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男性から『木彫り作家・伊川真一』という名刺を頂いたので、千里も
「あ、私はこういうものです」
と言って名刺を渡した。“イーグレット美術館・理事長 村山千里”と書かれている。美術館の土地と建物を所有することになったので、白井さん(館長)から理事長に任命されたのである。もっとも理事長といっても他に理事は居ない。
「へー。姫路の美術館さんですか。お寺さんではないみたいとは思ったけど」
と男性は言っている。まあこんなロングヘアの尼さんは居ないかもね。
千里は突然般若心経をあげたくなった。それで心経を唱える。
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子、色不異空、空不異色。色即是空、空即是色。受想行識亦復如是・・・・・」
伊川さんが笑い転げている!美季さんまで笑っている。
前橋は「これ初めて聞いたらまず笑うよな」と思った。他で聴くことは無い貴重なものかもしれないが!?
伊川さんは言った。
「あんた本当に気に入った。あんたになら言い値で売るよ」
千里は頭の中で計算した。
「1体約40万円で計算して二十八部衆セットで1200万円とかではどうでしょうか(28を大雑把に30として40万×30体=1200万)」
「いいよ!」
と男性は言ったのだが、寄ってきていた奧さんが異論をはさむ。
「1200万はさすがにもらいすぎだよ。税金の計算も大変だし」
売上高が1000万円を超えると消費税の納付が必要になる。
「半分の600万でいいんじゃない?」
「それはあまりにも申し訳無いです。税務申告の問題なら900万とかでは」
「うんそれなら」
つまり木彫りに関しては年間100万も売上が無いのだろう。だからそれに900万足しても1000万を越えない。奧さんによると本業?は梨園をやっているらしい。木彫りはほぼ趣味と言っていた。(ついでに豊水梨を頂いたが美味しかった:今の時期の梨は珍しい。むろんハウス栽培である。本来の梨収穫時期は夏から秋に掛けて)
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ということで二十八部衆の価格は900万になった。実際には“28で割り切れる数”といって896万でまとまった (32×28=30
2-2
2=900-4=896)。
なお“おまけ”と言って、倶利伽羅(くりから)峠の土産物店に出しているという火牛(かぎゅう)人形も頂いたのでこれも美術館に展示する。能書きを奧さんに書いて送ってもらった。これこそまるで伝統工芸品みたいだ!もう少し早く知っていたら今年のえとの縁起物に欲しかった。こちらは材料は能登半島産のあて(あすなろ)らしい。
この火牛人形は後日、木彫り組合の人と話していて何人かの作家の作品が混じるが30個買う契約ができてしまった。これは立花K神社・留萌P神社および新美術館のショップで売ったが、夏までに全部売れた。神社などで売ったのは杉素材(富山県産の“ぼか杉”)だが、美術館に展示したものだけが伊川さんの彫った、あて製である。
「それで気が向いた時でいいので千手観音様も彫ってはもらえないでしょうか。そちらは寄せ木造りで構いませんから。それに更に1200万円お支払いします」
これも奧さんにより900万に減額された!
なお、千手観音は通常寄せ木造りである。一木造りの千手観音像も実在はするが、完成したのが奇跡だと思う。千手観音は42本の腕があり、各々の手に持物があるので、それを折らずに木の中から“掘り出す”のは至難の業である。夏目漱石の『運慶』ではないが。顔も十一面ある。
「来年の春くらいをメドに彫るよ」
「ありがとうございます。急ぎませんから落ち着いて彫ってください」
千手観音については二十八部衆を彫ってしまったので次は千手観音に取りかかることも考え構想は練っていたらしい。ただそれを彫ってしまうといよいよ次彫る物が無くなるので取りかかるべきかどうか悩んでいたという。
でも二十八部衆が売れたから、千手観音を彫ったらまた新たにもう一度二十八部衆を彫ってもいいかもと伊川さんは言っていた。
(イーグレット美術館の二十八部衆を見た人が伊川さんに接触してきて、この“第2シリーズ”は15年掛けて岡山県のお寺に収められることになる:そちらは先に千手観音を納めた)
「材料代とかで必要なお金があったら言ってください。すぐ振り込みますので」
「場合によっては頼むかも」
大きな像を彫るには大きな木が必要でそれは相応の値段がするはずである。精密な細工をするには長年掛けて乾燥させた木が必要で、それ自体が得がたい。
しかしそれで千里は木彫りの二十八部衆をお買い上げになったのである。千里は美術館に作者紹介を付けたいので、あとで写真とプロフィールを送って欲しいと奧さんに!依頼した。
なおこの二十八部衆の輸送は伊川さんが所属する木彫り職人さんの組合が推薦した運送屋さんの手で、きれいにプチプチと段ボールで梱包し、トラック数便で運んだ。
白井さんはオモチャや人形に交じって思わぬものが来たので驚いていたが像の出来映えに
「美事なものですね」
と感心していた。
「二十八部衆って薬師如来か何かの眷属でしたっけ?」
「千手観音です。薬師如来は十二神将です」
「いや、どうも私は仏様とか全然分からなくて」
白井さんの世代はあまり知らないかもねと思った。かえって今(2009年)の40代以下は漫画やゲームでこういうのを知っている。千枝子さんも
「千手観音様は居ないんですか?」
と言っていた。
像は千枝子さんが「上を人が歩いては悪い気がする」と言ったので最上階である5階の大部屋に並べた。ここは元の建物では電算室だった場所である。電算室(*20)だったので熱を持ちにくいよう日当たりの悪い北側にあったのが彫刻にも良い。昔は多数の磁気テープ装置が並んでいたところに木彫りの二十八部衆が並ぶことになった。元CPUが置かれていた場所は空けてある。そこに千手観音を安置するのである。
しかし美術館の入口に西村南風さんのブロンズ像オリンポス十二神が並び、一番奥の部屋が木彫りの千手観音と二十八部衆というのは、何となくうまくまとまっている。
(*20) 1980年代の前半頃まではコンピューターは電算室なるところに置かれていた。筆者が見たことのある建設省(当時。現・国土交通省)の某施設の電算室は10m四方ほどの広さで、巨大なCPUとそれを直接操作するためのコンソールのほかは、磁気テープ装置(MTR)が20個くらい並んでいた。
(電算とは電子計算機の略。コンピューターという言葉が定着する以前はEDP という呼び方もあった。1940年代生まれくらいの人がこの言葉を使っていた。EDP=Electronic Data Processing. コンピューターが当初の用途である「計算」の枠を越えて色々なことができるようになったため「計算機」という名前はふさわしくないとして産まれた言葉だが定着しなかった)
うちの会社でも規模はずっと小さいが、オフコンの大きなCPUとその端末数台を並べた部屋を電算室と称していた。ちなみにうちの会社では冬はCPUのそばが人気だった。暖かいから!
3月7日、国立大学前期試験の合格発表がおこなわれた。東の千里は千葉大学に合格していた。慶応には辞退の連絡を入れた。
西の千里、それと公世・清香・双葉は全員京都教育大に合格していた。
清香と双葉はすぐに入学手続きをし、他の大学には辞退の連絡を入れた。自動車学校で合宿をしている千里と公世の分は取り敢えず夜梨子が2人分入学手続きをしておいた。あとでお金は公世からもらう。
これで全員ここに入れることになった。千里は以前不動産屋さんのCMで知り合ったここの出身者・玲花さんに連絡した。すると御本人はもう卒業しているが顧問を紹介するよといって紹介してくれたので、千里と公世が自動車免許を取得したあとで3月下旬に4人で行って浜田教授という、その先生に会って来た。
取り敢えず、千里対清香、双葉対公世の試合を見てもらった。
「4人ともメチャクチャ強い」
と感動していた。
「特に村山さんと木里さんには五段をあげたいくらいだ」
というので
「この夏に五段を頂けることになっています」
と言って連盟会長の推薦状を見せた。
「うん。充分五段のレベルだよ」
と浜田先生は言っていた。
「うち近畿大会で優勝できたりして」
「いや全国制覇も夢では無い」
「こんな強い女子が4人も入ってくるとは」
「すみません。私たちの中で工藤は男子に参加希望なのですが」
「そんなこと言われても女子選手は女子の部に出てもらわないと」
「だってさ。きみちゃん、そろそろ諦めなよ」
「でもぼくは小学校から高校までずっと男子に出て来ましたし」
「君男子なの?」
「はい」
「いえ。工藤は女子です。医学的検査でも女子であると判定されてます」
「というか女子にしか見えないんだけど」
取り敢えず公世の性別問題は後日あらためて議論することにした。
千里たちは“分担”について話しあった。ジェーンは提案した。
「ロビンと夜梨子のどちらかが教育大に通い、どちらかが國學院に通って欲しい」
やはりそれかなあとロビンも思った。
「高校時代みたいに科目単位で分担するというのでは、結局どちらも國學院に行けないことになるから、國學院には更に別の千里をわりあてる必要がある。あまりにも調整が面倒すぎる」
「でも教育大の部活にはロビンが出るんでしょ?」
「うん」
「だったら、教育大の授業にもロビンが出た方が良い。部活の前後で交代するのは大変だよ」
ということで、教育大にはロビンが通い、ロビンが南邸に住んで、夜梨子は北邸に住み國學院に通うということで話はまとまった。実際それ以外の方法は無かったと思う。
朝夕の御飯は夜梨子は自分で作ることにする。
「南邸に来てくれればトレイで渡すよ」
「いい。めんどくさい」
でもこれは香澄さんが持って行ってくれることになった。また香澄さん自身、北邸のほうで寝泊まりすることにする。買い物は百合さんと香澄さんで一緒にする。
朝5時:香澄が南邸に来る
百合と2人で朝食とお弁当を作る。
7時:夜梨子の分の朝食と弁当を持ち、香澄が北邸に戻る
午後2時:百合と香澄がスーパーで落ち合う。
3時頃:2人で一緒に南邸へ。
4−6時:百合と香澄で夕食を作る。
6時:夜梨子の分の夕食を持ち、香澄が北邸に戻る
またロビンはピアノを弾きたい時も北邸にいくことにした。
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女子高校生・3年の冬(11)