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■東風(9)
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(C) Eriko Kawaguchi 2021-08-08
8月1日にアクアFが19時頃(自分の分の)仕事を終えて和城理紗に送ってもらい八王子の自宅に向かっていたら、千里から電話がある。
「龍ちゃんさ、頼みがあるんだけど」
「何ですか?」
「プールが1個余ってるんだけど、もらってくれない?」
「プールですか?」
「小さなプールなんだけどね。それで駐車場に置いてたらさぁ、邪魔だからどけてよと言われて。龍ちゃんの八王子のおうちなら広いから、その程度置いてもいいかなあと思って」
この時、龍虎は“駐車場”というのを浦和の家のガレージかと思い、だったら幼稚園児の水浴びなどで使うような、空気を入れて膨らませるプールかな?とを想像した。“小さなプール”と言うし。
それでアクアは答えた。
「そのくらいいいですよ。適当に置いといてください」
「ありがとう。じゃ、後で持ってくね」
「はい」
8月2日(月).
出産(6/10)で休職していた古庄夏樹はこの日から会社(ずっと勤めている楽器メーカー)に復帰した。なお赤ちゃんは兄夫婦が引き取ったので、夏樹が赤ちゃんの面倒を見ることはない。
正直身体に物凄い負荷が掛かったのに、その赤ちゃんのお世話ができないのは、思った以上に精神的に辛かった。それで体調が何とか戻ったところで早く仕事に復帰したかったのである。
退院後は兄からもらった謝礼を使って、季里子の勤めているお店で Mazda MX-30を衝動買いした。実は出産の痛みでしばらくバイクが使えないので、四輪があると便利だったのである。
買ってすぐに青森まで往復走って来たら、かなり気分がよくなった。
その後、7月中は休職中なのをいいことに、あちこち遠出をした。
8月3日、青葉はお昼過ぎから東京でラピスラズリ・ケイと一緒にスカイヤーズの取材をしたのだが、戻って来てからは、浦和の家でボーっとしていた。すると千里(2番か3番かは分からない)が青葉に声を掛けた。
「暇そうね」
「今まで1日のほとんどの時間、ひたすら泳いでいたのに、引退してぽっかり、その練習時間が無くなって、何したらいいんだろうと思って」
「ああ、空の巣(からのす)症候群に近い状態だな」
「似てるかも知れない」
「水泳の練習すればいいよ。習慣をやめる必要はない」
「そうだねー。練習しようかな。ここではいつでも泳げるし」
「それかフライトシミュレーターとかする?」
「なぜ唐突にフライトシミュレーター?」
「青葉ならすぐ覚えると思うなあ」
「そういえば、ちー姉は高校時代からやってたと言ってたね」
「うん。楽しいよ。ジャンボの操縦とかわくわくするから」
「ああ。そうかも」
「女装して操縦すると更にわくわくするよ」
「なるほどー。ちー姉は女子制服を着て操縦してたわけだ?」
「青葉もやるといいよ」
「女装といっても、私、既に完全な女なんだけど。誰かさんのせいで」
「取り敢えず青葉のパソコンにもインストールしてあげるよ。ちょっと貸して」
「あ、うん」
それでその日、青葉はフライトシミュレーターで2時間ほど遊んで(この日はひたすら墜落させた!)、その後プールで4時間ほど泳いだのであった。
8月4日(水).
青葉はサウザンズの取材に行ったのだが(サウザンズ“痴漢軍団”と青葉・朱美“正義の鉄拳軍団”のプロレスと化した!)、千里はこの日、オリンピックの準々決勝に臨んだ。
この日は女子パスケットボールの準々決勝4試合が行われる。
第1試合、中国−セルビアは、77-70でセルビアが勝ち、第2試合、アメリカ−オーストラリアは79-55でアメリカが勝った。これで準決勝第1試合はアメリカとセルビアで戦われることになった。
そして準々決勝第3試合(17:20-)が、日本とベルギーの試合である。これが物凄いシーソーゲームとなった。
ここから先は負けたら終わりというノックアウト方式である。それで千里2と千里3は京平(2番の代理)と緩菜(3番の代理)に代理ジャンケンをさせてこの日出るのは千里3と決めた。なお試合の途中で交代するのは疲労の問題でアンフェアなので、ひとつの試合は必ず1人が通して出ることにしている。
ジャンプボールはベルギーが取り、ベルギーが2点先制して始まった。
日本は王子・玲央美・千里といった海外で戦っているメンバーが中心になって戦いを進める。ベルギーの選手に、フランスリーグで戦っている選手がいて、玲央美と千里はひじょうに“危険”な選手であると注意していたようで、この2人へのチェックは厳しいが、チェックされるのには2人とも慣れているので厳しいマークはものともせずに確実に点を入れていく。ベルギーが少しでも油断すると、WNBAで鍛えた王子が中に飛び込んで行き、守備の選手を蹴散らしてダンクを決める。福井英美もリバウンドで頑張る。むろん向こうもかなり気合が入っていて攻撃機会を確実に決めていく。
第1ピリオドは19-16と日本が3点リードで終わったものの、点差は無いに等しい。第2ピリオドもシーソーゲームが続くが、第2ピリオドが終わった所では41-42と、ベルギーが1点リードしていた。これもほぼ点差無しに等しい。
しかしハーフタイム後の第3クォーターでベルギーが猛攻を見せる。日本はどんどん点を奪われて、第3クォーターが終わった所では61-68と7点もリードを奪われていた。千里たちは
「焦らず、確実に点を取っていけば絶対勝てる」
と言い合って、第4クォーターに出て行く。
オルタネート・ポゼッションで日本の攻撃から始まる。始まり際に千里がスリーを撃つが外れる!
「ごめーん!」
と千里が手を合わせてチームメイトに謝る。ベルギーは確実に決めて61-70.千里も次はしっかりスリーを決めて64-70で追撃態勢に入る。ベルギーが得点して64-72だが、千里がまたスリーを決めて67-72.あっという間に“手の届く所”まで迫る。ベルギーがシュートミスしてからの反撃で今度は玲央美が2点ゴールを入れ69-72.ワンチャンスで追いつく点数である。
そしてここで千里がまたスリーを入れて72-72 と残り6:10で追いついた。これでゲームは振り出しに戻った。
ここでベルギーの選手がスリーを入れるが、千里もすぐスリーを入れて75-75.ベルギーの選手が再度スリーを入れるが、王子が2点入れて77-78.
ベルギーか2点入れ、更にこちらのファウルで得たフリースローを1本入れて77-81.ベルギーとしてはこのまま引き離したい所だ。千里がスリーを撃つがボールがリングの縁をグルグル回って、外にこぼれる!めげずにまた攻めて、今度は玲央美がシュートしようとした所をファウルされる。フリースローをしっかり2本とも決めて79-81.そして王子が決めて81-81.再び同点に追いつく!残り1:45.
ベルギーはすかさず反撃してゴールを決め81-83.しかしこちらも玲央美が2点入れて83-83とまた同点。これがもう残り0:52である。
こちらのファウルが取られ、ベルギーはフリースローを2本とも決めて83-85.残り0:37.
それに対する日本側の攻撃。24秒の制限時間間際に千里がスリーを撃つ。
決まる!
86-85と逆転。残り0:16である。
ベルギーが反撃してくる。試合終了のブザーと同時にシュートを撃つ。
外れる!!!
この瞬間、日本はベルギーに86-85で勝利し、準決勝に駒を進めたのである。
(19-16 22-26 (41-42) 20-26 25-17 T.86-85)
1986年モントリオール五輪の5位を越える4位以上が確定した瞬間であった。
この日の第4試合、フランスとスペインのゲームも、日本・ベルギー戦同様、手に汗握る激しいシーソーゲームになったが、最後はフランスが勝ちを納めた。
(16-21 14-15 18-19 16-12 T.64-67)
この結果、8月6日準決勝の組合せは
アメリカ−セルビア、日本−フランス
となった。日本は予選リーグでフランスに勝っているが、向こうの油断に乗じた面もあった。リベンジに燃えてくるフランスとどう対決するかである。
8月5日(木).
理史は仕事が終わった後、龍虎とデートするのに八王子の家に向かった。
門を開けて中に入り、ガレージに自分の CR-Z α Final label を駐める。それでガレージから母屋へ渡り廊下を移動してたら、玄関前に右手に行く渡り廊下が出来ているので何だろうと思った。
龍虎に電話してみる。
「ね、ね、渡り廊下が増えてるの何?」
「へ?」
実は龍虎はここに“転送”してもらったので、そんなものは見ていなかったのである。
母屋から出て来てみると確かに見慣れない渡り廊下ができている。
「あ、もしかして西の対(たい)への新たな通路かな」
「ああ」
「分かった。以前作ってあって渡殿(わたどの)は部屋のある所から作られていて通行不能だったから、建物の端に移動したんだよ」
「なるほどー」
それでふたりで通路を歩いてみる。確かに母屋の裏側の“西の対”につながっていた。灯りはふたりが進むにつれ点灯していく。ふたりが西の対の端まで来ると西の対の“廊下”全体に灯りが点いた。
「なんか中身もできてる」
「ほんとだ。いつの間に」
手近の部屋の戸を開けてみると本棟と同様の仕様の部屋があるようである。
(ユニット工法なので“地上部は”3時間でできている。龍虎は日中仕事に出ていたので知らなかった)
「なるほど。真ん中に廊下を通して両側に部屋を設置したのか」
「部屋が両側に3個ずつ6個あるみたい」
「きっと龍が9人に増殖しても大丈夫なようにだよ」
「9人はさすがに多すぎるなあ。そうだ。これだけあるなら、1個サトシの部屋にしてもいいよ」
「うーん。着替えとかは龍の部屋に置かせてもらってるので充分だし」
などと言っていたのだが、よく見ると“下”に向かう階段もある。
「この階段は?」
「さあ」
「地下室もあるの?」
「分からない。降りてみようか」
「うん」
それで2人は階段を降りてみた。センサー式になっているようで自動で灯りが点いていく。それで2人は下まで降りた。“地下”全体の灯りが点灯する。
ふたりはそこにあったものを見て驚きのあまり言葉を失った。
1分近くたってから理史が言った。
「プールができたんだ!」
そこには恐らく長さ25mほどある4レーンのプールがあって、なみなみと水も入っていた。各レーンがアクリルの板で区切られているのは感染防止対策だろう。
龍虎は数日前の千里の電話を思い出していた。
プールって・・・プールって・・・・こんな大きなものだったの!?
“小さなプール”って、千里さんの嘘つき!!
浦和の地下プールの倍くらいあるじゃん!!
(50mプールに比べたら小さい)
8月6日(金).
この日は、女子バスケットボール準決勝の2試合が行われた。
13:40からおこなわれた第1試合では、79-59で、アメリカがセルビアを破った。そして20:00から第2試合、日本対フランスが始まる。
準々決勝に千里3が出たので、この準決勝は千里2が出た。
千里2は試合前、会場の廊下でフランスでのチームメイトでもあるエヴリーヌに遭遇したので彼女に言った。
「今日の私はいつもの私だから」
でもエヴリーヌは言った。
「そんなの信用できるかい!」
千里は笑って
「お互いがんばろう」
と言う。彼女も
「うん。勝負だ」
と言った。
20:00.
フランスとの対戦が始まる。
ジャンプボールはエヴリーヌが取って、フランスが先に攻撃。鮮やかに2点を先制した。しかしすぐに千里が“2点シュート”を決めて2-2である。
「トロワ(3点シュート)撃つかと思った」
とエヴリーヌ。
千里は彼女がブロックのためにジャンプした隙に中に飛び込んで短い距離からミドルシュートを決めたのである。
「だから普段の私だと言ったじゃん」
と千里(千里2)。
その後、点の取り合いが続くが、第1Qの残り2分からフランスが立て続けに得点を決めて、14-13から一気に14-22まで引き離した所でブザーである。
8点差を付けられはしたものの、その残り2分までずっと競っていたことから日本側には全く焦りはない。
「普段通りのプレイで」
「しっかり得点機会を確実に決めて行こう」
と言い合ってコートに出て行く。
第1Qでフランスがジャンプボールを取ったので第2Qはオルタネート・ポゼッションにより日本の攻撃からである。ここからお互いにスティールがあってめまぐるしく攻防が切り替わった末に千里がまた“2点シュート”を決めて16-22である。玲央美が2点決めて18-22.その後、王子のシュートをファウルされ、王子のスリースロー。
王子はフリースローがわりと苦手なのだが、それでも1本は決めて19-22.
この時点でもう勝敗の行方は分からなくなった。
千里がまたもや“2点シュート”を決めて21-22の1点差!
ここでフランスはスリーを決めて21-25.
王子がゴールを決めて23-25.向こうも2点入れて23-27.
ここで千里が今日初めてスリーを入れて26-27.
「トロワ(3点シュート)も撃つのか」
とエヴリーヌ。
実は彼女は千里が飛び込んでくるだろうと待ち構えていたら、千里は外から撃ったのである。
「当然」
と千里(千里2)。
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