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(C)Eriko Kawaguchi 2017-10-01
桃香は4月13日に臨月を迎えていた。
なお臨月というのは36週目0日から39週目6日の間(4.13-5.10)を言うので、37週0日から41週6日の“正産期”(4.20-5.24)とは微妙にずれている。しかしここまで来ると、いつ出てきてもおかしくない状態である。
それなのに千里が物凄く忙しそうにしていてアパートにも短時間の滞在ですぐ出て行くので桃香はさすがに不安になった。
「ねぇ、千里、私の予定日の頃はアパートにいるよね?」
「うーん。何とも言えないなあ。近々海外出張の予定もあるし」
「え〜!?だったら、私産気づいたらどうすればいいのよ?」
「なんなら実家に戻ってる?私が付き添って高岡まで送っていくよ」
「それやると、二度と東京に出てこられなくなると思う」
「別にそれでも構わないと思うけどなあ」
と言ってから、千里は
「じゃ、万一私に連絡がつかない時はこの子に連絡して。私の友人だから助けてもらえると思うから」
と言って、(紙の)住所録から名前と電話番号をメモ用紙に書いて渡した。
赤外線で送信とかではなく、紙に書いて渡すのが千里である!
「天野貴子さん?」
「うん。中学の時の友人なんだよ。世田谷区内に住んでいるし仕事先も世田谷区内だから何かあったら駆けつけてきてくれると思う」
「分かった。どうにもならない時には連絡するかも」
「夜中だと冬子に連絡した方が早いかも。例によって秋頃まではアルバム制作やっているから都内に居ることが多いと思うし。あと彪志君も遠慮無く頼るといいよ」
「冬子たちは夜遅くまで起きてそうだな。そうか。彪志君もいるか」
特に彪志君がいるというのに桃香は安堵感を覚えたのであった。男の子ではあるものの、薬品メーカー勤務なら、少しは役立ちそうである。なお東京近辺にいるクロスロードの友人には彪志同様さいたま市内に住むあきら・小夜子夫妻もいる。小夜子はとうとう4人目の子供を妊娠したと言っていたので小夜子は呼び出せないものの、あきらの方には助けを求めてもいいよなと桃香は考えていた。
「まあ誰も居なかったら、最後の頼みは朱音かな」
「おお!そうだ。朱音がいたんだった!」
千里や桃香の大学時代の同級生・朱音は大学卒業後、郷里の長野県に帰ってソフトウェアの会社に就職したのだが、昨年の夏地元の会社員男性と結婚したら、今年の春、その人が東京に転勤になってしまったのである!それで退職して一緒に東京に引っ越してきたので、彼女は3年ぶりに関東の住人になっている。
千里たちの合宿は4月17日(月)まで続いていた。
一方貴司は4月18-19日(火水)に日本代表候補の合宿があるのに参加するため、16日に大阪から東京まで出てきていた。本当は17日に出てくれば済むのだが、1日早く出てきて千里とデートしようという魂胆なのである。
もっとも16日の時点では千里も合宿中である。
それでも千里は16日の夜、《たいちゃん》を身代わりに合宿所に置いたまま、貴司がその日泊まっている横浜のいつものホテルに行った。
この日は物凄い雨で、大雨警報が出ている最中であった。
それでもふたりで遅い夕食を一緒にホテル内のレストランで取り、それから貴司の部屋に行き、久しぶりに貴司と少しHなことをした。むろんセックスはしないものの貴司は半年ぶりの快楽に感動しているようであった。
貴司の部屋で千里も少し眠って、その後22時半頃に貴司の部屋を出る。
「じゃ代表活動頑張ってね」
と貴司。
「そちらも今度こそはスターターになれるように頑張ってね」
と千里。
それでキスしてから部屋を出た。《こうちゃん》に合宿所まで運んでもらう。雨は降っているものの《こうちゃん》は雨雲の上を飛んでくれるので問題無い。
「なんかこの雨雲の上の景色って美しいよね。天国みたい」
と千里は飛びながら言う。
「雨雲の下は地獄だけどな」
と《こうちゃん》。
「天国と地獄って表裏一体なのかな」
「それは歴史上の多くの哲学者が既に言っていることだよ」
「ふーん」
合宿所に到着する。合宿所は個室である。個室だからこそ、こういう勝手なことまでしている。留守番をしてくれていた《たいちゃん》に
『お疲れ様〜。代役ありがとね』
と言って、ねぎらい、彼女を吸収しようとした時のことであった。
桃香から千里の携帯に電話が掛かってくる。
「はい?」
「あ、千里、よかった。つながった!」
と言っている桃香の声が苦しそうである。
「どうした?」
「生まれるかも。なんか苦しい」
「うっそー!?もう??」
臨月ではあるものの、まだ正産期には入っていない。
「とりあえず、そっちに向かう」
千里は《たいちゃん》に
「ごめん。もうしばらく私の代役してて」
と言うと、合宿所の部屋を飛び出した。
廊下で玲央美とすれ違う。
「どうしたの?本物千里ちゃん」
などと言っている。たぶん《たいちゃん》とも会ったんだなと思う。
「子供が産まれそうなの」
「千里の?」
「うん」
「妊娠しているようには見えないけど」
「産むのは別の子」
と言って走って行く。
エレベータで1階まで降りた所で、京平から千里に直信が来た。
『お母ちゃん、ママが苦しそうなんだけど、どうしよう?』
『え〜!?』
京平の所には今夜は《てんちゃん》が付いているはずだ。彼女に分かるだろうか?取り敢えず呼びかけてみる。
『白虎か大陰なら何とかすると思うんだけど、あいにく私にはよく分からない。かなり苦しそうにはしている。熱もかなり出ている。救急車呼んだ方がいいかな?』
と《てんちゃん》は言っている。彼女はお料理とかは得意なのだが、こういうのは畑違いでよく分からないのだろう。熱が出ているというのは風邪か??
《きーちゃん》に呼びかけてみるも、こんな深夜に打合せをしているらしく、入れ替えはちょっと待ってと言われる。それで千里は《てんちゃん》にはしばらく様子を見ていてこちらから10分以内に応援が行けなかった場合は救急車を呼んでと言う。
玄関から飛びだそうとした所で携帯にまた電話が掛かってくる。桃香かと思ったら、雨宮先生である!今日は何て日なんだ。
「もしもし。忙しいんですけど」
「千里〜。助けてくれ〜」
千里はため息をついた。
「今どこにおられるんです?」
「バンコク市内なんだけど、オカマに騙されて身ぐるみ剥がれた」
「マカオじゃなくて?」
「なんでマカオなのよ?」
「マカオのオカマというじゃないですか」
「あいにくバンコクなんだ」
「だったら毛利さんにでも連絡して迎えに行ってもらいますから、明日まで待って下さい」
「それが明日の夜東京都内で打合せがあるんだよ。こんな時間にこちらまで来ることが可能なのって、千里くらいだし」
「そもそも誰か女性と一緒に行っておられたんじゃないんですか?」
「そいつが女と思ったら男だったんだよ。もう逃亡した」
「でも私、今無茶苦茶忙しいんですよ。そもそも合宿中だし」
「そこを何とか頼む」
千里は再度ため息をついた。
「とりあえず1時間ほど待って下さい。今救急患者を2人抱えているので」
「え〜〜!?でも分かった。1時間後にまた電話する」
それで千里は宿舎の玄関を出た。
雨が物凄い。雷まで鳴っている。
千里はそれでも仕方ないので、傘を差して右手に持ち、今使った携帯は左手に持ったまま、雨の中、アテンザを駐めている駐車場に向かおうとした。まずはアテンザで桃香を病院に運ぼうという魂胆である。
「全く身体が3つか4つ欲しいよ」
と千里は独り言を言った。
その時であった。
ピカッと光ると同時に物凄い雷鳴がした。
そして千里は倒れていた。
2017年春から2019年春にわたる2年間の千里の受難の始まりであった。
選手宿泊棟の当直をしている警備員は、ごくごく近くに落雷したようだったので、本棟の方に詰めている同僚にひとこと連絡した上で様子を見に行く。すると選手らしき女性が倒れているので驚き、そばに寄る。
万一帯電しているとこちらも危険なのでそっと近寄る。
「ちょっとあなた」
と呼びかけるが反応は無い。
傘が燃えている。差していた傘に落雷したのだろう。しかし本人は焼けたりしている所は無いようだ。
傍に寄り、おそるおそる口や鼻の前に手をかざす。
息はしているようだ。ホッとする。
気を失っているだけなのだろう。
取り敢えず119番通報をする。本棟の方に居る同僚を呼ぶ。
その時、警備員は赤い車が駐車場を出て、ゲートの方に走って行くのを見た。コンビニにでも行くのかな?と彼は思った。
千里の後ろの子たちは突然の落雷に混乱する。
落雷の瞬間、《とうちゃん》が千里の身体に巻き付くようにして千里の身体を守った。雷の電気の大半は《とうちゃん》の身体を伝わって地面に流れた。それで千里は命には別状は無かったものの、多少の電気は流れたろうし、そのショックで気を失ったようだ。
《とうちゃん》自身は雷程度に打たれても平気ではあるものの、それでも息が上がって取り敢えず声が出ない。それで《とうちゃん》に代わり《こうちゃん》が
『点呼!』
と言って、眷属全員の状況を確認する。
『騰蛇』
《とうちゃん》はまだ声を出せないものの手を挙げる。
『朱雀』
『あいつは今アメリカに行っている。数日後にこっそり帰国する』
『何か工作活動しているようだ』
『六合』
『あい』
『勾陳って・・・俺だ』
『青竜』
『あいつは昨夜からずっとソフトの作業をしていてダウンして今用賀のアパートで寝ている』
『お疲れなことだ』
『貴人』
『今Jソフトで会議中』
『こんな時間に会議かよ!?』
『天后』
『京平のお世話係で大阪に行っている。今阿倍子の様子を見ている』
『大陰』
『桃香の様子を見に行った。多分もうすぐ向こうに着く』
『玄武』
『あい』
『大裳』
『今合宿所の部屋の中にいる』
『白虎』
『フェイに付いてる』
『天空…さん』
と《こうちゃん》は彼にだけは敬称を付けた。
『いるよ』
『じゃ結局今ここにいるのは5人だけかよ?』
その中でも《くうちゃん》は細々としたことには関わらないし、《とうちゃん》は恐らく体力回復に数日掛かる。つまり実質頼りになるのは自分も含めて3人(こうちゃん・りくちゃん・げんちゃん)しかいない。
1人はアメリカ、1人は大阪、1人は用賀、1人は経堂、1人はJソフト、1人はあきるの市、1人は合宿所内である。
『千里が忙しすぎるんだよ』
と《りくちゃん》が言っている。
『全員招集した方が良いのでは?』
と《げんちゃん》が言う。
『そんな気がする。天空さん、お願いします』
と《こうちゃん》。
『分かった。召集!』
それで千里の眷属12人がここに集められた。