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10月5日夕方、千葉。
千里がバスケット協会の行事を終えて16時頃、千葉のアパートに戻ると貴司が来ていた。
「おかえり」
と貴司が声を掛ける。
「ただいま」
と言って千里は貴司にキスをする。
「優勝おめでとう。これ買ってきたよ」
と貴司が言う。ケーキとシャンパンが用意されている。
「私未成年なんだけど」
「バレないって」
それで貴司がシャンパンを開け、グラスに注いで乾杯した。
「そうそう。これインドのお土産ね」
と言って紅茶の缶と、お菓子の詰め合わせを出す。
「あ、じゃケーキの後でそのお菓子は一緒に食べようよ」
「うん。そうしようか」
と言って千里も微笑む。
「それから、これ金メダルと、スリーポイント女王のペンダントにベスト5の時計」
「すごーい」
「貴司だからメダルにも触らせてあげるよ」
「凄いなあ。いいなあ」
と言って貴司は金メダルに触っている。
「ペンダントもきれいだね。スタールビーか」
「インドの名産品だからね。インドではそんなに高いものではないんだよ。だからわりと気軽に付けられる石」
「へー。時計も格好良いね」
「U18の時にもらったティソの時計は実用的なのだったけど、こちらはむしろデイリーユースって感じだね」
「これシンプルなデザインだけど高そう」
「まあ時計の専門店でガラスケース内に展示してある程度の価格かな」
「すごーい」
「そうだ。貴司の方も近畿総合進出おめでとう」
「ありがとう」
貴司たちのチームは9月13-14日に行われた大阪府総合選手権で準優勝し10月末におこなわれる近畿“総合”選手権の切符をつかんだ。そこで優勝するとお正月のオールジャパン(天皇杯)に出ることができる。
「今週末は実業団の方だね。そちらも頑張ってね」
「うん。頑張る」
近畿実業団選手権は10月2-3,9という日程で行われており、貴司たちのチームは2-3日に行われた1−2回戦では勝って準決勝に進出している。この大会で優勝することができると、来年秋の全日本実業団競技大会に行くことができる。
「私も貴司もオールジャパンに出られるといいね」
「うん。オールジャパンの予選は、高校の時も1度出たけど、あの時は1回戦負けだったから、今度はもっと上まで行きたい」
北海道では、インターハイ道予選のBEST4に入ったチームが北海道総合選手権に出場することができる。但しウィンターカップに出場する学校は総合には出ない。貴司は高校2年・3年(千里が1年・2年)の時にインターハイに出場したが3年生の時はウィンターカップにも出たので、北海道総合に出たのは2年生の時だけである。その時は千里は1年生で男子のベンチメンバーとして登録されてはいたものの、千里の性別が審議中であったため、自主的に辞退して結局千里はベンチにも座らなかった。
「もっと上じゃなくて優勝しなよ。そしてオールジャパンに出ようよ」
と千里は言った。
「千里って、いつもそうやって煽る」
「貴司って、バスケしか価値が無いんだから、もっと貪欲に行こう」
「僕ってバスケの価値しか無いの〜?」
「当然。貴司の95%はバスケットでできている。4%が女の子をナンパすることで、残りの1%が私への愛かな」
「千里への愛が30%くらいあると思うけどなあ」
「嘘嘘」
一緒に愛を確認し合って少し眠った後、20時半頃、アパートを出て千里が貴司をインプレッサで東京駅まで送っていった。千里は最初に乾杯した時だけしかシャンパンを飲んでいないので、もう酔いは覚めている。
貴司はインプの助手席に座って千里とおしゃべりをしながら携帯をいじっていたが
「あれ、フル代表の田原さん、監督を辞任するんだ?」
と言った。
「え?嘘!?」
「辞任理由は充分な成績を上げられなかったのでだって」
「だってあの厳しい選手陣容で、アテネ五輪と同じ10位になったのに」
「バスケ協会からはもっと高い順位を要求されていたのかもね」
「そんな無茶だよ。U20と日程がぶつかって私と玲央美が出られなくなり、白井さんの国籍問題が出てきて、黒江さんも怪我してしまうし」
「そういうの全ての責任を取らなければいけないのが、トップというものだよ」
と貴司は言った。
貴司を21:20発の新大阪行き最終新幹線に乗せて見送った後、千里は自分の車に戻ると、亜津子に電話した。
「なんでフル代表の田原監督、辞めちゃうの〜?」
「やはりそうなったかと思った」
と亜津子は言った。
「田原さんは、今回の代表選手を上層部の反対を押し切って決めた時、前回の2004年アテネ五輪の成績を上回ることができなかったら辞めますと約束していたらしい」
「でもその代表ラインナップは結果的に反故にされた訳でしょ?そもそも今回はアテネと同じ10位じゃん。しかもアテネは12国中の10位、今回は16国中の10位なのに」
「同じ順位ということは、上回ってないんだよ。それにね。田原さんはこの2年間代表監督をしていて、その間の協会上層部の迷走に、もう付き合いきれんと思っていた感じなんだよ、これ広川さんから聞いた話」
「確かに最近酷いよなあ・・・。でも後任はどうなるの?」
「田原さんが辞める以上、夜明コーチも当然一緒に辞める。富永さんはそもそも白井選手の代表資格問題を巡る揉め事の責任を取って辞める。つまりフル代表のトップが全員居なくなるから、この後どうなるか全く分からない」
「でもアジア大会は?目の前なのに」
「だから、今バスケ協会では大慌てで後任の監督探しをしている」
「誰がやるんだろう?」
「U20アジア優勝の篠原さん、U17世界で5位の城島さん、U18アジア準優勝の丸田さんに打診して全部断られた」
「3人とも高校のバスケ部監督だもん。ウィンターカップ目前なのに、辞められないよ。それに篠原さんと丸田さんは来年のU21,U19があるし」
「U24の東海さん、ユニバの須崎さんにも断られた」
「大学チームはインカレ目前だもん」
「更にWリーグの各チーム監督もNG」
「だって今週末からWリーグ始まるのに、チームから離れられる訳無い」
「困ってしまって、田原さんにアジア大会までやってもらえないかと言ったらしいけど、辞めると公表した人間が指揮を執るのはレームダックだと固辞されたと」
「いや、それは田原さんが正しい」
「ということで全く先が読めなくなった。トップが決まらないと代表選手も決められない」
「あぁ・・・」
「10月20日にはアジア大会に出る日本代表を発表しないといけないからね」
「なんか大変ね〜」
「他人事のように言わないように」
「はーい」
と千里は気のない返事をした。
10月6日。牧場の作業をしていた春美は、郵便屋さんが来たので、どーんと玄関に置かれた大量の郵便物の仕分けを始めた。
チーズやバターなどの注文葉書はそのまま読み取り機に掛ける。自動的に出荷指示書と宛名ラベルが印刷されるので、その先は堀川さんが処理するはずだ。個人宛の郵便物は個人用郵便受けに入れていく。牧場宛てのDMはDM入れに放り込む。英代さんが一通り眺めて大半はそのまま廃棄するだろう。春美の手がふと停まった。
家庭裁判所からの「真枝和志」宛ての手紙である。
開封する。
《申立人の名を「しずか」に変更することを許可する》
という主文が記載されている。
「やったね!しずか。これであんた正式に《しずか》になったよ。名前はもう女の子だよ」
と春美は、しずかが行っている学校の方に向かって言った。
10月7日。千里は朝1番の飛行機(羽田7:15-8:15庄内)で庄内空港に飛び、空港連絡バスと路線バスを使って、出羽の《いでは文化記念館》の所までやってきた。随神門を通り参道を30分ほどで登る(普通の観光客の足なら1時間掛かる)。三神合祭殿でお参りしてから、厳島神社の所に戻る。
「こんにちは〜」
と言って上にあがる。
「お参りした後、迷わずここに来たね。私さっきは奥の部屋で作業していたのに」
「そりゃ美鳳さんがどこにいるかは分かりますよ」
と千里は笑顔で言った。
「なんか不思議なものを持って来たね」
「インドに行ったら、***さんに会いまして。これを私と、私の妹になる人、私の姉になる人にといって頂いたんです」
と言って、千里はインドに持っていっていた旅行バッグから頂いた袋を取り出そうとして「え!?」と言った。
「どうしたの?」
「頂いた時は3粒しか無かったのに」
と千里は戸惑うように言う。
「水晶の珠が大量に入っているね」
「なぜこんなに増えたんだろう?」
「千里そこに何個入っているか分かる?」
「えっと、324個です。緑色のと藤色のとピンクのが同じ数だけあります」
「さすがさすが。これ、佳穂に加工させるよ。加工に半年くらい待って」
「はい。それは構いませんが、何に加工するんですか?」
「数珠だね。八宗兼用の形がいいかな」
既に穴も開けてある珠を数珠に加工するのに半年も掛かるとは思えない。恐らくどこかの神域に長期間置いて「神聖な空気」を染み込ませるのとともに、何か“プログラム”を設定するのだろうなと千里は思った。
「数珠なんて私、訳が分からないのに」
「まあでっかいネックレスだと思えばいいのよ」
「あ、それでいいんですか?」
「これはピンクのを使う子、千里の妹になる子がメインになる。千里と、姉になる人はその子を支えてあげればいい」
「へー」
「3つあるのは、つまりバックアップなんだよ。コンピュータのRAIDと同じ。ピンクのがやられたら藤色から復旧する。藤色までやられたら緑色のから復旧する」
「へー!」
「お寺関係のこともその子がよく知っているから」
「私、ナンマイダーとナンミョウホウレンゲキョウの違いも分からないのに」
「まあそういう人が多いよ」
「それと私が入れないお寺があるんですよ。山門で拒絶されちゃう所」
「あんたは神道体質だから、それは仕方ないね」
「ところでその私の妹になる人、姉になる人って、どういう人なんですか?」
「その妹になる子が中心。千里も、もうひとりの子も、その子と姉妹の契を交わすんだよ。それで結果的にもうひとりの子は千里の姉ということになる」
「はぁ。。。」
「その子とは既に知り合っているよ」
「そうなんですか?」
「実は妹になる子とも1度会ってる。覚えてないだろうけどね」
「あらら」
「ちなみにその子も生まれた時は男の子だった」
「最近そういう子多いような気もします。今はもう女の子なんですか?」
「本人はまだ男の子の身体だと主張しているけど、私もよく分からん」
「美鳳さんが分からないことってあるんですか?」
「おっぱいはあるよ。お股の付近は、あの子の師匠が見えないようにしている」
「怪しいですね」
「分からないといえば・・・」
と言ってから、美鳳は突然暗い顔をした。
「近い内に何か大変なことが起きる。たくさん人が死ぬ。でも私たちみたいな下っ端は何が起きるのか、教えてもらえないんだよ」
「人がたくさん死ぬって、戦争でも始まりますか?」
この時期、実は尖閣諸島中国漁船事件をきっかけに、日本と中国は一触即発の危険な状態にあった。実は“カメラが映していない場所で”王さんたちともそのことを話したのだが「日本人も中国人も充分賢いことを信じよう」と言葉を交わしていた。
「分からない。全く見当が付かない」
と美鳳は言った。
千里は話題を変えることにした。
「例の人からシュンガクさんに、天国でRCでも酌み交わそうと伝えてくれと言われたのですが、シュンガクって誰でしょうか?」
「瞬嶽というのは、高野山の山奥に籠もっている隠者だよ。山を下りてくるのは2年に1度くらい。人間なのに彼の力はとうに神様の領域に到達している」
「そんな凄い人が」
「瞬嶽、羽衣、虚空。この3人は凄い。既に人間辞めてる」
「そこに行って伝えた方がいいのでしょうか?」
「物凄い場所だよ。何重もの結界に守られているから、普通の人には辿り着けない」
「うーん・・・」
「しかも途中磁界が異常になっている領域があるから、ちょっとでも道を間違うと元の道に戻れなくなる。あの場所は方向感覚のいい人ほど迷いやすい」
「なんか恐い場所ですね」
「千里なら辿り着けるだろうけどね」
「私は普通の人ですけど」
「あんたはいつもそんなこと言う。でも例の人がそう言ったのなら、無理しなくても千里と瞬嶽の出会いは自然に起きるんだろうね」
と言って美鳳は微笑んだ。
「彼は、さっき言った、あんたの妹になる子のお師匠さんだよ」
「へー!」
千里は“新車を買った”と言って誰かを乗せたくてたまらない顔をした瀬高さんにその新車のランエボX-GSRで新庄駅まで送ってもらい、19:53の新幹線《つばさ132号》23:28東京着で千葉に戻った。
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娘たちよ胴上げを目指せ(16)