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■春枝(16)

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「そういえば松井先生がこんなこと言ってたよ」
と1日目の学校を“女子生徒”として何とかこなし、部活も終わった後、茜(ソプラノ)・啓太(テノール)と一緒に下校しながら岬は言った。
 
「おちんちんのことを陰茎って言うじゃん。それは男の子にとっては茎のように大事なものだから。でも私みたいな子の場合は、むしろ要らないものだから、いわゆる“枝葉”(えだは)のようなもので、だから“陰茎”じゃなくて“陰枝”とでも言ったほうがいいかもって」
 
「確かに植物の茎を切ったら困るけど、枝を切るのは構わないよな」
と啓太。
 
「啓太は茎を切らずに済んでよかったね」
 
「特効薬が凄く効いたし、金沢ドイルさんに祈祷してもらったので、劇的に腫瘍が小さくなったから、もうチンコを切断しなければならない可能性は全く無くなったと言われた。薬も軽いものに変えてもらったし。もっとも切らずには済んだけど、全然立たねぇ」
 
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薬の副作用で男性ホルモンの分泌が抑えられているのである。この治療は最低1年は続けることになっている。実は自慰も禁止されている。
 
「立たなくてもちゃんと結婚してあげるから。最初に言ったように、ちんちん全部無くなってしまっても結婚してあげたけどね」
と茜は言う。
 
「俺その茜の言葉が無かったら、死にたかったかも」
と啓太。
 
「普通の男の子にはそんなに大事なものなのね」
 
とセーラー服の岬はあらためて感外深げに言った。
 
「あ。そうだ。いくら啓太君の男性能力が落ちているといっても、次からは“する”時はこれ付けたほうがいいよ」
と言って、岬は自分のカバンの中から可愛い布の袋を出して茜に渡した。
 
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茜は中身を確認して、ゴホッゴホッと咳き込んだ。
 
「あ、ごめん」
と啓太も素直に謝った。
 

6月27日夕方株主総会が終わって郷愁村に帰った青葉は、旅館《昭和》で夕食を取った後またひたすら泳いだ。ここのプールは24時間・365日使えるのがいい所である。しかも現時点では利用者が青葉・ジャネ・筒石・千里・アクア・佐藤玲央美・若生暢子・若葉と8人しかいない。なお筒石は
 
「女子専用だから女子水着を着るの?OKOK」
と言って、楽しそうに女子水着を着て泳いでいたが、みんな彼の股間は見ないようにしていた!
 
夜中まで泳いだ後、青葉は旅館に帰ってぐっすり寝た。そして翌28日はまた朝食後ひたすら泳いだ。ジャネとは練習のサイクルがずれるものの、向こうも睡眠と食事の時間以外はひたすら泳いでいるようだった。
 
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6月29日は信次さんの一周忌法要をするので、千葉市に向かった。信次さんが務めていた○○建設からも律儀に何人かの社員が来てくれていた。優子さんはご両親と一緒に出てきていた。優子の両親にとっては初めての川島家訪問になった。またこの日は千里の友人が大量に来ていた。
 
青葉は法要とその後の食事会が終わった所で郷愁村に戻り、ひたすら泳いだ。
 

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6月30日は郷愁村で朝御飯を食べ、一泳ぎしたあとジャネに
 
「じゃ、ちょっと南米まで行ってくるね」
と声を掛けて出かけた。
 
「まるで近くのラーメン屋さんに行ってくるね、みたいな感覚だ」
と言って、ジャネが呆れていた。
 
青葉は旅館の人に熊谷駅まで送ってもらった後、電車で千葉市まで行き、いったん川島家に寄った。
 
すると康子は出かけているらしく、千里だけだったのだが、若い女性の訪問客を見た。小さな赤ちゃんを連れている。青葉はその女性を見た瞬間、それが“誰なのか”が分かった。とうとう向こうから接触してきたな、と思ったのである。
 
青葉としても彼女が関東に住んでいることは分かっていたものの、どこにいるのかまでは探索できていなかった。信次さんのアパートがガス爆発で滅茶苦茶になってしまったのもあり、確実に彼女のものと思われるような何かを確保できず、彼女の波動を確定できなかったのである。
 
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「波留さん、こちらは私の妹の青葉」
と千里が青葉を紹介する。
 
「初めまして」
 
「青葉、こちらは信次の元カノで波留さんとその息子の幸祐くん」
「初めまして」
 
青葉はその話を聞いても平然としていた。そして言った。
 
「でも幸祐君、可愛いね。耳の形が信次さんそっくり」
 
信次の耳はいわゆる福耳であったが、その特徴を優子とこの幸祐が受け継いだようだ。
 
「信次さんの子供だなんて言ってないのに」
と波留は言ったが、青葉は
 
「見れば分かりますよ」
と笑顔で答えた。
 

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それで結局、千里・青葉・波留の3人で楽しく会話していた所に康子が帰宅した。
 
「コロッケ買って来たけど食べない? あれ?お客様?」
と康子。
 
「あ、すみません、お邪魔してます」
と波留。
 
「お帰りなさい。こちら信次さんの彼女だった水鳥波留さん。そして赤ちゃんの幸祐くん。この子は4月に生まれた、信次さんのもうひとりの忘れ形見です」
と千里が言うと
 
「えーーーー!?」
と康子は驚愕していた。
 

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実は一周忌の席で、信次さんには別の愛人もいたらしいという話が出ていたことと、やはり幸祐の耳の形が信次に似ているということから、康子は波留が信次の恋人であったという話を認めてくれた。
 
波留たちが帰った後、青葉は言った。
 
「信次さんって、亡くなる直前にたくさん枝を伸ばして自分の遺伝子を残したんですね」
 
「まさにそうだけど、あの子はちょっとやり過ぎ」
と康子は少し怒ったように言った。
 
「結局、信次さんの子供は、奏音ちゃん、由美ちゃん、幸祐君と3人いる訳か」
と青葉は言ったが、千里は
 
「もうひとりくらい居たりしてね」
と言った。
 
ちー姉、それっていつものどこかから降りてきた言葉?と青葉は言おうかとも思ったが、康子さんの手前やめておいた。
 
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千里はこの手の発言を自分で覚えていない!のが特徴である。
 
しかし信次さんの子供がもう1人いる可能性がある訳だ!信次さんって一体何人愛人作っていたのよ!?
 

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アテンザを青葉が運転して千里(千里1)を経堂の桃香のアパートまで送ったあと、青葉は電車で成田空港まで移動して、ロサンゼルス行きに搭乗した。
 
女性と記されたパスポートの4回目の行使である。
 
男と記されたパスポートは2度しか使っていないから、法的に女になってからその2倍行使したんだなと思うと、女の明るい歴史で男の暗い歴史を上書きしているような気分になった。
 
NRT 6/30(Sun) 17:20 (JL062 777-300ER) 11:10 LAX (9'50)
LAX 13:30 (LA2477 767-300) 7/1(Mon) 0:10 LIM (8'40)
LIM 3:03 (LA639 A320) 7:38 SCL (3'35)
SCL 10:25 (LA300 A321) 11:29 LSC (1'04)
 
NRT:成田 LAX:ロサンゼルス LIM:リマ SCL:サンティアゴ LSC:ラセレナ JL:日本航空 LA:ラタム・エアラインズ
 
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ロサンゼルスからサンティアゴへは、直行便も1日1本だけ存在するのだが、ここ数日の利用者が多すぎて青葉が申し込んだ時は既に満杯で確保できなかった。それで従来通り、リマでのトランジットとなった。
 
しかし飛行機を4機乗り継ぎ、合計滞空時間は23時間を越える。なかなか大変な旅だと青葉は思った。
 
ラ・セレナは南緯30度、西経71度付近にある。日本からすると、ほとんど地球の裏側である
 

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長旅で疲れたので、その日青葉はぐっすりとホテルで眠った。翌7月2日は朝御飯をのんびり食べてから、部屋でパソコンも閉じて五線紙を出し、作曲作業をした。今回の旅の間に5曲書いてと言われている。もっとも青葉は1曲だけ書くつもりでいた。他の4曲は松本花子に作曲させるつもりである!
 
お昼も食べて少し仮眠してから、しっかり防寒具を着て海岸に行く。
 
ラ・セレナは元々日本で言えば北海道並みに涼しい町である。しかも今は7月、真冬である。青葉は海岸まできたところで、大阪のおばちゃん4人組に出会った。彼女たちはまるで夏のような格好をして「寒い」と震えていたので、念のため持っていたレインコートとカーディガンを貸してあげた。「だいぶマシになった」と言っていた。
 
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彼女たちのイメージでは南米なんて南の方にあるから凄い暑い所で、7月だから真夏だろうと思っていたらしい。青葉は日本の理科教育には問題があるのではという気がした。
 
そのおばちゃんたちと楽しくおしゃべりしながら、その時を待った。
 
※2019年7月2日 La Serena での日食データ(現地時刻)
 
部分食始15:22:33
皆既食始16:38:14
皆既食了16:40:29
部分食了17:46:37
日没__17:56:58
 
あれこれおしゃべりしながら、出ている屋台のようなお店でおやつを買って食べたりしながら、空を見ている内に、部分食が始まる。
 
「欠け始めた!」
 
とおばちゃんのひとりが大きな声で叫んだが、近くでは英語・スペイン語はもとより、フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語など様々なことばで似たような声があがっていた。ホントに世界中からここに見に来ている人たちがいるんだなと思った。
 
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やがて皆既が始まると、突然夜が来たように真っ暗になり、鳥が驚いたように騒ぐ。おばちゃんたちは「これ凄い!こんなに暗くなるなんて」と言っている。
 
これは凄いと青葉も思った。青葉は2012年5月20日に日本の広域で見られた金環食の時は岩手に行っていて、富山も岩手も金環食帯からは外れていたので、結局部分食しか見ていない。それでもかなりの食分のある日食だった。
 
しかしどんなに食分が大きくても部分日食と皆既日食は、全く別物だと思った。
 
これはやはり一生に一度は見るべきものだという気がした。あれだけ騒いでいた大阪のおばちゃんたちも、真剣にその様子を見つめていた。
 

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皆既食は2分15秒で終了し、ダイヤモンドリングが光って、部分食に戻る。
 
「何か一瞬ピカッと光った」
「あれがダイヤモンドリングですよ」
「すごーい!何か私たち凄いものを見た気がする」
「うん。凄かった」
「なんか感動した」
「私、息するのも忘れてた」
 
「ええ。物凄いものだと思いますよ」
と青葉は笑顔で言った。
 
部分食は1時間ほど掛けて少しずつ食分が小さくなって行き、やがて日食は終了したが、もう太陽は海に沈む直前である。食が終わってからわずか10分で太陽は西の海に沈んだので、多くの人がそれまで太陽を観測グラスで見続けた。何度もカメラでシャッターを切っている人たちがいたし、ずっとビデオカメラで撮影していた人もいた。
 
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みんな大きな感動を共有した。
 
素晴らしい天体ショーであった。
 

日食が終わった後は、大阪のおばちゃんたちと一緒にラ・セレナ市街地に移動して、一緒に楽しく夕食を取った。彼女たちは昨夜はスペイン語が分からないので適当に注文したら訳の分からない料理が来て困ったらしいが、今日は青葉が通訳してあげて、楽しんでチリ料理を食べていた。彼女たちはこの後、リオ・デ・ジャネイロ観光をしてから帰るらしい。
 
翌7月3日(水)の夕方、青葉はラ・セレナを飛び立った。
 
LSC 7/3(Wed) 18:00 (LA311 A320) 18:56 SCL (0'56)
SCL 20:50 (LA634 A320) 23:36 LIM (3'46)
LIM 7/4(Thu) 2:05 (LA2476 767-300) 9:00 LAX (8'55)
LAX 7/5 15:30 (SQ11 777-300ER) 7/6 19:00 NRT (11'30)
 
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SQ:シンガポール航空
 
来た時と同様にサンティアゴ・リマ・ロサンゼルスで乗り換え4つの飛行機を乗り継ぐ。ジェット気流に逆行するので来た時より長い25時間の合計滞空時間となる。
 
ロサンゼルスから成田へは、実はチケットでは7月4日の日航の便を取っていたのだが、さすがの青葉も疲れが溜まっていて「これはダメだぁ」と思ったので、ロサンゼルスに着いた後、空港の外に出て、ホテルに入って丸一日眠った。
 
ホテルの代金は2日分払った。またロサンゼルスから成田までの航空券代はキャンセルしてもどうせ100%のキャンセル料が取られるので持っていたチケットは放置し、新たに追加で買った。それで少しでも安いシンガポール航空のにした。
 
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結局予定より1日遅れで7月6日の夕方、成田空港に降り立った。
 

入国手続きをしてから『ロサンゼルスで丸1日寝たのに、まだ眠い。今日は郷愁村まで行かずに都内のホテルで寝ようかな』などと思いながら、パソコンとMIDIキーボードの入ったバッグを抱えて歩いていたら、目の前に千里と彪志が一緒に立っていた。髪が短いので千里1だと判断する。
 
「青葉お帰り。お疲れさん」
と彪志は言った。
 
「・・・ありがとう」
 
「青葉お疲れ。私は帰るね」
と言って、千里は青葉の荷物を“手から取って”それを持ち、帰っていった。
 
「千里さんが、青葉の到着する時刻と出てくる場所を予測してくれたんだよ」
 
『1番さん、そんなことができるまで回復したのか』
と青葉は思った。
 
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荷物は・・・きっと大宮の“自宅”に持っていってくれたんだろうな。
 

青葉は彪志と見つめ合った。
 
彪志は黙って青いビロードのジュエリーケースを差し出す。青葉は戸惑いながら受け取る。開けると燦然と輝くダイヤのプラチナリングが入っていた。
 
「受け取ってくれる?」
と彪志は訊いた。
 
「うん」
と青葉は可愛く頷いた。
 
ふたりは人目も気にせず静かにキスをした。
 
7月6日19時半くらいのことであった。青葉がもしロサンゼルスで1日寝ていなかったら、本来5日の夕方になるはずだったが、その場合ボイド(7/5 15:24-7/6 13:24)に掛かっていた所だった。青葉が高額の追加航空券代を払って1日予定をずらしたおかげで、ボイドではない時間にエンゲージリングを受け取ることができたのであった。

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