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■女子高校生・3年の冬(16)

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「きみちゃん、通学服はスカートにしよう」
「やだ」
 
もっとも彼も高校3年間にだいぶ“教育”されて精神的な女子化が進んでいる。最近は家の中ではスカートを穿いていることもある。
「ズボンが見付からなかった」
とか言っているが。
 
彼は胸があるからブラジャーは必要である。パンツについても「オーロラに乗せられた」と言って、もうずっと女の子用ショーツを穿いているようである。更に彼はとうとう生理が再開した(前述)。
 

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しかし公世がなぜ女性化されていったのかはどうもよくわからないようである。本人が特に望んでいたということでもないようだし。オーロラに訊いてもよく分からないと言っている。何かの都合で睾丸を取り外されたことはあるものの用事が済んだら元に戻したはず、とオーロラは言っていた。
 
でもひょっとすると、女の子になりたがっていた他の誰かと間違われたのかもなどとも言っていた。確かにそれはありそうな話だ。
 
全中の時は玖美子が「女の下着を着けたらリビドーのパワーで強くなる」などといって女物を着せていたが、それで性欲が刺激されるのは本人の意識が男で睾丸があることが前提のはずである。睾丸を取り外してしまうと元も子もない。
 
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ということで、やはりよく分からない。
 

「充分な長さになるから女の子とセックス出来るし、オナニーすれば精液が(女子の位置の)尿道口から出てくるからそれで人工授精すれば子供も作れる。女性との結婚に支障は無いはず」
 
バストがあることを気にしない人ならね。でもそれ以前に・・・
 
「睾丸が無いから精液に精子が含まれないと思う」
 
「中学時代に採取して冷凍保存した精液もあるよ」
 
つまり彼は中学時代には睾丸があり男性機能も持っていたことになる。ただ何らかの原因で彼の男性ホルモンはあまり効いてなかった可能性はある。(男の娘の多くがそうだし)
 

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3月27日義浜ハイジは自身が本当に産む子供としては2人目、書類上は3人目の子供となる女の子を出産した。きーちゃんの希望により“愛”と名付けられた。本当は2003年12月に死亡した佐藤小登愛(おとめ)の4人目の子供である。
 
小登愛の子供たち
従姉妹の音香 2005.05.17 理住
義浜ハイジ 2006.03.30 小弓
義浜裕恵 2008.01.08 登志恵
義浜ハイジ 2009.03.27 愛
 
霊的な力は隔世遺伝するので、きーちゃんはこの子たちの誰かの娘に
強い霊力を持つ子が現れるのではと期待している。70年くらい後?に
千里が死んだ後はその子と遊ぶつもりなのである。
 

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3月27日、イーグレット美術館の引越作業が終わったので白井館長と千枝子さんも含めて美術館のスタッフとイーグレットのメンバーを千里の家に招き打ち上げをする。富良野シャンパン(飲まない人は播磨サイダー)で乾杯したあとに焼き肉(姫路牧場の但馬牛)をしたが「広い家ですね」とみんな感心していた。
 
「お肉も美味しい」
「シャンパンも美味しかった」
 
お酒は、母里酒造の日本酒、六甲ビール、富良野ワイン、と出した。お酒に関しては千里は関われないので、きーちゃんに管理してもらった。(富良野ワインは北海道新鮮産業から買ったもの。六甲ビールはプリンセスから買っている)
 
「しかしこんな広い家に住んだらお掃除するだけで一日終わってしまう」
「こういう家にこそルンバだよ」
「うちはルンバ2台使ってますよ」
と千里は言う。
 
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住宅用と道場用である。
 
「2台必要なのか。凄い」
 
この2台は4月からここに住む美穂たちのために残していくことにしたので、京都南邸には新たに2台買った。
 
「うちとかはルンバ様がお通りになる道を作るのに1ヶ月かかりそう」
「ああ。うちも障害物だらけだ」
 

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なお新美術館のレイアウトだが、1階はエントランスに西村南風さんの彫像12体、そして安井一三さんの絵画の部屋、トーマス・マックナイトの版画の部屋、それにショップ・レストラン。
 
2階は東日本、3階は中日本、4階は西日本の人形やおもちゃ、そして5階にはイーグレットの工房(現工房をここに移転)、イーグレットの紙人形の展示コーナー、兵庫県内の民芸品、そして二十八部衆の部屋である。
 
全国の名物料理の写真は2−4階の廊下に展示する。
 
2階には、こけしの部屋とだるまの部屋がひとつできたし、3階には常滑焼きの部屋ができた。また単独の部屋までは作らないものの、仙台の堤人形、各地の市松人形、木目込み人形、京都の伏見人形、奈良人形、博多人形、長崎県の古賀人形、宮崎県の佐土原人形などは各々大型の縦型展示ケースを1〜3個占有する。木目込み人形は産地によらず2階に、市松人形は産地に寄らず3階に集めている。また2階のだるまの部屋も全国のだるまを集めている。ほかに4階に作った手鞠の部屋も全国の手鞠を集めた。
 
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各々の人形や玩具は必ずしも産地で買ったものとは限らない。一般にこの手のものは人からお土産にもらったというものが多い。秋田のなまはげ人形は宮崎の一般家庭に5種類あったものを買い取っているし、北海道の木彫りの熊は長崎県の一般家庭に3種類あったもの、博多のちゃんぽん(長崎ではほぼ同様の物がビードロと呼ばれる)は金沢の一般家庭から買い取っている。ちゃんぽんは毎年秋(筥崎宮の放生会)に数量限定で販売されているものでとても入手困難である。北海道の熊は現在はほとんど制作されていない。どちらも入手できたのが幸運だった。なまはげは時代によって顔が違うのでその変遷を見られるのは貴重である。しかも前橋が買った人は各々の入手年を記録していた。
 
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また2階には、段飾りの雛人形を展示する部屋も作った。東京の人形メーカーの作品であるが、実は佐賀県の一般家庭から前橋が20万円で買い取ったものである。1960年代に販売されたものである。「うちに古い雛人形があるけどもう40年くらい出してない。うちは子供も孫も男の子ばかりで」と唐津の民芸品店の50代の女性が言っていたので「ぜひほしい」と言って買い取ったものである。
 
値段は当時多分10万くらいで買ったものだと思うと言ってたが、「当時は100円でラーメンが食べられた。今は600円くらいだから6倍で」と前橋が60万を提示したが女性は「それはもらいすぎ」と言い40年経過でマイナス40万といって20万円にした。
 
一部のお道具が紛失していたものは、メーカーに頼んで補充してもらった。メーカーの人も「こんなによく保存されているのは珍しい」と言っていた。1965年の製品らしいが現在販売しているものとは人形の顔が違うので人形が紛失していたら補充できないところだったらしい。でも人形自体は全部そろっていたし、あまり傷んでなかった。
 
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また5階にウルトラマンの怪獣などのソフビ人形の部屋も作っている。これも前橋が仙台で「孫が生まれて赤ん坊が口に入れたら恐いから何とかしてくれと言われている」と言っていた50代の男性から100万円で買い取ったものである。男性は「多分1000個くらい」と言っていたので1個1000円として100万円出したが展示の際に美術館スタッフが正確に数えてみたら1132個あった。まあ、ゴミに出される可能性濃厚だったものだから、いいだろう。
 
このほか前橋は同様にして捨てられそうだったもので、超合金200点、めんこ500点、ビー玉300点、おはじき100点、チョロQ100点、プラレールの機関車100点、シルバニアンファミリー100点なとを各々数人の人から買い取ってきてくれている。しかし概して物持ちがいいのは男性のようで女性はわりとあっさり子供の頃のオモチャや人形は処分してしまった人が多いみたいと前橋は言っていた。なお、プラレールのレール自体は現在のものを使って男性の美術館員が数人で楽しそうに組み立てていた。
 
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この他、5階には日本の人形ではないが、フランス製のビスクドールを10体展示する部屋を作った。これは白井さんの奥さんの友人がこの機会に寄託したいと言ってここに並べることにしたものである。一般家庭では実は置き場所に困りつつあったらしい。
 
「うちの人が社長してた時は広い家に住んでたけど、5年前に3LDKに引っ越してから飾るところが無くなってずっと箱に入れていた」
「引退すると色々辛いよね」
 
イーグレットの紙人形工房は、美術館内に新たな工房を作ったので、現在の工房は更地にして売却する。実はそれで旧美術館の建築の時に銀行から借りたお金の未返済残高が半分くらい返せそうなのである。
 

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“東の千里”ブレンダは自動車学校を卒業したあと、3月28日夕方に大阪で男装して!貴司と会い、翌日の昼まで、淡路島への夜間ドライブを含む長時間デートをした。アイリーンはその様子を山崎司令室で見ていた。貴司はこの時期、千里と別れて他の女性(聖道芦耶)と恋人になろうとしていたが、このデートで完全に千里に戻ってしまった。
 
「貴司って実は男の娘が好きなのでは?」
とアイリーンは訊いた。
「その疑いは結構昔からある。女のガールフレンドとは半年以上続いたことがないのに。千里とはもう6年近く続いているからね」
とジェーンも言った。
「だったらきっと男装の千里にくらくらと来たんだよ」
「あり得るよねー」
 
ブレンダはその後新幹線で千葉に戻り30日には免許センターで学科試験を受けて運転免許を取得すると、交通事故を起こした毛利五郎を救援した後、引越作業のためいったん北海道に戻った(4/6に千葉に戻る)。
 
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3月31日の夕方から、留萌三泊P神社では桜プロジェクト3年目の納会が行われた。
 
去年・一昨年と同様に、神居酒造の一斗樽で鏡割りをして、ここまで事業が比較的順調に来たことへの感謝と、今後のご加護を祈った。千里はみんなにうなぎのセイロ蒸しを配った。
 
「この時期にうなぎとは珍しい」
「うなぎの旬は冬ですよ」
「そうだったの!?」
「ただ夏の土用の丑でたくさんウナギが売れるから養殖場ではみんな季節をずらして夏に出荷できるように育ててますけどね」
「なるほどー。ハウス栽培で旬が分からなくなった野菜と同じだ」
 
「これうな重とは少し違う気がする」
「九州だけで見られる“蒸籠(せいろ)蒸し”というお料理です」
「へー。初めて見た」
「使用した鰻は種子島産です」
「種子島の近くの海で泳いでたの?」
「種子島の養殖場で育てたものです」
「なるほどー」
「うちでもウナギ養殖する?」
「何も北海道でわざわざ暖かい海の魚を育てる必要はないと思う」
 
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「日本でアルミニウムを製造するのは、北海道でサトウキビを育てようとするようなものだ、とかいう言葉がありますね」
と千里は言った。
 
「どういうこと?」
「日本は電気代が高すぎるんですよ。だから国内のアルミの製造プラントは今風前の灯火になっています。大手のアルミ会社もみんな中国やオーストラリアからの輸入です」
「まあそもそも日本ではボーキサイトが採れないからなあ」
「根本的な問題ではありますね」
「どんどん日本は首根っこを中国に押さえられつつある」
「農産物の自給率が何%とか言ってるけど肥料の原料が中国からの輸入に頼ってるし」
 
「まあでもぼくたちは桜鱒だけで」
 
「もし魚種を増やすとしたら、スケソウダラ(*26)あたりは可能性あると思う」
「それ田島君、少し研究してみてくれない?」
「分かった」
 
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千里もスケソウダラは行けるだろうと思った。白石たちもニシンでは苦労していたが、スケソウダラのほうはトラブルが少なかったようである。
 

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(*26) スケソウダラと言ったりスケトウダラと言ったりするが方言の範疇だと思う。筆者が青森県に住んでいた頃は、みんなスケソウダラと言っていた。スケトウダラという言葉は九州に引っ越してきてから初めて聞いた。漢字では介党鱈・介宗鱈などと書くようである。
 
 
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