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■春宵(2)

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さて今回の鈴鹿美里のツアーはこういう日程であった。全国15ヶ所である。
 
9月14日(土)横浜
9月15日(日)高崎
9月16日(祝)金沢
9月21日(土)浜松
9月22日(日)神戸
9月23日(祝)福岡
9月28日(土)札幌
9月29日(日)仙台
10月5日(土)那覇
10月6日(日)熊本
10月12日(土)大阪
10月13日(日)高松
10月14日(祝)広島
10月19日(土)名古屋
10月20日(日)東京
 
この日程中に3連休が3回あるが、3日とも公演をやる。
 
「3日連続ですか?」
と言ったものの
「若いんだから頑張ろう」
と言われた。しかし高校生時代とか1日2回公演なんてのもこなした。あれはあの当時の体力でも辛かった。さすがにもうそういうハードすぎる日程は入れられなくなった。
 
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夏樹はバイクでのお遍路を10月2日の朝、1番札所・霊山寺で打ち上げ、その日の日中は徳島市の旅館でひたすら寝て、夜中にバイクで夜通し走って千葉に帰還した(高速代節約のため長距離走るのは夜中)。
 
その足で香取市の実家に寄り、納経帳と旅の途中で撮影した写真(全札所の山門・本堂・大師堂の写真を含む)の入ったSDカードを父に渡すと、10月3日(木)から会社に出社した。先日と同様に夏樹が通訳を務めて、チタの教会の担当者と、坂本さんとで話をさせて、向こうの状況をできるたけ詳しく聞き、必要そうな道具や部品の準備をした。
 
そして土日はゆっくり休んだ上で10月7日にモスクワ行きの飛行機に乗った。チタには10月9日の朝到着し、現地で調査をする。かなりの部品交換と調整が必要なことが分かり、夏樹が助手を務めて修理作業をおこなった。
 
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その作業が10月23日にやっと終わり、2人は翌日朝の便で帰途に就いた。
 
HTA 10/24(Thu) 9:50 (S7118 737-800) 10:30 DME (6'40)
SVO 10/24(Thu) 19:00 (SU260 777-300ER) 10/25 10:30 NRT (9'30)
 
ところが成田に着いてみると、おりからの豪雨である。本当に着陸できるか不安だった。機内では関空にダイバートするかもというアナウンスも流れていたが、ロシア人の機長は「ハラッショー、ハラッショー」と言ってやや強引に着陸したらしい。機体が物凄く揺れて、夏樹は思わず南無阿弥陀仏と唱えた。
 
それで成田空港に到着はしたものの交通機関が停まっていて空港から出られない!坂本さんと2人で空港で一晩明かすことになる。
 
「ずっと気になってたけど、古庄君、君って実は女の子だということは?」
「実は性転換しちゃったんです。でも当面仮面男子続けるつもりです」
「そうなんだ!もし会社に性別の取り扱いを変更してもらう時に、揉めそうだったら、僕も助力するから」
「ありがとうございます。心強いです。でも多分先に戸籍を直さないと、会社での扱いは変えてもらえない気がするんですよね」
「ああ、そうかも知れないね」
 
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10月26日の午後になって、何とか電車が動き始め、2人は千葉市の会社に帰還した。しかし会社には誰もいなかった! 正確には社長を始め数人だけが来ていた。
 
「精算しないといけないよね?」
「経理の人が出て来てからでいいですよ」
「暫定的に4〜5万貸そうか?」
「それはありがたくお借りします」
 
それで社長から5万ずつ借りて、夏樹も坂本も自宅に戻ることにする。
 
夏樹は会社にバイクを駐めていたので、それで“帰宅”したものの、自宅アパートがあった付近は、瓦礫の山と化していた。
 
夏樹はお遍路の納経帳を父に渡しておいてよかったと心底思った。母に連絡を取ってみると、香取市の実家は多少の被害は出たものの無事ということだった。
 
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「アパートが無くなっちゃったの?あんたどうするの?」
「これから考える」
「うちに来る?」
「香取からは通勤大変だし数日考えるよ」
「泊まる所は?」
「何とかする」
 
正直な所、実家に長期間滞在していると、女の身体に既になっていることがバレて叱られそうな気がしたのである(親には12月に手術を受けると言っていた)。
 
なお夏樹はコーディネーター会社に連絡して、別口で手術を受けられることになったのでタイでの手術はキャンセルしたいと伝えたのだが、近い時期のキャンセルなので予約金は戻ってこないかもと言われた。
 
今回の千里の一連の“犠牲者”の中で、性転換手術の代金を一部でも払ったのは実は夏樹だけである。
 
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(実際には年末になって半額返してくれたので“新生活”のスタートにとても助かった)
 

夏樹は(元妻の)季里子に電話してみた。
 
「きりちゃんは避難所に避難してるんだ?家は?」
「分からない。見に行きたいけど恐くて」
「ボクはバイクが無事だから一緒に見にいこうか?」
「助かる」
 
それで夏樹は季里子が避難している避難所まで行き、季里子を乗せて彼女の実家のある(あった)付近まで行ってみた。
 
バイクに季里子を乗せると、季里子は夏樹に抱きついて乗るので
「なっちゃん、かなり身体が女性化してない?」
と指摘された。まさか完全に女性になっているとは思わないだろう。
 
しかしそれよりも、現場である。
 
悲惨だった。
 
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「これはどこに誰の家があったかさえ分からないなあ」
「ああ。どうしよう。写真とかの類いが無くなっちゃったよ。パソコン持っては避難できなかったし」
 
子供2人を連れて出なければならないのに、そこまでとても余裕はなかったろう。
 
「来紗と伊鈴の写真はコピーしてもらった分なら、うちの実家にもあるよ」
 
むろん夏樹の両親が孫の写真を欲しがったのでコピーをDVD-Rに入れて送っておいたのである。
 
「後でコピーさせて」
「OKOK」
 

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結局、季里子の“友人”の桃香のアパートに、季里子・夏樹・来紗・伊鈴、季里子の両親と6人で泊まり込むことにした。桃香はちょうど高岡に帰省していたので、空いていたのである。桃香のアパートの鍵は、季里子がいつも持っていた。
 
桃香が娘の早月・由美を伴って戻って来たのは10月30日で、桃香は自分のアパートに大勢人がいるので仰天することになる(千里はまっすぐ千葉の康子の家に行った)。
 

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マリナはその日、母から呼び出され、新宿のカフェで会った。
 
「あんた忙しそうだからさ、こちらで改名の手続きしといたから」
と母は言った。
 
「かいめい?」
 
マリナは母の言葉の意味が最初分からなかった。
 
「あんた女の子になったのに、名前が“学(まなぶ)”のままじゃ不便でしょ。だから女性らしい名前に改名しないといけないだろうと思ってさ。だから何度か電話したけど、あんた忙しいというから」
 
そういえば、ツアーの最中に電話があったけど、面倒な話っぽかったし、精神的な余裕が無いので「適当に処理しといて」と言ってたんだった。
 
「だからこちらであんたの改名手続きやっといたから」
「へ?」
 

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それで母は裁判所からの通知を見せた。
 
《申立人の名「学」を「マリナ」に変更することを許可する》
 
「何の冗談?」
とマリナは尋ねた。
 
「だから改名」
「これ本物?」
「本物だけど」
「なんで私が知らない内にこんなことになってるのよ?」
とマリナはマジで怒った。
「だってあんた、適当に処理しといてと言ったし」
「私が・・・処理しといてと言った?」
 
そういえば言ったような気もする。
 
「でもこのマリナという名前は?」
「あんたにいっそ芸名をそのまま本名にする?と訊いたら、それでいいと言ったし」
 
そんなこと言った気もしないではない。
 
「だけど、こういうの裁判所に本人が出頭して裁判官に説明しないといけないんじゃないの?」
 
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「あんた忙しそうだから、歩(あゆみ)に代役頼んだ」
「姉ちゃんに?」
と言ってから、マリナは考えた。
 
「じゃ姉ちゃんが私の振りして改名の申請したの?」
「うん。裁判官も『あなたみたいに女性にしか見えない人なら男名前は不便ですよね』と同情してくれたよ」
 
そりゃ姉ちゃんは女だもん。
 
もっとも小さい頃はよく「兄妹」と思われていたなあとマリナは昔のことを思い出していた。随分スカート穿かされたし。もしかしたら今ずっと女の格好で十年以上すごしてこられたのは、あの頃のベースがあるのかもという気もした。
 

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「それにマリナの方が運気がよくなるらしいよ」
と言って、どこかの姓名判断サービスの結果っぽいものを母は見せた。
 
22 水崎 学
4 11 | 7= 総22△困難不発 地7◎開拓打破 人18○難関突破 外4△薄運内向
21 水崎 マリナ
4 11 | 2 2 2= 総21◎朝日黎明 地6◎福禄強靱 人13◎和合繁栄 外8◎質実剛健
 
あはは。この改名で運気上昇して、私売れちゃったりして、などとマリナは思った。
 
「ありがとう。手続き大変だったね。姉ちゃんにもお礼言っといて」
とマリナは頭を抱えながらも母に告げた。
 
「あと性別変更は診断書とかいるみたい。あんた、それは自分で申請して」
「分かった」
 

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つまりこの世から「学」が消えて、自分は本当に「マリナ」になっちゃったのか。でも慶太には黙っていよう。なんかもう男に戻るのは不可能になっちゃったなあとも思う。まあ男に戻れる気はしてなかったけどね。
 
ほんとに慶太と結婚しちゃったりして!?
 
マリナは慶太が一時的に女の形になっていた時は(発狂寸前だった彼を落ち着かせるために)随分入れてやったのだが、彼が男に戻ってからは性的なことは一切していない。
 
「俺ホモじゃないし」
などと慶太は言っている。むろんマリナも彼と恋愛感情は無いつもりである。
 
まあもし「結婚して」と言われたら、結婚くらいしてやってもいいけどね。嫌いな訳でも無いし、とマリナは思う。セックスもしたいと言われたら受け入れても(こちらが入れてやっても)いいけど、慶太が男に戻った後は特に求められることもない。
 
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11月上旬。その日ケイナ・マリナは“タカ子”と3人でバラエティ番組に呼ばれていたのだが、“ケイナとマリナの結婚”が話題になる。
 
「そうだ。ケイナちゃん・マリナちゃん、結婚おめでとう」
と司会のケンネル(ネルネル)が言う。
 
「それ困っているんですけど。私たち別に結婚とかしてないし、恋愛感情とかも無いのに、たくさん『結婚おめでとう』というファンレターが送られてきて。お祝いにケーキとかシャンパンとかまで送られて来たし」
とマリナが本当に困ったような顔をして言う。
 
「隠さなくたっていいじゃん。今みんな理解あるよ。マリナちゃんの戸籍性別変更が終わったら、入籍するんでしょ?」
 
「別に戸籍の変更などしないし」
と言いつつ、実は法的に改名して(改名されて)しまったので、少し後ろめたい。
 
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あの後、実は運転免許証・国民健康保険・年金手帳・パスポート・生命保険の書き換えが結構大変だった。生命保険は性別が変わると保険料が変わるのだけどと言われたが、性別は変更していませんと言って納得してもらった。銀行口座やクレカ、図書館のカード、Tカードなどは面倒なので、学のままにしている。
 
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