広告:ここはグリーン・ウッド (第6巻) (白泉社文庫)
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■女子中学生・冬の旅(22)

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「こちらへは観光ですか」
と店主さんは、きーちゃんに語りかけた。
 
言葉が地元の人ではないと思ったのだろう。
 
「知人を訪ねてきたんですよ」
「ああ、そうですか」
「その2軒先の四島さんの御主人なんですけどね」
「四島さんはもう20年くらい前に亡くなりましたよ」
「空き地になってたんでびっくりしました」
「家はだいぶそのままになってたけど、確か5年くらい前に取り壊しました」
「なるほどー」
「確か娘さんがいたはずです。連絡先を調べましょうか。多分近所の誰か知っていると思うので」
 
「連絡先はお聞きしたのでさっき電話して、今こちらに向かってきて下さっているのですが」
「連絡付いたのなら良かった」
 
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のんびりとコーヒーを飲んでいたら、喫茶店の前を80歳くらいの和服姿の女性が通りかかる。千里は、きーちゃんと一瞬顔を見合わせる。きーちゃんが喫茶店のドアを開けて
 
「五島さんですか?」
と呼びかけた。それでその女性も喫茶店に入ってきた。
 

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店主さんが気を利かせてくれて
「宴会部屋をお使い下さい」
と言って案内してくれたので、3人でそちらに移動した。きーちゃんは、スパゲティ・ナポリタンを3人前注文した。
 
「私は四島画太郎さんに昔お世話になった者です」
と言って名刺(*45)を出すと、向こうは驚いて
 
「だったら随分小さい頃のお話なんですね」
と言う。
 
(*45) 名刺は“心霊相談家・天野貴子”と書かれている。でも彼女は実際には一般の心霊相談などは受けていない。個人的なコネで持ち込まれる話だけで手一杯である。“十二天将”に参加したことで更に多忙になり、心霊相談の多くは“シュテントウジ”の順恭や、桃源の弟子・桃月(28)などに投げている。
 

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「それでとても信じてもらえないでしょうけど、実は画太郎さんに手紙で呼び出されて今朝こちらに来て、しばらくお話していて、これを渡されたんです」
と言って、きーちゃんは先代子牙からもらった秘伝集と手紙を渡す。
 
「そして話がだいたい終わった所で画太郎さんも家も幻のように消えてしまって、それで気がついたらその本と手紙を持っていたんです」
 
「すみません。その家ってどんな感じの家でしたか?」
と照子さんは尋ねる。
 

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それで、きーちゃんが掘りゴタツがあり、照明は裸電球で、暖房は火鉢で、冷蔵庫がなく、食料は台所の床下収納庫に入れられていてなどと説明する。すると
 
「確かにお会いになったのは祖父だと思います。その家は祖父が亡くなった後建て直して、その家も父が亡くなった後、4年前に取り壊したんですよ」
 
きーちゃんも千里も腕を組んだ。この喫茶店の店主さんが言っていた“四島さん”というのは、先代子牙の息子で、この2代目子牙の父のことだったようだ。確かに店主さんは「娘さんがいたはず」と言った。「お孫さんがいたはず」ではなく。
 
「済みません。お祖父様が亡くなったのはいつでしょうか?」
「祖父が亡くなったのは昭和48年2月18日でした」
 
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きーちゃんは頭の中で暗算する。
 
「つまり今日は画太郎さんの三十三回忌ですか!」
「そうなんです。だから天野さんのお話を信じる気になりました」
 

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きーちゃんが2代目子牙から聞いた略年表
 
1874.7.28 四島画太郎誕生
1899.6.14 四島貞徳誕生
1922.11.19 四島照子誕生
1940.12.31 照子が五島次郎と結婚
1972.11.19 照子(50) 2代目子牙に指名される
1973.2.18 四島画太郎(98)没
1974.6.__ 家を建て直す(在来工法)
1985.3.17 四島貞徳(85)没
2000.8.__ 家を崩して更地に
 
天野貴子は見た目が35-36歳に見える。35歳の人が32年前に画太郎に会ったとしたら当時3-4歳だったことになるので、冒頭の照子さんの発言となった。
 
照子さんは言う。
 
「私は50歳の時に子牙の2代目に指名されたのですが、私も霊的なお仕事を若い頃からしてきていましたけど、とても祖父の霊力には及ばないと思いました。だから2代目に指名はされたのですが、その名前は名乗らなかったんです」
 
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「なるほど。それで長く“子牙”の名前をお聞きしなかったんですね」
 

そのあたりまで話した所で照子は、きーちゃんが渡した本を開いてみる。
 
「凄い貴重な資料だ」
「そんなに凄いですか」
「祖父が見い出した多数の秘術の詳細が記載されています。でも私が持ってても宝の持ち腐れかも」
「きっとそれを活用できる人が現れますよ」
「でもこれ図書館とかに置く本じゃないですよね」
「図書館の司書さんはこの本はてたらめを書いた有害な本だと思うでしょうね。それに変な人がこういう術を覚えたら危険です」
 
照子さんは少し考えていた。
 
「この本は天野さんが持っていて頂けませんか?多分祖父が天野さんを呼んだこと自体、そういうオプションを考えたんだと思います。私も老い先短いです。天野さんのようなお若い方に持っていてもらうほうがいいいです」
 
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「五島さんは後継者さんは?」
「子供・孫はいますけど、霊的な仕事をしている子はいません。弟子も取っていません」
「そうですか」
「子供も孫も、揃いも揃って霊感など皆無の子ばかりで」
 
それって逆に微妙な霊感の持ち主がいたら面倒だったなと、きーちゃんは思った。
 
「分かりました。ではお預かりすることにします」
と言って、きーちゃんは受け取った。
 

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照子さんは封筒を開ける。すると郵便局の通帳と印鑑、キャッシュカードに手紙が入っていた。
 
「残高が150万円(*46)近い。そして毎年2月18日、1000円を引き出しては入金してある」
「通帳が無効にならないようにしていたんでしょうね」
「でも今年1月17日に20万円引き出してある」
 
それは多分、貴子たちを呼ぶための資金だったのだろう。
 
照子さんは読んでいたが驚くような顔をした。
 
「天野さんたち、1月31日からここに滞在なさっていたんですか?」
「実はそうなんです。3週間も居たと言ったら信じてもらえない気がしたのでさっきは今朝来たことにしました」
 
「天野さんたちにわざわざ来て頂いたから、この通帳の残高を使って、その交通費と日当を渡してくれと書かれています」
 
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「いや、そのなの要りませんよ。私は懐かしい方にお会いできただけで嬉しいです」
ときーちゃんは言った。
 
(*46) 昔は郵便貯金の預け入れ限度額が150万円だったためと思われる。
 

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「でもこれは祖父の遺言だと思います。どちらからいらしんんですか?」
「旭川なのですが。。。」
「北海道ですか!」
「はい」
「それは本当に遠い所からご苦労様です」
「でも交通費とか、ましてや日当とか要りませんよ」
 
照子さんは考えていた。
 
「でしたら、私が天野さんたちに日当を払うというのはどうでしょう?遠くからご足労頂いたお礼に」
 
「そうですね。そこまでおっしゃるのでしたらお預かりしようかな」
 
それで、照子さんは日当として、きーちゃんと千里の2人に合計4万円×21日=84万円(向こうを出た1/30と帰着予定の明日2/19を含む)と、交通費として、その場で“乗換案内”で確認して、飛行機での羽田−旭川の往復運賃(ここからの羽田空港までの交通費を含む)34690×4 = 138760 合計978,760円を払うと言い、きーちゃんも了承した。実際には小銭のやりとりが面倒なので98万円とした。
 
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むろん照子さんは画太郎さんの通帳から同額を引き出せるので本人の経済的な負担は無いはずである。
 

3人は喫茶店でコーヒーや紅茶を何度もお代わりし、オープンサンド、オムライス、カレーライス!、ハンバーガー(絶品だった)などまで注文して4時間ほど滞在した。この3週間の子牙さんの様子をきーちゃんと千里が語ると
 
「なつかしー。いつもそういうジョークを言ってました」
と照子さんは言っていた。
 
「女学校ネタはよくやってました」
「もしかして、画太郎さん女の子になりたかったとか?」
「それあると思います。あまりがっちりした体格じゃないし、きっと若い頃は女装させられてますよ」
「ありそー」
 

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「でも天野さんは物凄いパワーの方のようにお見受けします。何かあったら私が頼ることもあるかも」
と照子さんは言っていた。さすがこちらの力量をある程度推察したようである。きーちゃんも彼女は一流の霊能者だと思った。これだけパワーがあったら、子牙を名乗ってもいいのに!さすがに紫微や歓喜には及ばないが、もしかしたら桃源や沙本とかに近い力があるかも。
 
「私でできそうなことでしたら、取り敢えずご相談には乗りますよ。役に立つかどうかは分かりませんが」
と、きーちゃんも答えた。
 
「村山さんは物凄い霊媒ですね」
「そうなんです。だからこの子は誰かが守ってあげないといけないです」
と、きーちゃんは言っていた。
 
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千里の本当のパワーはまず普通の霊能者には分からないだろうなと、きーちゃんは思う。子牙でさえ、気付かなかったようだもん(実はそれが子牙の誤算だった)。
 

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きーちゃんは、四島邸跡に、大量の野菜や缶詰、また練炭などが放置されているのだけどと言った。
「きゃー。ごめんなさい。孫に取りに来させます」
 
それで電話していたが、やがて26-27歳の女性が顔を出し
「お祖母ちゃん、練炭も野菜も車に積んだよ」
と言った。
 
「あんたついでに私たちを運んで」
ということで、3人は喫茶店を出てから、お孫さんの七尾善美さんが運転するBMWミニ(*47)に乗った。こんな車に乗っていること自体、経済的なゆとりを感じさせる。
 

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(*47) ミニはイギリスのBMC (British Motor Corporation) が開発し1959年に発売した小型自動車である。BMCは1952年にオースチンとナッフィールドが合併して誕生した企業で、後者が所有していたブランド“モーリス”も所有した。
 
(このBMCはイギリスの自動車メーカーであり、スイスの自動車メーカー BMC : Bicycle Manufacturing Company とは無関係である)
 
それでこの車は当初、Austin SE7EN (オースチンセブン)、Morris Mini Minor (モーリス・ミニマイナー)という2つの名前で販売された。SE7ENというのはオースチンの過去の人気車の名前を流用したもので排気量は850ccだった。このため海外ではオースチン850, モーリス850 と呼ばれた。
 
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1960年にF1の車を製作していたクーパー社が小回りの利くこの車に注目して、レース用の車として、オースチン・ミニクーパー、モーリス・ミニクーパーが誕生した。
 
ミニはその後2000年までは、排気量を大きくしていく以外、基本的なデザインは変わっていない。
 
1968年にBMCはレイランド (Leyland Motors) およびローバー (Rover) と合併して、当初 BLMC (British Leyland Mortor Company) となるが、この会社は10種類もの自動車メーカーを単純に経営統合しただけのもので、あまりにも生産効率が悪かった。そのため、生産体制の統合が進められ1978年にはBL(BL Ltd.)と改名された。この時点で伝統ある多数の自動車ブランドが消滅し、自動車愛好家の阿鼻叫喚が起きた。
 
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この会社が更に1986年にローバーグループ (Rover Group PLC) と改名されたので、これ以降のミニは“ローバーミニ”と呼ばれる。
 
この会社は1994年ドイツのBMW(ベーエムヴェー)に買収されたが、一応ローバーミニの名前は維持された。しかし当時規制が進んでいた衝突安全性などの問題をミニはクリアできず、2000年10月、旧タイプ(クラシックミニ)の生産は終了した。
 
その後、BMWが新たに設計した“BMWミニ”が2001年3月2日(ミニの日!)に発売開始された。それ以降に見かけるミニの大半がこの新型のBMWミニである。
 
善美が運転していた車はBMWのマークが入っていたので、この新型ミニであった。
 

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