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■娘たちよ胴上げを目指せ(4)

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「そういえば私たち、チェンナイに来るのにデリー乗り継ぎで来たじゃん」
と玲央美は言った。
 
「うん?」
 
「昨年のフル代表はここに来るのにシンガポール乗り継ぎのコース使ったらしい。実は“飛行時間”ではその方が1時間ほど短い」
 
「へー」
「ところがそれで中国にも韓国にも負けているんだよね」
「うん」
「だからゲンかつぎで、違うコースにしたみたいだよ」
 
「協会もいろいろ考えるね〜」
と千里は少し呆れて言った。
 
「でもシンガポール乗り継ぎだと、飛行時間は短くても待ち時間が長いんだよね」
「ほほお」
 
「成田から朝一番のに乗ってもシンガポールでチェンナイ行き最終便に間に合わない。それで成田発最終便に乗ると午前1時にシンガポールに着いて、チェンナイ行きの始発は朝8時。今回私たちはデリーで3時間くらいしか待たなかった」
 
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「大変そうだ。やはり楽なのは良いことだ」
 

ところで、今回の部屋割りはこうなっている。
 
千里+玲央美/彰恵+百合絵/サクラ+留実子/江美子+純子/早苗+星乃/朋美+雪子/渚紗は通訳の長田さんと一緒。
 
後からチームに入った純子・留実子・星乃がチームに慣れるように、できるだけ相性の良さそうな子と組ませた感じである。雪子は今回はお勉強が主目的なので朋美が先生役として選ばれた。もっとも朋美は「私は雪子ちゃんのひらめきにはかなわない。私が雪子ちゃんに教えてもらいたい」などと言っていた。
 
千里と玲央美、彰恵と百合絵は、過去の経緯から固定の組合せである。
 

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朝食は6時半から8時までの間にということだったので、玲央美と一緒に食堂に降りて行く。ここで、日本チームに付いてくれるインド・バスケ協会のスタッフ、パリさんという人が紹介された。
 
彼女は身長184cm。タミル人であるが、お祖父さんがイギリス人であるため、その遺伝で高身長になったのではと言っていた。本来タミル人には背の低い人が多い。彼女のお母さんも175cmくらいあるらしい。お母さんは金髪碧眼らしいが、パリさん自身は黒髪・黒い瞳で、ふつうのタミル人の容貌である。肌の色を除くと結構日本人にも近い顔なので、成田空港で「日本人はこちらに並んで」と言われたこともあるらしい(流暢な日本語で「私インド人です」と答えたら「ここでジョークはやめて」と言われたとか)。
 
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「ついでに日本人男性に間違われることもある」
「まあバスケ女子はみんな性別を誤解されがち」
 
彼女はどうも身長だけお祖父ちゃんの遺伝が出たようだ。
 
彼女は高校時代、日本の茨城S学園に留学していて、篠原監督が同校のアシスタント・コーチをしていた時代に、女子バスケット部でインターハイの県予選などにも出場したらしい。つまり篠原監督の愛弟子である。高校卒業後はTS大で電子工学の勉強をする一方、インカレにも出たという。つまり彰恵たちの先輩でもある。日本で工学博士号を取ってインドに戻り、コンピュータ関係の企業に勤めているという。今回は大会中休暇を取ってサポートをしてくれる。
 
篠原さんも彼女が日本チームに付いてくれたので、ひじょうにやりやすいと言っていた。彼女はヒンディー語とタミル語・マラヤーラム語(と英語・日本語)ができるので、通訳も兼ねてくれる。彼女はタミルの出身なのでタミル語は両親が話すので身につけたし、英語はお祖父さんとお母さんが話すのに使っているのでやはり物心付いた頃から覚えたし、マラヤーラム語(お隣のケララ州の言語)を話す友人もいたのでそれも小さい頃から普通に使えた。つまりトライリンガルである。
 
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ヒンディー語は学校で「インドの標準語」として習ったので、日本人が使う英語のような感じで、精神的に集中していないと聞き取れないと言っていた。インドには実はそういう人が多い。かえって留学してから覚えた日本語の方がスムーズに聞いたり話したりできる。
 
「インドに戻ってきて以来、茨城の納豆が食べられないのが残念で」
などとも言っていた。
 
(後で千里が《てんちゃん》に調達させ《くうちゃん》に転送してもらって、『サトウのごはん』と一緒に彼女に渡してあげたら感激していた)
 

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朝食はバイキング方式で自由に取ってよいようである。並んでいるのは南インドの料理としては有名なサンバル(野菜のスープ)とイドゥリ(米粉の蒸しパン)や、それを更に油で揚げて揚げパン風にしたものもあるし、普通に西洋風のパン、豆のスープに鶏の唐揚げ?っぽいものもある。更にお米の御飯もある!当然、カレーもある。
 
そもそも南インドの主食は米である。ただし米をそのまま食べるよりはイドゥリなどのように、いったん米粉にしてから調理するものが多いようである。
 
南インドのお米は粒が短く、日本のジャポニカ種に似ている。また南インドのカレーは汁気が多いのが特徴である。留実子などは御飯にカレーを掛けて「カレーライス」にして食べていたが
 
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「うん。充分カレーライスの範疇」
などと言っていた。
 
早苗などは普段から朝御飯はパンが多いということで、西洋風のパンとサンバルという組み合わせで食べていた。サンバルは日本でいえば味噌汁に相当する、南インドの常食スープである。
 

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「食器がステンレスとプラスチックばかりだね。陶磁器は無いのかな」
という声があがる。
 
「インドでは陶磁器は土から作ったものなんて不浄という考えなんですよ」
 
とパリさんが言う。
 
「なるほどー」
 
「それに日本みたいに水が豊かな訳では無いから、陶磁器の食器は洗うのも大変なんですよ。ちなみにプラスチックの食器は1度使ったら捨てます」
「もったいない」
 
「いや水の無い地域では、そうしないと衛生を保てないんだと思うよ」
と彰恵などが言っている。
「そっかー」
 
「生水は絶対に飲むなと言われたもんね」
と江美子。
 
「はい。絶対飲まないでください。インド育ちの私などは平気ですけど、日本人の胃には無理だと思います」
 
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「それ、軟水・硬水の違いもありますよね?」
「それもありますし、やはり浄化の度合いがまるで違いますよ」
 

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紅茶を飲んでいた早苗が
「これニルギリかな?」
と言う。
 
「ええ。ニルギリと書いてありますね」
と、書かれているタミル文字を確認してパリさんが言う。
 
「ニルギリはここと同じタミル・ナードゥ州ですが、ここから500km離れています」
 
「同じ州なのに、そんなに離れているんだ!」
「東海地方まるごと、ひとつの州みたいな感じ?」
「その4倍。中部地方と東北地方をくっつけたくらいの面積かな」
 
パリさんとは色々話している内にお互い友だち言葉になってきつつある。
 
「いや、それひとつの国にしていい」
 
「政治的な意図無しで言いますけど、実質タミルはひとつの国だと思います。言葉も文化も北インドとはまるで違いますから」
とパリさん。
 
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「ケララカレーもこの付近だよね?」
「ケララ州はここの西隣の州。私ケララ州の言葉(マラヤーラム語)も使えますよ」
「お隣さんか〜!」
 

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「このチェンナイって、昔はマドラスって言ってたんでしょ?」
 
「そうそう。英語風の名前をいくつかインド風の名前に変更したんだよ。チェンナイ(Chennai)は元のマドラス(Madras)、ムンバイ(Mumbai)は元のボンベイ(Bombay)。コルカタ(Kolkata)は元のカルカッタ(Calcutta)」
 
とパリさんの方も完全に友だち言葉になってきた。
 
「全部インド語になった訳?」
「チェンナイはタミル語、ムンバイはマラーティー語、コルカタはベンガル語。インド語という言語は存在しないのよね。インドは多民族国家。公用語が22個あります」
 
「それみんな話せるの?」
「無理。だから結局英語がいちばん通じる」
 
「うーむ・・・・」
 
「チェンナイってタイにも無かったっけ?」
「それはチェンマイ(Chiang Mai)」
と玲央美が言う。
 
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「うっ」
 
「マドラスって水夫さんの語源?」
「それはマドロス(matroos)だ」
と今度は彰恵が指摘する。
 
「あれれ?」
 
「カルカッタって、昔なぞなぞに出てたやつ?」
「そうそう。何を持っても重くない町ってどーこだ? カルカッタ(軽かった)」
とパリさんが言っている!
 
「ボンベイといったら『ボンベイ最後の日』の?」
「それは『ポンペイ最後の日』」
と江美子。
 
「むむむ」
 
「イタリアのがポンペイ(Pompeii)、インドのがボンベイ(Bombay) 」
「難しい」
「関東の県が『いばらぎけん』で、大阪の市が『いばらきし』だったっけ?」
「え?逆じゃなかった?」
 
「あれはどちらも濁らないのよ。『いばらきけん』(茨城県)『いばらきし』(茨木市)」
と茨城県に住んでいたパリさんが言う。
 
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「うっそー!?」
 
「でも地元の人でもけっこう濁音派・清音派が混じっていたよ」
とパリさん。
 
「やはり」
 

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「チェンナイはエンゲルベルト・フンパーディンクの出身地だね」
とパリさんが言う。
 
「あの人、インド人?」
「イギリス人だけど、お父さんがインドで仕事をしていた」
「そうか。インドは昔イギリス領だったから」
「あれ?私ドイツ人かと思ってた」
 
「あの人、本名はアーノルド・ドーシーと言って、エンゲルベルト・フンパーディンクというのは同名のドイツの作曲家の名前を名乗った芸名だよ。元ネタの人は歌劇『ヘンゼルとグレーテル』の作曲者」
とパリさんは解説する。
 
「エドガー・アラン・ポーにちなんで、江戸川乱歩を名乗ったようなものかな」
と彰恵。
「ふむふむ」
「ドリフターズもアメリカの同名グループの名前から採ったものだね」
「へー」
 
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「チェンナイはピート・ベストの出身地」
「誰だっけ?」
「ビートルズの元メンバーでドラマー。音楽性の違いで解雇されてリンゴ・スターに換えられたんだよ」
「ああ、そういえばそんな話を聞いた」
 
「音楽性の違いって便利な言葉だ」
「私たちもバスケット感覚の違いでチームから外されたりして」
「いや〜〜!!」
「でもそれ結構あるよ。別のチームに移動したら凄く活躍する人っているもん」
「確かに確かに」
 
「チェンナイはビジャイ・アムリトラジの出身地」
「テニス・プレイヤーの?」
「そうそう」
「私、俳優かと思ってた」
「まあ007とかスタートレックとかに出たね」
「その人はインド人だね?」
「うん」
 
「クリシュナムルティとかサイババとかもこの辺りだっけ?」
「クリシュナムルティはチェンナイ近郊のマダナパルという所。でもあの人はインド人というより世界人だった」
とパリさん。
 
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「サティヤ・サイババは北隣のアーンドラ・プラデーシュ州、プッタパルティという所。ここから車で8時間くらい」
「結構遠いね!」
 
「日本人やヨーロッパ人など、お金のある人はチェンナイからバンガロールまで飛行機で1時間飛んで、そこから更にバスとかタクシーで3時間。チェンナイから飛行機使うツアー、バスだけで頑張って行くツアー、どちらもあるよ」
 
「そういえば、ここまで来た飛行機の中にも、なんかそれっぽい人たち居たね」
 
「以前はサイババの私設空港があって、チェンナイからの便もあって便利だったんだけどさすがに採算が取れなかったみたいで、現在は運休中」
 
「私設空港!?」
「そこまでやるのは凄い!」
 
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「日本人には無い発想だよね〜。大**法さんもそこまではしないだろうし」
とパリさんは笑っている。
 
「ここチェンナイにもサイババのアシュラム(お寺)はあるよ。実はこのチェンナイの水道はサイババの主導で作られたものなんだよ」
とパリさんが言う。
 
「そういう社会貢献もしてるんだ?」
「出発前に町村さんが、チェンナイは水道普及のプロジェクトが民間資本で行われたとか言っていたけど、それをサイババが主導していたのか」
 
「むしろサイババの活動の半分はそういう公共への貢献。学校とか病院の建設にも貢献しているよ。本当に偉い人だよ」
とパリさん。
 
「そんなに偉い人だったのか」
「ただの怪しい人かと思ってた」
「インドでは首相より人気あるかもね」
「なるほどー」
「なんか最近、インドの首相はコロコロ変わってますね」
「まあそれでまた選挙なんだけどね」
「それで私たちの大会の日程も変わっちゃったのか」
「ごめんねー」
 
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