広告:素晴らしき、この人生 (はるな愛)
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■女子中学生のバックショット(11)

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関西ドームでのワンティス・ライブが終わった後、左座浪はメンバー全員を集め、高岡と夕香が亡くなったことを説明した(*6)。この時の反応を左座浪は忘れない。
 
純粋に驚いていたのが、海原・山根・水上・下川・三宅・本坂。
悲鳴をあげたのが上島・志水。
無表情だったのが支香。
「やはり」と呟いたのが雨宮。
 
つまり雨宮だけは、自分が高岡たちが怪我していると言った時に、実際は死んだのだろうと推測していたのだろう。
 

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(*6) ワンティスのメンバーの死亡率が結構高い。
 
2003.12死亡:高岡・夕香
2007.07死亡:志水
2014.12死亡:本坂
2021.10死亡:水上
2022.01現在存命:上島・雨宮・三宅・海原・支香・山根・下川(7)
 
元々のメンバー12人の内5人が死んだことになる。
 

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「明日のライブはどうするんですか?」
と雨宮が訊く。
 
「社長と協議するけど、中止になると思う」
と左座浪は言う。
 
「やむを得ないでしょうね。今日は既に観客が入っていた。中止したらパニックが起きかねなかった。強行したのは仕方ない判断だったと思います。非難されるだろうけど」
と雨宮。やはりこれからのことまで含めて色々考えていたようだ。
 
「まあ非難は社長に受け止めてもらおう。こんな時のための社長だし」
 
結局この大阪ライブの観客だけが、新しいアルバム『ワン・ザナドゥ』の楽曲を聴いたのである。このライブは録音されていなかった。レコード会社は東京ライブを録画・録音してライブ盤ビデオを出すつもりだった。むろん録音されていたとしても当時の状況では発売は許されなかったであろう。
 
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それで結局『ワン・ザナドゥ』は18年後まで封印されてしまうことになる。
 

高岡と夕香の死はその日の夕方、衝撃的なニュースとして日本列島を駆け巡った。
 
警察は車の運転者が誰かは特定できないと言った。ただ夕香は靴が後部座席に落ちていたことから後部座席に乗っていたのが確実であるが、高岡は乗車位置は不明であるとした。
 
しかし死んだのがその2人であること、車体の状況から生存者が居たとは到底思えないことから、マスコミの多くが運転者は高岡ではないかと推測して報道した。ワンティスのメンバーも日頃からこの車は高岡が運転しており「夕香はMTが苦手なので運転していなかった」とマスコミなどに説明した(補償問題を考え、夕香が責任を負わされたら気の毒なのでメンバーが口裏合わせをしたもの)。
 
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警察が運転者を特定しなかったのは、左座浪が警察に夕香からのメールを見せ、誰か他の人物が運転した可能性があると主張したからでもある。更に現場には三角停止板が置かれていたので、その謎の運転手が事故後置いた可能性がある(後続の車が事故に気付いて三角停止板を置いたが通報せずに立ち去った可能性はある)。また、高岡の遺体は靴を履いていたが、この靴は死後履かせたものである可能性があると医師の所見があった。もしそうなら確実に第三者が居たことになる。
 
ただこの付近は警察も捜査上の秘密として公表しなかった。左座浪へのメールについて、捜査陣の一部には夕香が酒に酔って何か勘違いした可能性もあるとする見方もあったようである。誰か他の人物が運転していたのなら、その人物も事故で相当の怪我をしたはずなのに、警察が事故の直後に怪我で入院した人を長野・岐阜・愛知の病院に照会しても、該当しそうな人物は見付からなかった。
 
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この事故に関して午前4時頃、諏訪付近で猛スピードで走り、覆面パトカーの追尾を振り切った白っぽいスポーツカーとの関連も調査されたが、関連不明と結論せざるを得なかった。
 
事故を起こしたポルシェは銀色である。銀色のボディは夜間なら白にも見えるかもしれない、追尾した警官に同型車両の写真を見せたが、
「これかもしれないが自信は無い」
と言った。
 
事故を起こした車両の時計は4:51で停まっていたので、事故の時刻はそれで確定できる。もし諏訪で目撃されたのが事故を起こした車両なら、50分間で120km走ったことになり、平均速度は144km/h ということになる。パトカーを振り切った時の速度は恐らく240km/h程度と推測された。
 
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警察は判断を保留した。
 
なお事故が起きた時の車の速度は、車の損傷具合から100km/h前後と推定された。ここは長い直線の下り坂の先に急カーブがある場所で100km/hというのはむしろ遅いくらいの速度である。
 
なお高岡のポルシェが八王子の自宅を出た時刻は分からなかった。車内に残された高速の通行券は燃えているため、“灰”に形跡を留める文字から、かろうじて“八”という文字が読み取れたので八王子ICから乗ったと思われる。しかし時刻は読み取れなかった。灰化しているので磁気情報も取得できなかった。
 
小登愛の死亡時刻が19時頃なので、それ以降であることは確実と思われる。ポルシェがオービスなどにも映っていないことから、仮に平均90km/h程度で走った場合、逆算すると3時間10分程度掛かる計算になる。すると午前1:40頃に家を出た可能性がある。
 
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27日夕方、村飼社長と★★レコードの村上制作次長との話し合いにより明日28日の関東ドームでのワンティスライブは中止が決まり報道機関に発表された。村上次長は実施したいようだったが、この状態で実施したら激しい非難を受けることになると村飼社長は言った。実は最後は★★レコードの須丸社長が「この状況で実施は無理」と言ったので、村上次長も折れた。
 

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それで加藤が明日のライブ中止をメンバーに伝えた。
 
「ワンティスの活動自体、しばらく停止かなあ」
と山根が言った。
 
「各方面と協議が必要だけど、取り敢えず1月いっぱいくらいの予定は全部キャンセルするつもり。キャンセル料が頭痛い」
と左座浪。
 
「1ヶ月休みなら、その間に性転換手術うけちゃおうかしら」
などと雨宮が言っている。
 
両刀使いの彼が性転換手術をする気があるとは思えないが、どんな時でもジョークを言って場を和らげようとするのが雨宮だ。でも海原は雨宮を睨んでいる。こんな時に冗談とか言うなよという顔だ。海原は真面目なのが長所でもあり欠点でもある。
 
「モーリー、性転換して男になったら一発やらせろよ」
と三宅が言った。
 
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「私、性転換したら男になるの!?」
 

夕食の席でメンバーの間に悲痛な雰囲気が漂っているのを見て左座浪は東京に戻る前に何か彼らの心を癒やすことができないかと考えた。
 
メンバーたちはプライベートキッチンで食事をしており、左座浪や高橋などのスタッフは通常のレストランで食事をしていたのだが、そこに少し遅れて中村が入ってきた。
 
「コンビニにでも行ってたの?」
「ええ。角瓶買ってきたんですけどね。後で飲まない?」
と後半は高橋に言っている。
「ああ、俺も何か飲みたい気分だった」
 
「帰って来る途中で巫女さんの団体に遭遇したんですよ」
「へー」
 
そういえば、このホテルの隣に神社があったなと左座浪は思った。
 
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「君たちそこの神社の巫女さん?って声掛けたら、“笛の会”というのの会合で全国から集まってきているんだという話でした」
 
よく巫女さんの集団に声掛けられるなと左座浪は思った。そんな神々しい集団に自分ならとても声など掛けられない。
 
「へー、君たち、笛がうまいの?聞かせてくれない?と言ったら、ちょっと責任者の人に聞いてみると言ってた」
 
すげー、巫女さんナンパしてる!
 
しかし左座浪は、ふと思いついた。
 
「中村君、それOKならワンティスのメンバーに聞かせてあげられないかな」
「あ、話してみます」
「いや、僕が交渉してみる。連絡先教えて」
「じゃこの番号に掛けて下さい」
と言って中村はゲットした番号を開いて左座浪に自分の携帯を渡した。
 
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それで左座浪はその番号に掛けた。声の雰囲気からして40代かなあと思う女性が出た。左座浪は自分はワンティスという音楽ユニットのマネージャーであると名乗り、先ほどは自分の部下がそちらに声を掛けたようでと説明した。彼女は
「高岡さんと長野夕香さん大変でしたね」
と言ってくれた。
 

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それで左座浪がワンティスのメンバーに良かったら巫女さんたちの笛を聴かせてもらえないだろうかと頼むと、今日はもう遅いので、明日の朝なら良いという。それで左座浪と電話の相手の女性・稲岡さんとで話し合い、明日の朝9時にこのホテル隣の大阪神宮会館に、ワンティスのメンバーで聞きに行くことになったのである。
 
左座浪はワンティスのメンバーおよびサポートアーティストに
「巫女さんたちの笛を聴きに行かないか」
と誘いのメールを送った。
 
「上手い人たちの笛の演奏、ぜひ聴きたい」
「気分転換になりそうだし聴いてみようかな」
「和楽器に興味あります!」
「巫女さん、巫女さん、はぁはぁ」(←誰の返事かよく分かる)
 
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など、様々な反応があったが、結局、ワンティスの中で上島・雨宮・三宅・海原・支香・山根・下川・志水の8人(つまり水上と本坂が不参加)、サックスの宮田君、パーカッションの山本君、フルートの吉永さん、ヴァイオリンの三谷さん、コーラスの手島さん、それに事務所の左座浪・高橋・中村・鮫島、★★レコードの加藤銀河の合計18人で聴きに行くことになった
 

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翌日12月28日(日).
 
ワンティスのメンバーやスタッフ18人は朝食後、大阪神宮会館に行った。300人くらい入りそうな大きな講堂に椅子が多数並べられていたのでそこに座る。
 
やがて50-60人くらいの巫女さんたちが入ってきて、こちらにお辞儀をする。そして演奏が始まった。最初はよく知られた『越天楽』である。
 
「かっこいー」
と思わず若い鮫島さんが声をあげていた。
 
「すっごい力強いね」
と山根が同じ管楽器奏者である雨宮に囁き
 
「うん。こんな凄いとは思わなかった」
と雨宮も真面目な顔で答えていた。
 
その後『賀殿急』というわりと長い曲の演奏があったが、初めて聴く長い曲であるにも関わらずみんな聴き惚れていた。左座浪は暗い顔をしているメンツが多かったのが、少しずつみんな清々しい(すがすがしい)顔に変わっていくのを感じた。まるで憑きものが剥がれていくかのように!
 
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左座浪は、高岡にこれを聴かせたかったと思った。
 
ただ★★レコードの加藤さんだけが思い詰めたような顔をしていて、この人、早まったことしなきゃいいけどと考えた。かなり責任を感じているようなのである。
 
長い曲が終わった後は、『アメイジング・グレイス』が演奏されるので、みんな顔が弛む。でも山本君が隣の宮田君に
「これ何の曲だったっけ?聴いたことある」
などと訊いていた!
 
しかし左座浪は、この曲も憑きもの剥がしの曲だなあと思っていた。
 

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メンバーたちはサインを書いて贈呈したので、大阪神宮会館の巫女さん控室に飾られることになった。
 
ワンティスのメンバーはこの日お昼くらいの新幹線で東京に戻り、そのまま警視庁に入って事情聴取を受けた。(この事件?は岐阜県警と警視庁の合同捜査になった)
 
(28日)夕方、上島と雨宮が代表して記者会見を開き、取り敢えず1ヶ月間活動を休止することを発表した。事故の状況についても記者達から質問があっったが、上島は
 
「自分たちは全く聞いていないので分からない。警察に聞いて下さい」
とだけ答えた。アルバムの発売についても
 
「レコード会社に聞いて下さい」
 
と答えた。実際上島にも分からないことである。
 

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一方、笛の会のメンバーは28日夕方、バスで伊勢の神宮に移動した。
 
29日朝は瀧原宮・瀧原竝宮(たきはらのみや・たきはらならびのみや)にみんなで参拝。そのあと、外宮・内宮を訪れて各々の神楽殿で笛を奉納した.演奏したのは、越天楽と賀殿急である。さすがにここで『いつも何度でも』とか『アメイジング・グレイス』は吹かない。
 
そして29日夕方に解散となったが、バスで新大阪駅・伊丹組と、名古屋駅・小牧組とは各々送ってもらったので、千里(B)は新大阪駅前で降りて近くのホテル(予約済み)に一泊。翌日12/30に北海道に帰還した、
 
伊丹11:20(JAS623)13:10旭川/旭川空港
 
空港でミミ子に拾ってもらい、天子のアパートに顔を出した。お土産の赤福を渡すと「これ大好き」と言って喜んで食べていた。天子と将棋を指したが、天子が結構強いので、千里は焦った。
 
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夕方、ミミ子に車で留萌まで送ってもらったのだが、自宅近くまで来た所で千里は(30mルールにより)消滅してしまった。溜息をついたミミ子は小春を呼び、家へのお土産の神戸プリンと千里の着替えを渡した。(Q神社へのお土産は翌日12/31本人が香取巫女長に渡した)。
 

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佐藤小登愛の遺族(両親・兄の理武(25),妹の亜梨恵(21),玲央美(13))は、12月29日のお昼頃、東京に到着した。年末で飛行機は満席なので、函館まで車で走り、青函フェリーに長時間順番待ちをして何とか乗り込み、青森からまた走って来たらしい。
 
義浜は小登愛さんを死なせてしまって申し訳無いと土下座して謝ったが、兄の理武は「どうぞ頭をあげて下さい」と言い、詳しい状況を尋ねた。義浜は
 
「信じてもらえないかもしれないけど」
と言って小登愛にしてもらっていた作業と彼女が倒れていた状況を説明した。
 
「いや、小登愛が霊的な仕事をしていたのは認識していた。義浜さんがおっしゃるような状況だったのだと思います」
とお父さんが言った。
 
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「だったら、高岡猛獅さん・長野夕香さんの“事故死”と小登愛の死は一連のものですか」
 
「その可能性があります」
 

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義浜は一家に色々説明していて、不思議な家族だなと思った。お母さんは憔悴していて、こちらの説明もまともに聞いていない様子。娘の死が物凄いショックだったのだろう。お父さんはまるで他人事のような感じ。お兄さんは妹の死を悲しみながらも、とにかく状況を明確にしなければという態度。妹2人はどちらも無表情であった。
 
このような反応になったのは、母親の異様な偏愛にあった。母親はこの小登愛を異様に愛していて、他の3人は軽んじていた。そのため、妹2人は小登愛の死に対して冷めた感情を持ってしまったのである。父親はあまり家庭のことに関わらない中、母親に冷たくされている妹2人にとって、いつも助けてくれるし色々と話を聞いてくれる兄・理武だけが頼りだった。そして姉・小登愛のことは嫌いではないものの、どうしても複雑な感情を抱いていた。
 
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バブル崩壊以降の不況がたたり、父親の収入は年々低くなっていた。長兄の理武が高校を出ただけで就職し、一家の生活資金を稼いでいた。その中で小登愛は母親お勧めの男性と“豪華結婚式”をあげて結婚したものの、すぐ離婚してしまう。更に母親の目の届かない釧路に行ってしまったことから母親は嘆いていて、小樽に戻ってこないかとか、いい人紹介するからと言っていた。しかし小登愛自身、離婚によって“母親のコントロール”を脱してしまったのである。
 
そして自分の人生を生きようとしていた矢先の急死だった。
 

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