[*
前頁][0
目次][#
次頁]
1月下旬、西の千里は清香・公世・双葉を京都南邸に案内した。
「合鍵渡しておくから自由に使ってね。部屋は取り敢えず名前書いた紙を貼ってるから各自好きなプレートとかを貼り付けて」
「了解。ここ教育大にも近いよね」
「たぶん歩いて10分程度で行ける。同志社・同女とかには電車で」
「ここは2階が道場か」
「そそ。だから誰かが朝練始めたら、それが目覚まし」
「なるほどー。しかし夜中に練習してたら迷惑か」
「そういう時は地下の練習場を使って」
と言って千里はエレベータで降りて地下にも案内した。
「床の色が違う」
「2階はチェリーで褐色、地下はメープルで白」
「練習場が2つあるから4人で2人ずつか」
「姫路みたいに隣の練習を見ながら練習するというわけにはいかないな」
「土地が高いから、ごめんねー」
「都会だから仕方無いね」
「壁は杉板にクッション材を貼り付けてる」
「まあ場外に飛び出さなければいいことだな」
「いっそ剣山(けんざん)貼り付けておくとか」
「それは死者が出るよ」
「でも個別試験受けるときはここから行けばいいな」
「うん。個別試験の日には百合さんにこちらに入ってもらうから」
「ホテルとかより落ち着いて受けられる気がする」
「質問」
「はい、清香君」
「ここは50Hzですか」
「そうです。だから清香の電気時計が使えるよ」
清香は留萌で使っていた電気時計を姫路でもずっと愛用していた。50Hz用なので、西日本の60Hz地域で使うと進んでしまう。しかし姫路の家は旭川で使っていたソーラーのシステムをそのまま持って来たため50Hzなのである。
「この家だけ東日本なんだな」
「電化製品買う時気を付ける必要があるよね」
姫路ではだいたい北海道で買ってこちらに運んでもらっていた。通販で買う場合はロゼの家や横浜のきーちゃんの家で受け取り、南田の息子たちや軽いものならコリンや小糸などに持って来てもらっていた。(南田の息子たちは飛んで往復する。小糸やコリンは洞門の鏡を通れる。横浜からは新幹線である)
1月24-25日、高校剣道の選抜大会兵庫県予選が行われた。2年生以下の大会なので千里たちはもう出ないがH大姫路は、このようなオーダーで出た。
知代/美穂/大/香織/光
準々決勝までは最初の3人だけで勝ち上がる。準決勝で知代が負けたが、美穂・大・香織と勝って勝ち上がる。そして決勝はやはりW学院との対戦だったが、準決勝と同じく、知代は負けたが、その後の3人が勝って優勝。全国大会行きを決めた。光は座り大将だった。W学院の大将・花本涼世も出番が無かった。
この大会は2位まで全国に行けるのでW学院も愛知での本戦に進出する。
大会後、美穂がW学院の涼世に手合わせを申し込んでいたが瞬殺されていた。
「強ぇ〜!」
「6月のインターハイ予選までに勝てるように頑張ろう」
「頑張ります」
一方で涼世も「H大姫路に今まで大会に出てなかった子で凄く強い子がいる」と他の部員に警告していた。
しかし知代はほんとに高校生3年間の内1度だけかもしれない大会出場を楽しんでいた。
1月25日(日)、同志社女子大で個別入試がおこなわれ、清香はこれを受験した。受験のため清香は前日から京都南邸に行っており、食事については百合さんの妹の香澄さんが対応してくれた、彼女はここに大量のカップ麺・レトルト食品・レンチン食品を買い込んできてくれたので、清香は夜中にお腹が空いた時もそれで空腹を癒やすことができた(他にシルビアがコンビニに行って来てくれた)。
それで国語と英語の試験を受けてきたが、問題はやさしいと思った。英語はヒアリングの問題が多かったが、たくさん洋画を見ているおかげでちゃんと聞き取ることができて、スムースに答えられた。
翌日1月26日、京都産業大学で個別入試があり、公世と千里が受験した。前日から京都南邸に入ったが「余った食料」と言われて清香から、ほぼゴミを押しつけられた。当日は香澄さんが朝食を作ってくれた。
試験は国語・英語・地歴公民でふたりともまあまあ解答できた。
千里が同志社にもほぼ確実な状況でここも受けたのはこの大学が「非宗教」だからである。同志社はキリスト教だし、京都女子大学とかは今度は仏教(西本願寺系)である。
1月27日 - 知的財産高等裁判所、番組をインターネット経由で転送して海外で視聴可能にするサービスは、著作権法に違反するとしてNHKおよび民放9社が日本デジタル家電を訴えた裁判で、1審判決を破棄、テレビ局各局の訴えを退ける判決。
1月29日、北海道の地場大手百貨店、丸井今井が札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請。負債総額は約502億円。
西川善文日本郵政社長、かんぽの宿のオリックス不動産への売却の事実上の凍結を表明。
1月30日 - 東京地方裁判所、西武鉄道株式の偽装問題で、堤義明元会長ら被告に対し、原告のゆうちょ銀行など機関投資家へ計約19億2400万円の損害賠償支払いを命じる判決。
1月29-30日(木金)、大阪体育大学の個別入試があったので、双葉が受けて来た。前日にこの大学に通っている姉のアパートに行き泊まったが姉がうるさくて全然勉強できなかった!ご飯はほっかほっか亭とコンビニおにぎりだったし!
それでも1日目は国語・数学・英語の試験、2日目は実技試験を受けてきた。実技は体力テストと種目(剣道)を受けたが
「君強いねー。インターハイとか行かなかった?」
と言われた。
「同じ高校に凄く強い人が2人いたからインターハイの本戦は団体戦では行きましたけど個人戦には行ったこと無いんですよ」
「ああ、強豪だとそういうのあるよね」
「団体戦ではインターハイとか玉竜旗とか優勝しましたけど」
「凄いじゃん」
しかしかなり良い感触だった。まあここは滑り止めで申し訳ないけど。
イーグレット美術館の新美術館であるが、展示ケースの設置は2月いっぱいまでに終わらせる予定ではあったが、実際にその通り作業を終えた。但し少しよけいなこともした。
この建物が1955年建造で、半世紀以上経ちかなり老朽化していたので
“リニューアル”をおこなったのである。
この土地建物は2月頭に引き渡された(変電設備は1月中に解体された)のだが、その日のうちにビルを崩してしまい、その後、約半月で前のと同じサイズのビルを建ててしまった。1フロア3日×5フロアである。万奈も「まあ見なかったことにしましょう」と言っていた。きちんと手続きを踏もうとするとその手続きで半年かかるので、その後のスケジュールが完全に崩れるのである。
外側は同じサイズでも中身は実はかなり異なっている。昔のビルは資源の節約なんて考え方が無かったので水道はグロス契約でいくら使っても料金は変わらなかったことから、水道の栓とかいうものがなく、常に全開状態で水は使っても使わなくてもどんどん下水に流れて行ってしまう造りだった(昔のビルはだいたいこうなっていた)が、ちゃんと使う分だけ利用するようにした。また照明はLEDにして冷暖房も新しいシステムを入れ、温度設定して省エネ運転ができるようにした。昔のはオンとオフしかなかったので冷えすぎ・暑すぎになりやすかった。またエレベータも省エネタイプのものに交換した。AIで迎えに行くゴンドラを決めるので待ち時間も小さくなる。「閉」ボタンは付けてない。また全体的にバリアフリー構造にしている。
前のビルだと階段を登る以外の通行手段が無い箇所が多数あった。玄関なんて必要無いのにわざわざ階段を付けた感じだった。玄関前を低くしてそこから階段を3段上っていた。また各部屋の出入口全てに段差があったのも廊下を部屋と同じ高さにし、全てフラットにした。
これらの作業を終えた後、展示ケースの設置を行ったのである。設置作業は関西組のみでなく中国組まで動員し、1フロア1日の5日間で終わってしまった。残りの一週間程度は、壁紙(不燃性)を貼ったり、床のワックス掛けをしたりしていた。床はクッション性があり歩く人の腰に負担が掛からない杉の無垢材の上に耐久性のあるPタイルを貼っている。この構造はコンクリートそのままより暖房効果も高い。
表向きは「外装リニューアル中」と称して目隠しをしていたが、実は外装では無くビル本体をリニューアルしてしまった。
なお旧美術館のほうには次のような表示をしている。
イーグレット美術館は移転リニューアルします。
2/28 旧館閉鎖
3/1-31 移転作業
4/1 新館開業
2月1日 - 鹿児島市の桜島が小規模噴火。翌日、福岡管区気象台が警戒レベルを入山規制に引き上げる。
2月2日 - 午前1時51分頃、群馬県と長野県の県境にある浅間山が噴火。噴煙は約2000m上空まで達し、関東地方でも火山灰を確認。
現在のイーグレット美術館の土地に関しては二転三転があった。白井さんが5月頃に土地を更地にして返却すると会社に連絡すると会社側は慌てた。実はこの土地の使い道が無いのである。元々営業所を作るつもりで買った土地が事情により不要になったので、白井さんが責任を取って個人で買い取ったものだから、それを返却されても遊休地になるだけのことである。またここは文教地区なので用途が限られており、商業施設などが建てにくい。売却が困難である。白井さんにはここは現在3億円の価値があるなどと言ったものの、実際には5000万円程度でしか売れないのではというのが不動産部の意見であった。
それで会社は白井さんに土地は返さなくていいから現金でせめて1億くらい払ってもらえないかと要求しようとしたのだが、ここで異論が出る。
ここまで白井さんに無茶な要求をしていたのは国内の新興ファンドの“物言う株主”たちの声に支えられた現社長らの勢力だった。しかしこれに古くからの株主たちの支持を受けた現常務らの勢力が反発した。
白井さんの時代は他の製鉄メーカーが軒並み赤字な中、一度も赤字決算にならなかった。白井さんは充分な業績を残した。彼にあの土地を返納させるのなら退職金を払わなかったことになる。だったら、あらためて1億円程度の退職金を払うべきである。また白井さんにこんな要求をするのなら赤字を出している現社長こそ会社に2億円くらい払うべきだ。この現社長こそ2億円払えという意見には“物言う株主”たちも賛成して現社長は窮地に追い込まれる。
現社長の要求に応じて白井さんは土地を返すと言っている。その結果、うちの会社は市内の中心部に遊休地を抱え込むことになる。その責任は誰が取るのだと常務たちは追及する。
常務らのグループは市と交渉し、ここを2億円でなら買い取ってもいいという話をまとめた。市としては老朽化して建て替えが課題になっていた近世資料館をここに移転させることを考えているらしい。その場合、建物も中の展示ケースなどもそのままのほうがいいということであった(なにせこの建物はまだ10年経ってない)ので、白井さんと連絡を取り、それなら建物も展示ケースもそのままの状態で引き渡すということになった。
なおあらためて退職金を払うという件については白井さんが辞退した。
市としては近世資料館をここに移転させたら、近世資料館の跡地にはコンサートホールを備えた文化会館(仮称)を作りたいらしい。2年前に西姫路駅の駅前ビルに計画していたのが頓挫した(100円ショップになった)ので音響の良いコンサートホールが欲しかったらしい。
それでイーグレット美術館の展示物引越が終わったら、近世資料館の展示物をそちらに移動して文化会館の建築に移ろうということになったのである。