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■夏の日の想い出・第三章(1)

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(c)Eriko Kawaguchi 2012-05-05

 
この物語は「夏の日の想い出」「続・夏の日の想い出」に続くメインストーリー部分です。この物語は昨年7月に「続」を書いた後、ずっとエピソードを書いてきたのですが、このあたりで一度メインストーリーの部分を書いておきます。
 

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私と政子は高2の時に「ローズ+リリー」という女子高生歌手ユニットとして活動し『明るい水』『その時』『甘い蜜』という3枚のCDを出した所で、私が実は男の子であったというのが週刊誌にスクープされ、それがきっかけで活動停止を余儀なくされた。
 
その後私たちは大学の受検勉強もあったので1年半ほど活動を休み、大学に入ってから活動再開したのだが、政子はこの活動再開に消極的であった。
 
政子の両親は高校2年の春にタイに転勤になったのだが、政子は大学受験で頑張りたいからといって、日本にひとりで留まった。ところがそれで歌手活動などしていたというので政子のお父さんはかなり怒っていて、すぐにも政子をタイに連れていく、などと言っていたのだが、そこをほんとに勉強頑張るからといって何とか勘弁してもらった。それもあって、騒動がひどくて、まだ私たちが高校にも出て行けずにいた時期は、政子は本当にもう歌手活動はしない気になっていたようであった。
 
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しかし勉強の方を熱心にしていても、詩は勝手にできる。それで「こんなのできたよー」と言って私にFAXで送ってくるので、私が曲を付けてMIDIとボカロイドでMP3にまとめてインターネットディスクにアップロードする。それは私と政子の他は仁恵くらいしか聴いていなかったものの、政子は満足そうだったし、仁恵は「おふたりさん調子いいじゃん」などと言っていた。
 
そういうことを重ねている内に、政子も「歌手はしなくても、曲作りはしていきたいな」などと言い始めた。そして春になって、私たちのベストアルバムを作るなんて話が出て来た時、一応過去の音源を流用するので、私たちの歌は録音しなかったのだが、政子はやはり少し歌の練習もしようかな、などと言って自宅にカラオケのシステムを入れて、毎日たくさん歌を歌い始めた。
 
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それでもやはり政子のやる気は上がったり下がったり、どちらかというと下がる方が多くて、高3の秋頃になっても、政子は「やはり私歌手としてはカムバックしないかも」などと私には言っていた。
 
そういう政子の気分を変えていった、最初のきっかけになったのは、やはり高3の11月に、沖縄で難病と闘っているローズ+リリーのファンの女子高生(麻美さん)がいると聞いて、応援のためふたりで会いに行った時だったと思う。政子は病室で彼女に頑張ってね、私たちも頑張るからと言い、「また歌ってもいいかな」などと口にした。そして沖縄から帰ってきた後、私と政子はその時までに作り溜めていた曲をスタジオを借りて一緒に歌い録音した。
 
この録音は2年半後に『Rose+Lily after 1 year, 私の可愛い人』というタイトルで発売することになった。
 
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次に政子のやる気を起こさせたのが、大学に入ってすぐの頃にふたりでやったラジオ番組である。これは私たちのデビュー曲『明るい水』の作曲家である鍋島康平さんの一周忌の記念番組だったのだが、その中で私たちは司会者の役得と称して、生で歌を披露した。その反響は凄まじくて、大量のメッセージやファンレターが押し寄せ「ずっと待ってるから、きっと復帰してね」というファンからの声に、政子もかなりやる気を起こした感じであった。
 
この放送はあまりにも反響があり、それに刺激されて別の放送局でローズ+リリーの特集が放送されることになり、そこで私たちはその放送用に新しい音源の制作をした。この音源について更に他の放送局や有線放送などからも、その音源がもらえないかという引き合いが多数来たので、私たちは『恋座流星群』ほか数曲をCDにプレスして(JASRACにも登録の上)、各地の放送局や有線放送、カラオケ配信元などに頒布した。そこで『恋座流星群』は、CDショップでもiTunesなどでも買えないのに、放送局のリクエスト番組にリクエストを出すと掛けてもらえるし、カラオケ屋さんでも歌える、という不思議な曲となり、CDは出ていないのに大手のランキング上位に入るという珍しい現象も起きた。そして放送やカラオケによるこの曲の印税は当時の私と政子にとって貴重な収入源となった。
 
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この番組をした頃は私たちはどこのプロダクションとも契約していなくてフリーの身であったが、翌月、それまで1年半にわたって私たちとの接触を禁じられていた、ローズ+リリーの本来のプロデューサーである(須藤)美智子が私たちと会い、再契約。ローズ+リリーは名義上復活したが、やはり政子はその段階では自分はまだステージなどで歌う気にはならないと言った。それで美智子はこの夏にアルバムを作って年末くらいに発売しようかと提案し、音源制作だけならまあいいかなあ、という政子、そしてそのくらいの活動ならいいんじゃないと言ってくれた、政子の両親の意向も踏まえて、ローズ+リリーは当面音源制作だけで活動していくことになった。
 
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政子がフル活動できない状態の中で、私には活動の機会をたくさん出したいという美智子は、ちょうどボーカルが喧嘩して飛び出してしまったロックバンド、《クォーツ》と私が組まないかという提案をしてきて、《ローズクォーツ》という新ユニットが生まれるに至る。
 
このユニットでまずは『萌える想い』という曲を出した所、配信とCDで合わせて10万枚を売るまずまずのヒットとなり、取り敢えず好調な立ち上がりを見せた。このユニットでは更に年末に『バーチャル・クリスマス』、翌年3月に『春を待つ』、7月に『一歩一歩』という曲を出し、ファーストアルバム『夢見るクリスタル』も出して、それなりのファン層を獲得していった。
 
そんな中、私は2011年の春に性転換手術を受けた。前年に豊胸手術と去勢手術を受けていたし、女性ホルモンもずっと摂取していて、私の身体はもうほとんど女性になっていたのだが、あらためて性転換手術をしてみると、自分の周囲の空気がまるで変わったのを感じた。自分の周囲で何か滞っていたものが順調に動き始めたのを感じたのである。運気が変わる! 私はこの時確信していた。なお、私は10月に20歳の誕生日が来るとすぐに戸籍上の性別を女に変更した。
 
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その夏、ローズクォーツの最初のアルバムを出す直前に私たちはローズ+リリーの「メモリアル・アルバム(追悼版)」と称して『Rose+Lily After 2 years』
というアルバムを出した。本当は前年に録音していたのが、なかなか発売できずにいたものであった。一応毎年1枚くらいは作って行こうという話はしていたものの、この時点では政子のやる気の状態を考えると、このアルバムか次のアルバムくらいであるいは、ローズ+リリーのメジャーでの活動は終了かな、という気もチラっとはしていた。そこで美智子から今後の両方のユニットの活動について聞かれても私は
 
「ローズ+リリーの方はインディーズか、どこも拾ってくれるレコード会社がなければ自主制作したアルバムを年に1度くらい配信限定で出して、私は基本的にローズクォーツの一員として仕事していくつもり」
 
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などと言っていた。2011年7月18日が来るまでは。。。。。。
 

少し時間を戻そう。
 
マリがライブ活動をできないということでローズ+リリーが限定的な活動になっていた時期、実は私たちふたりは自分たちのユニットの活動以上に楽曲を制作して、他のアーティストに提供する作業を盛んにしていた。
 
きっかけは大学1年(2010年)の9月に宇都宮のデパートでスリファーズと偶然遭遇したことであった(後々考えると、この遭遇自体、あやめの仕業のような気もするのだが)。私がスリファーズのステージの傍に立っているのに気付いた人が盗撮して、新聞社に送り、(意図的に)早とちりした新聞社が「ケイがデビュー間近のスリファーズをプロデュース?」などという記事を書いた。
 
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その記事を見た、スリファーズの事務所の津田社長が、本当にスリファーズに楽曲を提供してもらえないかと打診してきて、私はスリファーズのリーダーの春奈が自分と同じMTFであることもあり快諾、彼女たちにメジャーデビュー用の楽曲を提供、その後も継続的に提供していくことになった。
 
一方、私はSPSというガールズバンドの実質的なリーダー、美優と元々知り合いで、彼女たちがコンテストに参加する時にオリジナル曲が必要だというのにメンバーの誰も作曲ができないということだったので1曲書いて提供していたのだが、SPSがコンテストに入賞したことでプロデビューすることになり、彼女たちのマネージング担当がローズ+リリーとも元々親しかったこともあり、SPSにも、その後継続して楽曲を提供していくことになった。
 
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また、この時期、引退の瀬戸際に追い込まれていたELFILIESという女の子4人組のボーカル・ユニットを、津田社長の事務所に移籍させて再生を試みることになり、その移籍を私が結果的に仕掛けたことになったので「責任を取って」彼女たちのデビュー曲を制作してと言われ、私と政子は彼女たちにも楽曲を提供した。
 
こうして大学1年の秋から冬に掛けて、各々独立した理由で私たちは新人・移籍アーティストへの楽曲提供を行った。そして、各々が結構なヒットになったのであった。
 

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この3組の中で最初にデビューしたのはスリファーズである。スリファーズは△△社の看板ユニット・ピューリーズの妹分ということになっていたが、実際問題としてピューリーズより上手かった。
 
私と政子も彼女たちのデビューイベントに出席した。記者会見で記者から質問が飛んだ。
 
「あのお。全員の年齢・性別が非公開ってなっているのですが?」
「えっと。年齢も性別も見た目で判断してもらえばいいかと」
「年齢は中学生くらいに見えますね。性別は見た目は全員女性に見えますが」
「中学生というのは認めます。性別も女性に見えるなら女性でいいのではないかと」
「もしかして男性なんですか?」
「さあ、どうでしょうか?」
 
「実は3人の中の1人は男です」と彩夏が発言した。
「誰が男か当ててください」と春奈。
「この場にいる記者さん・観客さんに手をあげてもらうってのは?」と千秋。「そうですね。挙手による投票で男ということになった人は性転換してもらいましょう」と彩夏。「でもヒントが無いと投票できないよ」と春奈。
「じゃ、ここでみんなのバストサイズ、公開しちゃおうよ」と彩夏。
という彩夏はどう見ても3人の中でいちばん胸が大きい。
 
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「まあ、いいよ。私はBカップです」と春奈。
「私はCカップです」と彩夏。
「ボクはAカップです」と千秋。
「では私が男と思う人、挙手を」と春奈。「ケイ先生、数を数えてもらえます?」
「18人かな」
「では私が男と思う人、挙手を」と彩夏。
「12人」
「ではボクが男と思う人、挙手を」と千秋。
「17人」
 
「ということで、僅差で春奈が男と決まりました」と彩夏。
「じゃ、春奈、性転換してね」と千秋。
「いいよ」と春奈。
 
「でもさ、男から女に性転換するの?女から男に性転換するの?」と彩夏。「どっちにしようか?」と春奈。
「女になるならおちんちん取らないといけないし、男になるならおっぱい取らないといけないなあ」
 
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「おちんちん取るなら、私が春奈を取り押さえておくから千秋、はさみでちょん切っちゃって」
「よし、やろうか」
 
「あのお、春奈さんは本当に男なんですか?」とひとりの記者。
「私は自分では女性と思ってます」と春奈。
「あ、そうそう。こないだケイ先生と一緒に温泉に入りましたよ」
 
「あの、すみません。ケイさんはお風呂はどちらに入られるのでしょう?」
 
(この時期はまだ私が性転換手術(造膣術)を受ける前である。ただし睾丸の除去と陰唇の形成手術は完了している)
 
「ケイは私と一緒に入りますよ」と政子。
「じゃ、ケイさんは女湯なんですか?」
 
「そうですね。私は小学校に上がって以降、男湯に入ったことはありません」と私。「でも、学校の修学旅行とかでは男湯に入ってないんですか?」と記者。
「ご想像にお任せします」
 
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「マリさん、ご存じですか?」
「ケイは高校の修学旅行の時は女湯に入ってますよ」
「あれ?もうその頃、改造済みだったんでしたっけ?」
「ご想像にお任せします」
 
「えっと本題が分からなくなってしまいましたが。。。。。春奈さんは結局女湯に入るのでしょうか?」
「少なくとも小学校の修学旅行では女湯に入りました」と春奈。
 
かなり時間を掛けて、結局春奈は男のようである、というのが記者や観客たちの共通認識となったようであった。
 
しかしその後、私のピアノ伴奏で3人がデビュー曲『香炉のダンス』を歌うと、記者も観客も3人の歌唱力に驚いたようであったし、特に春奈の出す伸びのある美しいソプラノは、かなりその場にいる人たちにアピールしたようで、男性の歌手がここまでの高音を出せるとは思えず、またまた春奈の性別がどちらなのか、迷う記者も出たようであった。
 
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結局、翌日の新聞では「性別不明のリードボーカル」などと書いた所もあった。事務所側もファンから春奈の性別について尋ねられても「申し訳ありませんが、個人情報ですので、お答えできません」という回答をしていた。
 

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11月24日★★レコードから発売されたスリファーズ『香炉のダンス/アラベスク』
は春奈のミステリアス性で関心が広がったのもプラスしたようで26万枚の大ヒットを記録した。
 
また、12月8日◎◎レコードから発売されたSPS『恋愛進行形/炎の砂時計』は8万枚、12月15日同じく◎◎レコードから発売された ELFILIES『Solitude/祭りの夜』も8万5千枚、でどちらもまずまずのヒットであった。
 
ELFILIESは前の事務所では最大売れたCDで3万枚だったので、これが現時点で彼女たちの最大のヒットになった。津田社長も「一発で移籍金分を取り戻したね」
などとご機嫌であった。
 
そして2011年の前半の、私と政子の収入の大半は、この3組のアーティストの楽曲に関する作詞作曲印税だったのである。
 
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なお、PVやテレビ番組などでELFILIESのバックで踊っているアンナ・ガールズ(女子中学生5人組のユニット)にも「あれは誰ですか?」という問い合わせが殺到していた。
 
△△社では、アンナ・ガールズに関する問い合わせに関して、彼女たちのプロフィールなどには、その都度回答していたが、敢えてホームページには一切彼女たちの情報は載せなかった。代わりにファンサイトを作りたいという照会をしてきた人たちに彼女たちの写真を提供した。そのためアンナ・ガールズは公式ホームページは無いのに、10個くらいのファンサイトが並立する状況になり、それらのサイトを中心に熱心なファン層が形成されていった。
 
津田社長は「情報は出すだけが戦略じゃないから」と言っていた。
 
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■夏の日の想い出・第三章(1)

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