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■夏の日の想い出・第三章(12)
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目次 8
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私と町添さんは目を丸くして政子を見た。
「確かに、天性の代打要員って、加藤課長から言われたことありますけど」と私。
「マリちゃん、どうせならケイちゃんとふたりで代打要員しない?」と町添さん。
「そうですねー。やってもいいですよ」
私も町添さんも、政子のこの答えにはびっくりした。まさか本当にやると言うとは思わなかった。
「よし。スリファーズの後にはローズ+リリーを入れる。曲目はケイちゃん、その場で即興で決めながら歌って」と町添さん。
「はい」
既にスリファーズのステージは20分が過ぎていた。あと10分で演奏が終わる。吾妻さんが場内の掲示板への情報掲示を指示した。会場各地に設置された掲示板にこのような表示が流れた。
「Bステージ、MURASAKIが出演不能になったため、代わりにローズ+リリーの演奏があります。演奏開始は11:20の予定です」
場内各地で思わず驚きの声を挙げる人たちがいた。演奏をしていたローズクォーツのメンバーの中でも、サトとタカがこの掲示に気付いた。
やがてスリファーズが最後の曲、更にはアンコールの曲まで歌い終わる。割れるような歓声と拍手の中、3人がお辞儀をしてステージを降りた。それを見て、マキとヤスも降りようとしたがそれをサトが押しとどめた。マキが「?」という顔をしている。
私と政子は春奈と千秋から「マイクちょうだいね」と言って受け取ると、駆け足でステージ脇の階段を駆け上り、一緒にステージ中央に立った。衣装に着替えている時間が無いので、普段着のままだ。
「こんにちはー、ローズ+リリーです」と一緒に声を出す。
「MURASAKIさんが何かトラブルで来られないということで、急遽空いたステージの穴埋めを仰せつかりました。もしよろしかったら、しばし、私たちの歌にお付き合いください」
と私が言うと、マキとヤスがびっくりした表情をしている。
「じゃ、まず『神様お願い』行けるかな?」と私はマキたちを振り返りながら言う。サトもマキも笑顔で頷いている。私は政子にも「行くよ」と言う。政子が頷く。サトが勢いよくドラムスワークを始め、マキとタカのベースとギター、そしてヤスのキーボードの和音での前奏が始まる。
私と政子はこの曲を作った時のことを思い出しながら大ヒット曲『神様お願い』
を歌い始めた。
Bステージのキャパは5000人である。高校生時代にローズ+リリーの全国ツアーをした時は最大で3000人規模の会場しか経験していない。4月に沖縄で行ったシークレットライブも、会場は1000人規模であった。私は去年と一昨年にこのフェスのAステージを経験して数万人の観客を前に歌っているので平気だが、政子がこの人数で歌えるか心配だった。しかし、普通に歌っているので、少しほっとした。
場内の掲示板を見て、あちこちから人が集まってきたようで、キャパは満杯。けっこう詰まっている上にあふれている感じなので、ひょっとしたら7000人くらいになっているかも知れない。
私は1曲ずつ短いMCを入れながら「次○○行けるかな?」とマキたちの方に言っては、政子と一緒にローズ+リリーのヒット曲を歌っていった。
『神様お願い』の後は『風龍祭』『花模様』『Spell on You』『恋座流星群』
と続ける。そしてそろそろラストかなというところで『影たちの夜』を選ぶ。
政子が笑顔だ。何だか気持ち良さそうに歌っている。私はそういう政子が何だかとても愛おしくなり、間奏部分でそばによって、かなり本格的なキスをした。観客から「きゃー」という声が聞こえるが私はキスをやめない。間奏がもう終わるという間際にやっと唇を離した。
私たちは2コーラス目をまた笑顔で歌っていった。観客の手拍子が凄い。やっぱりこの曲って名曲だ!と思う。そしてこの曲って、私と政子が歌うことで完成するんだ! 曲って、単独で存在するのではなく、歌い手もその曲の一部なのではないか。私はその瞬間、そう思った。私たちの歌は、自分たちで作り、そして自分たちで歌って、完全なものになる。
やがて歌が終わる。私たちは深々と観客に向かってお辞儀をした。
アンコールを求める手拍子が来る。でも私たちは再度深くお辞儀をし、バンドメンバーにも手を向けて、そしてステージから降りた。
ステージ脇で見守っていた春奈が
「アンコールしないんですか?」と訊くが
「だって、ローズクォーツのステージで歌えばいいからね」
と私は答えた。
「あ、そうか!」と春奈。
「マリ、ローズクォーツのステージにも出るよね?」と私は政子に訊く。
政子は笑顔で頷いた。凄く気持ち良さそうで半ば放心状態であった。
町添さんが寄ってきて、まず政子と握手。それから私と握手した。
いつの間にかステージ脇まで来ていた、スイート・ヴァニラズのEliseが私たちふたりをハグした。
私とサトは、政子が出てくれることになったことで緊急に演奏曲目を見直した。
「『夏の日の想い出』『キュピパラ・ペポリカ』『闇の女王』『雨の夜』この4曲は絶対入れよう」とサト。
「当初予定していた曲の中で『南十字星』と『コンドルは飛んでいく』を残しましょう」と私。
「じゃ『南十字星』と『コンドルは飛んでいく』はCDに収録しているツインボーカル版での演奏だね」とサト。
「あ、ちょっと待って。来週発売のCDの曲は1個入れておきたい」とタカ。「あ、そうか。じゃ、『あなたとお散歩』のツインボーカル版を使おう」とサト。もうひとつの『ビトゥイーン・ラブ』の方が本質的なツインボーカルになるが、それだけ技術的に難しいので、こういう時は負荷の少ない曲の方が良い。
「じゃ、代わりにどれ外す?」
「悩むな。。。よし『南十字星』を外す。『コンドルは飛んでいく』はラストに演奏したい」とサト。
「了解」
「じゃ、譜面を昼休みの間にイベント事務所に行ってプリントしてきます」と私。
「うん。お願い」
「ということだけど、いい? みんな」とサト。
「OK」とタカとヤス。
「マキ?OKだよね」
「あ、えっと。いいと思うよ」とマキ。
「分かってるのかな?」と心配そうにヤス。
「あ、大丈夫。マキは何の曲でも目の前に譜面を出しておけばそれを弾く」とタカ。「何だかひどい言われようね」と花枝。
美智子はイベントスタッフとして参加しているので、私たちのマネージングは今日は花枝が担当している。花枝はお弁当を10個確保してきていた。
ローズクォーツの5人、政子、花枝、なんとなく付いてきてしまった小春、の8人で1つずつお弁当を食べていたが「あ、2個残っているね」と政子。
「あ、残ってるのは食べていいよ」とサトが言う。
「じゃ、もらっちゃおう」と言って、政子は2個お弁当を取る。
「へ?」という顔をしているヤス。
しかし政子は、あっという間に最初に配られていたものまで含めてお弁当3個をきれいに平らげた。
政子の食欲を知っている私やサトがニヤニヤしているが、ヤスはこういう場面は初めて見たようで、呆気にとられていた。
「マリちゃん、凄い食欲だね。お腹いっぱいで眠くならない?」
とヤスが訊くが政子は
「うーん。まだ食べ足りないなあ。焼きそばか何か買ってこようかな」
「あ、私買ってくるよ。政子が食べ物屋さんとこに並んでたら、サインを求める列ができちゃうから」と小春が言うので、買ってきてもらうことにした。
結局、政子はお弁当3個のあと、焼きそば3パック平らげて
「うーん。腹八分目かな」
などと言っていた。
午後のAステージ。トップバッターのバインディング・スクリューが演奏している間、私たちはステージ脇で静かに出番を待っていた。サトはヤスに話しかけて、あれこれ芸能界の噂話などしている。タカは目を瞑って集中している。マキはただボーっとしている。そして政子は私に身体をぴったりくっつけて、小声でこれから歌う歌の予習をしていた。音が分からないというので、最初の音だけ近くにおいてあったキーボードで弾いて教えてあげる。
政子は高校生の頃は最初の音だけ聴かせて自由に歌わせると8小節も行かないうちに2〜3度ずれてしまっていたのだが、あれからたくさん練習してとってもうまくなっている。歌っていても音程がほとんどずれない。政子は本当に上達したんだなと思って、私は微笑ましく見ていた。ここでキスしたいけど、さすがにちょっとまずいかなと思って我慢していた。でも、バインディング・スクリューの最後の曲が始まった所で政子が小さい声で「勇気が欲しいからキスして」と言った。私は周囲の目は黙殺することにして、政子にキスした。
唇を離した時、花枝と小春がパチパチパチパチと拍手をした。サトとタカも微笑んでいた。ヤスは少し戸惑っている感じ。マキはまだボーっとしていた。
そして出番が来る。
スタッフが大急ぎで機材の入れ替えをする。OKのサイン。
私たちはゆっくりとAステージの階段を登り、ステージに立った。
マキはきりりとした顔をしている。サトは指を折っている。タカはじっとこちらを見ている。ヤスもまっすぐ前を向いている。私と政子はステージの中央に立った。
「こんにちは!ローズクォーツです。今日はとっても暑いですが、その暑さを、私たちと一緒に吹き飛ばしましょう!」と私は挨拶した。
1曲目『雨の夜』。ふたつのメロディーが独立して進んでいき最終的にひとつにまとまるという曲である。ヤスは政子が歌う方のメロディーに合わせてキーボードを弾く。私はそれと独立の歌を歌っていく。ふつう政子は私の歌を聴いてそれにハモるように歌うのだが、この曲ではそれができない。政子の歌唱力が問われる歌だ。
しかし政子はヤスのキーボードの音を聴きながら、しっかりと自分のメロディーを歌っていった。私はかなり安心しながらそれを聴いていた。歌がクライマックスになり、ふたつのメロディーが激しく交錯する。タカのギターが時には政子の方のメロディーに合わせ、時には私の方のメロディーに合わせる。そして最後、とうとう私と政子の音はきれいに三度の音程を取り、そのまま終曲へと進んでいく。
手拍子も打たずに少し緊張気味に聴いていた観衆が割れるような拍手をする。私たちは微笑んでその拍手に応え、私の左手と政子の右手をつなぎ、私の右手と政子の左手を高くあげた。
続いて『闇の女王』。これは基本的に私と政子のハーモニーで歌う曲なのでさきほどの曲のような緊張感は無い。観衆も安心して手拍子を打っている。その後、昨年の大ヒット曲『夏の日の想い出』『キュピパラ・ペポリカ』を続けて歌うと、客席はかなりの盛り上がりを見せる。そしてその勢いで新曲『あなたとお散歩』を歌う。来週発売の曲だから誰も知らない。しかしここまでの勢いでみんな熱心に聴いてくれている。
そして最後の曲『コンドルは飛んでいく』。故郷に帰りたいのに帰れない、という切ない思いを歌った曲である。超有名曲ではあるが、この歌詞では知らない人が多いから、その歌詞を聴いて、手拍子を停め、何かを思うような目でステージを見ている客もかなりいた。
その曲が終わったところで、大きな拍手。私たちはお辞儀をして下がろうとしたが拍手が鳴り止まない。進行係の人がアンコールのサインを出している。私はマイクに向かって語った。
「ありがとうございます。午前のBステージのローズ+リリーの時は、こちらのステージがあるのでアンコールを遠慮させて頂いたのですが、こちらでもアンコールを頂きましたら、お受けしないといけないですね。それではローズクォーツ・ローズ+リリーの両方で出している曲『あの街角で』」
拍手が起きる中、私とサトが頷き合って前奏が始まる。私は自分のマイクのスイッチを切って下に置くと、政子と手をつなぎ、ひとつのマイクに向かって一緒に歌い始めた。
高校2年の時、ただ無我夢中で放課後と土日限定でローズ+リリーをしていた時期に書いた曲だ。そして多分、あの頃しか書けなかった曲だ。歌詞にも曲にも、脆さがある。でも、その脆さは今の年齢の自分と政子には出せないものでもある。
私たちは静かにその曲を歌いきった。
曲が終わってから一瞬の間を置いて拍手。私たちは深くお辞儀をしてステージを降りた。
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