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■春金(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2020-12-25
9月上旬、Wリーグは、8月にステラ・ストラダの選手からコロナ感染者が出たのも受けて、シーズン前に全てのチームの全ての選手およびスタッフにPCR検査を受けさせた。その結果全員陰性であることが確認されたと発表した。
実を言うと、千里の検体は精密検査に回され、抗体があることを確認された。
「友人がワクチン開発企業に勤めている関係でワクチンの治験をしたので」
「ああ、だったら大丈夫です」
“千里たち”は春に青葉たちに接種した後、自分たちも3人ともワクチン接種している(お互いに接種しあった)し、その後、そろそろ有効期限切れだろうということで、夏にも再度接種している。ドイツの製薬会社が開発した m-RNA(メッセンジャー・リボ核酸)型のものである。
その日、アクアが山村マネージャーと一緒に放送局に入ると、バラエティ番組の収録が行われていた。その収録が終わるとアクアの出演する番組が行われるということだったので、スタジオ内で待機する。そして隅のほうで収録の邪魔にならないようにしながら、リハーサルに出演していた葉月と付き添いの桜木ワルツから、台本の変更や、リハーサル中に起きたできごと、ディレクターの指示、などについて聞いていた。
収録中のバラエティ番組で、ひとりのお笑い芸人が
「金銀パール・プレゼント♪」
と言いながら、別のお笑い芸人を棒のようなもので殴る。
「何するのよ?金銀パールというから、アクセサリーをくれるんじゃないの?」
「これはパール製の金メッキの銀フルートだから、金銀パールよ。それで叩いて“あげた”わよ」
などとやりとりをしていたので、山村が吹き出したが、アクアは
「楽器で人を殴るなんて」
と憤慨している。
「それ“楽器で”殴ることに問題があるという意味だよな?」
と山村が確認する。
「そうですけど」
とアクアは答えるが、なぜ確認されたのか分かっていない。
「楽器を粗末に扱う人は嫌いです」
などと言っている。
つまり、アクアは“人を殴る”ことは問題にしていない!
「金銀パール・プレゼントって何でしたっけ?他の所でも聞いたことがある気がします」
と葉月が尋ねる。
「あれはニュービーズという洗濯用洗剤で、そういうのが当選するというキャンペーンをしていたんだよ」
と山村が言ったが、
「ブルーダイヤですね」
と桜木ワルツが訂正した。
「ニュービーズじゃなかった?」
「ブルーダイヤの“ダイヤ”に掛けてアクセサリーをプレゼントしたんですよ」
「あ、そうだったっけ?」
「いつ頃やってたんですか?」
とアクアが尋ねる。
「1960年代から始まって断続的にやってたんだけど、確か最後は2007-8年頃まで」
とワルツが言った時
山村が
「そんな最近までやってたんだ!」
と言ったのに対してアクアは
「けっこう昔ですね」
と言ったので、ワルツが
「美事に世代間ギャップが出たね」
と言って笑っていた。
2007-2008年といえば山村にはごく最近のことだが、アクアはまだ小学校に入るかどうかの頃で、“とっても昔”である。
もっとも1446歳の山村にとっては、明治維新なども“ごく最近のこと”らしい。
「でも金メッキの銀のフルートってあるんですか?」
と葉月が訊く。
「パール楽器の“カンタービレ”シリーズにそういうのあったと思うよ」
と彼らの会話を近くで笑いながら聞いていた、カチューシャの松川杏菜が教えてあげた。彼女はフルート吹きで実際には総銀の非メッキのフルート(Altus A1407 Ag925-RingKey-Inline-Soldered)を使用している。
「まあ、今のコントで使ってたのは、プラスチック製のファイフに金色塗装したものと見た。さすがに60-70万する楽器では人を叩かないでしょ」
と彼女は付け加えたが、金属で叩かれたら痛い!という観点が抜けている!
9月5日のセッションで、恵真は使用しているフルートについて確認された。
「そのフルートは洋銀だよね」
「はい。洋銀の銀メッキ、カバードキィ、ストレートです」
「銀製、リングキィのフルートを使わない?フルートを吹く少女という絵をもっと撮りたいのよね。だから本格的なのを使って欲しくて」
「リングキィは挑戦してみたい気はしていましたが、銀は高いので」
「1本買ってあげるわよ。取り敢えず貸与ということで」
「買ってくださるのなら歓迎です」
それでその日はAさんと一緒に楽器店に行き、いくつか触ってみる。
「重い」
「そりゃ比重が違うからね。洋銀の比重は8.7くらい。銀は10.5くらい」
「つまり2割くらい重いんですね」
「あんたよく暗算でそういうのすぐ出るね」
「え?このくらいは誰でも暗算できるでしょ? 105から17引けば88だもん」
「ふーん」
恵真は何だろうと思った。
結局購入したのは、Sankyo "Artist" (Ag925) Ring-key New-E-mecha という製品である。お値段は 56万6500円と言われたが、Aさんは値切った!それで結局50万円ジャストで購入した。
「じゃ、これあんたに貸す」
「ではお借りします」
きっと50万円くらいはお金持ちのAさんにはおやつ程度買うくらいの感覚だろうと思い(その割には値切ったけど)、遠慮無く借りることにしたが、恵真は2ヶ月後には、さすがにビビるような価格の楽器を“預かる”ことになる。
この日は大田区内にある、あけぼのテレビ本社(§§ミュージック・サテライト)の練習用スタジオを借りて、借りたての総銀フルートの吹き初(ぞ)めをした。ここのスタジオを借りたのは、ここが徹底的な消毒体制にあり、誰かが使った後は、きれいに清掃・消毒しないと他の人には使わせない体制になっているからということだった。実際、恵真たちは「消毒済」と書かれた紙テープを破ってドアを開けた。
♪♪ハウスに所属していると、基本的に§§ミュージックの施設なども自由に使えるらしい。♪♪ハウスの株式の約3割を§§ミュージックが所有していると聞いた。つまり系列会社ということになるのだろう。
「§§ミュージックの事務所にも自由に出入りできるから。ついでにあそこに置いてあるおやつや、コーヒーもタダ」
「へー」
「だから松梨詩恩とか、いつも§§ミュージックの事務所に行っておやつ食べてる」
「なるほどー」
「♪♪ハウスはケチくさいから、コーヒーは10円取る」
「10円でも安いですよ!」
しかし総銀フルートを吹いてみて最初に感じたのが
「吹くのに力(ちから)が要る」
ということだった。
「重い金属で作られた管楽器は、それだけよく響くけど、それを吹きこなすには、息の力が必要。だからセリナ君には、そういう重い楽器に慣れてもらいたい」
とAさんが言う。
「あのぉ、こないだ映画に出た時は、羽鳥セシルと言われて、その名前で事務所との契約書にも署名しましたけど」
「私今何と言った?」
「セリナって」
「うーん。まあ何でもいいや」
やはり適当なんだ!
「ところで、あんたバイクの免許も取ってくれない?バイクに乗る設定の役を演じてもらえないかと思ってさ」
「私、免許取れません」
「なんで?飲酒運転か何かで捕まった?」
なぜそういう発想になるんだ?
「私、まだ15歳ですから」
「だってあんた高校生だよね?」
「高校に入学する時が15歳で、高1の途中、誕生日が来たら16歳です」
「あんた誕生日はいつよ?」
「2月25日ですが」
「なんて使えない子なの!」
「すみません」
「だったら教習所で訓練だけ受けといて。16歳の誕生日が来たところで卒業試験受けて、免許を取ってもらう」
「いいですよ」
それで恵真は月2-3回くらいのペースで自動車学校に行き、普通二輪の講習を受けることになった。恵真が通うことになった自動車学校は、半年以内に16歳(四輪免許なら18歳)の誕生日を迎える人なら入学できるようになっていたので、恵真はギリギリで入学を認めてもらった。
ちなみに自動車学校の書類について恵真はあまりよく考えずに“浜梨恵真・2005.2.25生・女”と記入したが、自動車学校の人は特に疑問も持たずに受け付けてくれた。住民票を提出し、健康保険証を提示しているが、保険証の記載が“浜梨恵真・女”で入学申込書と一致しているので、受付の人も、住民票が“浜梨恵馬・男”であることに気付かなかったようであった。“恵馬”と“恵真”はパッと見には、同じように見えるし、まさか性別が保険証と住民票で違っているとは思いもよらない。
銀のフルートを買ってもらった日、恵真が帰宅すると、珍しく弟が自室ではなく、居間にいた。
「あれ?フルートが2本?」
「うん。銀のフルートを借りた」
「へー。どんなの?ピカピカ光るの?」
「別にそんなに光らないと思うけど」
と言って恵真は2つのフルートケースをどちらも開けてみせる。
「三響の総銀フルートか。60万くらいしたでしょ?」
と母が言う。
「50万に値切ってた。借りてよかったよね?」
「全然問題無い。実質くれたんでしょ?Aさんにとっては、コーヒー1杯おごる程度の感覚だよ」
と母が言う。
「そうだと思ったから、遠慮無く借りた」
「あの人、銀座で1晩で1000万円使ったこともあるし」
「どうやったら、そんなに使えるの〜〜?」
さすがの恵真も呆れた。
「それでこちらが私がこれまで使ってた洋銀のフルート、パール製。こちらは今日借りることになった、銀のフルート、サンキョウ製」
と言って恵真は指し示す。
「銀って純銀?それとも14銀とか?」
と弟が訊くので
「18とか14というのは、金の場合だよ。銀は1000分率で言うんだよ。これはAg925 925‰(パーミル)の銀」
と恵真は弟に説明した。
「へー。言い方が違うんだ?」
「金だけ24分率なんだよね。だから18K(じゅうはちきん)は18/24=75%の金、14K(じゅうよんきん)は14/24=58%の金」
とピザを食べていた母が言う。ちなみにピザは今、母が食べているピースが最後のピースのようで、つまり弟はこのピザを食べるのに下に降りてきていたようである。ちなみに恵真の分は残っていない!
「金以外は1000分率なんだよね。だからPt900というのは900‰(=90%)のプラチナ」
と母。
「銀の場合は比率によって色々固有名があるよね」
「そうそう。そのフルートはAg925だよね?」
「うん」
「925‰(92.5%)はスターリングシルバー(Sterling Silver)だね」
と母が言うと、他にどんなのがあるの?と弟が訊くので、母はその一覧が出ているサイトを自分のタブレットで開いて弟に見せた。
Ag900 = Coin Silver Ag925 = Sterling Silver Ag958 (23/24) = Britannia Silver Ag1000 = Pure Silver
以上は一般的な名称である。
この他にイギリスのArgentium Silver Company が製造する Argentium Silver は、ゲルマニウムを加えて変色耐性を高めたもので、銀の含有率により Argentium 960, Argentium 935 という製品がある。フルートメーカーのアルタス社は独自の合金"Altus Silver" を開発しており、銀の含有率は946‰ (Ag946)である。また同社には997‰の銀で作られた"Metallized Silver" Ag997 という製品もある。
(アルタスは村松フルート製作所出身の田中修一氏が1990年に安曇野で創業したフルート専門メーカーである)
銀のフルートについては、普段からその楽器を使って早く慣れてと言われたので、恵真はその楽器を持って学校に行き、吹奏楽部の練習にも出た。
同じフルート吹きの愛絵(まなえ)ちゃんと姫良(きらら)ちゃんがすぐ気がつく。
「もしかしてそれ総銀?」
「うん」
(総銀とは、管体・座金・キィ全てが銀で作られていることを言う。銀のフルートには管体だけ銀を使用し、キィは銀メッキという製品もある。総銀より少しだけ安いが、元々銀のフルート自体が高いので、銀のフルートを買う人は多分たいてい総銀を選ぶ)
「高かったでしょう!」
「50万円。でも借り物〜」
「借りたんだ!」
「先輩でフルート吹く人が、このくらい使いなさいと言って貸してくれた」
「へー。もしかして、えまちゃん、その人から色々指導されてるとか」
「実はそうなんだよ」
「夏休み前から物凄く進化してたから、びっくりしたもん」
「凄く勉強になってる」
「へー」
「でも材質の問題より、今、リングキィに慣れるのに必死」
「ああ。まるで違うだろうね」
フルートのキィにはカバードキィとリングキィがある。カバードキィは指で押さえると“ふた”が閉まって穴を塞ぐ。これに対してリングキィは、そういう“ふた”が付いておらず、自分の指で穴を塞がなければならない。
結果的にカバードキィはしっかり確実に穴を塞ぐことができるので、正確な音程で吹くことが出来るし、指の細い人でも楽に吹ける。しかし指で少しだけ穴を塞いだりして微妙に音程を変える、ポルタメント奏法などができない。
両者は流儀の違い(カバードキィはドイツ系、リングキィはフランス系)なのだが、日本では初心者がカバードキィ、上級者がリングキィを選択する傾向が強い。恵真がこれまで使ってきた2本のフルートはいづれもカバードキィだった。愛絵ちゃんと姫良ちゃんもカバードキィのフルートを使用している。
「実は女子制服で出て行きなよ、というのもその人から唆された」
「ああ、それはもっと早く本性(ほんしょう)を現すべきだったと思う」
「私たち、えまちゃんが男の子だなんて、思ったこと無かったもんね」
「5月頃にもスカートで街を歩いてるの見たし」
「あれ〜?そんなことしたかなぁ」
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