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秋祭りが終わった後の1t月上旬、忙しい中申し訳なかったが、千里は万奈に頼んで祠(ほこら)をひとつ作ってもらい、留萌のA町の御旅所に設置した。祠の材料は留萌山中に生えていたトドマツで、ミンタラ製材所の留萌支所で乾燥・製材している。朱塗りの塗装をした。
作業は滝野と数人のキツネの男の子(大力工務店二部:すぐ下に後述)も手伝った。狐の子は主として朱塗りの作業に使った。メインで塗ったのは小糸の彼氏・銀次である。
姫路の家に常駐している雑用係のお狐さん、小糸が妊娠したので千里は彼女をしばらく産休とした。キツネの妊娠期間は約2ヶ月であるので多分1月くらいに子供が産まれる。その間雑用をしてもらうのに留萌から小鴨を呼び寄せた。彼女はP神社で雑用係をしている小鳩の姉妹である。新早川ラボの仕事をしていたがそちらには別の子を入れる。
留萌の山中にはP大神がA大神の協力のもとに運営しているお狐さん用コンドームの製造工場があり、そこで働いているお狐さんが20人(匹)ほどいるので、その中の女子の誰かに早川ラボには入ってもらう。
兵庫県の篠山市(後の丹波篠山市)にあるK社の(人間用9コンドーム工場で働いているキタキツネが数匹いるし、篠山市では千里の農園で働いているキツネたちもいるが、今回は篠山グループは使わない。
なお小糸の彼氏・銀次は姫路市の隣の福崎町に住んでいるキタキツネである。彼らは福崎町にキタキツネの男の子(一部男の娘)20匹ほどで千里が用意した寮に住んでいて“針間工務店二部”(→大力工務店二部)と称して九重たちの助手をさせている。主として、塗装とかワックスとか、障子や襖貼りなどで使っている。電気工事とか水道配管などもしている。篠山グループのキタキツネの女の子たちの遊び相手に集団を維持しているが、小糸のハートを射止めたようである。
なお小糸の出産後は睾丸を取るのとコンドームを使うのとどちらがいい?と聞いたらコンドームを使いますということであった。
「睾丸を取れば生でセックスできるよ」
「いえ。必ずコンドームを使いますから」
彼らはしばしば千里に雑用(荷物持ちなど主として簡易な力仕事)にも使われていた。
女の子グループと男の子グループは、定期的にお見合いパーティーも開いてあげていた。
なおレイプは未遂でも去勢と宣言しており、ほんとに去勢された子もいる。
もっとも女子たちからは「レイプなんて死刑でもよかったのに」と非難され、九重たちからは「お前単純にチンコ消されただけで良かったな。勾陳さんなんて、刀で切り落とされたのに」と言われ、ぞっとしたらしい。
彼は男の器官を失ったので仕方無く一時期女の服を着てたが、他の男の子から言い寄られて困ったらしい。いっそ女の子にしてあげようかと言ったが、それは嫌らしかった。男の子は手や口で逝かせてあげるなどと言っていた:男の娘として適応していた気がする。男ばかりの集団には男の娘の需要は大きい。
でも彼はのちに、レイプの相手の女の子が崖から落ちたのを命懸けで助けに行き(ただし最終的にはふたりとも九重に助けてもらった)、感激した彼女から許してもらった。それで彼女の願いにより千里が男性器を復活させてあげて彼女と結婚した。
千里は他に岡山県の八橋村や真庭市・津山市などに農園を持っている。峠の丼屋さんも出している(働いているのは人間)。真庭市や津山市では猪もよく獲れる。津山市には“つやま和牛”などを飼っている牧場も幾つかあるがここで働いているのは主として“中国組”特に岡山付近に居るのは吉備組である。
牛の世話は狐の手には余る。中国組は猪の捕獲とか営林作業もしている:彼らのレクリエーションである。主人の居ない精霊は精霊狩りに遭いやすいので関西組の紹介で千里の配下に入った。千里に挑んできた彼らのリーダー格のひとりを千里が屈服させたし、また女の龍が死にかけていたのを助けてあげたこともあるので、多くの子は千里を神様か何かと思っているようである。“権現様”と呼ばれていたりする!
中国組の中で広島付近に居る子は安芸組、島根付近の子は出雲組というが石見組・伯耆組という言葉はあまり使われず“中国組”にまとめて分類されている。
千里は西日本新鮮産業と共同で長野県にも牧場を持っているが、そちらは乳牛が主体である。また働いているのは人間である。播磨地区、岡山や広島のは肉牛である。また場所が、とても人間には到達できないような山奥である。
お狐さんでは2006年3月に生まれた小町の子供たちももうお仕事ができる年になっているが、小町は幡多の苗字を名乗っているので、小糸と同じ深草の苗字を名乗っている小鴨を召喚した。小糸と小鳩・小鴨はどちらも小春の養女というだけで血縁関係は無いが“姉妹の契り”をしたらしい。
(小糸は姫路系深草一族の始祖、小鳩・小鴨は留萌系深草一族の始祖になる。小春の系統が小糸系と小鳩小鴨系に別れるのである)
ちなみに小糸はヒグマに襲われて瀕死の重傷を負っていたのをRが助けた子。小鳩は野犬(のいぬ)に襲われそうになっていたのをVが助けたものである。小鴨はその姉妹。
11月15日(土)、姫路の立花K神社(北町社)ではこの日は七五三の参拝客がたくさん来て、和也が御祈祷をした。上町社にも15,16日の2日間は花絵が朝から夕方20時まで滞在し、ご祈祷の依頼に応じた。
「神主さんは、北町神社の宮司さん(きっと和也のこと)の奧さん?」
「いえ、姉です」
「ああ、ご姉弟で神主さんなさってるのね」
北町社の宮司はまゆりで和也は禰宜(ねぎ)なのだが、多くの人が和也を宮司と思っている。ちなみに上町社も宮司はまゆりの兼任である。ただし花絵がここの禰宜になっている。
北町社:和也が禰宜、花絵は権禰宜
上町社:花絵が禰宜、和也は権禰宜
上町社は宮司・禰宜のトップ2が、いづれも女性である。境内の小さな池(周囲10m)に弁天様が祀られているので、この神社自体を“立花弁天社”とタウン誌で紹介されたこともあるが、そのような名前は少なくとも正式のものではない。しかし「女性の神主さんが居る、女の神様をお祭りする神社」などと紹介されて以来、女性の参拝客が増えた。ブログなどでもよく取材されている。黒ちゃん・白ちゃん(本猫たちの自己申告ではシュワルツとヴァイス)が狛犬の台座に座っているところもよく撮影されている。
県北部や阪神地区からもわざわざ参拝者が来ているようである。安産祈願や良縁祈願などの祈祷依頼も多い。豊受姫が御祭神だから“女の神様を祀る神社”というのは正しいが弁天様ではない。
なお弁天様を祀る池の周囲には転落防止のため、透明アクリルの壁が作られている。水深は30cmもないので、子供でも溺れることはないとは思う。
この池の水は有明川の分流・立花川(北町社の境内も流れている)の水が流れ込んでいるのでかなり衛生的である。この立花川は元々江戸時代に水道として作られた物であり、簡易な浄水装置も経由している。昭和初期には北町社の少し北側に本格的浄水場も作られた。現在は操業していないが、浄水用の池や砂利層などは通過している。北町社の境内でこの水を“名水”として汲んでいく人もあるので北町社境内では時々保健所の検査も受けているが水質はとてもよい。それが更に1kmほどの側溝を流れて上町社の池に辿り着くが、衛生度は充分良好だと思う。この側溝や上町社の池自体も実は立花川の一部である。また立花小学校ではこの川の水を導き入れた池で金魚などを飼っている。
また上町社の中には明治期に作られたガラスアートの下を通過する部分があるので太陽熱で暖められ、池の水温は冬でも20℃以上ある。また、この池の水を利用して境内の花園も維持されている。
11/15当日は北町社・上町社の双方で万代堂謹製の千歳飴(ちとせあめ)を売る店を出した。また来年のえとにちなみ、牛の人形を売る店も出した。また鯛焼き・たこ焼き・風船・お面また種々のおもちゃなどを売る店も出ていた。
千里は3丁目工務店の職人さんたちのリーダー格になっている伊東さんに協力を求め“3丁目実業”という会社を作った。伊東さんにここの社長になってもらった。
この会社で最初にやったのは、姫路駅近くの裏通りにあった簡易宿泊所(いわゆる“ドヤ”(*13))のひとつがもう営業を辞めようとしていたのを経営者から買い取り、営業を継承したことである。ついでに近隣地を買収して2号店・3号店を作った。ここの宿泊料金は1泊500円でカップ麺1個付きである。お茶は自由に飲める。実を言うと上町神社の浮浪者対策なのである。
(*13) “やど”(宿)を名乗るほどもないのでひっくりかえして“どや”と言う。この手の逆さま言葉にはこのようなものもある。“倒語”で検索するとたくさん見つかる。
昔の漫画『キャッツアイ』には倒語が多用されていた。また1980年代の“ギョーカイ用語”には倒語が多かった。なおこの手の言葉には死語になる速度が速いものも多い。
種(たね)→ネタ
場所→ショバ
びんぼう→ボンビー
しろうと→トーシロ
そっくり→クリソツ
サングラス→グラサン
銀座→ザギン
マネージャー→ジャーマネ
ちんぽこ→ポコチン
きんたま→タマキン
まんこ→コーマン
おっぱい→パイオツ
ホモ→モーホー
「カチャ」(動作音)→チャカ(拳銃の関西での隠語:関東ではハジキと言う)
角袖(略して)「カデ」→デカ(私服警官)
探す→「サガ」→「ガサ」→「ガサ入れ」(家宅捜索)
「ダフ屋」の「ダフ」とは「フダ」の倒語
女→ナオン→ナオ助(この言葉は更に「スケ」と略され元の音が消滅してしまったが、“なお助”が女親分を意味した時代もあった)
実は上町社がきれいに整備されて快適な環境になりすぎたため、ここに野宿する人たちができてしまった。野宿できないように、いわゆる“排除アート”を導入してはどうかという提案もあったが、例えば地面に鋲を打つなどの対策では、結果的に車椅子やベビーカーも通れなくなってしまうし、突起のあるベンチは年寄りも休憩できないことから反対意見が多かった。それで、そのようなハード面の対策ではなくソフト面での対応をすることにした。
自治会の人たちが3丁目工務店のメンバーと一緒に自警団を組織し、浮浪者の追い出しを始めた。しかし追い出しても行く所が無いとすぐ戻って来るので、簡易宿泊所に連れて行くことにしたのである。ドヤに泊まるお金も無いという人には仕事を探す条件で五百円玉をあげた。
あわせて境内の片隅と簡易宿泊所のそばに“お仕事ステーション”を作りお仕事を紹介することにした。彼らを家の解体作業や森林の開墾作業、(熊の餌の)どんぐり集めなどに動員する。開墾やどんぐり集めは播磨地区や岡山県・広島県の山間部でおこなったが、各々の体力・腕力に応じた作業をしてもらうので、女性や高齢者、デスクワークしかしたことのない人でもわりと何とかなる。山中で作業していて万一ツキノワグマなどが出たような場合のガード役には吉備組・安芸国の子たちを交代で動員した。
捕まえた熊や猪はその場で焼いて食べたが、浮浪者組も分けてもらって恐る恐る食べていた。
「熊って結構美味しいね」
と言っていた。
解体や開墾は1日7.5h(1.5h労働0.5h休憩のセット×4)週休2日で、労賃は1日1万円である(当日支給5000円+約束給与5000円:1週間継続して仕事してくれたら25,000円払う)。また開墾後はそこに豚・鶏などの飼育舎を建てる作業、更に豚などを飼育する作業にも動員した。
「ツキノワグマの飼育場もあるけど。ここの1.5倍払うよ」
「いえ、豚さんが好きです」
彼らの中には途中でもっと割の良い、高速道路などの建築作業に移った人たちもあったが、出発点は浮浪者対策なので全く問題無い。
後には大阪などのドヤ街から流れて来た人や外国人労働者なども入ってきた。外国人っぽい人たちは、ビザの確認を徹底した。密入国者やオーバーステイは弁護士を付けて、ちゃんと労働できる状態にするか、不法滞在期間が長すぎるなどで無理な場合は帰国費用を出してやって帰国させた。自主帰国していると、再度日本に来たい場合の入国禁止期間が短くて済む。
京都の“司令室”用の物件については比較的時間の取れるyに京都付近を歩いてもらいどこかに適当な空き家が無いか探してもらった。すると11月中旬になって京都近郊の大山崎町(おおやまざきちょう)に30坪ほどの潰れた飲食店を見つけてくれた。
山崎というと、羽柴秀吉が明智光秀を倒した山崎の戦いがあった地であり、サントリーの山崎蒸留所のあるところとしても名高い。古くから名水のある地として知られていた。現在の行政地域は京都府大山崎町と大阪府島本町に別れており、サントリーの蒸留所は島本町のほうにある。
山崎蒸留所の設立者は元は宝酒造にいた竹鶴政孝という人で、スカウトされてサントリーに移ってきて、10年かけてこの蒸留所を立ち上げた。10年間の契約終了後は北海道に渡り、ニッカウイスキーを立ち上げた。元々蒸留所を作る時竹鶴はスコットランドと気候が似た北海道でやりたいと言ったが、自らもウィスキー造りに適した地を求めて全国歩き回ったサントリーの鳥井信治郎社長が大消費地に近い山崎を推した経緯があった。
鳥井はスコットランドの蒸留所にウィスキー造りの指導者を派遣してもらえないかと頼んだら日本人の竹鶴を紹介されたという。当時宝酒造のほうは経営難に陥っていてまともなお酒造りができずにいたらしい。
島本町は三島郡に属しているが、ここは三島明神発祥の地でもある。淀川にできていた多数の小島が“みしま”と呼ばれたのである。
この物件は一応接道しているので車が使える。ジェーンも確認したが使えそうなので買うことにして、きーちゃんを呼んで購入してもらった。約30坪で2400万円である。
実はもうひとつ町中の先斗町(ぽんとちょう)の近く、正確には東木屋町(ひがしきやまち)にも1軒見つけたのだが、通りに面していない物件(だから再建不可)で広さも10坪しかなかった(でも高い!お店として使われていたのでトイレはあるが風呂が無い)ので、位置上はそちらが理想的だったが、大山崎町のほうにした。
大山崎町のは飲食店(食堂)として使用されていた建物が立っていたが、由布たち(大力工務店臨時グループ)に頼んで崩させた。それから彼らに地下を掘ってもらい、部屋のユニットを埋め込んで地下室を作った。その上に2階建てのユニットハウスを置いて小型のエレベータも取り付けてもらった。建築確認とかの手続きは忙しいのに申し訳無いが万奈にしてもらった(実際には助手の滝野がほとんどの書類を書いた。しかし建築士の資格を持つのは万奈だけなので彼がチェックして署名しなければならない)。
それでA大神様にお手が空いた時に司令室用のモニター群の設置をお願いした。
ここでは京都のどこかの大学に行く赤、國學院に通うどれかの千里(誰だろう?)、豊中市の貴司のマンションを訪れるであろう青の管理をすることになろう。ここで誰が調整作業をすることになるのかは分からないが。ここは多分ここと同時くらいに作られることになるだろう関東司令室の分室のような位置付けになりそうである。
青は慶応も受けるものの、千葉大学に行くつもりのようである。理学部のある国立大学というので千葉大学が浮上したらしい。しかしそこは女子バスケ部が無いあるいは弱いのでクラブチームに入るつもりのようだとグレースは言っていた。理学部に行きたいから関東の大学に行くと父親に説明しているらしい。でも私立はお金が掛かるから国立でとなると千葉大学が出てきたらしい。しかしいくら経済力が低いといっても早稲田あたりに行く程度はお金持ってるくせに!早稲田には理学部(実際は理工学部)もあるし、早稲田のバスケ部は強豪である。
青の行動原理もよく分からんと赤は思った。
また千葉大学に行くつもりなら、あまりレベル差の無い神戸大あたりにくれば貴司とたくさん会えるのに。調整する人(グレース?)はたいへんだろうけど。
グレースはロビンとジェーンに言った。
「豊中市の貴司に会いに来る青の監視をするのに守口市あたりに司令室の分室を置こうかと思ったけど大山崎町のでチェックするよ」
「それでいいと思うよー。司令室たくさん作っても誰がそこでコントロールするんだという問題があるし」
「私は関東司令室に行かざるを得ないからヴィクトリアになるかも」
「Vちゃんなら歓迎歓迎。関東司令室はどこに置くの?」
「今検討中だけど、川口市、江戸川区、横浜あたりが候補地」
「ああ」
「大山崎町は大山崎ICがあるからいいよね。青はたくさん車で貴司に会いに行くだろうし」
「ああ。でも最初から関西に住めばいいのに」
「ね?」
グレースにも青の行動原理がよく分からないようである。青は貴司と結婚式も挙げているのだから、堂々と貴司のマンションに同居してもいいのに。