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■東風(15)

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この時点で記者たち、および視聴者のほとんどが、アクアの性別に関する問題を発表するのだと思っていた。
 
しかしアクアは言った。
 
「実は発表するのは私の両親に関することです」
 
記者たちがざわめく。
 
「実は私の父はワンティスの元リーダー・高岡猛獅で、母は同じくワンティスのメンバーでその歌詞のほとんどを書いていた長野夕香なんです」
 
記者たちが騒然とした。視聴者の反応は割れた。「うっそー!?」と叫ぶ人たちとキョトンとしている人たちである。2人が亡くなったのは2003年なので、若い人たちはこの名前を知らないのである。
 
ここで雨宮先生が
「私に説明させて下さい」
と言って、高岡猛獅と長野夕香の関係について語った。
 
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・事務所の社長はワンティスのメンバーに恋愛禁止を言い渡したが、高岡と夕香は元々恋人関係であり、そもそも夕香は高岡の恋人だったのでメンバーに引き入れられた。そしてデビュー時点で既に夕香が妊娠中だったため、2人の関係は黙認された。
 
・ワンティスは2001年4月にデビューしたが、夕香は妊娠中だったので、初期の頃はサポートの女子大生2人を入れて支香とその2人の3人のコーラスでワンティスは演奏していた。他のメンバーには夕香は体調不良とだけ伝えてあった。
 
・2001年8月20日、長野夕香は子供を出産した。これが龍虎ことアクアである。しかしこの時点で高岡と夕香はまだ婚姻届けを出していなかったし、理由は不明だが龍虎の出生届けも出されていなかった。
 
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・同年10月、ワンティスはツアーに入るが、出産後2ヶ月の夕香がコーラスに復帰してツアーに帯同した。そして、生後2ヶ月の龍虎は、ミュージシャン仲間であった、志水英世・照絵夫妻に託された。
 
雨宮先生が志水照絵を紹介する。それで照絵は龍虎を預けられた時の状況を説明した。
 
・最初はツアーの間だけ預かるのかと思ったら、この子のことを明らかにできるまで2〜3年預かって欲しいと言われて仰天した。
 
・自分は流産した直後だったので、流れてしまった子の代わりに龍虎が来てくれたような気がして、我が子のように可愛がって育てた。
 
・その後、高岡夫妻は“時々”龍虎の顔を見に来たし、洋服やベビー用品を持ってきた。また養育費は毎月充分な額を送金してくれた。
 
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ここまで説明した時、雨宮先生が
「高岡はなぜか毎回女の子の服を持って来たという話は」
と茶々を入れる。すると照絵も
「あの人、マジで龍虎のことを女の子だと思っていたのかも」
と笑いながら言うので、緊張して聞いていた記者たちの間にも笑い声が漏れた。
 
アクア本人まで
「これ父の遺品から出て来たんです」
と言って、“高岡龍子・女”と書かれたホロスコープを提示するので、カメラが寄っていってこのホロスコープを映し、全国のテレビに龍虎が女と記載されたホロスコープが流れる。それで全国的に
 
「やはりアクアは女だった!」
と言ってお祭り騒ぎになる。
 
しかし一部
「神奈川県町田市と書いてあるぞ」
という騒ぎも起きていた!
 
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ここで上島先生が「その後のことを僕が話します」と言って話を引き取る。
 
・2003年12月27日、龍虎が2歳4ヶ月の時、高岡夫妻は中央道での事故で死亡した。志水夫妻は龍虎の今後の扱いについて遺族と話し合いたい思って葬儀の席に龍虎を連れていった。ところが事務所の社長に、ふざけたこと言うとヤクザに海に沈めさせるぞなどと脅され追い払われてしまった。
 
・志水夫妻は自分たちで龍虎を育てる決意をした。
 
・龍虎が幼稚園の年中の時、急に倒れて病院に運ばれた。原因は不明で、この後、龍虎は2年間にわたって入退院を繰り返し、多数の病院を転院することになる。
 
・そんな中で志水英世が事故死する。夫を亡くし、病気の子供を抱えて、照絵さんは途方に暮れた。そして何とかしなければと昔のミュージシャン仲間のツテを辿り、龍虎の母の妹である長野支香に泣きついた。
 
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「そこからは私が話します」
と言って長野支香が話を引き継ぐ。
 
・自分は夕香が子供を産んでいたこと自体を知らなかったので仰天した。でも照絵さんは嘘をついているようには見えなかったし、何よりも龍虎に姉の面影があると思った。
 
・それにしても自分には手が余ることだったので、上島雷太に相談した。上島も高岡の子供の存在は知らなかったらしく仰天したが、とにかく龍虎の医療費は全部持つと言ってくれた。
 
雨宮が話を引き継ぐ。
 
・ここで一番問題になったのが、龍虎の出生届けが出ていないため、彼女に戸籍が無いことだった。そこでまずは彼女の戸籍を作ることにした。
 
と雨宮先生が言った所でアクアが
「あのぉ、ボク男の子なんですけど」
と言うので、雨宮は
「あんた、まだその建前続けるの?いいかげん女だと認めたら?」
と言う(「そうだそうだ」という意見が大量にネットに書き込まれた)。
 
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そして雨宮は
「まあ性別はどっちでもいいや」
と言って、説明を続ける。
 
そこから雨宮が語った、龍虎の戸籍ができるまでの物語には記者たちも視聴者もかなりざわめいていた。質問は後からと言われてはいたのだが、ΛΛテレビの吉崎アナウンサーが
「この話自体で映画1本作れますよ」
と言う。
 
「本当にそう思います」
とアクアも言っている。そして
「これがそのホロスコープです」
と言って“高岡龍虎・M”と書かれたホロスコープを見せる。これもカメラが寄って映したので、龍虎が男と書かれたホロスコープも全国に流れた。
 

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雨宮の説明は続く。
 
・長野龍虎の戸籍ができたので、長野支香が龍虎の未成年後見人となり、健康保険でも自分の扶養者にしたので、高額の医療費が掛かる問題は解決した。
 
・その後も上島は龍虎の病気が分かる医師を探し、ついに渋川市にこの病気に関する専門医がいることが分かり、この医師の治療を受けることになる。そして龍虎は手術を受けることになった。
 
「そしてその手術前日に私たちと運命的な出会いをしたんですよね」
と醍醐春海(千里)が言った。
 
千里が話を引き取って説明した(龍に乗って飛んで行った話は省略した)が、この旭川N高校女子バスケ部メンバーと龍虎の交流の話は、一度映画にもなっているので頷いている人たちが多かった。
 
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「そして龍虎もやっと退院できるということになった時、彼女が退院した後、その面倒を見られる大人がいないという話になったんです」
と千里は当時の状況を説明しよとしたが
 
「醍醐先生まで。ボク男の子なんですけど」
とアクア。
 
「まだそんなこと言ってる。もういい加減、女だと認めたら?」
と千里は言って、入院中にアクアが男性患者の入浴時間帯にお風呂に入ろうとしたら、女の子がお風呂に入ってきたと思った男性患者が驚いてお風呂内でひっくり返り、入院期間が延びたなどという話をバラしてしまう。
 
この話はネット民たちには大いに受けていた。
 
「それからは女性患者の入浴時間帯に入ることになったんだったよね」
と千里は言うが
 
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「違います。男性患者・女性患者どちらの入浴時間でもない時間帯を割り当ててもらったんです」
とアクアは主張する。
 
「まあいいや」
と言って千里は説明を続ける。
 
・夕香は多忙なので、ツアーや音源制作に入ると何日も帰宅できない。
 
・志水照枝は実家で祖母が倒れて福井の実家に戻らざるを得なかった。
 
・龍虎は当面通院しなければならないので福井には行けない。
 
・そこで困っていた時に、たまたま同じフロアに入院していた田代涼太が自分たち夫婦には子供がいないので、自分たちがこの子の面倒を見たいと名乗り出た。
 
・それで結局、龍虎は田代夫妻の里子になることになり、病院代は引き続き上島が全額払うとともに、養育費を上島が送金することが決まった。
 
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田代涼太が説明する。
 
・養育費を送金するとは言われたが、自分達は夫婦とも教師をしていて生活にゆとりはあるので、基本的に龍虎は自分たちの給料だけで育て、送金してもらったお金は龍虎の口座にそのまま入れて通常は手をつけなかった。
 
・ただ、この子は音楽や踊りに凄い才能があるようだったので、ピアノ、バレエ、ヴァイオリン、フルートと本人がやりたいというもののレッスンは全て受けさせた。普段のレッスン代は自分たちの給料で出していたが、発表会の参加費用や衣装代などに、送金してもらったお金を少し使わせてもらった。
 
・高価な楽器は上島さんが買って与えてくれたので、とてもいい楽器を使ってレッスンを受けていた。トウシューズの制作費も上島さんが出してくれた。
 
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・病気の方はその後も、ずっと毎月通院し、1年後からは半年に1度の短期入院検査になったが、幸いにも再発の兆候はなく、5年後に寛解が宣言された。その後も再発防止のため、投薬は中学3年の時まで続けた。
 
・ただ病気自体の影響で他の子よりもどうしても成長が遅いと言われた。だいたい同じ年齢の子に比べて2〜3年遅いと、小学生の頃は言われていた。身長もそのくらい低かった。
 
・小学4年生の頃から治療薬の影響か少し胸が膨らみ始めたが、それとともにそれまで物凄く背が低かったのが急速に伸び始めたので自分たちは様子を見ていた。胸は結構大きくなった時期もあるが、中学2年頃までには膨らむのは止まった。身長も同年代の女子程度まではのびた。その後、胸の膨らみは小さくなったが、乳首は大きくなったまま戻らないようである。
 
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・デビュー当時、中性的な雰囲気だったのは病気のせいで基本的に成長が他の人より遅かったのと治療薬の中に恐らく女性ホルモンに似た物質が含まれていたせいだと思う。デビュー前後の頃に何人かにヌードを見られて女の子と誤認されたというのは、そういう状態にあったからだと思う。
 
「今ならヌードになって性別を誤認されることはないはず」
と田代涼太が言ったのに対して、雨宮が
 
「男の子と誤認されることはなくちゃんと女の子に見えるよね」
と言うので、記者たちから笑い声が起きていた。アクア本人まで吹き出した。
 
田代涼太も笑いながら説明を続けた。
 
・歌手のオーディションを受けたいと言った時は、やはり高岡さんの子供だなと思い、賛成した。何度かオーディション受けている内にどこかのプロダクションに拾ってもらえるかもと思っていたが、最初のオーディションで優勝したのには驚いた。
 
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ここから上島が説明を続けた。
 
・龍虎は2014年の第1回ロックギャルコンテストで優勝して、アイドルとしてデビューすることになった。
 
・この時、事務所では高岡と夕香の子供であることも発表して話題作りにしたいと考えた。しかし本人がそれは嫌だと言った。
 
・要するに親の七光りで注目されるのは不本意なので、そういうの無しでただのひとりの中学生として芸能界に挑戦したいと龍虎は言った。自分と雨宮に長野支香、田代夫妻、志水照枝さん、それに紅川社長とで話し合った結果、龍虎の意思を尊重し、龍虎の両親が誰かについては20歳になるまで発表しないことを決めた。これはかつて工藤夕貴がデビューした時、父親が伊沢八郎であることを当初隠していたのが前例である。
 
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・正直龍虎の両親が誰かについては1年も隠せたら上出来と思っていた。実際、工藤夕貴の父親は数ヶ月でバレた。アクアの場合、今日まで全く漏れないまま来たのは奇跡だと思う。
 

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ここまで全員でリレーしながらの説明が終わったのはもう12:50すぎである。
 
ここから記者からの質問が始まるが、真っ先に訊かれたのは
 
「それで結局、アクアさんの性別はどうなっているのでしょうか?アクアさん、実際問題として、少なくとも現在は女性ですよね?」
 
ということであった。
 
「アクアの性別はここにいる7人の投票で決めちゃおうか」
などと千里が言う。
 
しかしアクアは
「ボクの性別は疑問の余地無いと思うんですけど」
と言う。
 
「疑う余地なく女の子だよね?」
などと雨宮先生が言っているが
 
「ボクは男の子ですよー」
と本人。
 
「だって、女の子にしか見えないのに」
「じゃ、脱いでみせましょうか」
と言ってアクアは服を脱ごうとしたのだが
 
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ここで時間!になってテレビの画面はCMになった!!
 

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