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■娘たちの逃避行(5)

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(C)Eriko Kawaguchi 2015-10-31
 
「男子制服では来たくないと言ったんです」
「あれ?女子制服で通学しているという噂も聞いたんですけど」
 

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5月16日(土)。作曲家の鍋島康平さんが亡くなった。
 
千里は特に鍋島先生との交流は無かったものの、業界の大御所だけに新島さんから「取り敢えず顔を出して」と言われた。
 
「千里ちゃん、喪服持ってる?」
「持ってません」
「じゃ用意しておくから。喪服は女物でいいんだっけ?男物を着る?」
「女物にしてください!」
 
「了解。それで香典は自分で用意して欲しいんだけど」
「なんか高そうですね。いくらくらい包まないといけません?」
「葵照子ちゃんも来られる?」
「あの子、今週末は北海道に一時帰省してるんですよ」
 
「だったら、千里ちゃんが醍醐春海・葵照子・鴨乃清見名義の3つの香典を出してもらえる」
「分かりました」
「それで醍醐春海と葵照子は20万円ずつでいい」
「20万円ですか」
 
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と答えながらきゃーと思う。この業界は恐ろしいなあ。
 
「それで鴨乃清見名義のは100万円ほど入れて欲しいんだけど」
「え〜〜〜!?」
 
100万って・・・・何か金銭感覚が麻痺しそう。
 
「だって鴨乃清見はヒットメーカーだもん。2年連続・RC大賞歌唱賞受賞。既に一流作曲家だよ」
 
「うう。本人は大したことないんですが。分かりました。何とかします」
「鍋島先生から曲を頂いていた歌手だと今度は最低が100万円になるみたい」
「きゃー」
「だからローズ+リリーの2人も100万円ずつ包ませるって上島先生が言ってたよ」
「高校生に払えるんですか?」
「足りなかったら取り敢えず津田さんあたりが立て替えとくんじゃない」
「ほんとに恐ろしい世界だ」
「まあ北原ちゃんの葬儀の時も恐ろしい金額包んでくれた人たちいたからね」
「あぁ・・・」
 
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何かこの世界おかしくないか?と思いながらも千里は出かける準備をしたが、今新島さんと交わした会話のどこかに何か違和感を覚えた。あれ〜? 今何か変なこと聞いたっけ???
 

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それで千里はまずは銀行に電話で連絡を入れた上で、先にコンビニに行くと香典袋を3つ買う。それから連絡していた銀行の支店に行って窓口で140万円下ろし、その内100万円を銀行の封のある札束で出してもらうことにしたのだが・・・・
 
実際に窓口に行って連絡していた村山千里と言い、身分証明書として運転免許証を見せると、窓口の人は封のしてある100万円の札束を2つ渡してくれた。
 
「あれ?200万円ですか」
「すみません。違いましたでしょうか?」
「いえ、お願いしたのは140万円だったんですが」
「すみませーん」
「いえ、いいですよ。60万円は予備に持っておきます」
 
千里はそう言って200万円受け取り、鴨乃清見名義の香典袋にその封のある札束を1個、醍醐春海と葵照子の香典袋にはもうひとつの札束の封を切ってから、20万円ずつを入れた。残り60万円はバッグに入れておく。
 
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新島さんと通夜会場近くのカフェで落ち合う。そこのトイレを借りて喪服に着替えた。新島さんが黒いハンドバッグと袱紗を渡してくれる。袱紗の中に分厚い香典袋を3つ入れた。
 
それで一緒に会場に向かうが唐突に千里はさっきの会話の違和感に気づいた。
 
「雨宮先生は別行動ですか?」
 
すると新島さんは困ったように言う。
「実は居場所が分からなかったのよ。あの馬鹿」
「うむむむ」
 
「それで雨宮先生の分の香典は私が持って行くけど、いくら包めばいいか分からなくてさ、それで上島先生に相談したのよ」
「それでローズ+リリーの話が出たんですか」
「そうそう」
「いくら包んだんですか?」
 
「直接の関わりは無いけど、鍋島先生のお弟子さんの東堂千一夜さんからワンティスは何度か曲を頂いているから、孫弟子格ということで300万円でいいだろうという話だった」
 
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「ひぇー」
 
「でも今日は通夜だからとりあえずいいけど、多分来週の日曜に作曲家協会葬かレコード協会葬あたりになるのではないかという話なのよね。それまでには何とかあの馬鹿を捕まえて連れて来ないとまずいわ」
 
と新島さんは言っている。
 

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通夜は大きなホールを持っている都内の葬儀場で行われていたのだが、何か凄いメンツが会場には居た。有名な作曲家や往年の大歌手などの姿が多数ある。若手の売出中の歌手も結構いる。ローズ+リリーの2人の姿も見かけた。高校生なんだから制服でもいいのだろうが、ふたりともふつうの喪服を着ていた。彼女たちにテレビ局のレポーターさんがひとり声を掛けていた。
 
「おふたりとも喪服なんですね」
「お通夜ですから」
「高校生だから制服でも良かったのでは?」
と千里が思ったのと同じことを訊く。
 
「ケイが男子制服では来たくないと言ったんです」
とマリが言っている。
「あれ?ケイさん、結局ほんとうに男子制服で通学しているんですか? ケイはもう女子制服で通学しているという噂も聞いたんですけど」
とレポーターさん。
 
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「そのあたりはプライバシー保護ということで。一応私たち引退した身なので」
「誰も引退したとは思ってませんよ。来月にはアルバムが出るし。次のシングルはいつ出るんですか?」
「うーん。そのあたりはちょっとあちこちの思惑があるみたいですが・・・」
とケイは言葉を濁したが、ケイがカメラの前で一瞬両手の指で10という数字を作ったのを千里は認めた。
 
この件はあとでネットで「ローズ+リリーは10月に新曲をリリースするのでは」という噂として広がる元となる。ただしケイは指の形は偶然数字に見えただけで、別に何も意図は無いと自らネットに書き込んでいた。
 

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千里は通夜の会場で、ワンティスのメンバーともあちこちで会った。上島さんとはこの日は遭遇しなかったのだが、下川さん、水上さん、海原さんと遭遇して新島さんが挨拶をしていた。しかしそんなことをしている内に千里は新島さんとはぐれてしまう。
 
参ったなあと思いつつも、まあ焼香が始まったら適当なタイミングでした後帰ればいいんだろうと思う。喪服は明日にでも新島さんのマンションに持って行けばいいし・・・と思っていた所でワンティスの三宅さんとばったり遭遇する。
 
千里が会釈すると
「ごめん、誰だったっけ? なんか見たことあるんだけど」
などと言われる。
 
「すみません。雨宮先生の弟子で鴨乃清見と申します」
と言って、鴨乃清見の名刺を出した。
 
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「君が鴨乃さんか!」
と驚かれる。
「まだ学生なもので、あまり表には出ておりませんもので」
「そうかぁ。でも雨宮の弟子だったんだ?」
「はい」
 
と千里が答えると
「ね、雨宮は今日来てた?」
と訊かれる。
 
「あ、いえすみません。何か遠くに行っておられるらしくて、今日は間に合わないということでした」
と答えておく。こういう答え方がたぶん無難な所だろうと思った。
 
「ああ、やはり間に合わないよな」
と三宅さんが言う。千里はその言い方に微妙なニュアンスを感じた。
 
「あのぉ、もしかして雨宮先生の居場所をご存じですか?」
と千里は尋ねた。
 
すると三宅さんは少し悩むようなそぶりを見せたが、
「ちょっと来て」
 
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と言って、千里を会場の外に連れ出した。
 
「あまり他の人には聞かれたくないんだ。でも君、口が硬そうだし」
と言ってどこかに電話するようであった。
 
「ミモリン、あんた結局今どこにいるのさ?」
と三宅さんは突然電話口に言った。
 
「まだそこかぁ」
と言って天を仰ぐ仕草。
 
「こっちは大変なんだよ。何とかしてすぐ帰国してくんない?鍋島先生が亡くなったのは知ってるよね? うん、それは聞いたのか。僕たちにとっては先生の先生になるからさ、通夜は仕方ないとしても葬儀に出ない訳にはいかないじゃん。え〜!? ちょっと待って」
 
と言って三宅さんは少し考えてから千里に尋ねる。
 
「鴨乃さん、パスポート持ってる?」
「はい。いったん自宅に戻ったら」
「自宅どこだっけ?」
「千葉市内なんですが」
「じゃちょうど成田に行く途中だな。じゃさ、悪いけど君、あの馬鹿を連れ戻しに行ってきてくれない?」
 
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ああ・・・三宅さんにまで馬鹿と言われるのか。
 
「はい、参ります。外国におられるんですか?」
「ドイツなんだよ」
「それはまた遠いですね」
「ポーランドに居たのが取り敢えずドイツまで移動してきたらしい。でもあいつ昨夜、うとうとしている間にカードの入った財布盗まれたらしくてさ」
 
「わぁ」
 
「何とか頑張ってカード会社には連絡して利用停止にしてもらったらしいけど、お金がなくて身動きできないと言ってる。僕が交通費は出すから、申し訳ないけど、行ってきてくれない?」
 
「分かりました」
 
それで三宅さんの携帯を借りて雨宮先生と直接話をする。
 
「ああ、千里か。すまん、すまん。面目ない。新島には内緒にしといてよ」
「そういう訳にはいきません」
「融通が利かないやつだ。いつ来てくれる?」
「ちょっと待ってください」
 
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三宅さんが時刻を確認してくれたが、今日の21:55成田発のエールフランス便パリ行きがいちばん早いようだということになる。
 
「今から間に合うかな?」
「千葉まで1時間、千葉駅から私のアパートまで往復30分、千葉駅から成田空港まで40分、たぶん20時すぎに到着できます」
 
「だったら何とか間に合うかな」
 
それで三宅さんは予約センターに電話して座席を1枚確保する。
 
「鴨乃さん、本名教えて」
 
「村山千里です」
と言って千里は Chisato Murayama 1991.3.3生とメモに書いて渡す。
 
三宅さんがそれを予約センターの人に伝える。
 
「パスポート番号分かる?」
「あ、はい。それはメモがあります」
 
と言って千里は手帳にメモしていた番号を見せる。それを三宅さんが相手に伝える。
 
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「性別? えっと君、女だっけ?」
「はい、女です」
 
それで予約は成立したようである。
 
それで千里は雨宮先生と電話で話し、今から成田に向かうことを言う。
 
「ああ、パスポートを自宅に置いているんだ?」
と雨宮先生。
「ええ。ふだんは使わないものだから」
と千里。
 
「そんなの普段から持っておきなさいよ」
「なんでですか〜?」
「私が来てと言ったら、いつでも地球の裏側まででも来て欲しいからよ」
「無茶言わないでください」
 
電話を切ったあとで三宅さんが
 
「鴨乃さん、クレカは持ってる?」
と訊く。
「はい」
と言って自分のクレカを見せる。
「これ限度額は?」
「300万円と聞きました」
「だったら、万一の場合はそれで帰りの航空券を決済してくれる?。すぐ返すから」
「はい」
 
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「一応、この僕のカードも持って行って。航空券はチェック厳しいから難しいかも知れないけど、これで決済できそうなものは何でも自由に決済していいから」
 
「分かりました。お預かりします」
 
と言って受け取ったが、ん?と思う。
 

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