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■春枝(10)
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翌6月26日(水).
青葉は徹夜になってしまった大田ラボで朝、目を覚ますと、もう起きてコーヒーを飲んでいた“株式会社結実”の経理課長・島田司紗にお金を渡してミスドを買ってきてもらい、まだ寝ていた峰川イリヤも起こして3人で食べて朝御飯にした。
司紗は千里姉と同じ旭川N高校の出身で、長らく千葉Rocutesに所属していたが、昨年度いっぱいで退団し、2019年度からは東京40 minutesに移籍した。元々40 minutesというのは、Rocutesと江戸娘の“姥捨て山”である(秋葉夕子談)。選手数は年々膨らんで行っている。人数が増えすぎて最近練習用のユニフォームは背番号が3桁である!(レギュラー以外は試合の時2桁の背番号を縫い付ける)
バスケ協会の登録料はチームが払うので、毎年春に「所属継続」を宣言するだけで、1年間バスケット選手として扱われ、バスケ協会から機関誌も送られてくる。そして深川アリーナを好きな時に24時間いつでも利用できる。実は午前中に練習に来る主婦や、会社が終わった後で深夜練習に来る選手もいる。牛丼屋さんが24時間営業しているので食事にも困らない。
司紗は実は高校を出た後、司法書士の資格を取りますという名目で事実上のパラサイトをしていたのだが、昨年松本花子を立ち上げた時に事務的な処理をしてくれるスタッフが必要になり、千里が司紗に声を掛けたらやります!と言うので雇用した。彼女はいまだに司法書士の資格を取れていないものの、行政書士・宅建(宅地建物取引士)・不動産鑑定士・簿記2級・英検2級・中小企業診断士など、様々な資格を取っている。簿記については実務経験は無かったものの、理論はしっかりしているようだったのでお願いした。複雑怪奇な企業税制についても税理士さん並みの知識を持っていた(税理士の試験は2回挑戦したが玉砕したと言っていた)。彼女は松本花子の仕事が忙しいので、結構大田ラボに泊まり込んでいることも多い。(全国出張も多い)
ちなみに“経理部長”にすると言ったのだが「部長なんて畏れ多い」と言って経理課長の肩書きである。
「そういえば、もしお父さんがイリヤさんの“奴隷”になったら何をさせるんですか?」
と青葉はイリヤに訊いてみた。
「取り敢えず額に入れ墨で“奴隷”と入れようかな」
「え〜〜〜!?」
「冗談だけど」
「よかった」
「どうも奴隷になりたがっているようだから困ったものだ」
「あはは」
「去勢しても貞操帯つけてもいいよ、と言ってたが、そんな本人が望むようなことはしてやんない」
「貞操帯って辛そう」
と司紗が言う。
「女は貞操帯つけられてもそうでもないだろうけど、男は辛くて発狂しそうになるらしい」
「それをなぜ付けられたいんです?」
「苦しみたいんじゃない?」
「よく分からないな」
「去勢するにしても睾丸はそのままにして陰茎だけ切断だな」
「お父さん発狂しますよ!」
「既に狂っていると思うけど」
「うーん・・・」
8時に蒲田駅を出て、10時前に郷愁村に到達した。実際には熊谷駅前に郷愁温泉《昭和》の送迎車が停まっていて、旅館の法被を着た男性が
「川上さんですか?お待ちしておりました」
と言って、青葉を乗せて郷愁村まで運んでくれた。
それで11時から、市長さんや商工会長さんなども参列して、“プール開き”が行われたのである。青葉とジャネもハサミを持ってテープカットに参加した。しかしテープカットの参加者の中に、秋風コスモスやTKRの松前社長までいるので驚いた。
「§§ミュージックやTKRがここに関わっているんですか?」
「今年はアクアの映画をここで撮るのよね」
「へー!」
「今オープンセットを建設中。10億円の予算で」
「相変わらずアクアのプロジェクトは予算が潤沢ですね!」
そういう訳で、青葉は6月26日いっぱいここのプールで泳いだのである。
なおここのプールの水は敷地内を流れる田斐川から取水したものを浄化施設を通して供給している。雨水も利用する。むろん不足する分は市の水道を使用する。川からの取水には膨大な手続きが必要なのだが、元々若葉はエコロジックな施設運用のために、この作業を昨年の内から進めていたらしい。また田斐川は一級河川でも二級河川でもない、いわゆる普通河川なのでハードルは比較的低かったらしい。またこういう膨大な水を使う施設で全てを水道に頼られると、市は辛いそうで、川からの取水という話を市は歓迎してくれたのである。
プールからあふれた水や排水口から出た水は濾過・消毒した上でプールに戻す。シャワーや洗顔器などで使用した水は下水に流すがその下水も郷愁村内に設置した排水処理施設で処理した上で“中水”として、トイレの洗浄や清掃などに使用している。最終的に市の下水道に流入させる量はひじょうに小さい。この中核となる50mプールだけでも 3750m
3(50m x 25m x 3m) もの水を使うにしては環境負荷が小さいのである。
(今後建築する25mプール(水深2m)が800m
3, レジャープール群(水深1m以下)は合計でも700-800m
3程度の予定である)
「しかし50mプールを2人で独占していると気持ちいいね〜」
とジャネは言っていたが、青葉も同感だった。
なおジャネは2万円を払って、深川アリーナ・郷愁プール、共通の年間利用パスを発行してもらったのだが、結局、幡山ジャネ、水渓マソ、木倒マラという3つの名義のパスをもらったらしい。名義の件ではジャネは不満そうでぶつぶつ言っていた。まあ実際には幡山ジャネ名義以外を使うことはないだろう。マソもマラも既に死んでるし!
2人の人物は深夜の釈迦堂PAで落ち合った。
「これ『久しぶり』と言えばいいのかな」
「ふつうに『こんばんわ』でいい気がする」
「じゃ、こんばんわ」
「こんばんわ」
取り敢えず2人は握手した。
「1番が暴走しているみたいだけど、やばくない?あれかなり被害者が出ている気がする」
「うん。妖怪を粉砕したりするのはいいんだけどね。どんどん人を性転換しちゃうのは困るよね」
「要するに自分の性別に何か不安を感じている状態で千里1と身体的な接触をしちゃうと、***の法が自動起動するみたいだ」
「危ないなあ。アクアと握手したりしたら、アクアが性転換されてしまう」
「アクアは性転換されてもあまり問題ない気がする」
「確かに誰かが性転換しちゃったら代わりに他のアクアを性転換すればいいよね」
などと、無責任なことを言っている。
「桃香と青葉には防御を貼っておいたから大丈夫」
「まあ桃香は男になっても構わないだろうけど、青葉は男になったらショックで寝込むかもね」
「さすがにそれは可哀相だ」
「でも松井先生がまた楽しそうに性転換手術してくれるよ」
と結局無責任な会話になっている。
「取り敢えず被害者は既に6人」
「その6人のリストある?」
「追ってメールする。分担してフォローしない?」
「そうしよう」
「これ何か対策取れない?」
「くうちゃん?」
すると天空は2人に言った。
「あの子、霊場巡りをすると言っていた。それで封印が戻って、こういう無意識に人を勝手に性転換したりするのは無くなると思う」
「じゃそれまでの間に何かあったらまた連絡を」
「OKOK」
「じゃ、またね」
それで2人は別れた。
2019年6月3日(月).
2ヶ月間の研修を終えた青山広紀は、金沢支店への正式辞令をもらい、新しく借りた金沢市内の安アパートから制服(男子制服)のまま出勤して行った。午前中金沢支店に新配属された30人と一緒に支店長の訓示を受けた後、自分の部署に行き、挨拶をした。
結局研修所で初日に同室になりかけた藤尾歩と同じ太陽光発電事業課の配属である。
「なんか色々縁がありそうね。よろしくね」
「ええ。歩さんにはホントにお世話になっちゃって」
「広紀ちゃんは真面目だけど気が弱いのが欠点だなあ」
あの研修の初日、男子部屋から追い出されてしまった広紀は歩に電話して相談してみた。すると歩は大笑いして5階まで降りてきてくれて、528号室に入った。
「すみませーん。失礼します」
「ああ、君?部屋を間違えられていたのでここに追加になったって人は?」
と歩は中に居る男子たちに尋ねられた。
歩は充分“男子パス”する。
「いや、それが私は女なんですけどね。ここにいる広紀ちゃんが実は男なんですよ」
「うっそー!?」
それで歩が、彼は名前が女でもあるような名前で性別を間違えられて、制服も女子制服を渡されたが、本人はこれが女子制服であること自体に気付かなかったこと。宿泊する部屋が女子ばかりなので仰天して総務に問い合わせて、社員証の性別は修正してもらえることになったが、制服の交換をしてもらうのを忘れたので、今は女子制服のままであること、しかし確かに男子であることを説明した。
「そうだったのか。だったらこの部屋でいいよ」
「でも君って、女の子になりたい男の子とか?」
「なりたくないですー」
そんなやりとりもあって、広紀は男子部屋に泊まることができたのである。
「そちらのお姉さんは男の子になりたい女の子ということは?」
「男になりたい。誰かちんちんくれません?」
「嫌だ」
それで歩は「男になれないなら女部屋に戻ります」と言って自分の部屋に戻った。
広紀がパジャマに着替える所を見て同部屋の男子たちは
「ふーん。男物の下着を着けてるんだね」
「自粛したの?」
「女物の下着でも構わないよ。中身が男の子なら、僕たち気にしないから」
などと言った。どうも一部誤解されたままのようであった。
制服も翌日には男子制服をあらためて支給してもらったが、女子制服はそのまま持ってていいと言われた。どっちみち広紀が1日着ていたので、返してもらっても規定により廃棄せざるを得ないらしい。それで広紀は女子制服も持ったまま一応男子制服でその後の研修に参加した。
男子制服はいいなぁ。ちゃんと立っておしっこできる!と広紀は思った。
女の身体って不便だなあ。立っておしっこできないなんて、と依田怜は思いながら、その日も病院に来ていた。
検査結果が出て、腫瘍らしきものは良性であることが判明したので、その後の治療方針を話し合うはずだったのだが、怜が「実は・・・」と言って完全に身体が女体に変化してしまったことをいうと、医師は仰天した。
再度全身くまなくMRIでスキャンされたのだが、
「あなたは完全な女性ですね」
「卵巣・子宮もあります、前立腺などは存在しないです」
「乳房もかなり発達してますね」
と言われる。
なお腫瘍は完全に消滅していることが分かった。性別が変わった副作用かもと怜は思った。しかし医師からは
「あなた本当に依田怜さん本人ですよね?双子の妹さんとかじゃないですよね?」
と念を押された。
確かに本人であること、前回病院に来た日の帰りに急に気分が悪くなり車の中で寝ていたら30分ほどの間に身体が変化してしまったのだと申告すると、医師は
「外国でそういう事例があったと聞いたことはありますが、怪しげな話だと思って信じていなかった」
と言った。
「おそらく半陰陽の一種だと思います。元々女性だったのが、何らかの原因で男性のような形になっていたのが、何かのきっかけで本来の性別の形に戻ったのでしょう」
「だったら、私はこの後、女として生きていかないといけないのでしょうか?」
医師は考えるようにして言った。
「女として生きていくのであればそれで戸籍上の性別が変更できるように診断書を書きます。男に戻りたいのであれば手術して男性器を形成する方法もあります」
「それってつまり性転換手術ですよね?」
「はい、そうです」
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