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「とにかくひとりずつ捕まえて行くか」
と高田コーチは独り言を言い「鬼ごっこ」を開始した。
高田が最初に接触したのは橋田桂華である。彼女はどうも所在の確認できないメンバーの多くとの関わりが深いようなのである。
「すみません。わざわざ、こんな田舎まで訪ねてきてくださって」
と桂華は恐縮した。
「いやTS市もだいぶ開けてきたと思うよ」
と高田コーチは言う。
「僕の高校の先輩でTS大学に行った人がいたんだよ。その頃TS大学の学生には木刀が必需品だったらしい」
桂華は少し考えて言った。
「学生運動の時期じゃないですよね?」
「うん。それはもう下火になっていた時期。当時TS大学のある付近はホントに山の中でさ。野犬が出るんで、それに対抗するために木刀が必要だったんだよ」
「きゃー」
「熊野(サクラ)はほんとにどこかで働いているみたいです」
と桂華は言った。
「あの子、お父さんが年末に破産申告したんですよ」
「そうだったの!?」
「最近不況で仕事が減っていた状況で、あの子昨年は日本代表やったから個人的にもかなりの経済的な負担が掛かっていたみたいなんですよ。だから結構な経費をうちの監督が個人的に肩代わりしてあげていたんです」
「そうか・・・」
「日本代表の分は交通費とかは協会から出るからまだいいんですけど、それでもけっこうな個人負担はあるし、やはり強いチームだから遠征費とかも普段からどうしても大きいんですよね。それも結構家庭の負荷になっていたみたいで」
「うーん。それはスポーツ強い子みんなが苦しむことだなあ」
「実際、うちの学校でも経済的な負担に耐えられずにやめちゃった有望選手いましたよ」
「そういうの残念だね。本人としてもバスケ界としても」
「全くです」
「佐藤は習志野市、村山は千葉市内に住んでいます」
と桂華は断言した。
「ふたりと連絡取れてる?」
「村山とは4月になってからも何度かメール交換しました。でも私より鞠原のほうが頻繁に接触していると思います」
「鞠原君と!?」
「どうもですね。鞠原と村山は、一緒に秘密のトレーニングをしてるっぽいんです。高3の頃から」
「ほほお」
「その秘密のトレーニングに佐藤も誘ったっぽいんですけど、佐藤は別口みたいなんですよね」
「じゃ村山も佐藤はバスケやめてないんだね?」
「村山は公式には12月で部活から引退したことになっているんですけど、実は密かに3月中旬までN高校で練習していたみたいです。ある筋からの情報で」
「へー」
「ただ3月中旬以降は私も分かりません。佐藤は本人と4月中旬に1度新宿で遭遇したんですよ」
「おお!」
「スポーツ用品店で剣道の竹刀を買ってました」
「剣道やってんの?」
「トレーニングだと言ってましたから、剣道に転向する訳ではないと思いますよ」
「じゃ何かトレーニングはしてるんだね?」
すると桂華は笑いながら言った。
「私たちって、練習するのが日常生活の一部になってるんですよ。練習しなかったら、すごく変な気分なんです」
「でも鞠原が言っていたんですよ」
と桂華は言った。
「佐藤と村山は必ずU19世界選手権に参加するって。今回高田コーチから連絡があったんで、あらためて鞠原と連絡したんですが、鞠原は『ちょっと待って』と言っていったん切って誰かに電話している雰囲気だったんです。それでその人物に確認したみたいで、ふたりはU19の合宿には必ず姿を見せるから、その予定で進めていればいいですよって」
「何かふたりの鍵を握る人物がいるんだ?」
「です。その人と鞠原は接点があるみたいで」
「分かった。その2人は後回しにして、他の子の所在を探すのに全力を尽くすよ」
「お疲れ様です」
愛沢国香が病院の階段で足を踏み外し(正確には松葉杖を突きそこなって)転落し、大幅に入院期間が延びたというのを聞いて、国香のお母さんが旭川から飛んで出てきた。
お母さんは病院側の管理には問題は無かったのかと病院側を責めたが、国香は「これは自分が悪かったんだから」と母親をなだめた。取り敢えず階段から落下したことで肩甲骨を新たに骨折。交通事故でひびの入った「単純骨折」であったはずの箇所も、骨がずれてしまう事態となり、母親の同意が取れれば、骨の位置を正しく合わせ付け、金具で固定する手術をしたいと医師は説明した。
母は旭川で取り敢えず待機している夫とも電話で相談の上、その手術をしてもらうことにする。しかしこれで国香は半月で退院できるはずだったのが、最低でも3〜4ヶ月は入院してくれということになった。
お母さんはそんなに入院しないといけないのなら、旭川の病院に転院してはどうかと言った。お母さんはこの病院自体に若干の不信感を抱いていたのである。しかし国香は会社の健康保険を使いたいし傷病手当金ももらいたいから、そのためには千葉にこのまま居て「社員」状態を維持したいということ、また自分が所属している千葉ローキューツというチームの籍も維持したいから、そのためにはやはり千葉県内に居るのが好都合であることを主張した。
また元々の事故を起こしたドライバーさんも、「そもそもは私がはねたのが原因だから」と言って国香が退院するまでの治療費・入院費で、国香自身の保険でカバーできない分、またお母さんがもし国香に付いているなら、その滞在費、北海道との往復交通費は全部自分が出しますと言ってくれた。
それで結局国香はこの病院で治療を続けることにし、お母さんも国香が退院するまで国香のアパートに寝泊まりして滞在することにしたのである。もっとも、お母さんは最初は不機嫌だったものの、次第に新婚旅行以来の東京にワクワクしている様子で、半年間の都会暮らしを結構楽しんだようである。
なお、この件では国香が入院しているフロアの婦長さんと、担当医師が始末書を書いたらしい。国香は自分のせいなのに、と恐縮していた。
国香が結局退院したのは12月の下旬であった(足の骨の固定に使った金具は10月に除去した)。小学5年生でミニバスに入って以来、ずっと足を酷使してきていたので、その疲労が蓄積して骨のあちこちが痛んでいたので、治癒にも時間が掛かったようである。しかし退院後国香は「何か足が軽い」と思った。結局翌年、国香はこれまで以上に活躍できるのである。
桃香は3月下旬、自動車学校の合宿コースに入学。3月31日にグリーンの帯の運転免許証を手にした。ところが桃香は免許を取って10日もしない内に信号無視とスピード違反で3点切符を切られ、初心者講習を受ける羽目になる。反則金と講習料金を払うのに母に泣きついたら、母は初心者講習が終わった翌日、わざわざ富山県から千葉まで出てきて桃香から運転免許を取り上げて行ってしまった。
「免許が無いとできないバイトがあるよぉ」
「免許の必要無いバイトを探しなさい。ブルー免許に切り替わる時に返してあげるから」
そういう訳で桃香は免許の要らないバイトを探すのだが、なかなか見付からない。最初飲食店関係を模索していたものの、どうにも学業と両立できないようなので断念。また髪が短く、言葉遣いや雰囲気も男性的な桃香は、どうも面接の際にオカマさんと誤解されている雰囲気があって「私、女ですけど」と言っても「うん、分かってるよ」などと言われつつ、適当な理由を付けて断られるようなこともあった。
「本当のオカマさんも仕事見付けるの大変なんだろうなぁ」
などとつぶやきながら、桃香は電話を掛け続けた。
それでゴールデンウィーク直前にやっと見付かったのが、電話受付をする会社のオペレーターであった。桃香は普段話している声はかなりトーンが低い(それでまた性別を誤解される)ものの、オクターブ上で話すこともできるので、
「あなた言葉がハキハキしていて聞き取りやすいし、その高さの声でも話せるのなら、お願いしようかな」
と言って採用してもらったのである。
「うちは戸籍上の性別は気にしないから」
と採用担当者さんが最後に言ったのは気にしないことにした。
電話センターという性質上、本来は服装は自由でもよいはずだが、セキュリティの関係で、携帯電話や電子手帳・携帯音楽プレイヤー・USBメモリー・インテリジェント腕時計、また個人の筆記具などの類いは一切業務エリアには持ち込み禁止である。それを徹底するため、勤務中はポケットの無い制服に着替えるようになっており、ロッカールームで小銭入れ以外の私物は置くとともに、制服に着替える方式になっている。チェックは事実上されないものの、生理用品を入れるポケットの付いたショーツも禁止である。
桃香は「女性と一緒に着替えられますよね?」などと尋ねられ「もちろんです」と答える。それで初日、その日の勤務開始時刻15:00に合わせて14:55くらいに会社に着いて女性用ロッカールームに入ったのだが・・・
入った途端。身長180cmはあるガッシリした体格の人物と目が合う。
「きゃー!」
と声を挙げたのは双方であった。
「何?何?」
と言って女性の課長さんが飛んできた。
「男が入って来たので」と中に居る人物。
「男が中に居たので」と桃香。
「うーん」と課長さんは一瞬どうしたものかと思ったが
「そちらの佐藤さんは身長が高くてガッシリした体格だけど間違い無く女性。高校時代は運動部で女子選手としてインターハイにも出場したらしいですよ」
「あ、そうだったんですか」
「こちらの高園さんは髪が短くてちょっと男性的な雰囲気だけど、一応女性だそうで高校時代も女子制服で通学していたそうです」
「あ、すみませーん」
ということで、佐藤さんと桃香はお互い相手の性別に若干の疑惑を残しながらも笑顔で会釈をしたのであった。桃香は課長の「一応女性」という言葉に引っかかりは覚えたのであるが。
千里は桃香同様に春休み中に運転免許を取り、雨宮先生にのせられて中古のインプレッサ・スポーツワゴンを購入した。この車で千里は最初道に慣れるのに千葉・東京・茨城付近をかなり走り回ったし、雨宮先生のドライバーも務めたが、この時期よくやったのが千葉と大阪の往復である。
この行程はだいたい片道5時間ほどかかるのだが、千里はこの時間にしばしば作曲をしていた。車を運転していると割と簡単にアルファ状態になりやすい。それでメロディーを思いつくと
『きーちゃん、運転代わって』
などと言って運転を《きーちゃん》か《こうちゃん》に任せて自分は後部座席に行き、五線譜に思いついたメロディーを書き留め始めた。
しかしそんな時に警察の検問などに遭遇する場合もある。
『千里、警察』
などと言って千里は一瞬にして運転席に戻される。それで運転免許証を提示してそこを抜けると、また運転を任せて後ろに移動し、作曲作業を続けるのであった。
要するに車を運転しているパターンには下記の3種類がある。
(1)千里自身が運転している。
(2)千里から分離した《きーちゃん》か《こうちゃん》が独立して運転している。
(3)千里の身体の中に《きーちゃん》か《こうちゃん》が入り込んで運転している。
千里はこれらのパターンを使い分けることで長時間の連続運転に耐えていたのである。なおトラブル防止のため《こうちゃん》が独立して運転している場合、必ず女の子の格好をして、運転者のすり替わりがバレにくいようにしていた。
《せいちゃん》は女装を嫌がるが、《こうちゃん》は割と女装を楽しんでいたようである。
千里が最初にインプで大阪まで走ったのは4月12日で、この日は貴司が千葉に来ていたところに、雨宮先生が先日買ったインプを持って来てくれたのである。つまりインプが来た初日であった。雨宮先生はそのまま自分を静岡まで送っていってくれと言ったのだが、この行程を実際には千里と貴司で交代で運転した。静岡から先では、貴司と途中のPAで「ご休憩」したりしてのんびりと走り、貴司を大阪に置いた後の帰りは《こうちゃん》と千里で交代で運転して夜通し走り、月曜の朝6時に東京に帰還。電車で千葉に戻った。
(千里のインプの駐車場はなぜか東京都江戸川区にあるのである!?)
2度目は4月25-26日に雨宮先生を直江津まで送迎した時である。この時最初は雨宮先生の用事が終わるまで直江津で待っているつもりだったのだが、突然大阪に行きたくなった。それで運転は《こうちゃん》と《きーちゃん》に頼んで、大阪まで往復。貴司のマンションで1時間ほど熱い時間を体験して直江津にとんぼ返りしたのである。
次はゴールデンウィーク中かゴールデンウィーク明けに行きたかったのだが、貴司が仕事の方で忙しくしていたし、千里も別件で時間が取れない状態で、なかなか会えなかった。そして3度目に会ったのが5月29日で、インプで大阪まで走った後、貴司を乗せて更に敦賀までドライブした。
しかしここで千里は貴司から「恋人ができた」と打ち明けられる。そういう訳で千里と貴司の「蜜月」はわずか1ヶ月半で終了して、またもや千里はいったん振られてしまったのであった。