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■夏の日の想い出・翔ぶ鳥(18)

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§§プロ小史。
 
§§プロは元々1996年に∞∞プロで「アイドルとしてのピークを過ぎた」とみなされて、扱いが適当になりかけていた新宿信濃子(1972生−当時24歳)が鈴木社長に独立したいと直訴し、鈴木社長もそれを認めて独立させてあげたのが発端である。その際、彼女のマネージャーをしていた当時39歳の紅川さんが彼女の事務所の社長になったのだが、新宿信濃子に心酔して「妹分」を自称していた上野陸奥子(1974生−当時22歳−天月西湖の叔母にあたる)も一緒に付いていきたいと訴え、それも認められた。
 
それで§§プロは当初、信濃子と陸奥子の2人だけをマネージングする事務所として活動していた。
 
ところが2000年に看板歌手の新宿信濃子が病気で長期間入院するという事態が起きる。もうひとりの上野陸奥子はそんなに大きなセールスのある歌手ではなかったので、§§プロは突然経営危機に陥った。
 
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ここで紅川さんは雑誌社と提携してフレッシュガール・コンテストという10代の素人の女の子を選ぶオーディションを実施した。その初代優勝者が立川ピアノ(1983生)で、彼女はカリスマ的な人気を呼び、同社の経営危機を救った。
 
以後§§プロでは毎年フレッシュガール・コンテストを実施。このコンテストから2001大宮どれみ(1984) 2002日野ソナタ(1984) 2003春風アルト(1986) 2004冬風オペラ(1985) 2005夏風ロビン(1987) 2006満月さやか(1989) といった面々が誕生し、各々大きなセールスを挙げて、§§プロの第2黄金期を作った。
 

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2006年の準優勝者は秋風メロディー(1988)で彼女は決勝戦の点数も満月さやかと僅差であったため、彼女の方も、少しレッスンを受けさせてから1年後くらいにデビューということで話が進んでいたのだが、実際には本人より前に「たまたま事務所に来た所をスカウトされ」て姉と一緒にレッスンを受けていた、妹の秋風コスモスの方が先にデビューしてしまう。
 
実は当時、∞∞プロでデビュー予定の中学生歌手を起用したCMの話が進んでいたのだが、その中学生がCF撮影当日に喫煙で補導されるという事態を引き起こし使えなくなってしまった。しかしCMは制作しなければならない。そこで∞∞プロは友好プロダクション各社に「歌は下手でもいいから、中学生女子のデビュー前の歌手で1〜2時間以内に新宿区のスタジオに入れる子は居ないか?」と問い合わせる。この時、都内在住の秋風コスモス(1991)が卒業間近の中学3年生であったため「卒業前なら使える」ということになる。それでピンチヒッターでそのCMに出演し、歌も歌ったのである。
 
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この時、急いでいたのでCFの撮影もCDのジャケ写も彼女の私服で写っており、録音もわずか1時間で行われた。
 
そしてこの時、あまりにも急に代理を務めることになったため、CF撮影時には実はまだ彼女の芸名は決まっておらず、プレス工場から「歌手の名前は無くていいのか?」と問い合わせがあって、慌てて紅川さんが5秒で考えて付けた名前が「秋風コスモス」であった。更に紅川さんは自分が何と名前を付けたか忘れてしまい、CDが出来てきてから「何て安直な名前を付けてしまったんだ」と後悔して、彼女にはあらためて別の名前を付けてあげてデビューさせようと考えたという。
 
ところがこの歌がヒットしてしまったため、彼女は「秋風コスモス」という名前のまま、歌手として活動を続けることになる(本人も最初「え〜!?」と言って、嫌そうな顔をしたらしい)。しかし彼女が売れた背景には、この安直すぎて覚えやすく親しみやすい名前もあったと私は思う。
 
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逆にメロディーの方はデビューキャンペーンが潰れるという事態が3回続いて本人もやる気を喪失し、§§プロとの契約を解除して、一時期はシンガー・ソングライターとしてインディーズ流通で自主制作CDを売っていたものの、その内フェイドアウトしてしまう(後に作曲家・上野美由貴として音楽業界にカムバックする)。
 

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2007年の優勝者は“普通に女の子に見えた”のだが、デビュー曲の制作をしている最中に“声変わり”が起きてしまい、実は男の子であったことが判明した。
 
結構可愛い子だったので、紅川さんは「先に言ってくれていたら女性ホルモンを調達したりして声変わりを防止できたのに」と嘆いていたが、彼女はボイトレも受けてみたものの、女声を再獲得することはできなかった。
 
いっそ男性タレントあるいはニューハーフ・タレントとしてやってみる?というのも打診したが、彼女は男扱いされるのは嫌だと言った。それで結局、契約は「無かったことに」してデビューは取り消しになった。
 
紅川さんは当時、コスモスの制作を通して私も知っていて、私の性別も知っていたので、私の“声変わり”問題についても尋ねた。それで私は正直に小学4年生の時から女性ホルモンを摂取していることを話した。
 
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それで声変わりが起きないのなら、私を「可愛い女の子アイドル」として売ってあげるから、うちからデビューしないかと誘った。
 
当時、紅川さんは私と、2007年コンテスト準優勝者の蓮田エルミを相次いでデビューさせようと考えていたのだが、私はKARIONに参加する意向を固めたため、エルミだけが2008年のニューフェイスとしてデビューすることになる。この頃、実は紅川さんは私に「川崎ゆりこ」、エルミには別の芸名を考えていたのだが、そのエルミのために用意していた芸名と似た名前の人が当時発生した殺人事件の被害者になり連日テレビで報道された。そこで紅川さんは「川崎ゆりこ」の名前をエルミの方に転用してしまった!このことは、エルミ本人も数年後まで知らなかったらしい。
 
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2008年のコンテスト優勝者は浦和ミドリ(1992)で彼女は順調にそのままデビューした。
 
そしてエルミが「川崎ゆりこ」の名前でデビューするのはミドリに数ヶ月遅れて2008年末頃になる予定だったのだが、ここで事件が起きる。
 
2005年デビューの夏風ロビンが独立したいという意向を表明し、紅川さんがそれは契約違反(§§プロの歌手はデビュー当初は5年間の契約を結んでおり、その後は2年単位の更新になる。もっとも5年間の契約が法的に有効かという問題には若干疑義もある)だと言うと、彼女はライブツアーの初日、会場の横浜エリーナ(キャパ12,000人)に姿を見せなかったのである。
 
この問題は結局法廷闘争に発展し、2008年末から2009年春に掛けて、§§プロはとても新人を出してプロモーションする余力が無かった。
 
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それで結局、川崎ゆりこのデビューは2009年7月までずれ込んだ。コンテストに準優勝してから2年も経ってのデビューになったが、彼女は元々歌が上手かった上に2年間鍛えられたお陰で、ものすごく歌の上手い歌手として評価を得た。
 
満月さやか・秋風メロディー・浦和ミドリといったこの時期に§§プロから出たアイドルがいづれも極端な音痴だっただけに「川崎ゆりこは§§プロの良心」と言われた。
 
なお、夏風ロビンの問題は結局東郷誠一先生が仲介して法的な和解に至る。ロビンは2009年8月、自腹で主要新聞社にライブツアーをドタキャンしたことに対するファンへの謝罪広告を掲載(実際の広告料は東郷先生が出してあげ、ロビンは借用証書を書いた)して、§§プロとの契約を解除する。そして自分で事務所を設立して、東郷先生の仲介で別の事務所と委託契約を結んだものの、全く売れずにフェイドアウトしていった。その後、2010年になって作曲家・桜島法子としてカムバックするのだが、最終的には2014年になって、東郷先生が再度仲介して、桜島法子が紅川社長を招待する形の席を設け、そこであらためて紅川さんに謝罪して、両者は完全に和解した。
 
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ところで、川崎ゆりこより少し早くデビューした浦和ミドリだが、彼女は歌はこの際気にしないことにして!アイドル性が高く、最初から大きな観客動員があったのだが、困ったことに、失言癖が酷かった。
 
それで結局、彼女のライブでは、浦和ミドリ本人は歌う以外、一切しゃべらせないことにした。代わりにほぼ同期の川崎ゆりこを「司会」として起用し、ゆりこの司会(まさに本来の意味でのMC)でミドリが歌うという形式に落ち着かせた。またミドリにはSNSの使用を禁止したし、テレビも生番組には絶対出さないことにした。
 
一方の川崎ゆりこはトークがうまく機転も利くし知識が浅く広いため、後にバラエティやクイズ番組などの司会として活躍することになる。
 
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2009年の優勝者は桜野みちるで、彼女の登場は§§プロに第3黄金期をもたらしたと言われる。当時、秋風コスモス・浦和ミドリ・川崎ゆりこ・桜野みちるは、しばしばセット売りされて、大きな観客動員を得ていた。
 
しかし、みちるの後は、不運が続いた。
 
2010年の優勝者・海浜ひまわり(1995)は2011年3月中旬にデビューする予定が東日本大震災で発売が延期になってしまい、出鼻をくじかれたのが影響して、セールスも観客動員も伸び悩み、2014年春にわずか3年の活動で引退することになる。
 
2011年の優勝者・千葉りいな(1995) は2012年にデビューしたものの、体調を崩して長期入院することになり、そのことで保護者と事務所の関係が悪化。結局彼女は2014年夏に引退した。
 
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2012年の優勝者・神田ひとみ(1997)は2013年にデビューして順調に売れていたのだが、2014年末に結婚して引退したいと紅川さんに申し出た。紅川さんは最初は激怒したものの、最終的には引退を認め結婚を祝福してくれたし、違約金も免除してくれた。
 
2013年の優勝者・明智ヒバリ(1997)は2014年に、海浜ひまわりと入れ替わるようにデビューしたが、夏のツアー中、ステージ上で歌っている最中に突然錯乱したような様子を見せ、ライブは結局中止になってしまう。その後の彼女の動向はしばらく公表されなかったため、死亡説まで出ていたが、実は精神科の閉鎖病棟に入れられていた。
 
彼女は2015年2月面会に来た紅川さんに唐突に「コスモスの咲いている所が見たい」と言い出した。紅川さんはちょうど2月にコスモスの咲いている所を知っていたため、病院の許可を取って彼女を沖縄の来間(くりま)島に連れて行った。
 
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彼女は結局来間島の隣の宮古島にある、紅川社長の実家で静養することになるのだが5月になって突然「ノロ」(琉球の伝統的な祭祀の巫女)として覚醒した。
 
彼女は結局その後、沖縄の地から毎年1回くらい沖縄の歌を歌ったCDを発売することになり、一定のファン層が定着していくことになる。また彼女は画才も高く、画集もしばしば刊行された。
 

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