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■春宵(1)

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(C)Eriko Kawaguchi 2020-06-20
 
「前後を入れ替えると意味の変わるものってあるよね」
と飛鳥は言った。
 
「出演といえば映画やドラマに出ることでピンからキリまでだけど、演出は偉い人」
「うん、偉い人」
と龍虎も言う。
 
「母乳はおっぱいだけど、乳母はそのおっぱいを出す人」
「なるほど」
「規定はルールだけど、定規はルーラー」
「あ、それうまい」
「彼の婚約者は女だけど、婚約者の彼は男」
「まあ最近はよく分からないけどね」
と成美が言うと
「確かに」
と桐絵も同意する。
 
「チームの先輩は同じチームにいるけど、先輩のチームなら多分他のチーム」
「言えてる、言えてる」
 
「娘の男なら、娘さんのボーイフレンドだけど、男の娘なら女の子に見える男の子」
「龍ちゃんみたいなのだね」
と由美が言うと
「ボクは違うよー」
と本人。しかし成美は
「龍ちゃんは普通の女の子だよ」
と言い、その場に居た多くの人がそれに同意した。
 
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「だって龍ちゃん生理あるし」
と成美。
「龍は中3の時以来、生理来てるよ」
と彩佳。
 
「中3で初潮って遅いね」
「病気のせいで成長が遅れていたんだよ」
「なるほどー」
「でも生理がある以上、間違い無く女の子だね」
 
龍虎はもういいやと思った。生理が来てしまったのはその年の春に《じゅうちゃんさん》が龍虎の身体に勝手に埋め込んでしまったもののせいだ。現在生理があるのはFだけだが、Fが生理の時はMやNも生理痛を経験する。3人の血液や体液は共通に流れているらしい。Nが火傷した時、MやFもその部分が水ぶくれになった。
 
「消毒の道具なら、消毒をするための道具だけど、道具の消毒なら、道具を消毒すること」
「主体と客体の交換だな」
と洋子が難しいことを言う。
 
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「秋の夜なら秋の季語だけど、夜の秋は夏の季語」
と飛鳥が言うが
「そうなの?」
と疑問を持つ子が多い。しかし
「うん。それで間違い無い。夜の秋は秋を感じるような晩夏のことで、夏の季語」
と洋子が追認した。
 
「だけど秋の夜長ということばがあるのに対して、春の夜は短いってイメージがあるよね」
「それは秋は夜がだんだん長くなっていく時期だし、春はだんだん短くなっていく時期だからね」
「あっそういうことか」
「だから中国の古典には春宵一刻値千金(春の宵の一刻は千金に値す)ということばもある」
「ほほお」
 
「春の夜の夢の浮橋途絶えして峰に分るる積雲の空」
と彩佳が藤原定家の歌を暗誦する。
 
「百人一首だっけ?」
「百人一首には入ってない。百人一首の選者の、藤原定家の歌だよ」
と彩佳。
「百人一首の歌なら、周防内侍の歌、春の夜の夢ばかりなる手枕に甲斐無く立たむ名こそ惜しけれ」
と洋子、
 
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「なんであんたたち、そんなにスラスラと歌が出てくる?」
と香代が呆れるように言った。
 
「夜中に男女数人でおしゃべりしてた時、周防内侍が眠いと言ったら、藤原忠家が『僕の腕を枕にするといい』と言って、手を出してきたのに対して詠んだ歌だね」
と彩佳。
 
「平安の男女交際は明るいね」
と飛鳥。
「日本人って元々そういうおおらかな気質だと思うよ」
と成美も言った。
 

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西湖は古典の授業を受けていた。
 
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人も終には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ」
と先生は文章を読み上げてから
 
「美しい文章だな。物凄くリズムが良い。“あり”“ごとし”“おなじ”と韻を踏んでいるのに2行目の“久しからず”だけ韻をわざと外している。こういう所には筆者の美学を感じる」
と先生は陶酔するように言った。
 
「あまりにも美しい文章だから意味も考えずに読んでしまう。浅井、現代語に訳してみろ」
「はい」
と言って童夢は立ち上がり、この美しい文章の訳を試みた。
 
「祇園精舍の鐘の音は諸行無常の響きがあります。祇園精舎というのは昔インドにあったお寺の名前。そこの鐘の音を聞くと、諸行無常、全ての物事は決して不変であることはない、ということを認識させます。ついでに言うと、祇園精舎があった頃、お寺には鐘はまだ無かったそうです」
 
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「おお、よく知ってるな。それ先生も言おうと思ってた」
「今は寺には鐘があるから、昔もあったろうと思ってしまう。でもそうではない。今はみんなスマホ持ってるから、デートで相手が来なかったら電話してみればいいじゃんと思うけど、これが50年くらい前にはそんなもの無かったから、相手が来るまでひたすら待っていたそうです」
 
「そうそう。簡単に相手と連絡が取れるようになったのは20年くらい前からなんだよ」
と先生も言う。
 
「娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。娑羅というのはインドによく生えている木の名前で日本で建築によく使うラワンの親戚だそうです。お釈迦様が亡くなった時、病床の枕元に娑羅の木が2本あったのを娑羅双樹と言い、これは仏教の涅槃(ねはん)の象徴となっています。その娑羅双樹の花の色には、盛者必衰、盛んになったものは必ず衰えるという原理が表されているのです」
 
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「驕れる者久しからず。勢いに乗り人の上に立ち誇らしげに振る舞っている者も長くはない。ただ春の夜の夢の如し。まるで春の夜の夢のように儚(はかな)い。ここで春の夜の夢が、はかない物のたとえに使われているのは、過去にそのような歌がたくさん詠まれているのを背景にしたものだと思います」
 
「うん。たとえば?」
「後撰和歌集、詠人知らずの歌。寝られぬを強ひて我ぬる春の夜の、夢を現(うつつ)になす由(よし)もがな。この歌、最後の所は胡蝶の夢を下敷きにしてますね」
 
「おお、よく知ってたな。胡蝶の夢は私もそうだと思う」
 
「先輩からもらった去年の先生の授業のノートに書いてありました」
 
という所で笑い声がある。
 
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「まあ種明かししていなければ、秀才と思ってもらえたものを」
「“昔は物を思はざりけり”の世界ですね」
「そうそう」
 
西湖は童夢と先生のやりとりが、さっぱり分からない!
 
「猛き人も終(つい)には滅びぬ。勢いの盛んな人もやがては滅びる。偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。全く風が吹いてくる前にある塵のようである」
 
「完璧だったな。まあお前の先輩はよく勉強していたようだ」
 

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西湖は思っていた。ローズ+リリーのケイさんが言ってた。10年前に自分たちは駆け出しで、自分たちの思うような活動ができず、色々な人の思惑に翻弄された。たくさんの先輩たち、偉い人たちに無理難題を言われたけど、その頃上に立って権勢を極めていたアーティストや組織のトップとかがどんどん居なくなってしまいいつの間にか自分たちがまるでトップみたいに思われるようになった。次は自分たちが衰えていく番だろうと。
 
そういえばこないだ★★レコードの社長さんも変わっちゃったよなあと西湖は思っていた。前の社長さんにかなり無茶なこと言われて、ケイさんたちは随分消耗したみたいだったけど。新しい社長はケイさんたちを最初から贔屓(ひいき)にしていた、えっと・・・町園さん(*1)とかいったっけ?きっと、そういう人が社長になったということは、これからケイさんんたちの黄金時代が来て、その後はきっと衰えていくのだろう。そしてたぶんアクアさんも、あと数年経ったらトップに立って、やがて衰えていくのかな?その頃、自分は何をしているのだろうか?
 
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(*1)たぶん町添の間違い。
 
などと授業とは関係無いことを考えていたら当てられた。
 
「はい、天月(あまぎ)。ここの“承平(じょうへい)の将門(まさかど)”、“天慶(てんぎょう)の純友(すみとも)”、“康和(こうわ)の義親(ぎしん)”、“平治(へいじ)の信頼(しんらい)”、この将門・純友・義信・信頼の苗字は?」
 
話を全く聞いていない!
 
ここて西湖が答えた内容は数年後までこの先生の笑いのネタにされることになる。
 
「えっと・・・スミトモって、生命保険ですか?」
 
教室は爆笑になった。もちろん授業をちゃんと聞いていたとしても、西湖が答えられるような問題ではなかった。
 
笑っているだけでは授業が進まないので先生は別の子を指名する。
 
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「青島は分かるか?」
 
「えっと・・・平将門(たいらのまさかど)、藤原純友(ふじわらのすみとも)、源義親(みなもとのよしちか)。・・・・信頼が分かりません」
 
「月浜?」
 
「保元平治の乱の人ですよね。信頼は苗字がなかったのでは?」
「惜しい!小坂?」
「それすごく紛らわしいんですけど、保元の乱の後、最初にトップに立った信西(しんぜい)は苗字が無いんですけど、信頼は藤原信頼(ふじわらののぶより)です」
 
「それが正解。ちょっと日本史の時間になったな」
 
西湖はさっぱり分からない!と思った。方言平次の乱とかって何だったっけ???
 

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「苗字がないって、よく言われるんですよねー」
と星良は店長に言った。お店ではみんなネームプレートをつけているが、通常は苗字の、ひらがな書きのテプラを貼り付けている(ローマ字で書いている人もいるようだが好み?)。しかし星良(つつ・あきら)は「つつ」が漢字と結びつかないと言われてネームプレートには「せいら」と書かれている。
 
すると今度は「君の苗字は?」と訊かれることがあるのである。
 
それで、そもそも星良があちこちの書類に名前を書くと「苗字から書いて」と言われるという話になったのである。
 
「何なら苗字を付けてあげようか?」
と副店長が言う。
 
「付けるんですか?」
 
副店長は「升星良」と書いた。
 
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「すみません。読めません」
「ます・せいら、というのでどう?」
「“ます”って何か意味があるんですか?」
「セイラ・マスを知らない?」
「知りません」
 
「今の子は知らないかぁ」
と副店長は嘆いていた。
 
「せめて、“ますだ”か何かにする?」
と店長は言ったのだが、結局星良の“苗字”は女性トレーナーの西山さんが「来宮星良」にしようと言って来宮に決めてしまった。『小公女』のヒロイン、セーラ・クルー(Sara Crewe) から採ったもので、星良も「ああ、セイラ・クルーなら分かります」と言った。もっとも名札は「せいら」のままである。お客さんから苗字を尋ねられた時に「くるみやです」と答えることにしたのである。
 
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ローズクォーツの“初代代理ボーカル”鈴鹿美里は9-10月は全国ツアーをしていた。
 
中学生でデビューした2人も、昨年20歳の誕生日を迎え、今年8月には21歳になった。
 
「20歳過ぎたから性転換するの?」
などと親しい人からは言われたものの、鈴鹿は実は性転換手術が恐い!
 
「めったに死ぬもんでもないし、ちょっと行って、ちょっと切ってくればいいのに」
と美里は言うものの
 
「そう簡単に言わないで〜」
と鈴鹿はまだためらっている。
 
「だって、どうせその内手術するんでしょ?さっさとすればいいじゃん」
「それはそうだけどさ」
 
一応事務所からは、手術は年末年始などの多忙期を避けてもらえば3ヶ月くらいお休みをあげるよと言われている。
 
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今年の夏には、ある雑誌に「鈴鹿美里の美里は昨年性転換手術をして女の子になっていた」なんて記事が載って、さすがの美里もぶっ飛んだ。
 
「なんで私が性転換しないといけないのよ〜?」
「私たちの性別、わりと誤解されているよね。美里ちんちん切ってもらう?」
「ちんちんなんて要らんけど、付いてないし」
「まあふたりの性別は公開してないからね」
とマネージャーの前鹿川さんも笑っていた。
 
記事には、鈴鹿美里が、性転換手術で休養するローザ+リリンに代わってローズクォーツの代理ボーカルをするなどとも書かれていたが、念のためローズクォーツの事務所 UTP に照会してみたら
 
「マリナちゃんは苗場ロックフェス(7.28)の直後8月上旬に性転換したけど、本人が元気なので休養は不要です」
という話だった。
 
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(鈴鹿も美里も前鹿川も、棒那市の“痴漢”を報道した深夜番組は
見ていない)
 
性転換手術したのに休み無しなんて、無茶なと思ったが、以前UTP
にも一時期在籍していた前鹿川さんは
 
「ケイちゃんなんて、性転換手術した3日後にライブで歌ってるから」
などと言う。
 
「ケイ先生、すごーい」
と美里。
「さすがにそんなことする自信は無い」
と鈴鹿は言った。
 

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実際にはケイは(本人の主張によれば)2011.4.3に性転換手術を受け、1ヶ月後の5.4に徳島のライブで歌っている。しかし一般にはケイの手術の時期については別の説が流布している。
 
2007.11.10 新宿の病院で性転換手術を受ける(ケイの友人が証言)
2007.11.24 KARIONのライブで歌う(美空が記念写真を保有)
 
2008.08.25 大阪の病院で性転換手術を受ける(その病院で見たという証言)
2008.08.30 富士急ハイランドでローズ+リリーのライブ(多数の目撃)
 
2009.01.08 タイで性転換手術を受ける(7日と10日に成田で見たという証言あり)
2009.01.11 ドリームボーイズのライブにダンサーとして出演(多数の目撃)
 
一般にケイの性転換時期に関しては、KARIONデビュー前という説(2007.11説)とローズ+リリーの休養中という説(2009.1説)の2つが特に有力で、本人が主張する2011年説は、ケイ本人以外誰も信用していない!マリでさえ否定していて、2011年4月にケイはタイには渡航したが観光していたと証言している。
 
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実際、本人が主張している2011年4月3日の翌日にケイは広島市で目撃されており、4月3日にタイで手術を受けたというのはあり得ないということにネットではなっている。
 

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