広告:めしべのない花―中国初の性転換者-莎莎の物語-林祁
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■東風(10)

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しかし次のシュート機会では千里は今度はエヴリーヌを巧みに抜いて2点シュートを入れる。28-27と逆転!
 
「キューの攻撃パターンが読めない!」
とエヴリーヌ。
「それは当然読めないように攻撃する」
と千里。
 
でもエヴリーヌも2点返して28-29と再逆転。
 
千里は次はスリーを入れて31-29と再逆転。
 
フランスが2点入れて31-31と同点。千里の2点シュートで33-31.
でも次は3点シュートで36-31. 玲央美が2点入れて38-31と引き離しにかかる。
 
更に千里がスリーを入れて41-31.フランスもスリーを入れて41-34.
 
ここでブザーである。
 
第1Qでは8点リードされていたのが、第2Qまで終わってみると逆に日本が7点リードに変わっていた。第2Qだけ見ると27-12で日本が猛攻した形になっているが、意識としては物凄く競っている感じである。この7点は点差としては全く無い感じで、簡単にひっくり返る感じだった。
 
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ハーフタイムの間身体を休めていても、千里たちは
「このまま最後まで競っていけば何とかなる」
「頑張ってメダルを取ろう」
と言い合っていた。
 

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第3Q。
 
日本とフランスの激しい攻防が続く。千里はこのピリオドだけで、スリーを4本、2点シュートを4本にフリースローも2投決めて1人で22点を稼ぎ、チーム全体ではこのピリオドは27-16.累計で68-50と18点もの差が付いてしまった。
 
しかしプレイしている本人たちは、フランスと物凄く競っている感覚だったのである。
 
「多少点差はあっても気を緩めるな」
「フランスは強い。絶対追いついてくる」
「とにかく攻撃機会を確実に決めていこう」
 
それで千里たちは気合を入れ直して最終ピリオドに出て行った。
 
フランスはもちろん逆転を全く諦めていない。強烈に攻撃してくる。しかし日本も負けていない。確実に点を入れていく。激しい攻防が続く。
 
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残り2分。点は84-66になっている。玲央美がファウルを受けるが冷静に2投とも決めて86-66. フランスがスリーを入れて86-69. フランスは更に2点入れて86-71. ここで玲央美が再度ファウルを受ける。玲央美は1投目は入れたが2投目はミス。しかしそれでも87-81と点差は16点である。残り0:53.
 
フランスのスリーが外れる。玲央美の2点シュートが外れる。フランスのスリーが外れる。
 
ここでブザー。
 
この瞬間、日本は決勝進出=銀メダル以上が確定した。
 
日本が世界大会で決勝戦は戦うのも初めてである。1985年の世界選手権では銀メダルを取っているが“決勝リーグ”で2位だったものであり、決勝戦はしていない。
 
千里たちは思わず抱き合って喜びを分かち合った。
 
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(14-22 27-12 (41-34) 27-16 (68-50) 19-21 T.87-71)
 

試合が終わった後、また廊下で遭遇したエヴリーヌは
「今日のシサトはいつものシサトだった」
と言っていた。
 
「だから最初に言ったじゃん」
「アメリカは強いけど頑張りな」
「うん。頑張って金メダル取るから、エヴも銅メダル持って帰ってね」
「ビヤン・スール(もちろん)」
 
そういう訳で8月8日11:30からの決勝戦は日本とアメリカで戦われることになったのである(その前に8月7日にフランスとセルビアの3位決定戦がある)
 

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郷愁村に籠もってアルバム制作をしている舞音だが、籠もっていても、テレビ出演や、予定を延ばせないCM制作などでどんどん呼び出される。
 
もうアルバム完成が見えてきた8月7日(土)にも、ほぼ丸一日使って九州まで行ってくることになった。コテージ“桜”に一緒に泊まり込んでいる数紀・西岡マネージャー、“招き猫”の木下宏紀、カメラマンの矢崎郁代と女?5人でHonda-JetOrangeに乗り、佐賀空港に飛ぶ。
 
そこからメーカーさんが用意した車で久留米市に移動する。
 
ここで『弓曳(ひ)き童子』を撮影させて頂く。
 
これは通称“からくり儀右衛門”こと田中久重(1799-1881)が制作したものとされる、からくり人形で、童子の人形が矢を弓につがえて弓を引き、矢を射るという動作をする人形である。4本の矢の内3本が的に当たる(1本外れるのは、この矢を復元制作した時のミスらしい)
 
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モーターもICもなかった時代に、歯車・カムなどの組合せだけでこの動作を実現したのは驚異的で、芸術を越えて、もはや魔法の世界である。
 
見せて頂いた舞音にしても数紀や木下君にしても、本当に驚いた。
 

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この撮影をした後で、記憶が新たな内に久留米市内のスタジオで、予め用意していた、弓曳き童子が着ていたのと同じような衣装を真似が着て、からくり人形の真似をする。
 
“舞音がからくり人形のマネをした!”
 
である。これは実はロボット掃除機のCMなのである。5月には、高山祭りの山車のからくり人形を見せて頂いて、そのからくり人形に舞音は扮したのだが、今回は弓曳き童子となった。舞音や数紀は疲労が溜まっているので、木下君をスタンドインに使って構図決めなどを2時間くらいしてから舞音を使って1時間ほどで撮影をした。
 

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久留米まで来たついでに、この後大牟田まで南下し、カルタ記念館にお邪魔する。ここで、日本最古のカルタ(というよりタロットに見える)などを撮影させてもらった。この映像については、秋頃制作予定のPVで使用する予定である。舞音と数紀は白いドレスで撮影されていた。
 
(“アクアの子供2人”の共演!)
 
その後、柳川まで戻り、予約しておいた、“川下り”の撮影をした。現在川下りは感染防止の観点から3名以上で貸し切り運行ができるようになっている。ここに浴衣姿の舞音・数紀・木下および矢崎郁代カメラマンが乗って、夕方の光の中で川下りをする“女の子3人”の絵を撮影した。木下君は
「え〜?ボクも女の子浴衣着るんですか?」
と言ったものの
「いつも女の子の服は着てるくせに」
と言われると素直に着た。
 
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(舞音も数紀も木下君は実際には性転換済みと思っている。でも舞音も木下君も数紀は性転換済みと思っている!)
 
このビデオでは、数紀も木下君も舞音のスタンドインではなく、共演者となる。
 
矢崎カメラマンは、
「恵美ちゃんも一緒に入りなよ」
と言ったが、
 
「私は引退した身だから」
と言って西岡(悠木恵美)は遠慮し、一応同乗して照明係をしていた。
 

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川下りの後は“御花”で鰻のセイロ蒸しを頂く(むろん食べてる所も撮影する)。
 
みんなセイロ蒸しを食べたのは初めてだったので
「こういう鰻料理があったのか」
と驚き
「美味しーい」
と言って食べていた。
 
恵美は3人とは少し離れた位置で頂いていたのだが、しっかり矢崎さんに撮された。それで久々に恵美の姿がPVに入ることになる(ノーギャラ!)。
 
そのあと佐賀空港まで戻り、郷愁飛行場に帰還した。
 
この日はさすがに疲れたので、アルバム制作作業は休んですぐ寝た。
 

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8月7日16:00から行われた女子バスケットボールの3位決定戦は91-76でフランスが勝利。エヴリーヌたちはしっかり銅メダルを獲得した。
 
しかし今回は最終1〜3位が予選リーグのB組に集中していたことになる。
 

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8月8日11:30.
 
女子バスケットボールは、日本とアメリカの決勝戦が行われた。
 
アメリカは最初から全開であった。本気バリバリである。
あっという間に点差が開く。
 
第1Qで既に23-14である。日本は最初気合負けしたのかミスも目立った。
 
しかし第2Qになると気合を入れ替えて臨み、アメリカと互角に組み合う。得点チャンスを確実に決め、しっかり確実に点数を積み上げていく。
このピリオドは27-25と互角の点数である。
 
前半終わった所で50-39と11点差。これはバスケットではあっという間に縮む可能性もある点差である。
 
しかし第3Q、アメリカは引き離しに掛かる。畳みかけるような攻撃で、じわじわと点差を広げ、75-56と19点差まで広げた。このクォーターの点数は25-17である。
 
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そして第4Q。日本は最後まで諦めずに戦う。点差はあってもプレイとしては全く負けていない。最後は千里のスリーが外れたものの、飛び込んで行った福井英美がリバウンドを取ってそのまま放り込み、90-75で終了となった。この第4Qだけなら19-15で日本が4点リードである。
 
試合としては負けたものの、アメリカが日本から手の届く所に来たのを感じたゲームであった。
 
(23-14 27-25 (50-39) 25-17 (75-56) 15-19 T,90-75)
 
こうして日本はこのオリンピックで銀メダルを取ったのであった。
 

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郷愁村のプールで待機していた“津幡組”は8月9日(振)にA318で能登空港に飛び、津幡に戻る。
 
ジャネは競技を引退したので、パリを目指して競技を続ける筒石のサポート役、および百万石スイミングクラブでコーチをすることになっている。それでジャネは火牛ホテルの部屋も退去する予定だ。
 
「結婚するんですか?」
と青葉は彼女に尋ねたが
 
「マラと君康は結婚するかもね。私は知らない」
などと言っていた。
 
南野は取り敢えず来年5月の世界水泳に向けて津幡で練習を続ける。竹下と金堂も同じく世界水泳に向けて練習を続ける。南野は火牛ホテルの滞在が長時間になっているので、アパートか何か借りてもいいかとも思ったのだが、ホテルに住んでいると食事の心配もする必要がないし、“お隣さん”の竹下と金堂を見ているだけでも刺激になるので、結局ホテル住まいを続けることにした。彼女はアクアゾーンのコーチをしているので、それでお給料をもらっている。竹下リルは高校生である。
 
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金堂さんは、所属としてはSTスイミングクラブ仙台教場に所属しているが練習は津幡で続ける。津幡にいる限りは、食事代も住居費も全く不要である。だから洋服代とか日用雑貨などの費用だけあればよい。金堂さんはその分は申し訳無いが親のスネをかじらせてもらおうと思っていた。
 
しかし若葉は彼女に言った。
 
「アクアゾーンでは所属との兼ね合いでコーチとかできないだろうけど、良かったらムーランでバイトしない?セントラルキッチンの勤務なら不特定多数との接触も無いし」
「やります!」
 
それで金堂さんは週3回、3時間ずつムーランのセントラルキッチンで食材の下ごしらえのバイトをすることになった。月給を8万円ほどもらえて日常の費用も出るので、親に負担を掛けずに済む。
 
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ところで、郷愁飛行場から能登空港へのフライト中に“臨時プール”のことが話題になった。
 
「深川アリーナの地下駐車場に置いてた臨時プールって、オリンピック期間中だけの設置という約束だったんでしょ?終わったら解体したのかな?」
 
「あれ、もらってくれる人があったから、その人のおうちの裏庭に移設したらしいよ」
 
「よかったね。折角5000万円も掛けて作ったのに。すぐ解体ってもったいないと思ってた」
 
「でも25mプールを裏庭に置けるおうちって凄いね」
「年収何十億とかのお金持ちらしいよ。おうちの敷地も1000坪だって」
 
「1000坪!大邸宅だね」
「しかし年収何十億かぁ。世の中には凄いお金持ちがいるもんだね」
 
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オリンピック期間中、郷愁村に泊まり込んでアルバム制作をしていた常滑舞音だが、まず童謡アルバムの方は8月3日に完成し、その後、通常アルバムの方も8月10日で完成した。
 
お盆まで掛かる予定が早く完成した背景には、仮歌作りの時、コテージ“桜”の同じ部屋に泊まり込んでいる水森ビーナ(柴田数紀)がエレクトーン係を引き受けてくれて舞音は彼女(彼?)の伴奏で歌だけ歌えば済んだのがあった。
 
これで舞音の負荷が大幅に小さくなり、長時間作業できるので早めの音源完成に繋がったのである。
 
「かずちゃん、私の歌いたいテンポでちゃんと演奏してくれるから凄く楽だった」
「舞音ちゃんの歌を聴いてたら、どのくらいのテンポで歌いたいのかは分かるから、それに合わせただけです」
 
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などと2人は言っていた。
 

そういう訳で、舞音とビーナも8月11日には“桜”を退去し東京に戻った。
 
「かずちゃん、女子寮に移ってくるんだっけ?」
と舞音はビーナに尋ねた。
 
「移りません。ボク男子だし」
「何を今更白々しい嘘を」
 

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