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「ここの結界は、もしかして藤島さんがお作りになったんですか?」
「ああ、この結界はなんか最初からあったんだよ。それでここ家賃も安いし、この棟なら安心と思って、孫娘を住まわせているんだよね。今朝はもうバイトに出てしまったけど」
「へー!ここ安いんですか?」
「うん。共益費込みで6000円だよ。2DKなのに」
「そんなに安かったんですか!?」
それなら桃姉好みだよなあ、と青葉は思った。桃香はとにかく安いものなら何でもよいという性格である。桃姉の困った所は安ければ品質を問わないことである!
「でもこの結界、なんか人間業とは思えないよね。こんなもの作れるのはたぶん日本で五指に入るような物凄い法力を持つ山伏か何かだと思う」
と藤島さんは言った。
「山伏か・・・」
「なんかそういう臭いがしない?」
「そう言われてみれば修験道っぽい気もしますね」
と言って、青葉は腕を組んだ。
青葉は藤島さんと携帯の番号を交換したいと言ったのだが、藤島さんは携帯電話なるものを所有していないらしい! それでお互いの住所を紙に書いて交換した。藤島さんは自宅に電話も無いらしい!
「また会いたいね。川上さんは時々出てくるの?」
「はい。年に何度か出てくることになると思います」
「私も年に2回くらいは出てくるんだけどね。夏の大祭とかあるから帰らなくちゃ」
「新幹線ですか?」
「いや、歩きだよ」
「山形まで!?」
「うん。一週間もあれば着くよ」
「それは、お気を付けてお帰り下さい」
「うん。じゃ、またね」
それで藤島さんは歩いて去って行った。その歩くスピードが凄い!と青葉は思った。
7月1日の午前中は、東京に出て、山手線を一周してみたり、西新宿の高層ビル群を見て、空間が歪んでいるのを楽しんだり!した。
完璧な「おのぼりさん」である。
13:30(サンフランシスコは前日21:30で練習が終わった所)、都内某所で千里と待合せする。それで一緒に雅楽器を扱っているお店に行った。
龍笛を買いたいと言って見せてもらう。
樹脂製の安い物(五千円)、花梨製や合竹製の3〜7万円のもの、人工煤竹の15〜30万円のものとある。
「天然煤竹のものは置いてないですか?」
と千里が訊いた。
「それは材料がなかななか手に入らなくて、予約も一杯なんで、店頭には置いてないんですよ。予約して頂いても実際お渡しできるのは数年後だと思います」
とお店の人は言っていた。
千里はそういう状況なら、自分の龍笛(高校に入った時、貴司の母・保志絵が買ってくれたもの:代金は結局払っていない)はかなりレアなものだったのではという気がした。
なお、ここで合竹(ごうちく)とは、竹の集成材である。同じ合竹という字を書いても「あいたけ」と読めば、笙の重音演奏の意味になる。人工煤竹というのは、新しい竹を人工的に燻製にして!乾燥させ、結果的に煤もたくさん付着させたものである。燻竹(くんちく:いぶしだけ)とも言う。中でも風呂釜の上部に長期間置いて乾燥と煤付けをしたものは品質が良いと言う。
(なお「人工煤竹」と称するものの中には、煤竹に似た色合いが出るように染料で染めただけのものもある。染煤竹と書かれている場合も。インテリアとして使用されているものはほぼ100%染煤竹)
千里が持っている龍笛の素材、天然煤竹は古い民家で、囲炉裏の天井にあって何十年も掛けて囲炉裏の熱で乾燥するとともに煤がついた竹を素材としたものである。同じようなものを本当に作るには数十年必要である。
あの龍笛の値段を保志絵さんは40万円と言っていたが、本当に40万円で買えたとは思えない。ひょっとすると、個人的に実際、長年煤を浴びた古い囲炉裏のある民家を知っていて、そこから材料を調達して、制作してもらったものかも知れない。それで値段が付けられないので適当に40万円と言っていた可能性もあると千里は思う。
千里が持っている龍笛について笛に詳しい《きーちゃん》は、竹自体の年数は80-90年経っていると言っていたので、多分ほんとうに天然煤竹なのだろう。《きーちゃん》自身は普段は花梨製の龍笛を使っているが、150年くらい使っているものだと言っていた。500年ほど使っている竹製の龍笛も持っているらしいのだが、千里は見たことがない。
さて、青葉は、あまり裕福には見えない千里と桃香が買ってくれるということもあって3万円の花梨製のものを選択した。実は震災で失われた、曾祖母の遺品でもあったという龍笛も花梨製だったらしい。
実際の展示されている個体を見てみて、青葉は最も「固有振動」の美しいものを選んだ。千里が思わず頷いてしまったので、青葉は
「ちー姉もこれいいと思った?」
と尋ねる。
「うん、なんか美しいと思ったよ」
と千里が言うと
「私もこれ波動が美しいと思ったんだよ」
と青葉も答えた。
それで買って、千里は現金で支払った。
「ありがとうね。その内お金は返すから」
「返す必要はない。私たちが買ってあげたんだから。まあ少し遅くなった誕生日のプレゼントということで」
「そう?じゃ本当にもらっておくね」
「うん」
千里は用事があるということでいったん別れる。18:00に再度会うことにする。
それで青葉は、それまでの時間、東京タワーに行き、展望台からの景色を楽しんだり、蝋人形館を見たりして完璧に「おのぼりさん」として時間を過ごした。
(千里は実際にはその間寝ていた!)
夕方18:00(サンフランシスコは深夜2時)に、千里・桃香と待ち合わせる。
まずは夕食を取る。夕食は新宿の少しおしゃれなレストランで取ったが、千里が予約を入れてくれていたので、金曜日の夕方で混雑しているのにすぐ座ることができた。
料理もオーダー済みだったのでメニューも見ていない。
「何か少し高そうな気がするのだが」
と桃香が言っているが
「バイト代入った所だから、私がおごるから気にしないで」
と千里は言っていた。
(実際に千里は月末に印税を受け取ったばかりである)
青葉は千里が毎晩深夜にバイトをしているようなので、龍笛も買ってもらったのに、こういう高そうなレストランでおごってもらって悪いような気もしたのだが、ここはおごられておくことにした。こういうのを遠慮しないくらいには青葉も朋子や桃香たちに鍛えられてきた。
料理はとても美味しかった。盛りつけや素材の組合せが、青葉の経験したことのないようなもので、都会のレストランって、センスが凄いなあと思った。
食事が終わった所で、千里はバイト先から呼ばれたと言って先に帰る。千里は夜間店長なんだよと桃香が言っていた。そういう肩書きが付いてると大変なんだろうなと青葉は思った。
それで桃香と一緒に、21時前に東京駅に移動した。ここでお土産や夜食・朝食!用のお弁当やパンなどを買う。
青葉が乗る列車は、列車は22:00発の寝台特急・サンライズ出雲である。千里は帰ってしまったものの、桃香が出発をお見送りしてあげると言っていたのだが、その桃香に電話が入る。
「どうしよう?」
と桃香が言っている。
「どうしたの?」
「バイト先からなんだけど、風邪引いて休んだ人が3人も居て、今夜のスタッフが足りないらしい」
桃香は電話受付のバイトをしているらしい。
「私はひとりで大丈夫だよ。行って」
「うん。じゃ悪いけど、行くね。青葉気をつけてね。夜は冷えるから充分着込んで寝たほうがいいよ」
と言って、桃香は青葉にホッカイロも渡してから、バイト先に向かった。
なお千里の「男性時間」であるが、6/28 16:00-26:00(10h) 6/29 20:00-23:00(3h) 6/30 18:00-23:00(5h) 7/1 4:00-5:00 13:30-15:30 18:00-21:00(6h) ということで、4日間でちょうど1日分使用された。
調整に悩んだ安寿さんも、切り替えてくれた奈美さんも、ありがとうございました、と千里は東北方面を向いて御礼を言った。それから、サンフランシスコに戻った。
なお6月30日の朝御飯は、実際には女性体の千里が葛西のマンションで作ったものを千葉のアパートに持ち込んだものである。千里は料理を置くだけですぐ帰ってしまった。女性体のまま千葉のアパートで作っていると、青葉に見られた時、変に思われる。
さて、青葉はその後、ひとりでホームで待っていたのだが、桃香が言っていたように、確かに夜は冷え込む。青葉は暖かいコーヒーが飲みたくなった。
それで荷物は置いたまま《海坊主》に見張りを頼み、下に降りて自販機を探していたら、バッタリと彪志に遭遇する。
「青葉、こんなとこで何してんの?」
「彪志こそ、こんなとこで何してんの?」
青葉は東京に出てきてイベントに出席し、その後、出雲の知り合いの所に向かうところだと言った。彪志は岡山に法事に行く所だということだった。
ところが彪志は急に飛び出してきたので、実は東京から岡山までに行く便が無くて困っているという。
「出がけに乗換案内見たら、新幹線で東京まで出てきたら、その先岡山に6:27に着く連絡があるように思ったんだよ」
「それはサンライズ出雲・瀬戸を使う連絡だけど、彪志切符は?」
「席は全部埋まっていて空きが無いと言われた。俺、てっきりその連絡、新幹線だと思い込んでいて。だから自由席に乗っていけばいいと思っていたんだよ」
「夜中に走る新幹線は無いよ」
と青葉は最近仕入れた知識で答える。青葉は新幹線などというのはこれまで無縁の乗り物だった。
「そうなんだよね。さっき21:20に出た新大阪行きに乗るべきかどうか迷ったんだけど、新大阪まで行ってもどうしようもないし。新大阪駅は夜間閉鎖するから、中で夜は過ごせないしね」
「サンライズのチケット、私持っているよ」
「え!?」
「さっき行ったように、私、出雲の知り合いの所に行くところだったから、サンライズ出雲の切符を持っているんだよ」
「でもそれ青葉が使わないと困るでしょ?」
「ところが私が持っている切符って、シングルツインという不思議なチケットでさ、ツイン仕様の部屋なんだけど、1人でも利用できるんだよ。だから、私その部屋に1人で乗っていくつもりだったんだけど、彪志、特急券だけ買えば私と一緒にその部屋に乗っていけるよ、岡山まで」
彪志は驚いていたが、少し考えるようにしてから言った。
「でも個室なんだろう?青葉と俺と一緒に乗っていいの?」
すると青葉は思わず笑って言った。
「検札に来たら私のお兄さんって顔してればいいよ」
「お兄さんか・・・」
「お姉さんでもいいけど、私の服貸してあげるし」
「それは無理がある」
それで2人は、みどりの窓口に行き、青葉が持っているシングルツインの指定券と出雲市までの乗車券を提示した上で、同じ部屋に“自分の兄”が岡山まで同乗していくことになったので、東京−岡山間の特急券を発行して欲しいと言った。
彪志も自分の持つ岡山までの乗車券を提示する。それで特急券を発行してもらえたので、ふたりはこの夜、個室寝台の同じ部屋で一緒に夜を過ごすことになったのであった。