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(C)Eriko Kawaguchi 2015-11-01/updated 2015-12-21
「すみません。どなたでしたっけ?」
と赤い髪を男子みたいに短髪に刈り上げてバスケの練習をしていた高梁王子(たかはしきみこ)はコート脇に寄って行き高田に言った。
「こんにちは、ミズ高梁。私は札幌P高校の女子バスケ部のコーチをしている高田裕人と言います」
「まさかスカウトですか?」
「高梁さんがうちに来てもいいと思うなら、ぜひ来て欲しいです。奨学金とかも出させるようにしますよ」
「ごめんなさい。私、当面日本に戻るつもりないから。今は取り敢えずここに『居る』だけだけど、夏休み明けからは1年間の留学に切り替えるつもりなので」
「私は今U19日本代表の選手選考の作業もしているんですよ」
「日本代表?」
「7月にU19世界選手権が開催される。日本は昨年11月にアジア大会で優勝して世界選手権の参加資格を得ているんだよ。そのチームを編成するんだ」
「でも私、K高校を辞めちゃったから、半年間は大会に参加できないんですよ」
「うん。インターハイには出られない。でもU19日本代表になる条件は日本国籍の女性であることと、1990年1月1日以降の生まれであることだけ」
「なるほど。確かに私、日本人だし、たぶん女みたいだし、1992年7月30日生れで今16歳だし」
「たぶん女って女性だよね?」
「性別検査受けさせられましたよ。あそこに突っ込まれてショックだった」
「未婚の女の子にはショックな検査みたいね」
「確かに女性であるって診断書もらいました」
「だったら問題無いね。だから、君は日本人女子高生なんだから、ルビー高校に在学したまま、日本代表になることもできるんだよ」
彼女はK高校が内紛でおかしなことになった時、学校を辞めてアメリカに渡り、こちらの高校に入学したのである。学期が中途半端なので、手続き上は岡山市のミッションスクールE女子高に2月付けで転校しており、そこからアメリカの同じ系列の教団が運営しているボーディングスクール(私立高校)に「滞在」している形になっている。
つまり彼女の学籍は現在岡山市内のE女子高に存在しているらしい。彼女は実際にはそちらに籍を置いているだけで、生徒名簿にも掲載されていなかったため所在確認に手間取った。この話は昨年中学の全国大会で活躍した選手で今年E女子高に進学した子が居て、その子が高梁の名前を出していたことから気づいたのである。その子は高梁がE女子高に入ったと聞いて急遽ここに進学先を変更したらしい。それでE女子高バスケ部は1年生3人を中心とするチームで先日のインターハイ地区予選に臨み、192対0という恐ろしいスコアでブロック優勝、岡山県大会に駒を進めたのである。(岡山県の地区予選は各地区ごと幾つかのブロックに分けて予選が行われ、各ブロック優勝校が県大会に進出する。なお強豪のK高校やH女子高はそもそも地区予選が免除されている)
ただ高梁本人も言ったように、彼女はこの夏から1年間はこのアメリカのルビー高校に正式に留学する予定である。つまり彼女が日本の高校に戻ってくるのは2010年夏になる。その時点で日本の高校の2年生に編入されるので、彼女は2010,2011年のインターハイ・ウィンターカップに出場可能である(県予選を勝ち上がれば)。
王子はしばらく考えていたようである。
「それって日程は?」
「7月から実質的なチーム活動を始める。大会は7.23-8.2 バンコクで行われる」
「じゃ1ヶ月だけ?」
「各自は自分のチームで充分鍛錬をしているものという前提だね」
「他にどんな人が招集されるんですか?」
と彼女が訊くので名簿を見せる。
「きゃー、私きっと村山さんに殴られる」
などと言っている。
やはりウィンターカップで旭川N高校の部員を殴ったことを本人としてもやや反省しているようだ。
「彼女は温和な性格だから、そんなんで仕返ししたりしないよ。何よりも殴られた本人が全然気にしてないから」
「ほんとですか?」
「どう?7月の1ヶ月間、こちらに来て、世界のバスケットを体験しない?」
「やりたいです。その期間はどっちみちこちらは夏休みだし」
「よし」
手術が終わって病室に戻ってきた時、薫は
「お父ちゃんごめんね」
とベッドに横たわったまま、父に感謝と謝罪の言葉を言った。
「棒も穴も無くて、男でも女でもない状態ではどうにもならんからな。俺の息子は死んだけど代わりに娘ができたんだと思うことにするから」
と父は渋い顔をしながらも、その「生まれたての新しい娘」に答えた。
結局、薫の母は父と話し合い、薫の性転換手術を認めてやることにした。手術は薫がペニスの切断手術を受けた旭川市内の病院で6月上旬に行われ、薫はとうとう女性の身体を獲得した。実はこの病院で1年ほど前に切断したペニスをそのまま冷凍保存してもらっていたので、今回はそれを利用して造膣を行ったのである。
薫はこの手術を受けるために大学を2009年前期いっぱい休学している。入学即休学というのに大学側は困惑したものの「病気治療のため」という説明に納得してくれた。結果的には入学時点では入学金のみを納入し、9月に後期授業料を納めればよいと言ってもらった。その結果実は、薫が勝手に学資保険を解約していたことで払えなくなり困っていた授業料についても助かったのである。
薫は退院するとすぐに宇田先生を通してバスケット協会に接触し、協会指定の医師の診察をあらためて受けて、8月、2010年2月20日から有効の正式の女子選手としてのカードを発行してもらった。薫の性別移行という事情を汲んで、協会も所属チーム空欄のままの登録を認めてくれた。
薫は性転換手術を受けたことをあまり人には言いたくなかったので、11月に千里と再会した時は、今年の前半は男女混合のチームに入っていたなどと嘘を言っていた。実際には6月に手術を受けて8月いっぱいまでは休養していたので、9月から個人的にトレーニングを始め、10月に大学に復帰すると大学の「女子バスケット愛好会」のメンバーと一緒に練習をしていた。ただ薫はA大学の女子バスケ部の再建の目処が立っていないことから、当初の予定通りクラブチームへの参加をもくろみ、それで自分と合いそうなチームが無いかを見に行った関東総合で千里や麻依子の入った千葉ローキューツが活躍しているのを見て、彼女たちに接触し、合流することになる。
6月19日(金)。溝口麻依子は会社の昼休みに近くの定食屋さんに入ろうとしていたら、そこで意外な人物に遭遇した。
「佐藤さん!?」
「わっ。溝口さん?」
「何か久しぶりだねー」
と言って同じテーブルに就く。
「佐藤さん、U19世界選手権出ますよね?」
「ううん。出ないよ」
「え〜?そうなんですか?佐藤さんが出るのと出ないのとでは戦力が全然違うのに」
「私、当面バスケはしないから」
「あれ?今どこかのチームに入ってないんですか?」
「プー太郎(死語)」
「嘘!?」
「いや、入る予定のチームが廃部になっちゃって」
「聞きましたよ。でも佐藤さんほどの人なら、どこにでも入れるでしょうに」
「なんか燃え尽きちゃってね」
その時、ふと麻依子はそのことを思いついた。
「佐藤さん、ちょうどU19の後になりますが、8月8-9日に、シェルカップってオープン大会があって、うちのチームも出るんですけどね。どこのチームにも入ってないんだったら、助っ人で出ません?オープン大会だから、とりあえず女子でさえあればチームに登録していなくても出られるんですよ」
「女子であるって確認書はこないだもらった」
「へー!」
それで彼女は「参加資格確認書」なるものを見せてくれた。
《佐藤玲央美(平成2年12月28日生)は確かに女性であり、女子選手として国内外の大会に出場可能であることを確認しました》
「ほほお」
「私、今バスケ協会に登録ないと思ってたけど3月にスカイ・スクイレルに入った時、チームまとめて選手登録して、その時バスケ協会の会費も払っていたらしい。それで私、バスケ協会自体には籍があるのよねー。それで4月にセックスチェック受けてくださいと連絡が来て」
「大変ですね!」
「中学の時にも1回、高校の時も世界選手権の前に1回検査されてる」
「千里は毎年受けさせられてるみたい。年に2度検査されたこともあったって」
「まああの子は仕方ないね。でも私も中学生の時は嫌〜と思ったけど、もう3度目になるとヴァギナを見られることに耐性ができてしまう感じ」
「千里もそんなこと言ってた」
「でもオープン大会か。だったら出てもいいかなあ」
「じゃ名簿に書いておきますよ。あ、携帯のアドレス交換できます?」
「OKOK」
と言ってふたりは赤外線でデータを交換した。
「でもほんとに何もしてないんですか?」
「一応基礎的なトレーニングはしてる。でも私も練習パートナーも4月から一度もボールに触ってない。だからそろそろ私のバスケの勘もさび付いて来始めているかも」
「ボールに触らずにどういう練習してるんです?」
「走って泳いで体操して素振りして」
「へー。でも練習パートナーってどういう人なんです」
それで麻依子は玲央美から彼女の練習パートナーの名前を聞き驚くように言った。
「それうちのチームの設立者ですよ」
「え〜!?」
旭川N高校女子バスケ部はあまりにも凄かった昨年の3年生が抜けた後、戦力の低下に苦しんでいた。特にゴール下で絶対的な存在であった留実子と、相手がどんな強固な守りをしていても無関係に遠距離から得点を奪う千里の穴はあまりにも大きすぎた。
新人戦こそ道大会準優勝であったものの、インターハイの地区予選では準決勝で旭川A商業に敗れてしまう。3位決定戦に勝ってギリギリで道大会に進出したものの、OG会から不安の声があがる。
更に5月上旬の嵐山カップでは準決勝でL女子高に敗れ、釧路Z高校との3位決定戦にまで敗れて4位に甘んじる。そこで宇田先生は5月下旬のシニア大会の参加枠を(N高校が遠征費まで負担してあげた上で)開園したての旭川C学園に譲った上で、その日程で層雲峡合宿を行った。
学校の許可を得て5月29日(金)と6月1日(月)はベンチ枠候補の20人について公休にしてもらった上でそのメンバーとOGの久井奈・麻樹・暢子・留実子・睦子にも参加してもらい、4日間、層雲峡の温泉宿に籠もって基礎的な技能を徹底的に再確認する練習をしたのである。
その結果このメンツの中で久美子がスターター枠を伺うほどの成長を見せたのと、(揚羽の妹の)1年生・紫が完璧にPG枠争いに加わる活躍を見せ、それに刺激されて3年生の永子・2年生の愛実が物凄く頑張り、かなり全体の底上げをすることができた。
そして迎えた6月19-21日の道大会であるが、それでも難産であった。
ブロック決勝で当たった札幌D学園に苦戦して最後に久美子のスリーが出て1点差で辛勝したものの、その疲れも出て決勝リーグ初戦・L女子高に負けて黒星スタートとなる。翌日の釧路Z高校戦は勝ったものの、その時点でP高校2勝・L女子高1勝1敗・Z高校2敗で得失点差を入れて暫定3位と厳しい状態であった。
L70-64N P82-64Z N78-74Z P72-66L 得失 P24 L0 N-2 Z-22
そしてL女子高がZ高校に勝って2勝1敗とし、これで多くの人が
「今年の代表はP高校とL女子高か」
と思ったのだが、最後の札幌P高校との試合で絵津子・不二子・ソフィアの2年生「中核トリオ」(新鋭トリオから改名)が試合前にシャワールームで冷水を浴びて気合いを入れ直し頑張ったことから、激戦になる。延長戦にもつれる厳しい戦いの末に最後は絵津子のスティールからソフィアのブザービーターとなるスリーが決まってP高校に5点差勝利。
L68-66Z N99-94P
この結果旭川N高校は最後の試合で2勝1敗と星を並べ、得失点差わずか1点の差でかろうじて2位、3年連続のインターハイ進出を決めた。
\P_ N_ L_ Z_ 勝敗 得 失 差
P -- 94 72 82 2-1 248 229 19
N 99 -- 64 78 2-1 241 238 3
L 66 70 -- 68 2-1 204 202 2
Z 64 74 66 -- 0-3 204 228 -24
今大会の得点女王は湧見絵津子、スリーポイント女王は伊香秋子、リバウンド女王は歌枕広佳、アシスト女王は森田雪子、と結果的には代表になった2校がタイトルを独占した。MVPはいったん渡辺純子と発表されたものの純子はそれを辞退して該当者無しとなった。そして決勝リーグ最後の試合で絵津子に負けた悔しさにまたまた丸刈りにしようとした所を猪瀬キャプテンに停められ「女子の丸刈りは校則違反」と十勝先生からも叱られた。
今年のインターハイは大阪である。