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■娘たちの継承(8)

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「私たち2人が抜けた後の補充は?」
「山岸(典子)君と花和(留実子)君をお願いしたい。この2人はずっとUnivチームにいたので、連携とかがやりやすいので」
と須崎さんは言う。
 
「分かりました。すぐに登録選手変更の手続きを取ります」
と強化部長さん。
 
「間に合います?」
「中国時間で今日中、つまり日本時間の深夜1時までは受け付けてもらえます」
「ぎりぎりでしたね!良かった」
 
千里はやはり、連携がうまくいかないことによるクビなのではという気が大いにした。
 
しかしそういう訳で千里はユニバーシアードへの出場は今回キャンセルになり、アジア選手権の方に集中することになったのである。そして留実子は昨年のU20に続いて2度目の日本代表になることになった。
 
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それで急遽代表に復帰した典子・留実子を含むユニバーシアード代表の一行は8月12日に深圳に旅立って行った。
 
NRT 15:05-17:20 PVG 18:40-20:35 SZX (CA930 B738)
 
所要時間6h30m, 飛行時間は3h15m + 1h55m = 5h10m である。成田→上海浦東のCA930が、便名もそのまま深圳宝安行きになるので、深圳まで行く人はそのまま機内で待機していれば良い。
 
しかし千里たちと同様にチームに溶け込めないので辞退したいと訴えていた華香は結局そのまま一緒に深圳に行くことになった。同じ愛知J学園大学のチームメイト、日吉紀美鹿・入野朋美、それに長年の付き合いの留実子などが「何とかなるよ」と励ましていたようである。
 
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そして千里と月野英美は13日を1日休んだ後、14日からフル代表の最終合宿に入った。もっとも実際には12日も13日もNTCにいて、英美さん、および練習相手として呼び出した!彰恵(茨城TS大)・伊香秋子(東京W大)と一緒に濃厚な練習をしていた。
 
「居残りしたんだ!」
と13日の夕方NTCに来た玲央美が驚いていた。千里がこれまで1度もUniv代表の練習に入っていなかったので、全然連携とかができなかったと言うと
 
「いや、それnon UnivのU24チームでもそうだった。他のメンバーとのアイコンタクトとかができなくてさ。誠美や石川美樹さんくらいしか私のパスが取れないんだよ。分かりやすくパス出すとカットされてしまうしさ。それで台湾代表に不覚を取ってしまった」
 
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と玲央美は言っている。
 
「なるほどね〜。こちらは入れ替えてもらって良かった気がするよ。私や英美さんも同様の事態になっていた気がする」
 
「震災で色々スケジュールが変わってしまったので、予定がくるってしまった部分もあるみたいね」
 
「ああ、ここにも震災の影響が出ていたのか」
 

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ユニバーシアードの方は、惨憺たる成績となった。
 
日本は予選リーグでオーストラリア、スウェーデン、チェコに3連敗し、9-15位決定戦に回る。ここで何とかポーランドに勝って9-12位決定戦に進んだものの、中国とリトアニアにも負けて12位で終了した。
 
帰国後須崎ヘッドコーチと神山代表は辞意を表明したが、きちんとしたチーム作りができなかった中で出場しなければならなかったのは気の毒すぎた。
 
しかしユニバーシアード・チームは協会幹部が憂慮していた通り、台風のため21日には帰ることができず、結局は8月23日に帰国はズレこんだ。千里たちは行っていたら本当に韓国戦に間に合わない所だった。
 

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「逆にU21チームが世界で銅メダルを取れたのは、ほとんどのメンツがU18の時から一緒にやってきていたからかもね」
と玲央美は言った。
 
「今回のU21チームはU18以来のメンバーと、私たちより2つ下の世代3人とで構成されていて、純子たち3人は3人で団結していたから良かったと思う」
と、帰国後大村まで応援に来てくれた華香は言っていた。
 
「実際ユニバ代表どうだった?」
「ボクがちゃんと連携できたのは、フル代表でも一緒になった一美さんの他はチームメイトの紀美鹿さんと朋美にサーヤだけでさ」
「ああ」
 
「シュートのタイミングがつかめないからリバウンドも取れないんだよ。結果的にボクの出番はあまり無かった。主としてサーヤ(留実子)と円ちゃんに出てもらった」
 
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「ソラ(華香)としても不満の残る大会になっちゃったね」
「まあ、また出直しだよ」
 

8月20-21日には、ひたちなか市で国体の関東ブロック予選が行われた。これに出場した麻依子たちの千葉選抜は、1回戦を栃木に81-61で勝ったものの、準決勝で、江戸娘や多摩ちゃんずにジョイフルゴールドなどのメンバーが入っている東京選抜に66-59で敗れ、国体本戦出場はならなかった。結局東京選抜が優勝して10月に山口県でおこなわれる国体に出場する。
 
なお今年は少年女子が全県代表による大会となっており、岡山では岡山E女子高を主体とし、岡山H女子高・倉敷K高校の選手を入れた選抜チームが結成された。北海道では、またまた旭川選抜(N高校とL女子高主体)と札幌選抜(P高校主体)が北海道予選決勝でぶつかり、松崎由実の活躍で旭川選抜が国体出場を決めた。旭川選抜は2年連続の国体出場である(北海道には全県代表大会のメリットは全く無い)。
 
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8月20日、青葉は東京に出てきてコーラスの全国大会に出場した。中部大会では最初4位と言われたのだが、1位になった学校が失格になってしまったため、繰り上がりで全国大会に行くことができたのである。
 
高岡から東京日帰りである!
 
高岡6:32-8:41越後湯沢8:49-9:55東京
東京20:12-21:21越後湯沢21:30-23:38高岡
 
高岡駅には各々保護者に送迎してもらっている。
 
青葉は東北代表として出てきていた大船渡○○△△中学合同の椿妃たちとも会うこともできた。
 
椿妃たちの学校は、震災で避難している人が多いのと、学校の校舎も破壊されたため2つの中学が臨時に合同して授業が行われているのである。それで合唱部も合同で出てきていた。椿妃たちの中学は6位、青葉たちは9位であった。
 
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大会が終わった後は、束の間の交歓会もあったが、青葉は椿妃たちと手を取り合って全国大会での再会を喜んだ。日香理と椿妃は先日の葬儀の時にも会っていたので、今回は色々青葉に関する情報を交換していたようである。
 

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7月にカリフォルニア州で性転換手術を受けた高校生・平良真紗はお盆の期間に東京に出てきて、中村晃湖のヒーリングを受けた。性転換手術を受けた人のヒーリングを過去に何度かしたことがあり、飛躍的に痛みが軽減されたという話を聞いたのである。鍼治療に通っている倉吉市の鍼師さんが、その情報を仲間からの口コミでキャッチしてくれた。
 
中村さんは依頼が殺到するとさばききれないので、基本的に広告の類いを一切しておらず、テレビなどにも出ない方針らしい。占い師もしているが、相談事は1件10万円(風水の相談は100万円)以上取るらしい。しかし今回は高校生ということもあり、1回3万円でいいよと言ってもらえたので行ってくることにした。
 
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交通機関が混む時期であるが、8月13日に東京に出てきて、16日に鳥取に戻ったので、混雑するのと逆方向になり、何とか座席も確保できた。
 
「ああ、これは痛いでしょう」
と言って、中村さんは2日間にわたり2時間ずつのセッションをしてくれたが、痛みが画期的に軽くなった。
 
「凄く楽になりました」
 
「本来は快感を得られる器官が物凄く痛いというのは、精神的に削られるよね」
「そうなんです。実はちょっとだけ手術を受けたことを後悔しました」
 
「私がまたヒーリングしてあげてもいいけど、鳥取に住んでいるなら東京まで出てこなくても、私の知り合いで凄く優秀なヒーラーが出雲市に住んでいるから、その人の所に行った方がいいかも」
 
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「出雲市ですか!だったら近くですね!」
 
それで中村さんは紹介状まで書いてくれたので、来月にも1度行ってみることにした。
 
真紗はこの中村さんのヒーリングの後、実際問題としてその出雲市に住む藤原さんというヒーラーの所を訪れるまでの間、全く女性器が痛くなかったのである。それで真紗のメンタルが物凄く改善された。
 
「私やっぱり性転換手術受けて良かったぁ」
と真紗は本気で思うようになったのである。
 

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また中村さんは、オーダーメイドで本人のヴァギナの形に合わせて作られる留め置き式ダイレーターを作っている所も紹介してくれたが、それを使うのはもう少し炎症が収まって落ち着いてからの方がいいかもと言われた。
 
(ダイレーターは膣が縮むのを防ぐための器具で普通のものはセックスするかのように、膣に入れたり出したりする。複数のサイズのものがあり、毎日小さいものから大きいものへと順に入れていく。しかし性転換手術の直後はこの作業が物凄く痛い。この作業は基本的に一生続けなければならない。留め置き式のものは入れたまま放置しておいてよい。但し日に1度くらいは取り出してきれいに洗浄する必要がある)
 

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フル代表の合宿は14日から18日まで東京NTCで続けられ、19日に飛行機で大村市に移動した。
 
羽田空港10:25-12:20長崎空港
 
なお長崎空港は大村市街地のすぐ近くの島(箕島)にある。元々現在の半分の面積しか無かったのを、山を削り取り、その山の土砂で埋め立てをすることで、元の倍の面積を持つ空港用の島を作り上げるという凄い工事をして作った空港である。
 
その話を桃香にしたら「性転換手術みたいだ」と言っていたが似てるか?出っ張りを無くすのは同じかも知れないが!?
 
3000mの大滑走路を持ち、1990年の長崎旅博覧会では、博覧会のイベントとしてコンコルドが飛来したこともある。
 
コンコルドが飛来した日本の空港は、羽田・関空とこの長崎空港の3つだけである。
 
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19日にいざ大村に出発するという時に、王子が慌てたように言った。
 
「私、パスポート忘れてきているかも。どうしよう?」
 
思わず他の選手たちの間に笑みがこぼれる。
 
「きみちゃん、今回の大会は日本国内だからパスポート不要」
「あ、要らなかったんですか!良かった!」
 
「まあ性別を疑われた時にパスポートがあると便利なんだけど」
「あ、久保田希望が性別疑われたそうです」
「丸坊主にしたらね〜」
 
「でもきみちゃんは、パスポートはいつも持ち歩くバッグとかに常に入れておいた方がいいよ」
 
「いや、そのバッグが行方不明になるんですよね〜」
 
「ああ、君は部屋の片付けをもう少し覚えるべき」
 
王子の部屋の散らかしようは、かなり酷いものである。
 
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19日は地元で歓迎のレセプションをしたいという話もあったようだが、大会前なので遠慮させて欲しいと言い、側面サポートしてくれているU21の高居さんが手配してくれていた大村市内の高校の体育館で汗を流した。
 
この体育館はまだコートの線を引き直していなかったのだが、日本選手団が来る前日に頑張ってビニールテープを貼って新しい線を引いてくれた。
 
高居さんが練習場所を探したことから、地元の高体連・中体連が動いてくれて、結果的には出場する各国に専用の練習場所が確保された。更に練習場所を提供した各校がその国の応援団も結成してくれて、国際親交が進んだようである。
 

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20日も1日報道陣などは締め出して濃厚な練習をした。
 
女子アジア選手権が日本国内で開かれるのは6度目である。
 
1982年 東京都 9国。優勝は韓国。日本3位。3位以内が世界選手権出場。
1994年 仙台市 L1 5国 L2 6国。優勝は中国。日本3位。4位以内が世界選手権出場。
1995年 静岡市 L1 6国 L2 6国。優勝は中国。日本3位。3位以内がアトランタ五輪出場。
1999年 静岡市 L1 5国 L2 4国。優勝は韓国。日本2位。優勝国のみがシドニー五輪出場。
2004年 仙台市 L1 5国 L2 4国。優勝は中国。日本2位。3位以内がアテネ五輪出場。
2011年 大村市 L1 6国 L2 6国。
 
今回のアジア選手権ではロンドン・オリンピックの切符を直接獲得できるのは優勝国のみである。3位以内は来年6月25日〜7月1日にトルコのアンカラで開かれる世界最終予選に進出し、そこで12国中5位以内に入ればオリンピックに出場できる。
 
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