広告:ここはグリーン・ウッド (第1巻) (白泉社文庫)
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■女子中学生のバックショット(16)

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1月下旬。上島は可愛い男の娘!“タオ”ちゃんをナンパして、アパートに連れ帰った。彼女と激しいセックスをしていた時に、激しすぎてベッド近くにあった電話機の台を倒してしまった。
 
上島はセックスしながら、男の娘でも性転換手術が終わっている子は、普通の女の子とするのとセックスの感触が全然変わらないなあと思っていた。しかも今日は彼女が同意したので避妊具を付けずに生でやった。男の娘なら卵巣と子宮は無いだろうし、妊娠する可能性が無いから安心して膣内射精できる。生の膣内射精は実は上島も初めてで、こんなに気持ちいいのか!と感動していた。
 
タオの方もかなり気持ち良さそうにしていた。やはり性転換手術済みの子って性的な感覚は普通の女の子と同じパターンになるようだと上島は思う。過去にまだ男性器の付いている男の娘ともセックスしたことがあるが、彼女の場合は反応パターンは男のパターンだった。しかしタオは普通の女の子のようにゆっくりと昂揚していき、ゆっくりと鎮まっていくのである。
 
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彼女のGスポットを刺激したら潮吹きまでしたが、彼女も潮吹きは初体験だったようで、恥ずかしがっていた。性転換済みだと潮吹きもできるんだなあと、上島は凄い発見をした気分だった。
 
結局朝まで掛けて10回くらいして最後は上島も立たなくなった。女の子(今日は男の娘だけど)とのセックスで立たなくなるまでやったのも上島は初めてだった。
 
彼女とはお互い気持ち良かったので
 
「また会おうよ。今日は遅かったから僕のアパートに連れてきたけど、次はホテルでディナーとか食べよう」
 
などと言って別れた。妊娠の可能性の無い女の子って遊ぶには最高の相手だ!と上島は思っていた。
 

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彼女に帰りの電車賃を渡して返してから、部屋を片付けていた時、倒れた電話機の台も起こしたのだが、その時FAXの紙が1枚落ちていることに気付いた。
 
このFAXは普通紙FAXなので、紙が電話機の下に落ちているのにずっと気付いていなかったようである。この件はだから警察にも言ってない。
 
「高岡と夕香さんからのFAXじゃん。なんで今頃」
と思ってタイムスタンプを見ると 2003/12/27 3:15 となっている。
 
「亡くなる直前のFAXか!」
 
しかし3:15にこのFAXをしてから出発し、岐阜県内の中央道で4:51に事故ったとすると、280kmを1:36で走ったことになり、平均速度は175km/hになる。電卓を叩いてみた上島は
 
「高岡、さすがに無茶苦茶だよ。死ぬよ」
と思った。
 
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高岡の字で
《上島、いい詩を夕香が書いたから、曲を付けて欲しい。これを俺たちの置き土産にするよ》
と書かれている。夕香の詩を読むと、物凄い昂揚の中で書かれた詩っぽい。
 
「これは夕香さんの詩とは思えない凄い作品だ」
と上島は呟いた。
 
これまでの夕香の作品は、分かりやすいけど平凡な詩だった。しかしこの詩はまるで昔の高岡の詩みたいに凄いのである。上島は一瞬高岡が書いて夕香が清書したのかとも思ったが、そのようなことは過去に無かったから、多分夕香自身の作品なのだろう。そもそも夕香は他人の清書をしてやれるほど字はうまくない。
 
ただ上島は高岡の字で書かれた「これを俺たちの置き土産にするよ」という文が気になった。まさか高岡たちは心中だったのか??
 
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当時、色々混乱していたこともあり、上島は後に上島と下川と雨宮の3人で、アパートで酒を飲んでいる時に、このFAXを受信したかのように思い込んでいた。しかし当日3人が酒を飲んでいたのは、大阪のホテルの一室であり、上島のアパートには居なかった。疲れすぎてて眠れなかったので3人で明け方まで飲んでた。そしてテレビ局に行った後、午前中仮眠していた。お昼頃に左座浪に起こされて高岡が怪我していると聞き(だから頭が働いていない)、13時からのライブに出た。
 

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ワンティス担当だった加藤銀河は村上制作次長から激しく叱責され、進退伺いを出せと言われた。それで
「私が至らず、申し訳ありせんでした」
と謝り提出した。
 
それで彼が荷物を整理して会社を退出しようとしていた時、偶然、町添制作部長が通り掛かった。
 
「何かあったの?」
と訊かれ、高岡と夕香が疲れ切った身体で車を運転して大阪に向かおうとしたのは、お前がちゃんと考えて、誰か運転手を付けるべきだったと村上次長から指摘され、もっともだと思うし、本当に自分のミスだと思うので進退伺いを出したことを説明した。
 
すると町添部長は言った。
「そこまでレコード会社担当の責任だとは思わないけどね。でも村上君が君を捨てるなら、僕が拾いたい」
 
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と言って、村上の携帯に電話し、
 
「加藤君、要らないならぼくに頂戴」
と言って、加藤の身分を引き取ったのである。
 
加藤はこの町添の恩を一生忘れない。
 
そして、町添は加藤に松原珠妃を担当してくれるよう頼んだ。
 

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「加藤君、珠妃ちゃんにも関わってたよね?」
「昨年夏に出したミニアルバムの制作ではお手伝いしました。彼女のメイン担当は湯畑さんですが」
「彼は3月いっぱいで退職予定なんだよ。だからそれを引き継いでほしい」
「分かりました。転職ですか?」
「田舎に帰って、お嫁さんに行くと言ってた」
 
加藤は混乱した。
 
「お嫁さんに行くって、彼、女性でしたっけ?」
「僕もよく分からない。ジョークかもしれないけどマジかもしれないから訊けなかった。最近は色々なパターンがあるし、あまり立ち入って訊くのはプライバシー侵害とセクハラになるし」
 
「私もどこまでセーフでどこからセクハラかよく分からないんですが」
「難しいよね」
 
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ワンティスの高岡と夕香が死亡した件に付いて、2004年の1月いっぱいくらいずっとテレビのワイドショーなどでの報道が続いた。その中で幾人かの“評論家”が
 
「日本の道路では最高速度100kmと定められているのに、280kmも速度が出るような危険な車を売るのが間違っている、規制すべきだ」
と述べて同調するタレントが何人も居た。
 

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これに憤慨したのが自らも高岡が買ったのと同じ 911 40th anniversary editionを買っていた重富音康である。彼は上島雷太に接触してきた。
 
「毎日、毎日、ポルシェが非難されているのを見て腹が立って腹が立ってしょうがない。ポルシェは世界でいちばん安全な車なのに。上島さん、考えたんだけど、僕が持ってる同型車を譲るからさ、ポルシェが安全な車だとアピールするようなテレビ番組か何かでも作って放送してくれないだろうか」
 
「趣旨は理解しますが、それ重富さんご自身が出演されませんか?どこかテレビ局を紹介しましょう。ほんとにポルシェが好きな人がやった方が説得力ありますよ」
 
「僕は3年前の架空売上発覚と株暴落事件で恨んでる人とが多いからさあ。僕がやるより、ワンティスの仲間だった上島さんがやるほうがいいと思うんだよ」
 
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「だったら僕より車の扱いがうまい雨宮に」
と言って上島は雨宮に連絡したのだが
「私はフェラーリ派だもん。ポルシェを宣伝する番組とか出ないわ」
という返答であった!
 
ちなみに海原にも連絡したが
「俺は今は金が無くて買えないけど“いつかはランボルギーニ”と思っている」
と言って、やはり断られた!
 
(翌年ランボルギーニ・カウンタック、2019年に全世界800台限定のランボルギーニ・アヴェンタドールSVJ・ロードスターを購入する)
 
水上・下川・山根は
「僕はMTなんて運転する自信無いよぉ」
と言ったし、支香は
「私AT限定免許」
という話であった。
 
更に三宅は
「俺は荒っぽいからきっと事故起こす」
と言った(本当は雨宮が断ったから自分も断った:彼は実際には無事故無違反である)。
 
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それで上島自身が『ポルシェのんびり旅』に出演することになったのである。
 
テレビ局は、ワイドショーを持っていないため、この“ポルシェ批判”に参加していなかったΛΛテレビを選んで、香鳥制作部長(当時:後に社長)に相談してみた。すると香鳥さんは自身がA級ライセンス持ちで、年に1〜2回は富士スピードウェイで走っているという人(愛車はスカイラインGT-R)だったこともあり、この企画を受け入れてくれた。
 
出演者は上島雷太とコメディアンの山田犬次郎(山田次郎の弟子で、後のケンネル@ネルネル)と組んで、日本全国をポルシェで旅して回る番組を作ることになった。
 
ただここで問題となったのが、この重富氏のポルシェの譲渡代金である。重富氏はタダでいいと言ったが、それだと贈与税が掛かってしまう。所有者は重富氏のまま借りて使う案もあったが、それだと重富氏所有の車であることが判明した時に、揉め事になる可能性がある。結局重富氏から買い取るのが無難である。しかし上島には販売額1300-1500万円というこのポルシェを買うお金が無かった。加藤銀河が町添制作部長に相談したところ、★★レコードの初代社長・星原博秋(この時点では会長)が
 
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「自分が買い取って上島君に貸与しよう」
と言ったので、その線で処理することになった。
 
重富氏はこの車を1350万円で買っていた。1500万で買った高岡のものよりオプションが少なかったようである。これを星原氏と重富氏で直接交渉した結果、1200万円で買い取ることになった。
 
これがシリアルナンバー1988の車体である(高岡のは1978で10番違い)。
 

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それで上島と山田の2人はこのポルシェで主として田舎道を40km/hで走り、通りがかりのおばちゃんたちと交流し、農機を牽引してあげたり(750kg以下の車両は牽引免許無しで牽引できる。ただし上島は念のため牽引免許を取得した)、お婆ちゃんが農協に買物に行くのを乗せてあげたりした。
 
「ポルシェで農協に買物かよ」
と嘆く声もあったが、多くの人は面白がっていた。
 
バッテリーをあげてしまった軽トラの救援をしたりしたこともあるし、村の運動会に飛び入り参加して、上島と山田のデュエットで、ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』を歌ったりもした(モー娘。とかでは、お爺ちゃんたちが分からない!)
 

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この番組は2004年2月から2006年3月まで、約2年続いたが、この上島たちの番組が流れるようになってから、世間のポルシェ批判は影をひそめ、かえってポルシェの売上は伸びたのである。ポルシェ側は感激してお礼に上島に最新型のポルシェを1台プレゼントすると言ったが、それでは賄賂をもらって番組を作ったみたいになると言って、丁寧にお断りしている。
 
番組終了後、このポルシェは星原氏の自宅車庫に置いていたが、ワンティスのメンバーはいつでも好きな時に来て乗って下さいと星原が言ったので、みんな高岡と夕香を偲ぶように年に1度くらいは来て運転していた。
 
この車は後の2014年、星原氏が「自分はもう寿命だと思うから自分の死後に揉めないように」と言うので、龍虎が星原氏から1000万円で買い取った。実際星原氏は2015年に亡くなった(それで★★レコードの大混乱時代が始まる)。
 
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3月長野県警は“本人のネットへの投稿”から、東京都内の30代の男性2人(AB)を道路交通法違反で逮捕した。あわせて双方の妻にも事情を聞いた、
 
彼らはAが所有する外国製の白いスポーツカーで12月27日の午前2-4時頃、中央道の甲府付近から岡谷JCTを経て長野道、更埴JCTを経て上信越道藤岡方面と時速200km程度で暴走した疑いである。妻2人はこの車に同乗していた。
 
彼らは12月20日に、上信越道の碓氷軽井沢IC−佐久IC間が4車線化されたのの“記念に”走行してこようと思い立ち、AとBの2人で交替で暴走したというものであった。但し当時は更埴JCT−上田菅平ICはまだ2車線であり、ここは“前がつっかえていたので”80km/hほどで走行したらしい。
 
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そういう訳で高岡たちの“事故(?)”の当夜、中央道原付近で目撃された暴走車は、高岡たちの事故(?)とは無関係であることが判明した。
 

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更に警視庁は、やはり“ネットの投稿”から、12/27 2:00頃、談合坂SAに駐まっている銀色のポルシェ・カレラを見たという情報を得た。投稿のあったtcup型の掲示板(*13)の管理者と接触し本来は非公開のメールアドレス情報を提供してもらって本人と連絡を取った。すると権利問題で投稿はしなかったが写真を撮っていたということである。その写真を見せてもらった所、ナンバープレートは映っていなかったものの、間違い無く Porsche 911 40th anniversary edition の写真であることが確認された。
 
(*13) tcupは、この頃人気があった、誰でも掲示板を運営できるサイト。2chが流行する少し前(1999-2005年頃)にひじょうに人気があった。niftyと2chの間を埋めるのがtcupやGALAともいえる。tcup型の掲示板は読みやすくプログラミングも容易なので、2chが有名になる以前は、tcup以外のサイトでも、この形式の掲示板を運用するサイトが多数現れた。
 
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それでこの車が高岡たちの車である可能性が濃厚となり、高岡たちの出発時刻は1:40頃であることが推定された。またここから事故現場までは220kmほどなので平均速度は 77km/h という計算になり、高岡たちの車は常識的な速度で走っていたことが判明した。
 
でもこのことは公表されていない!
 
結局“超能力殺人”というのを公表できないので、全て非公開になってしまうのである。膨大な捜査資料・調書は“公式には”無かったことにされ、本格的な魔術犯罪が今後起きたような時の対処の参考にするため、警視庁と検察庁に保管された。
 
だからこのあたりの警察の捜査内容を知っていたのは当時捜査に加わった特別捜査本部の刑事さんたち(警視庁の交通捜査部5名・捜査一課3名・岐阜県警交通捜査課2名の合計10名+特別捜査本部長=警視庁の枡底管理官:警視+東京地方検察庁の検事2名)のみである。彼らは守秘義務によりその内容を他には口外しない。
 
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ただ度々事情聴取を受けた左座浪は、捜査内容をかなり想像できていた。彼はその内容を社長やワンティスのメンバーには言っていない。単純な事故だと思い込んでいる彼らの間に余計な混乱を招くだけである。
 
 
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