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■春枝(9)
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(C) Eriki Kawaguchi 2019-07-14
連休明けに夏野明恵が大学に出て行くと、クラスメイトたちに捉まってしまった。
「あっちゃん、テレビに出てたね」
「あれ見てたの〜?」
「レポーターに採用されたの?」
「あれは番組でも放送した通りなんだよ。たまたま通りかかった所で幸花さんに捉まっちゃってさ。あの人と私の親戚がお友達で、それで何度か会ったことあったんだよ」
「へー」
明恵は昨年の“H高校七不思議”に男装で出演しているが、あの時は顔を完全に隠してもらっていたし、声も変形し、名前も“仮名A君”になっていた。おかげで明恵の性別はバレていない。
「でも次回からも出演するようなこと言ってなかった?」
「まだ決まってない。私が自分で決めてと言われた。今月中に返事しないといけない。私がやらない場合は、誰かアシスタントを雇うらしい」
「それはぜひ出ようよ。そのまま〒〒テレビに就職すればいいじゃん」
「でもギャラが1日3000円だからなあ」
「あれ、マジで3000円なの?」
「冗談かと思った」
「最低時給の半額も無い気がするけど」
「“従業員”なら石川県の最低時給806円が適用されるけど、番組のアシスタントということになると、タレント扱いだから、そういうのに左右されないんだよね」
「限りなくブラックに近いグレイという気がする」
「でも染物工場で、働いている人は全て個人事業主の“職人”で会社と委託契約なんてところあるらしいよ」
「それも酷いなあ」
806円で8時間働くと6448円になるが税金その他を引かれると4000円くらいになってしまう可能性はある。但し3月の能登半島の取材では明恵は3日分として(所得税を源泉徴収した上で)3万円もらっている。
「ところで以前出ていた青山さんは、噂通りどこかのゲイバーに勤めてるの?」
「その話、幸花さんが大笑いしてた。実際はK製作所に就職したらしいよ」
「なんだ」
「大企業じゃん」
「K製作所に・・・女性従業員として就職した?」
「まさか。男性従業員だと思うけど」
と答えつつ、明恵は少し不安を感じた。あの人、女顔だったよなぁと明恵は思った。
連休明けには、担任教官との個人面談が行われた。
心理学科の担任は渡辺準教授という、まだ30代の若い先生だった。金沢大学の心理学科を修士課程まで出た後、企業のカウンセラーをしていて、その後ここの講師に転身したという人である。2年前に准教授に昇格したらしい。カウンセラーとしての経験があるせいか、話し方がとても分かりやすくて、いいなあと思った。金沢大学には元々数学科に入ったものの、途中で心理学に転身したということで、統計的な話にも物凄く強いようだった。。
明恵の高校からG大学の文学部に入った子が、他にいないこともあり、友だちはできたかとも聞かれる。竹本初海ちゃんや川西玲花ちゃんと仲良くしてますと言うと、それなら安心といった上で、困っていることや、戸惑っていることなどはないかと聞かれたが特に今のところはないと答えた。
10分くらい話していてから、書類を見ていた準教授が「あれ?」という顔をした。
「夏野さんって、男性だっけ?」
「まさか。私、女ですけど」
「でも大学の書類は男子になってる。それに名前も“明宏”って男性的な名前だよね」
「それで“あきえ”って読むんですよ」
と明恵が言うと
「ほんとだ!読みは“ナツノ・アキエ”で登録されている!」
と言う。
これは明恵が入学願書を出す時、例によって直前に書き換えをしたのである。
「生まれた時、祖父が出生届けを出してくれたんですが、あまりに達筆な字で“明恵”と書いたので“明宏”に見えちゃったらしいです」
と言って、明恵は自分の手帳を取り出すと、空白ページに草書体で「明恵・明宏」と書いてみせた。
「似てるね!」
と準教授は納得していたが、実は少し誤魔化している。わざと似るように書いている。
「小学校の入学案内が来た時に仰天して、市役所で聞いてみたけど、いったん受理されたものは、もう修正できないということらしくて、20歳になったら自分で改名手続きしようと思っています。これでけっこう男に間違えられるんですよ」
「大変だね!」
と準教授は同情してくれた。
もちろん明恵は20歳になったら、分籍した上で改名するつもりでいる。将来法的な性別を変更することになった場合も、分籍しておいた方が都合がよい。明恵は性転換手術を受けるかどうかについては現時点では五分五分の気持ちである。
「それで戸籍上は“明宏”の字ですけど、通常“明恵”の字で通しているんですよ」
「なるほどねぇ。じゃ、君は間違いなく女性だね?」
「何でしたら、裸になってみせましょうか?」
「いや、それは僕が逮捕される」
と言って、渡辺先生は慌てていた。
それで性別は単純ミスということで、修正してくれるよう言っておくということであった。
明恵の場合、女にしかみえないので、まさか男だろうとは準教授は思いもよらなかったのである。
依田怜は連休明けてすぐは病院も混みそうだったし、連休中に学校の仕事もたくさん溜まっていたので、一週置いて5月13日に予約を取った。この日は朝から病院に一時入院して、レントゲン撮影、CTスキャンほか、様々な検査を受けた。それはまるで人間ドックのような感じの検査だったが、女性化の原因がどこかにある病気のせいかもというので全身くまなく検査したのである。
その結果、腎臓に小さな影があるのが見つかった。
「もしかしたら腫瘍かも知れない。組織採取して検査していいですか?」
「よろしくお願いします」
それで検査結果が出てからまた診察を受けることになった。それで不安を抱えながら、帰宅途中、イオンモールかほくに寄ったら、そこに美少年タレントのアクアちゃんがいて、変なレポーターに絡まれていた。度を過ぎているので、依田は正義感からその人物に物申そうと思ったのだが、その前に小さな子供を2人乗りのベビーカーに乗せた女性が通りかがり、作曲家と名乗って、そのレポーターに注意をしていた。
その後レポーターは結局自分で転んで怪我して、医務室に行ったが、その後、近くで様子を見守っていた人が、その作曲家さんに声を掛け、それでその人が作曲家でかつスポーツ選手(後でバスケット選手と分かった)であることを知った。依田は彼女を激励したくなり、
「頑張って下さい」
と言って握手した。向こうからも
「頑張って下さい」
と言われた。
それで車に戻った後、急に気分が悪くなった。後部座席に行き横になっていたのだが、15分くらい身体のあちこちでまるで中身が移動?でもしているかのような変な感覚があった。何これは?何か変なものでも食べたっけ?と思ったが、そもそも今日は丸一日検査で何も食べていないことを思い出す。身体に入れたのといったら、胃の検査で飲んだバリウムくらいである。
しかし15分もすると身体は落ち着いて、特にどこも苦しくなくなった。依田はこのまま少し寝ようと思い、目を瞑って自分を睡眠に導いた。
30分くらい寝てから起きたが、身体が妙にすっきりした感覚があった。
取り敢えずトイレに行ってから、何かお総菜でも買って帰ろうと思う。それで(男子用)トイレに行き、個室に入って、用を達した。その時、おしっこが出る感覚が物凄く変だった。
え?と思い、覗き込む。
そして「うっそー!?」と声に出して言った。
依田怜が帰宅すると、パートナーのサトミが
「怜ちゃん、お帰り。検査どうだった?」
と訊いた。
「何か腫瘍っぽいものがあるらしい。そのせいかも知れないから、組織検査してからまた診察だって」
「大したことなければいいね」
「いやそれが大したことになっちゃって」
「どうしたの?」
「これを見て」
と言って怜は服を脱いで裸になった。
サトミは驚いて息を呑んでいたが、やがて言った。
「怜ちゃん、ずるい。性転換手術しちゃうなんて。私が性転換したいのに」
「手術とかしてない。病院の帰り気分が悪くなって30分くらい寝てたんだけど、その間に完全にこういう形になってしまって。トイレに行ってびっくりした」
「どうすんの?」
「どうしよう?」
「私は怜ちゃんが女の子でもいいよ。そのまま私を愛してくれるのなら」
「・・・サトミのことは好きだよ」
「じゃ、今まで通り一緒に暮らせばいいね」
「そうだね」
「これからは怜ちゃんが女役かな」
「それしか、しようがない気がする」
と怜はため息をつきながら言った。
青葉は5月13日にオーストラリア遠征から帰国した後、日中空いている大学のプールで練習をしつつ、卒論の作業と作曲の仕事をこなしていたのだが、放課後の水泳部の練習には全く顔を出していなかった。
「5月26日に愛知で中部学生短水路水泳競技大会があるんだけど」
「パス」
「5月25日にはそれに出ない子たちで、水泳部の部内記録会をするんだけど」
「無理〜」
「6月8日は石川県学生選手権」
「海外遠征中です」
ということでイベントにも全く顔を出さない。そして6月5日には成田からフランスに向けて旅立ち、日本代表のヨーロッパ遠征に参加した。
NRT 6/05 10:35 (AF275 777-300ER) 16:10 CDG (12'35")
青葉たちは6月8-9日にはモナコ(Monaco)に移動してヨーロッパ・グランプリのモナコ大会に参加、更に11-12日にはフランスの(プロヴァンス地方)カネ(Cannet)に移動してカネ大会に出る。更に15-16日はスペインのバルセロナ(Barcelona)に移動してバルセロナ大会に出た。つまりヨーロッパグランプリの内3大会に出場したのだが、今回はひたすら地中海沿岸の町を移動してまわった。
「大会に疲れた!」
とジャネが言っていたが、全く同感であった!
仕上げに6月21-23日にはローマまで戻って、セッテコリ国際水泳大会に参加した。2014年の大会に参加した時は池江璃花子が優勝している。日本チームが来たと聞いて入江も来てる?と聞かれたが、病気になって療養中と言うと、残念がっているイタリア人選手がいた。彼女からは「早くよくなるようにおまじないね」と言われて、蛙の小さな人形を短距離の選手が言付かっていた。
(お互い不自由な英語で話したので“白血病”という病名は伝わってない気がする)
青葉たちはこの大会が終わってから6月20日に帰国の途に就いた。
FCO 6/20 15:15 (AZ0784 777-200) 6/21 10:30 NRT (12'15")
青葉が成田に着いたら、まだ空港のビル内にいる内に杏梨から電話が掛かってきた。
「青葉、帰国した?」
「今到着した所」
「明日、北五(北陸地区国立大学体育大会)だからよろしく」
「え〜〜〜?」
それで青葉はその日新幹線で高岡に戻ると、ひたすら寝た上で、翌日金沢プールに出かけて行き、この大会に参加した。
青葉はきっちり、女子400m,800m自由形、400m個人メドレーで優勝して、日本代表の貫禄を見せつけたが、大会が終わったら自宅に戻って、そのまま丸2日眠り続けた(朋子が「生きているか?」と心配になり、何度か手で触って青葉が反応するのを確認していたらしい)。
そういう訳で青葉が目を覚ましたのは6月25日の朝である(実際には何度かトイレに起きており、その時、水分補給に500ccペットボトルのアクエリアスを数本飲み干したり、ウィンナーを丸かじりしたりしている)
「あんた、よく寝てたね」
と朋子が呆れたように言ったが、青葉は言った。
「東京行って、その後、予定通り南米まで行ってくるから」
「それいつ出るの?」
「この朝御飯食べたら」
「え〜〜〜!?」
それで青葉は6月25日午前中の新幹線で東京に出て、溜まっていた§§ミュージックやTKRとの打合せをし、また松本花子の作業所の方にも顔を出した。
結局また彪志と会えないままである。電話はしているのだが、正直、世界選手権が終わるまで会えないかもという気がしてきた。
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