広告:ここはグリーン・ウッド (第6巻) (白泉社文庫)
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■娘たちの継承(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2018-02-10
 
アメリカのカリフォルニア州で性転換手術を受け女性の身体になって帰国した“女子高生”平良真紗は手術の跡の痛みに耐えながら静養していた。痛み止めの薬は国境を越える時に麻薬として摘発されるとやばいというので、持たずに飛行機に乗り込み、東京に来てから都内の病院であらためて処方してもらったのを持っている。しかし真紗はできるだけ薬には頼らずに回復させようと思っていた。
 
「飲まなくていいの?」
と母は心配するが、
「薬に頼っていたらよくない気がするから自分の体力で解決する」
と言っていた。
 
一応倉吉市内の婦人科医院で検査をしてもらい、経過観察してもらうことになっている。
 
「えへへ。性別Fの診察券もらっちゃった」
「まあふつう男は産婦人科には掛からないからね」
「でも男と印刷されている保険証を提示するのが恥ずかしい」
「まあそれは20歳になるまでは我慢するしかないね」
 
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「しかし、お前それかなりきつそう」
と夏休みなので大阪から戻ってきた兄・勝慶が言う。
 
「きついけど自分が選んだ道だから」
と真紗は言った。
 

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真紗が元気なふりをしているものの、実際にはかなりきついのではないかと察した母は、羽合町内や倉吉市内に、灸や針などで痛みの緩和をしてくれるような所はないか探した。やがて真紗の友人のお祖母さんから倉吉市内の1軒の鍼師さんを紹介してもらい、そこを訪れて鍼を打ってもらった。
 
「凄く楽になります」
「体内の気が物凄く乱れているね」
「気ですか?」
「こういうのを整えるのがうまい人に治療してもらうと結構画期的に痛みが取れると思うんだけど・・・ここまで乱れている人を治せる人は少ないだろうなあ」
などと言いながらも、その鍼師さんは、
 
「これは“余技”だから料金要らないから」
 
と言って、気功のようなものを真紗の新しい女性器に掛けてくれた。確かにそれをしてもらっている間は痛みが小さくなるのだが、施術が終わって2〜3日もすると元の木阿弥になる感じだった。
 
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7月21日、青葉の実母・礼子の遺体が発見された。大船渡からはかなり離れた地区の浜辺に打ち上げられていた。遺体の損傷が激しかったが、残っていた肉片からDNA鑑定をして礼子であることが分かり、警察から佐竹慶子に連絡がある。慶子はすぐに青葉に連絡した。
 
青葉はこの日1学期の終業式であった。
 
青葉は母の遺体が見つかった時点で、それまでに見つかって仮葬儀をしていた祖父母・父・姉と一緒に本葬儀をすることにし、あちこちに連絡した。
 
まずは朋子に連絡し、桃香、大船渡の友人・早紀、八戸在住の友人・咲良、姉・未雨の同級生であった鵜浦さん、姉弟子の菊枝、と連絡した所で和実から電話がある。
 
「何かあった?」
「えっと、実はお母さんの遺体が見つかった」
 
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和実は青葉に何かあったような気がして連絡してきたということだった。この時期、和実は物凄く霊感が強くなっていて、並みの霊能者を遙かに凌駕するような霊的能力を持っていた。
 
それで結局和実からクロスロードの仲間たちに連絡が行った。
 

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青葉は最初は葬儀に出席する人はせいぜい10人か多くても20人くらいと思っていたのだが、時間を追うにつれどんどん膨らんでいった。しかしその人たちがどうやって大船渡まで行けばいいのか、分からないようであった。
 
この時期、東北の交通網はまだ“暫定運用”の段階である。仙台空港も臨時便が少し飛んでいるだけであり、東北新幹線もまだ速度を落として運行されていた。それで桃香が旅行代理店でバイトをしている友人に協力してもらってあちこちから来る人の交通手段を調べ、連絡することにした。
 
結局来てくれる人たちは、一ノ関駅、新花巻駅、花巻空港の3ヶ所に集まってもらうことにし、そこから車で運ぼうということになった。
 
青葉自身はその連絡を桃香・千里に頼み、高岡から仙台への夜行バスに、7月21日21:40に乗った。また千里と桃香は朝いちばんの新幹線で仙台に向かった。この同じ新幹線に仙台から青葉と朋子が乗り込んできて車内で合流。細かい打合せを進めた。
 
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7/22 9:40。新幹線は新花巻に到着。ここでエスティマを2台借りる。これを以下エスティマA・エスティマBと呼ぶ。Aには朋子・桃香・青葉が乗ってすぐに大船渡に向かった(12時到着)。一方、葬儀の手伝いにと呼ばれた盛岡在住の佐竹真穂はJRで移動して10:59に気仙沼駅に到着。慶子が自分の車で迎えに行き、やはり12時頃、大船渡に到着した。また一ノ関から彪志と両親が彪志の父の車で大船渡に入った。この3人が着いたのは12:20頃である。
 
それで、青葉・朋子・桃香・慶子・真穂・彪志・宗司・文月の8人、そして££寺の住職・川上法嶺で礼子の仮葬儀を行い、13:00頃、荼毘に付した。荼毘に付す前の遺体を実際に見たのは、青葉と彪志だけである。
 
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火葬が終わり、お骨を青葉・桃香の2人で拾ったのが14時過ぎだが、その少し後に早紀と椿妃が各々のお母さんと一緒に来てくれたし、八戸から咲良母娘も到着。更に未雨の同級生だった鵜浦さんも来てくれた。
 
火葬が行われていた頃、出雲から来た藤原夫妻、高岡から来た小坂先生と美由紀・日香理が、花巻空港・新花巻駅に到着するので、この5人を乗せて千里がエスティマBを運転し、大船渡に向かった。これが15時半頃到着した。
 

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山園菊枝(山園瞬花・高井厨人)は、21日の内に青葉から直接電話を受け、葬儀に出席するよと言った。それで食糧や飲物などを愛車・パジェロ・イオに積み込み、高知自動車道に乗った。これが22日11時くらいである。
 
そのまま休憩を取りながら運転し、徳島からはフェリーで和歌山に渡る(徳島13:30-15:40和歌山)。そして阪和道を北上し、松原JCTから名阪を通って名古屋方面に行こうと思っていたのだが・・・・
 
ふと気がつくとそもそも阪和道に乗らずにそのまま国道24号を東行していることに気付く。
 
あれ〜!?なんで私、こちらに来たの?と思う。
 
菊枝はめったに道に迷わない。迷うのは迷う理由がある時だけである。(このあたりは千里と似ている)
 
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それで菊枝はその「理由」を考えて、これはきっと瞬嶽師匠が自分を呼んでいるんだと思った。そこで菊枝はそのままR24をかつらぎ町まで走り、笠田駅前交差点から国道480号(西高野街道)を南下。結局17時半頃、高野山の★★院に到着した。
 

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瞬嶽の秘書役・瞬醒が入口の所で待っており
「お疲れ様。とりあえず一休みしていってください」
と言った。
 
案内されて奥の部屋に行くと瞬嶽が居る。
「君も行くだろうから、岩手まで乗せて行ってもらおうと思っていた」
「いつ山を下りてこられたんですか?」
「今朝から降りてきたよ。あの道夜中に通ると、熊と戦わないといけない場合があって、あまり殺生(せっしょう)はしたくないから」
「なるほどですね」
 
瞬嶽なら熊くらい何か術でも使って簡単に倒すんだろうな、と菊枝は思った。
 
結局ここで少し仮眠もしてから22時頃出発するが、
「瞬花さんだけでは運転大変でしょう」
と瞬醒が言い、ちょうど東京に行く用事があったという醒春が同行することになった。それで実際には★★院を出てから、亀山SAまでを醒春、牧之原SAまでを菊枝、東京までを醒春が運転した。
 
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瞬嶽はその道すがら菊枝に口述筆記を頼みたいと言った。それで醒春が運転している間、瞬嶽と菊枝は後部座席に乗り、菊枝がずっと瞬嶽の語る言葉を筆記した。そして菊枝が運転している時は、瞬嶽は寝ていた。
 
それで・・・瞬嶽は東京に着くまで菊枝の運転を起きた状態では体験していない!
 
朝8時頃、東京のББ寺で醒春が降りる。そしてその後、菊枝が運転して、大船渡に向かったのだが、ここで瞬嶽は、菊枝の車に同乗したことを後悔した!
 
何でも見通してしまう瞬嶽も、菊枝がこういう運転をするとは、思ってもいなかったのである。もう降ろして〜!と実は言ったのだが、菊枝は
 
「師匠、おひとりでは新幹線にも乗れないでしょう?少しスピード出しすぎましたかね。ちょっと落としますね」
 
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などと言って、最後まで瞬嶽を乗せて大船渡まで走ったのであった!
 

菊枝と瞬嶽が大船渡に到着したのは7/22 16時である。
 
それで参列するのだが、通夜の導師を務めるために来た法嶺が瞬嶽に気付く。
 
「こんなお偉い方がおられる前で、私のような若輩者が導師など務められない」
と言うので、結局瞬嶽が通夜の導師を務め、法嶺は脇導師として瞬嶽が暗誦するお経に唱和し、木魚や鈴(りん)を叩く役目を務めた。
 
そういう訳で19時に通夜が始まった時点で葬儀場に来ていたのは下記24人である。
 
身内(9) 川上青葉、高園桃香・朋子、村山千里、鈴江彪志・文月・宗司、佐竹慶子・真穂
霊能者(3) 藤原直美・民雄、山園菊枝
導師(2) 長谷川瞬嶽、川上法嶺
岩手の友人(6) 咲良母娘、早紀母娘、椿妃母娘。
高岡の友人(3) 美由紀、日香理、小坂先生
未雨の友人(1) 鵜浦
 
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冬子(ケイ)はこの時期、ちょうど『夏の日の想い出』の新曲発売キャンペーンで全国を駆け回っていた。
 
22日は北海道から青森に移動し、午後は青森市内でキャンペーンをして、新青森16:17の《はやぶさ506号》に乗車する。同行しているタカ・サト・マキはそのまま仙台に移動して仙台市内のホテルに泊まるのだが、冬子だけ盛岡(17:07)で降りて駅前のトヨレンでプリウスを借りた。
 
そして東北道を北上江釣子ICまで南下し、国道107号で大船渡に向かった。
 
まだ大船渡線の列車もある時間帯なのに冬子がレンタカーを選択したのは、明日の朝1番に仙台の放送局の番組に出なければならないからで、大船渡で一泊した後、朝4時に出て仙台に向かうつもりだった。
 
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疲れが溜まっていたせいか瞬眠を起こし、脇に寄せて5分ほど仮眠したりもしていたので大船渡に到着したのは19:30くらいになる。既に通夜は始まっていたので、その途中から出席した。
 

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冬子がキャンペーンで飛び回っているので、恐らく通夜・葬儀には出席できないと思うから自分が2人を代表して明日行く、と政子の方から連絡があっていたので、冬子の姿を見た青葉が驚いて裳主席を離れ、冬子のそばに寄った。千里も寄って行く。
 
「お忙しい所、ありがとうございます。よくお時間取れましたね」
 
「うん。青森のキャンペーンが15時で終わって、それからこちらに移動してきた。明日は仙台から」
「ハードですね!」
 
「そうだ。千里。駐車場が分からなかったんで、取り敢えず会場の前に車駐めちゃったんだけど、よかったら移動してもらえない?」
 
「いいよ。明日朝仙台なら、今夜はここに泊まるよね?」
「そうさせて。朝から北海道に飛んで、南下してきて、盛岡から運転してきたから、さすがに疲れてる」
 
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「じゃ、宿の駐車場の方に回送しておくから。車は何?」
「助かる。白いプリウス」
 
と言って冬子が車のキーを渡すので千里が預かった。
 
そして車を確認すると《きーちゃん》に!回送を頼んだ。
 

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その日は、市外から来た人たちは桃香が手配した大船渡市内の旅館に泊まる。
 
今回の通夜・葬儀では、様々な手配や交渉事を決断力のある桃香がこなし、来客の対応を柔らかい物腰の千里がするという分担で進めたのである。慶子が葬儀委員長を務めてくれた。喪主はむろん青葉であるが、朋子がずっと青葉に付いていた。
 
朝4時すぎ。青葉に起こしてもらって荷物をまとめ、駐車場に出た冬子は自分の車はどこだろう?と思った。確か千里が何とかのそばに駐めたと言っていた気がするのだが、疲れが取れてないので忘れてしまったのである。
 
あいにくプリウスなんてのは何台も駐まっている。ずっと見て回ってナンバーを確認するしかないかと思った。その時唐突に後ろから声がする。
 
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「私、奥の街灯のそばに駐めたと伝えたんだけど、やはり覚えてなかったね」
 
冬子がびっくりして振り向くと千里である。
 
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