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それで近くのレストランでコース料理を食べていたら、ちょうどそこに偶然にも貴司の上司である高倉部長が来るので貴司は仰天する。思わず食べていた海老が喉に詰まってむせそうになる。
「こんにちは、部長」
と顔見知りの千里が笑顔で挨拶する。
「やあ、デートを邪魔したかな」
と部長も笑顔である。
「大丈夫ですよ。取り敢えず月曜までは一緒なので充分時間はありますから」
と千里。
「ああ。連休中デートするのね。どこか遠出するの?」
と部長が訊くので
「広島までウィンターカップを見に行ってくるんです」
と千里は答える。
「ああ、それはいいね!」
と言ってから部長は考えるようにする。
「でもウィンターカップって、いつからいつまでだっけ?」
「明日から29日までですよ」
「25日まででいいの?」
「折角の新婚旅行だから、お休み取れないの?と訊いたら仕事があるからと言うし」
と千里が言うと、部長が驚いている。
「君たち結婚したの!?」
「はい」
と言って千里が左手を見せる。薬指に金色の指輪が輝いている。
いつの間に着けた!?と貴司が驚くが、部長も驚いて
「結婚したのなら、言いなさい。それに式にも呼んで欲しかったなあ」
と貴司に言う。貴司はどう答えたらいいか焦っている。
「でも結婚式は挙げなかったんですよ」
と千里が言うと。
「ああ、最近はそういう人達も多いよね」
と部長は納得したようである。
「そうそう。細川さんからはこれも頂いているんですよね〜」
と言って千里はバッグの中から青いジュエリーケースを出すと、アクアマリンの指輪を出し、わざわざ内側の<< Takashi to Chisato Love Forever >>という刻印を部長に見せてから、左手薬指に重ねてはめた。
「それで私が指輪のお返しに贈ったのが細川がいつも填めているそのクロノグラフなんですよ」
と千里は言う。
「ああ。それは7月頃から、いつも填めてるね」
と部長。
このクロノグラフは7月6日に貴司がいったん千里に返したのだが、千里はショックで茫然自失状態だったので返されたことを認識していない。そして千里の眷属たちが《保護観察用》と称して、貴司の腕につけてしまった。これはお風呂に入る時とバスケをする時以外、貴司が外そうとしても外れない!更にお風呂からあがった後、バスケをした後、勝手に貴司の腕についてしまう!しかしそういう事情を千里は知らず、貴司の自分への気持ちなのだと解釈している。
高倉部長は頷いていたが、やがて言った。
「でも結婚したのなら、今年いっぱいお休みにするから、最後までウィンターカップを見ておいでよ」
「わぁ、ほんとにいいんですか?」
と千里は喜んでいる。
「うんうん。船越監督には言っておくよ。もみじ饅頭のお土産、部のみんなとチームのみんなによろしくね」
と高倉部長は笑顔で言った。
「貴司よかったね。これで決勝戦まで見られるね」
と千里は部長が向こうの席に行ってから言った。
「男子決勝戦のチケットは?」
「コネで何とかする」
「すごーい。でも千里その金の指輪は?」
「いつも携帯に付けている指輪だよ」
「あっ・・・」
「ちゃんと各々の指に入るサイズで作ったからね」
千里と貴司が各々の携帯に取り付けている金色のリングは、初代のものは2007年1月に理歌と美姫からプレゼントされたもので真鍮製だったが、2010年1月に酸化発色ステンレスのものに交換している。その時、お互いの指にちゃんと入るサイズで作った。
この指輪のサイズを計測したのは2011.1.23だが、千里の体内時計は2011.5.21であった。これは性転換手術から(体内時計で)既に3年半が経っており、高2〜高3のインターハイやウィンターカップ、U18アジア選手権、U19世界選手権まで経験した身体である。
この日、2012.12.22は体内時計では2014.7.6で指輪を作ってから3年ほど経っているが、3年前に千里の基本的な身体作りはほぼ完了した状態であった。そして当時少し余裕を持ったサイズで指輪を作っていたこともあり、今でもそれが左手薬指に入ったのである。
「貴司はその指輪入る?」
「待って」
と言って携帯から取り外して入れてみる。
「入った!」
「偉い偉い。ちゃんと節制していたね」
もっとも千里は3年半経っていても貴司は2年弱しか経っていない。
「ここの所のハードな練習のせいかも」
「ハードな練習って、最近MM化学の練習激しいの?」
「いやチームの練習は相変わらずぬるい。でもここ1月半ほど、ある場所に通っているんだよ」
「ある場所って風俗?」
「僕は風俗とか行かないよ!」
まあ確かにそういうのが好きじゃないみたいだよな、と千里は思う。でも浮気のしすぎ!
貴司はまず9月に日本代表の合宿の合間に、短期間だけ大阪まで往復するのもかえって辛いなと思っていた時、水流先輩に会ったこと。先輩に誘われて常総市の体育館に行き、“女装ビーツ”というチームの人たちと一緒に練習したこと。そのお陰でアジアカップを戦えたことを語る。
千里はその話を聞いていなかったので、背後にジロッと視線をやりながら聞いていた。《こうちゃん》が逃げようとするのを視線で制する。《びゃくちゃん》はバツが悪そうな顔をしている。
更に貴司は語る。
アジアカップの後で、急に千里の顔が見たくなって千葉まで行ってしまったが、結局会えなかったこと。その帰り、ふと思い立って常総市の体育館に寄ってみたら、女装ビーツのメンバーの白鳥さんという女性が居て、関西方面に住んでいるのなら、こちらに顔を出してみないかと言われ、兵庫県市川町の体育館で夜間に練習している市川ドラゴンズというチームを紹介してもらったこと。そしてその練習メンバーに入れてもらったこと。その市川ドラゴンズの練習が物凄くきついものの物凄くレベルが高く、最初の一週間だけでもかなりレベルアップして近畿実業団選手権で5位になり、2月の全日本実業団選手権に出場できるようになったことを語った。
「今は1月20日に行われる大阪リーグの最終戦でAL電機を倒すべく日々の練習に励んでいるんだよ」
と貴司は言った。
千里は話を聞きながら疑問を感じていた。
あの練習嫌いで浮気性の貴司がそんなにストイックにバスケのみに専念しているって何か変だ。
千里はいきなり貴司のお股に手をやった。
「わっ」
「付いてるな」
「なんで〜?」
「いや、貴司がそんなにストイックになったって、ひょっとして貴司、去勢でもしたんじゃないかと思ったけど、付いてるなと思って」
ギクッとする。千里勘が良すぎ。でも俺ってもしかして去勢した方がバスケがよくできるようになるとか?
「千里〜。触るならついでに逝かせて〜」
と言ってみたが
「それは阿倍子さんと別れてから言って」
と言われた。
しかし千里は言った。
「そんなにハイレベルな所があるなら、貴司そこで毎日練習すべきだと思う。せっかくの新婚旅行だもん。貴司、日中はウィンターカップ観戦で若い人の熱気を感じて、夜間は自分の練習、ということでいいんじゃない?」
「両方同時進行なの〜?」
「そのくらい頑張りたいんでしょ?」
貴司は考えた。
「そうだね。年末年始ちょっと頑張ろうかな」
千里は《こうちゃん》を見た。OKサインを出している。
「じゃ、毎日ウィンターカップを見た後、市川町に移動かな」
「うんうん」
「広島から市川町まで何時間くらい掛かるかなあ」
「もしかして車での移動を考えてる?」
「え?違うの?」
「それは無茶すぎる」
と言ってバッグからパソコンを取り出す。
「車で往復した場合、片道3時間半、走行距離は往復で520kmになるよ。だからガソリン代は・・・」
と言って《きーちゃん》を見たら教えてくれる。
「ガソリン代7500円、高速代が11800円で、合計19300円かかる」
「かなり掛かるね」
「やはりここは新幹線だよ」
と言って乗換案内のサイトを開く。
「こういう連絡があるよ」
広島18:56-19:57姫路20:11-20:44甘地
「運賃は新幹線の自由席で7870円。往復15740円。車での往復よりずっと安い。所要時間も半分で済む」
「ほんとだ」
「安いし速いし何より楽。これは新幹線の一択だね」
「そうしようかな。千里は夜はどうするの?」
「新婚さんは夜はベッドの上でぐっすり寝る」
「千里も一緒に練習しないの?」
「男子代表の貴司がギリギリ合格したチームに女子代表の私が入れる訳ない」
「あ、そうかも」
「それに私、明日の夜は年賀状書かないといけないし」
「ごめーん」
「私がゆっくり休める豪華なホテルを6日間用意してよ」
「豪華なホテル?」
「まあビジネスホテルでもいいよ」
「ごめん。そうさせて。今お金が足りない」
ボーナスが出たばかりだと思うけど、なぜ無いのだろうと千里は疑問に思ったものの、取り敢えずよいことにした。
「じゃ、お金大変そうだし、私も急に言い出したから、新幹線代は私があげるよ」
と言って千里は自分のバッグから三菱UFJ銀行の封筒を出して貴司に渡そうとした。しかし貴司は
「だったらこちらを使うよ」
と言って、さっき貴司が受け取った方の銀行の封筒を出した。
「ではそれで」
ということで、結局貴司は、千里に借りていたお金を返したのの半分を千里が負担するからといって貴司に返してくれたものを交通費に充てることにしたのである。
複雑にやりとりをしたので、2人ともお互いに、結局誰がこの交通費を負担したのか分からなくなってしまったのだが、結果的には貴司が自分で負担したことになるはず!?
「そうだ。甘地から広島に戻るのはどうすればいいんだろう?」
「練習は何時に終わるの?」
「だいたい夜中の0時頃」
「じゃさすがに新幹線は無いね」
「うん」
「だったら朝帰ってくればいいよ」
と言って乗り換え案内を見る。こういう連絡があった。
甘地6:00-6:29姫路6:54-7:56広島
「結局夜中は千里と一緒できずか・・・」
「今夜は朝まで付き合ってあげるから」
「うん」
「明後日以降は、私、朝、広島駅まで行ってるから、それで一緒に朝御飯食べてからジョギングで広島グリーンアリーナまで行こうよ」
「ジョギング・・・」
貴司はすぐ交通機関を使うことを考えるのだが、千里っていつもこういう発想だよなと思い、それは凄いと貴司は思っていた。
「広島駅からグリーンアリーナまでは2.2km。私たちの足なら12分で行くね」
と千里は言っている。
「それ電車待っているより速い気がする」
と貴司。
「歩いても20分でしょ」
「確かに。僕たちは電車に乗る意味無いね」
「まあ朝の運動で走るか人が多かったら歩こうよ」
「うん、そうしよう」
貴司はハッと気付いた。
「ねぇ、そういうスケジュールなら、AUDIで広島まで行く意味は?」
「無いね。だから明日の朝も新幹線で行こう」
「そうするか」
それで時間を確認すると、これが使えそうである。
大阪ビジネスパーク5:45-5:55心斎橋6:03-6:15新大阪6:25-7:56広島
「よし。予約しよう」
と言って千里はパソコンでJR西日本のサイトにアクセスしようとするが、貴司が停めた。
「それ僕が予約するよ。ホテルも」
「そうね。よろしく」
貴司も千里の機械音痴・ネット音痴は重々承知している。大阪から福岡へのチケットの手配を千里に頼んだら、予約が富山県の福岡駅行きになっていたので、ギョッとしたこともある。(ありがちな間違いではある)
広島へのチケットを予約したはずが、北広島市(北海道の札幌近郊)への予約になっているくらいあり得る!と貴司は思った。
貴司が千里のパソコンを使って予約をしてくれている間に千里は席を立って店外に出てから、まるで携帯でも掛けているような振りをして《きーちゃん》と話した。
『念のため確保しておいた男子決勝戦のチケット、郵送で私たちが泊まるホテルに送ってくれる?』
『OKOK。東京からの発送にすればいいよね?』
『うん。バスケ協会の封筒を使うともっともらしい』
『そのくらいの調達はできるからやっておくよ』
『サンキュー』
千里が席に戻ると貴司が
「明日のチケットも23日から28日までのホテルも予約した。デラックスシングル平均9000円」
と言う。
「平均?」
「曜日によって料金が違うんだよ」
「なるほどー」
「部屋面積を確認したら本来はダブルかツインくらいの広さの部屋でベッドはひとつ。そのベッドもセミダブルサイズ」
「おお、素晴らしい。貴司と一緒に寝られないのだけが残念だ」
「うーん。千里と寝たい」
「たぶん忙しくて一緒に寝る時間は無いね」
「なんかそんな気がする!」
「決勝戦のチケットも確保したよ。ホテルに送ってもらうことにしたから、ホテルの名前と住所教えて」
と千里。
「うん。これ」
と言って貴司が画面を示す。千里はそれを《きーちゃん》のスマホに送信した。(送信しなくてもちゃんと見ているのだが)
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娘たちの振り返るといるよ(11)