん》はジョークの好きな人だった。彼女の運転するカイエンの助手席に乗っていて、ゆみはひたすら笑っていた。この人、お笑い芸人になれると思う。ちょっとネタが古いけどねとは思うが。笑っている内に、とっくに彼女の性別のことなどは忘れていた。年齢もよく分からない!ネタの内容からすると40代かなという気もするのだが、見た目はまだ27-28でも通る感じだ。
彼女は「自分ひとりならもっとスピード出せるけど」と言いながら「ゆうちゃんのお手本になれるように運転するね」と言って、慎重な運転でR391/R241と走った。ゆみは助手席に座っていて、本当にこの人運転が上手い!と思った。ヘアピンの連続もそんなに辛くない。彼女自身も「カーブを曲がる時の位置取りとかスピード調整とかを身体の感覚で覚えてね」と言っていた。
夕方、阿寒湖温泉に到着する。
予約はしていなかったので最初満室と言われたものの《こうちゃん》が頑張って交渉してくれて、結局予備の部屋を開けてもらったようである。
「ごめーん。部屋が1つしか確保できなかった。絶対に襲ったりしないと誓うから、同じ部屋でもいい?」
「こうちゃん、女の子なんだから、一緒でいいよ」
とゆみは笑顔で応じた。
彼女は「微妙な問題があるから」と言って、お風呂は夜中、誰も入りに来なさそうな時間帯に入っていた。多分、おっぱいは大きくしているけど、下はまだ手術してないのかな、とゆみは解釈した。彼女が男湯に入ったのか女湯に入ったのかは敢えて尋ねなかった。
「でも明日の層雲峡は予約を入れておこう。そしたら2部屋取れるかも」
と《こうちゃん》。
「でもシーズンだもん。2部屋取るのは他の人に悪いよ。私は同じ部屋で問題無いから」
とゆみが言うので、《こうちゃん》は翌日の層雲峡温泉の宿も「女2人」と言って1つで取っていた。そういう訳で、ゆみは12日に旭川に到着するまで《彼女》と同じ部屋で過ごしたが、部屋でくつろいでいる時も、彼女は豊富な話題で色々笑わせてくれた。
この人、肉体的には男の人なのかも知れないけど、何だか性別を超越しているな、などとゆみは思っていた。雰囲気的には雨宮先生とかに近いような気もした。でも雨宮先生もだけど、女声で話されると、こちらも相手を女に分類できて、警戒心が出ない気がするとも、ゆみは思っていた。
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