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■夏の日の想い出・第三章(2)

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この時期、私と政子は他にもスイート・ヴァニラズにもアルバム用とシングル用に1曲ずつ楽曲を提供したし、結構単発での作詞作曲依頼もあり、★★レコードからの依頼で何人かの新人歌手にも楽曲提供を行った。ほんとにこの時期、私と政子はソングライターとしての活動が目立っていた。
 
2012年の春(大学3年の春)からは、上記3組に加えてパラコンズ、スターキッズにも曲を提供するようになり、これら楽曲提供している5組のユニットに私たちの本体活動であるローズ+リリー、ローズクォーツも加えて7組を「マリケイ・ファミリー」「ローズ・ファミリー」などと呼ぶメディアなども現れた。この「ファミリー」には他にも私たちが楽曲提供している数人の歌手を含めて言われることもしばしばあった。
 
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後にローズ+リリーの代表曲のひとつとみなされるようになった『神様お願い』
はこんな経緯で生まれた。
 
2010年の12月19日(日)。私はローズクォーツのメンバーと一緒に金沢にいて、その日の午後、金沢市内のライブハウスで演奏を行った。ライブが終わりホテルに戻り、打ち上げに行く前にメールをチェックしていたら、陽奈さんという人から緊急マークの付いたメールが入っていた。私はその名前に覚えがあった。
 
昨年の秋、私と政子は自分達のファンであるという難病の女子高生のお見舞に沖縄まで行っていた。陽奈さんというのはその難病の子のお友達で、彼女が私たちに会いたがっているというお手紙をくれた人であった。
 
メールを開いて私は顔が青ざめた。その難病の子、麻美さんの容態が悪化して危篤状態だというのである。私は陽奈さんに直接電話を入れた。
 
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「今晩は。唐本と申しますが」
「今晩は!わあ、ケイさんですか?済みません。緊急メールとかして」
「麻美さんの様子、どうですか?」
「一時期はもう本当にダメかと思ったんですが、奇跡的に持ちこたえてくれています。彼女が息も絶え絶えに、頂いた『恋座流星群』のCDを掛けてと言ったので、ずっとリピートで掛けているんですが、凄く力になっているみたい。意識は無いのに、楽曲が盛り上がるところで身体が反応したりするんですよね」
 
私は自分達の歌にそこまでの力があるとは思いも寄らなかった。
 
「そちらに行きます。お医者さんはどう言ってますか?」
「来て下さるんですか! 凄く力になると思います。お医者さんは覚悟しておいてくれと言っているんですが、私は彼女が絶対頑張れると信じています」
「私も彼女がきっと回復すると信じてるよ」と私は言った。
「ありがとうございます」
 
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「着く時間とか分かったら連絡するね」
「はい」
 
私はすぐに美智子の部屋に行き、事情を話してすぐに沖縄に行きたいと言った。
「いいけど、いつ戻ってくる?」
「25日の博多ライブには絶対戻る」
「分かった」
 

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私はすぐに航空券の予約サイトにアクセス。小松発・羽田行き最終便1枚と、それから乗り継げる羽田発・那覇行きの最終便2枚を確保した。小松発は20:15。現在18:40。タクシーを飛ばせば間に合う筈だと踏んだ。私は身の回りの荷物だけ持ち、残りの荷物の移動を美智子に頼んで、ホテルから飛び出し、タクシーを捕まえて、高速を使って小松空港まで行って欲しいと頼んだ。
 
タクシーの中から、まずマキに電話して緊急に沖縄に行くこと、次のライブまでには確実に戻ることを伝えた。それから東京にいる政子に電話して、麻美さんが危篤状態であること、お見舞に行くということを言うと、政子も一緒に行くと言ってくれた。
 
「マーサも行くと思ってチケットは確保したから」と私は言う。
「何時発?」
「羽田22:55」
「そんな遅い便があるんだ! 何時に着くの?」
「那覇に深夜1:35」
「寝台とかある?」
「無いよ。飛行機なんだから」
「私、眠いよ−」
「ホテルは最上のを確保してあげるから」
「ほんと?じゃ、頑張る」
 
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それから私は陽奈さんに電話して、今夜1:35に那覇空港に着く便でそちらに向かうと伝えた。陽奈さんは来るのはてっきり明日になると思っていたようでびっくりしていた。
「私は今夜は一晩中病院に詰めてますから」
「うん。那覇に着いたらまた連絡するね」
「あ、ちょっと待って」
 
と言って、陽奈さんは少し場所を移動したようである。
「済みません。ここICUなんですが、特別に許可もらって電話を持ち込んだところです。今から麻美の耳元に電話当てますから、よかったら応援のメッセージを頂けませんか?」
「OK」
というと、私は少し緊張してメッセージを語る。
 
「麻美さん? ローズ+リリーのケイです。今からそちらにお見舞に行くからね。絶対頑張ってよね。先月の沖縄ライブには麻美さん、体調不良で来れなかったじゃん。またそのうちライブで行くから、その時は来て欲しいし。こちらも会場に麻美さんの姿があったら元気付けられるからさ。いい?頑張るんだよ。病気に負けちゃだめ。ファイト!だよ」
 
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小松から羽田までと羽田から那覇までは別の航空会社の便で、乗継ぎは1時間半の余裕がある。私は羽田でいったん外に出て政子と落ち合い、改めて手荷物検査を経て中に入ることにしていた。
 
晩御飯を食べ損なっていたので、政子にコンビニのお弁当を買ってきてもらっていて、ロビーで一緒に食べた。政子には他に私の着替えなども持ってきてもらった。
 
「じゃ、今夜が山なのね?」
「陽奈さんと色々話した感じではどうもそうみたい。お医者さんも今夜乗り切ることができたら、何とかなるかもと言っているって」
「じゃ、お祈りしようよ」と政子。
「うん」
「沖縄ってどっち?」
と聞くので、私はバッグから方位磁針を出して
「えっと。南西だから、こっち」
と指し示す。
「正確な方位が欲しい」
 
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「えっとね。ここ羽田空港は、北緯35度33分・東経139度47分。病院のある場所は北緯26度15分・東経127度46分」
と私が携帯の地図アプリを起動して数値を確認して言うと政子は
「ということは方位角141度19分か」と言った。
 
さすが『歩く電卓』である。政子にかかると、こういう複雑な球面三角法の計算も一瞬だ。脳味噌を解剖してみたくなる能力である。
 
「その方位磁針、方位角の数値が入ってるね。見せて」
「うん。但し、東京は地磁気の偏角が6度36分あるから、それを足して」
「じゃ、147度55分。約148度。こちらの方角ね」
と政子はひとつの方角を指さす。
「一緒に祈ろうよ」
「うん」
 
私たちは政子が指さす方角を見て一心に麻美さんの回復を祈った。
 
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「冬、五線紙持ってる?」
「うん」と言って渡す。
 
政子は愛用のセーラーのボールペンを出すと、そこに歌詞とメロディ?を表す線を記入しはじめた。
 
「でも冬が五線紙持ってるって珍しい」
「5時半までライブしてたからね。作業用に持ってたんだよ」
「いつもと逆だね」
 
政子は五線紙4枚ほどにわたって、歌詞と<メロディー線>を記入し、タイトルのところに『神様お願い』と書くと、
「オタマジャクシは冬が書いて」
と言って、ボールペンと一緒に五線紙をこちらに渡した。
「OK。でも時間無いから機内で書くね」
 
私たちは手荷物検査を通り、搭乗口まで行きバスに乗って飛行機の傍まで行った。タラップを登り、指定の席に行って座る。私はすぐに作曲作業を開始した。
 
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政子の指定した「/\〜」みたいな線の列に沿い、歌詞を見ながら音符を記入していく。歌詞を見ていると政子の祈りが伝わってくる。私も麻美さんの回復を祈りながら音符を書き入れて行った。
 
「聴ける?」と政子が訊く。
「ちょっと待ってて」というと、私は書き込んだ譜面を見ながらパソコンにMIDIデータを入力していった。打ち込み終わったところで、イヤホンで政子に聴かせた。
 
「ここ、これより低く、こんな感じ」とか「ここはもっとゆっくり上がって」
などと言うので、それに従って修正する。
 
そういう作業を30分くらいしているうちに、政子も「これでOKかな」と言う。
「これ麻美さんの枕元で歌おうよ」
「うん」
 
楽曲ができてまもなく、飛行機は高度を下げはじめ、やがて那覇空港に到着。私たちは陽奈さんに連絡し、タクシーで病院に入った。
 
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陽奈さんとも麻美さんとも2年ぶりになる。麻美さんのお母さんはやつれた顔をしていた。
「わざわざありがとうございます」
「どうですか?」
「今は小康状態です。このまま回復してくれるといいのですが」
 
私たちはICUの中に入れてもらい、麻美さんの手を握り
「ケイだよ。頑張ってね」
「マリだよ。負けちゃだめ」
と言って激励した。麻美さんは意識が無いのだが、頷くような動作をした。
 
私たちはいったん控室に下がる。
 
「枕元で歌いたかったけどさすがにICUじゃ歌えないから」と言って私たちは控え室で小さな声で作ったばかりの曲『神様お願い』を歌った。陽奈さんがそれをICレコーダに録音。再度ICUに行き、麻美さんの耳元で鳴らしてきた。
 
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もう3時すぎなので、4人ともいったん寝ることにする。毛布を用意してもらったので、一方の端でお母さんが、真ん中付近に陽奈さんが、他方の端で私と政子がくっついて寝た。私はライブで疲れていた上に強行軍で金沢から沖縄まで飛んできたので熟睡してしまった。それでも6時に目が覚めた。お母さんと陽奈さんはもう起きていた。お母さんは実際問題としてほとんど寝ていない雰囲気だった。政子はまだ寝ていたので、そっとしておいた。
 
ICUの方に様子を伺いに行くと、ちょうどお医者さんがチェックしていた。「どうでしょうか?」と私が聞くと、お医者さんは少し笑顔を作って
「持ちこたえましたね。峠は越したと思います」と言った。
「良かった!」と言って、私は陽奈さんと手を取り合って喜んだ。
お母さんは喜ぶ元気も無いようだったが、嬉しそうな顔をしていた。
 
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その夜は、本当に危ない状態だったので、かなり強烈な薬を使ったため、その副作用もあって、彼女が意識を回復したのは、翌20日の夕方であったが私たちは彼女の顔色がどんどん良くなっていくのを見て、その回復を確信していた。日中、私たちは交代で食事に行ったりしつつ、色々お話をした。
 
「わあ、その曲、娘のために作ってくださったんですか?」
「ええ。羽田で、この病院の方角を向いてふたりでお祈りしていたら曲が浮かんできたので、その場で歌詞を書いて、機内で曲を付けたんです」
「凄い」
「今ちょっと色々事情があって発売はできないですけど、きっとCDの形にしてこちらにも送りますから」
「ありがとうございます。娘は幸せ者です」
 
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「『恋座流星群』と同じような感じでのリリースですね?」と陽奈さん。
「たぶん、あんな感じになると思います。色々制約があって、春くらいまで私たちの曲が発売できないんですよね」
 
お昼頃、出張先のインドネシアからやっと戻って来た麻美さんのお父さんが来て、様子を聞き、ほっとしていた。また親戚の人が数人来た。お母さんのお姉さんという人が「あんた寝てないでしょ。寝なきゃダメ」と言うが、お母さんは眠れない様子。結局お医者さんに睡眠薬をもらって少し寝た。
 
昼間は麻美さんの友人も数人お見舞に来て、ついでに私たちとも握手を交わした。2年前にも会ったことのある子たちであった。私が相手の名前を言って挨拶すると「よく覚えてますね!」と言って、向こうはびっくりしていた。
 
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「それってケイの能力だよね。ごめんねー。私、全然顔も名前も覚えきれなくて」
と政子は言っている。
「マリはクラスメイトの顔も全然覚えないもんね」
「私、それが全然ダメなんだよね〜」
 

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