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(C)Eriko Kawaguchi 2018-02-12
2011年7月28日(木)。
千里はフル代表の合宿をしていた。26日にフル代表12名の最終的なリストが発表され、インターハイに出場する王子を除く11名で、来月のアジア選手権(ロンドン五輪予選)に向けて濃密な練習をしているのである。
この日の夕食の時、広川妙子が
「エレンさん、お誕生日おめでとうございます」
と言った。
それで
「わあ、エレンさん、お誕生日ですか?おめでとうございます」
という声があちこちから掛かる。
「ありがとう、ありがとう。プレゼントは今夜9時までなら受け付けるよ」
などと本人は言っている。
わざと短い時間を言って、配慮無用ということにしたのだろうと千里は思った。しかし千里はちょうどいい物を持っていた。
それでその後、エレンがトイレに立ったのに合わせて千里も席を立ち
「エレンさん、これ誕生日プレゼント代わりに」
と言って千里は鳥の形の携帯ストラップを渡した。
「ありがとー。これは?」
「私、3日前に高野山の偉いお坊さんを東京から自坊まで送って行ったんですよ。その御礼に頂いたんですが、頂いた時に、これ誰かにあげることになると思ったんです。私ってよくそういう“お使い”に使われがちなんですよ」
「へー!高野山。でもこれ凄いパワーが込められてない?」
「高野山の中でも奥の方にあって、普通の参拝者はまず行かない★★院という所で、一応一般の参拝者向けに出している御守りだそうです。年間10個も売れないらしいですが、それだけ奥にあるんで、パワーがハンパ無いんですよ」
「あそこって女でもそういう奥まで行けるの?結構女人禁制だったりしない?」
「あそこはわざわざ禁制にしなくても普通の女は近寄れないらしいです」
「ほう!」
「ここ10年で訪れた女は私を含めて5人しかいないとか」
「何か凄いね!」
「まあ車で行きましたけど」
「車で行けるのか!」
「道に迷わなければですけど」
「なるほどー」
「崖崩れで通り抜けられなくなった道とか放置されているから結構難しいんです。地図には載ってないし、カーナビは道路外を示しますし」
「かなり秘境だね」
「そこで修行している人たちはセブンイレブンが欲しいとか言ってますが」
「それは配送トラックが迷子になる」
「と思います」
「でもこの鳥は何だろう?」
「ミソサザイだそうです」
「名前は聞いたことあるな」
「高い山に住んでいて、鳥の女王、風の女王と呼ばれているそうです」
と千里が解説すると
「おお、それは私にふさわしい」
とエレンは言っている。こういうのを照れることなく言い切れるのがエレンだ。バスケット選手になっていなかったら、スター歌手になっていたかもと思うこともある。エレンとはカラオケに行ったこともあるが歌がかなり上手い。
「私もよく鳥に喩えられますけど、シューターって鳥のようなものかもと思うことはあります」
「うん。私もよく言われた。スズメだとかツバメだとか」
「ツバメはかなりスピードが速いですよ」
「そんな気はするね」
エレンは唐突に言った。
「私がなぜ33番をチームで付けているか知ってる?」
「デヴィッド・トンプソンの33かなと思ってました」
デヴィッド・トンプソンは70-80年代にNBAで活躍したシューティングガードである。“スカイ・ウォーカー”の異名を持つ、高い跳躍力を持つ選手であった。
「不正解。私が1975年7月28日6:33(*1)に生まれたからなんだよ」
「そうだったんですか!」
「あんたも生まれた日が3に関わりがあるよね?」
「はい。平成3年3月3日、0時1分23秒なんです」
「ああ、それは面白い日時に生まれている」
「けっこう覚えられちゃうんですよね〜」
「だったらさ」
とエレンは言った。
「私が引退した後は、千里ちゃんが33番の背番号でWリーグで活躍しなよ」
千里は微笑んで答えた。
「もし大学卒業後、どこかのチームが拾ってくれたら、打診してみます」
「うん」
とエレンも笑顔で答えた。
(*1)6:33になるのはBST(イギリス夏時間)で、JST(日本標準時)では14:33になる。
2011年7月上旬。
千里や誠美は代表活動で忙しかったのだが、千葉県の国体選考会があり、ローキューツは千里・誠美抜きでこれに出場して準優勝になった。優勝したのは千女会である。
「あんたたちの所は、なんであの凄いシューターさんや、あの背の高い人、出てこなかったの?性転換でもした?」
と千女会の人に尋ねられたが
「取り敢えず女のままのようです」
「シューターの村山はU21世界選手権でアメリカ、センターの森下はU24の合宿で東京北区のナショナル・トレーニング・センターに缶詰中です」
「そんな凄い選手だったんだ!」
ともかくも、ローキューツからは、麻依子・薫・凪子の3人が国体チームに選抜された(薫は3月に千葉市内のアパートに引越し、千葉県民になっている)。
「へー、中部大会って凄いじゃん!」
と和実は言った。
「まあ今年はそこまでだろうけどね。県大会も3位でギリギリ通過だし」
と青葉は言う。
青葉が加入した◎◎中学コーラス部は、地区大会を2位通過、県大会を3位通過して、7月30日(土)の中部大会(愛知県)に進出したのである。
「でもそれいつ帰ってくるの?」
「日帰りだから30日の内に帰ってくるよ」
「日帰りなのか!」
「高岡から名古屋までは、しらさぎで3時間半くらいなんだよ」
「しらさぎって、米原経由?」
「そうそう」
「高山経由じゃないんだ?」
「富山市なら、そちらでもほとんど時間が変わらないんだけどね。高岡から富山への移動に時間が掛かるし」
「なるほどー。高岡からまっすぐ南下する路線は無かったっけ?」
「それは城端線(じょうはなせん)から長良川鉄道に行くルートだけど、城端(じょうはな)と北濃(ほくのう)の間、100kmくらいが繋がってない」
「ああ、繋ぐ予定とかはあったのかな?」
「どうだろう?長良川鉄道は実は越美北線の九頭竜湖駅の方向に伸びる予定だったんだよ。岐阜と福井を直結する。だから長良川鉄道の方は越美南線なんだよね」
そのあたりは先日鉄道マニアの桃香から聞いた話である。
「そちらへ伸びる予定だったのか!」
「今は北濃から九頭竜湖方面にしても、城端方面にしても山道しか無いみたい。夏の間は北濃と城端の間にはバスが走るけど、冬は運休になってしまう(*1)。北濃から九頭竜湖方面へはバスも無いからどうしても踏破したければ8kmほど歩くしかないみたい」
「どうも凄い秘境のようだ」
(*1)城端から白川郷までのバスは年間を通して運行されるが、白川郷−牧戸および牧戸−北濃のバスは冬季運休である。
「でも30日の内に戻って来るなら、31日に着くようにそちらに行くよ」
「2人で?」
「そうそう。2人で交代で運転して行く」
それで和実と淳は30日の朝プリウスに乗って東京を発ち、最初は中央道→長野道で安曇野まで行く。ここで休憩して、様々な美術館を見たり、信州そばを食べたり、八面大王の足湯に浸かったりした。そして30日夕方、高岡に向けて出発する。
「このまま上信越道を行く?」
「それもつまらないから、R147/R148で糸魚川(いといがわ)に出ない?」
と和実が言うと
「地図を見ると随分ジグザグっぽいんだけど」
「だから楽しいんじゃない」
「どちらが運転する?」
「じゃんけん」
じゃんけんすると和実が勝った。
「やった!」
と和実は言ったが、
「私、大町から先は寝てる」
と淳は言った。
そういう道は運転している人はいいのだが、同乗者はとっても辛い。
実際問題としてこの道は大町市に至る国道147号はいいのだが、その先、糸魚川に出る国道148号が、なかなか“素敵”なのである。途中多数のスノーシェッドが続く所がある。
「なんかひとつひとつの洞門に名前が書いてあるね」
「うん。凄いね、ここ」
「ねえ、この洞門の名前を全部撮影してよ」
と和実が言う。
「でももう既に7-8個通り過ぎたけど」
と淳。
「うん。戻るからさ」
「戻るの!?」
それでふたりはこの洞門の名前をひたすら撮影したのである。これは2人乗っていないとできない行為である。交通量が多いので、停車しての撮影は迷惑行為になる。
糸魚川まで出た後は、北陸道に乗り、プリウスは快走していく。有磯海SAで休憩して食欲と性欲!?を満たした。そして31日お昼前に青葉の家に到着した。
「わあ、2人ともゴスロリだ」
と青葉が言うと
「無理矢理着せられた」
と淳が情けなさそうな顔で言った。
「あ、これお昼ごはん用にと思って買ってきた」
と言って、和実が安曇野で買った“おやき”を出す。
「わあ、それ好き!」
と朋子が言った。
せっかく高岡まで来たふたりを青葉はその日の午後、少し観光案内してあげた。まずは高岡大仏を見て、銅器展示館に行った後、海王丸パークに行った。ここは初代・海王丸(*1 横浜に展示されている日本丸の姉妹船)を展示しており、時々総帆展帆も行っている。そして実際行った時、偶然にも、その総帆展帆が行われていた(*2)。
「美しい」
と和実は帆船を見て声を挙げた。
「やはり帆船は汽船に無い美しさがあるね」
「この船、フィギュアヘッドとかは無いの?」
「あったんだけど、海王丸II世に引き継がれたんだよ」
「なるほど〜、継承されたのか」
元々日本丸・海王丸にフィギュアヘッドは無かったのだが、1985年に制作され、日本丸は既に代替わりしていたので、日本丸II世と海王丸に取り付けられた。日本丸(II世)のものは手を合わせて祈る女性像《藍青》、海王丸は横笛を吹く女性像《紺青》である。1989年に海王丸が引退すると、そのフィギュアヘッドも海王丸II世に引き継がれたのである。
「笛といえば、青葉、新しい笛を買ったんでしょ?」
「うん。凄くいい音が出るんだよ」
と言って、青葉はバッグの中から龍笛を取りだし、自由に吹いた。
その笛を吹く様が美しいので、和実が持参のα55で写真を何枚も撮っていた。
「青葉、船を背景にするように立ってよ。そうそう」
それで和実は海王丸をバックにセーラー服を着た青葉が笛を吹く様の写真を撮ったが、これがまた美しい様であった。近くを歩いていた観光客が何人も立ち止まり、その人たちまで写真を撮っていた。
「これはそのまま海王丸の《紺青》という感じだ」
と淳は言った。
(*1)↓は私が2016年12月14日に撮影した夕暮れの中の海王丸。帆を張ってない所で済みません。後ろの橋は新湊大橋ですが、青葉が和実を連れて行った2011年にはまだ完成前の工事中でした。
総帆展帆の映像は↓に公式のがあります。
https://youtu.be/X6DWJITf530
(*2)実際に2011年7月31日には総帆展帆が行われた。この年の総帆展帆は4/24 5/4 6/5 6/26 7/18 7/31 8/28 9/18 10/9 11/3に行われている。