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2月17日(木).
留萌市内の私立校高・U高校の入試が行われた。S高校に行きたい貴司も念のため滑り止めでここを受験した。
ところでこの時点のS中2年生の男女別“在籍”者数はこのようになっている。
1組女子12名(セナと沙苗を含む。小春を含まない)
___男子16名(公世と雅海を含む)
2組女子11名
___男子15名(鞠古君を含む)
3組女子13名(留実子を含む)
___男子15名(司を含む)
学籍簿上の性別で数えると女子36名・男子46名である。
しかし体育の授業では雅海は女子として扱われているため、女子37男子45となる。
2月18日(金).
S中でスキー大会が行われた。
ここしばらく暖かい日が続いて、雪の少なくなっている場所もあったのだが、今週までなら何とかなりそうということで、この日実施された。
滑降、回転、大回転、距離(3km,5km)、ジャンプという種目ラインナップになっている。まず滑降は全員参加で、もう1種目、距離かジャンプに出る。回転or大回転は参加希望者のみである(どちらか片方)。つまり最低2種目、最大3種目に出る(リレー代表を除く)。なお回転か大回転に出た人は、ノルディック(距離・ジャンプ)はパスすることができる。
千里は昨年5kmを走ったのだが、今年はジャンプに出てと言われた。
「嫌だぁ!死ぬぅ!」
と叫んだが
「この中学が始まって以来スキー大会のジャンプ競技で死亡した生徒は居ないらしいから」
と言われた。
「私が最初の1人になるかも」
「東京タワーの頂上から落としても死にそうにない顔してるけど」
(うん、たぶん死なない)
午前中はひたすら滑降競技が行われた。2年は女子37男子45で、6人ずつ滑るので、女子7組、男子8組の予定である。
「すみません。ぼくが女子に入ったから1組増えちゃって」
と雅海は広沢先生に言ったが
「雅海ちゃんは女の子なんだから何も気にする必要無いよ」
と答えた。
「ぼくが男子に行きましょうか?」
と留実子が訊いたが
「花和君は射精するようになったら男子に行こう」
「努力します」
でも男子たちの間では、留実子は毎日オナニーして射精しているという認識がある!
そういう訳で、女子は37人を 6×2 + 5×5 としたはずだった。
でも実際には 6人の組は2組 ではなく4組で5人の組が3組だった。ということは全部で 6×4 + 5×3 = 39人滑ったことになる。
「人数が合わない」
と鶴野先生が悩んでいたが、広沢先生は
「この学年は去年も合わなかったから問題無い」
と言って笑っていた。
鶴野先生は、もしかしたら公世ちゃんと司ちゃんが女子で滑ったのかもと思った。実際には、千里が2人滑ったのと、(座敷童子の)小春も出場したからである。
なお1年生の潮尾由紀(よしのり)は男子の所に並んでいたら
「君。女子は向こうだよ」
と言われた。すると男子たちが
「潮尾さん、向こう行かなきゃ」
と言い、女子たちも
「由紀(ゆき)ちゃん、こっちおいで」
と言うのでそちらに行き、めでたく女子として滑った。
ということで、1年生も人数が合わなかった。
司や公世も「女子は向こう」と言われたが
「ぼくは男子です」
と主張して、男子の組で滑った。
ログハウス構造のヒュッテで交替でお昼を食べてから、午後の部になる。
最初に大回転、続いて回転が行われた。
ちなみに回転(スラローム)と大回転(ジャイアント・スラローム)の違いは旗門の数で、回転の方が旗門はずっと多い。つまり回転はちょこまか曲がる技術系の競技で、大回転は曲がりが少なくスピード勝負の競技である。だから国際大会でかつて日本人は大回転では勝てず、回転のほうで活躍していた。近年は更に旗門が少なく滑降に近い、スーパー大回転(スーパー・ジャイアント・スラローム)も行われている。
留実子は大回転で圧倒的トップであった。留実子はパワー型なので、技術系の回転より、曲がりが少なくスピード勝負の大回転のほうが得意である。回転のほうはスキー部の女子が優勝した。
回転の旗門は大回転の旗門の倍の数があるのだが、大回転の旗門は左右1本ずつ2本立てるのに対して、回転では一般に外側の旗門を“仮想”として省略する。それで結果的に使用する物理的な旗門の数は(ほぼ)同じになるのである。
だから大回転と回転では旗門は追加・回収の必要はあまり無く、単に移動させればよい。(青青)-(赤赤)→青赤青赤のようにする。この設置・移動・撤去は、設営担当の先生たちとスキー部の生徒でおこなった。
その後、距離(クロスカントリー)3kmが行われる一方でジャンプが行われる。2年1組女子でジャンプに出るのは、千里、恵香、佐奈恵の3人である。千里はジャンプ台に来てからも
「怖いよー、怖いよー」
と言っていた。
「剣道全国3位の人が何を怖がってる?」
「剣道じゃ、こんな高い所から飛ぶ技(わざ)なんて無いもん」
などとやっている。
つまりここに居るのは千里Rである。YはRが居ると30mルールで出現できない。滑降の時はRが滑っていった後でYが出現したのでYも滑ることになった。
千里が滑走しないので後ろの方から「まだぁ?」という声も掛かる。結局
「往生際が悪い」
と恵香から言われて背中を押される。それで
「きゃー!!」
と悲鳴をあげながら滑走。空に飛び出す。
一応前傾姿勢は取るがまだ悲鳴をあげている。
そして・・・
K点のかなり先に着地した!
(あまりの怖さに“飛んだ”んだと思う)
「千里すごーい!」
と言われて計測される。
「スキー部でもこんなに飛ぶ子は居ないよ」
「さすが剣道全国3位」
ということで物凄い記録が出た。
「千里凄いね」
と言って、計測していた3年生の柴田久子(バスケ部)が近寄るが、千里の様子が変である。
「千里!?」
久子が千里の顔の前で手を振るが反応が無い。
「ちょっとこの子立ったまま気絶してるよ」
「え〜〜〜!?」
「僕が本部まで連れてく」
と言って、鞠古君がスキーを外した上で千里を抱えてジャンプ台の脇を登り、本部まで連れて行ってくれた。千里と鞠古君のスキーは恵香と佐奈恵が運んだ。
保健室の清原先生が千里の血圧・脈拍・酸素量を見たが正常なので、
「多分少し置けば意識回復する」
ということで放置される。
「全くもう」
と言って小春が寄ってきて千里の身体にタッチしたら目を覚ました。
「私寝てたのかな?」
「死んではいなかったよ」
「今何かした?」
と清原先生。
「ハイバネートしてたのでレジューム掛けました」
と小春。
「まるでパソコンみたいね」
千里はジャンプで圧倒的優勝だったので
「凄いよ、千里。来年も出てね」
と言われ
「絶対嫌ー!」
と泣いていた!!
スキー大会も終わり掛け、最後の競技、学年縦断15kmリレーが行われていた。
同じクラス番号の代表で、1年→2年→3年とたすきをつなぐ形式である。先に行われた女子では、3組が2年の留実子が他の2人に大差を付け、3年でもそのリードが死守されて優勝した。
例によって「男子が出るのずるいよな」とは言われたが!
続けて男子のリレーが行われたのだが、その途中、コースの下り坂上端で監視をしていた牧野先生から本部に連絡が入る。
「双眼鏡で見ていたら、上の方に少しクラック(*28) が発生しているようなんですよ。危険じゃないですかね?」
「やばいな」
「中止させようか」
「でもこの競技で終わりですよ」
などと先生たちが言っていたのだが、木原光知校長が決断する。
「中止しよう。今走っている生徒が戻ってきたらそこで終了」
「分かりました」
レースは2年生が走っている所だった。3年生の走者には中止を告げる。そして2年生の帰還を待つ。
(*28) 積雪に発生しているひび割れ。積雪がそこで千切れようとしているものであり、全層雪崩の前兆として極めて危険な兆候。ほかに多数のスノーボールが転がってくるのも危険な兆候である。また、雪の庇(ひさし)ができているのは表層雪崩の原因になりかねない状態。
雪崩には、主として表層雪崩・全層雪崩の2種類がある。(*29)
表層雪崩は急に雪が降ったり冷え込んだ時に発生しやすく、スピードが速くて(100-200km/h) 遠くまで到達する(見通し角18度)。だいたい1〜2月頃の厳寒期に発生する。
全層雪崩は暖かくなり雪が弛んできた時に発生しやすい。スピードは表層雪崩よりは遅く(40-80km/h) 、到達距離も短い(見通し角24度)。だいたい春先に発生する。
つまり気温が急に下がった時に表層雪崩が起きやすく、気温が上がってきた時に全層雪崩が起きやすい。
(*29) 更に恐ろしい“ホウ雪崩”というものもある。ホウラ、アワ、アイなどとも呼ばれ、鈴木牧之『北越雪譜』(天保8年)にはホフラと書かれている。極めて大量の雪が200km/h ほどの高速で滑り落ちてくる。
1938年には黒部第3ダム建築現場でホウが発生し作業員宿舎を直撃。鉄筋コンクリートの上に増設された3〜4階の木造部分が雪衝突の衝撃で600mも先まで吹き飛び、84人もの死者を出している。
この雪崩を含む、黒3ダム建築の様子については、吉村昭『高熱隧道』に詳しい。
ここは元々、戦時中の電力不足解消のため国家的急務の事業としてとても危険な現場で工事が敢行されていた。超高温の岩盤の中にトンネルを通すため、穴を掘る人に水を掛けながら作業をし、その水を掛けている人にまた水を掛ける人がいるなどという凄い現場だった。あまりの高温のためダイナマイトの自然爆発もよく起き多数の死者が出ている。上記著作には自然爆発を防ぐため様々な試行錯誤をする様子なども書かれている。
そんな中でホウで大量の犠牲者が出て、しかも死者数と遺体数(バラバラの人体断片を組み合わせて「これで1人」としていったもの)を何とか合わせ付けて葬儀までした後から、もう1体、遺体が発見される。それで作業員たちと建設会社との間に不穏な空気が流れ現場指揮者が交替した・・・と上記著作には書かれている。ノンフィクション小説なので、どの程度真実を反映しているかは不明。しかしホウの恐ろしさがよく分かる。