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(C)Eriko Kawaguchi 2018-10-13
10月下旬、千里は性別の変更が戸籍・住民票に反映されるのを待って、その変更された戸籍謄本を持ち、バスケット協会に向かった。
日本バスケットボール協会は以前は他の多くの体育協会が入居している岸記念体育会館(代々木競技場のそば)にあったのだが、今年3月に西五反田の第2オークラビルに移転している。五反田駅から歩いて5分くらいの所である。
予め連絡していた医学委員の由里浜さんに性別が訂正された戸籍謄本を渡した。
「お疲れ様でした。これであなたの性別に関する処理は終わりですね」
「これまで色々お手数お掛けしました」
「でもあなたの後、結構な数の性別変更処理をしているのよ」
と由里浜さんは言う。
「その内の幾人かは私の知っている人のような気がします」
「まあ元々性別が曖昧だった人とかも結構いるしね」
「スポーツ女子には多いと思いますよ。私などは全く迷いが無かったですけど、男子選手か、女子選手か選べと言われて、かなり悩んで決断した人もいるみたいです」
「悩む人が多いよね〜。そうだ。あなた警察とか保険事務所とかへの連絡はもう終わった?」
「それなんですけど、考えてみたのですが、そういう連絡の必要がある所は全く無いという結論に到達しました」
「そうなの!?」
「パスポートは以前お目にかけたように元々性別Fだったんですよね」
「あれは不思議ね」
「保険証は高校3年の時に国民健康保険に入って、その時性別女で発行されていたのですが、その後、19歳の時に自分の会社を設立してそちらの健康保険に切り替えたので、その時もやはり性別女で発行しているんですよね」
「うーん・・・・」
「年金手帳にしても、その会社を作った時点で20歳未満で2号保険者になったので、その時年金資格取得届けは性別女で提出して通っていますし」
「ああ。普通は大学生の場合、20歳になった時点で1号保険者になるから、その時は住民票に基づいて年金手帳が発行されて、男性として登録されたんだろうけど、あなたは20歳未満でお仕事を始めて2号保険者になっちゃったからそちらの登録が優先されたのね」
「そうみたいです」
「そもそもあなたの場合、最初に国民健康保険証を作った時、性別女で登録されてしまったから、それが全てに反映されてしまった気もする」
「そうかも知れません」
「免許証は?」
「運転免許は、元々自動車学校に入る時に性別女で申告していたし、運転免許の申請書も性別女で出して、それで特に何も言われなかったし」
「要するにあなたって戸籍・住民票以外の全ての登録が女になっていたのね?」
「どうもそういうことのようです」
2012年11月3日、龍虎はなぜか青い立派なドレスを着て、東京中野のスターホールに来ていた。
このドレスは例によって川南さんが買ってくれたものだが、むろん龍虎は着用拒否したはずだった。それで9月の発表会の時に着るつもりだった男児用のスーツを着るはずで、確かに前日用意していた。
でもなぜか今朝は見つからなかった!
(こういうのは田代家の日常茶飯事である)
同伴してくれているピアノ教室の先生は
「やはり龍虎ちゃんはドレスが似合うわあ」
などと言っている。この先生はどう考えても龍虎の性別を勘違いしている。
今日の大会の出演者は62名と発表されている。1人5分として5時間強掛かる。9時から始まってお昼休みをはさんで3時くらいまでの長丁場である。
演奏は小学1年生の子からどうも学年順に始まったようである。しかしその先頭で出てきてチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲1番第一楽章より』を弾いた1年生の女の子が超絶巧かった。
すごっ!さすが大会は違う!と龍虎は思った。
ボクなんかの演奏で恥ずかしくないかなあ。
しかしやはり低学年の出場者は少ない。1年生、2年生、3年生と進み、11時すぎに4年生に突入した。
4年生の4番目に弾いた子は「**小学校4年あまぎせいこ君・曲はショパン『別れの曲』です」と言われた。
龍虎は自分と同じ曲を弾くというので彼女に興味を持った。あれ?でも今「せいこ君」と言った?なんで女の子に『君』を付けるんだろう?と思って見ていたら、出てきた子はパンタロンスーツを着ている。へー、珍しいと思った。女の子たちはほとんどみんなドレスである。
しかし彼女の演奏に龍虎は厳しい顔になる。
物凄く上手いのである。
身長は自分と同じくらいだ。だからたぶん指の長さも同じくらいだと思うのに、ほとんど音を省略していない。龍虎は物凄く闘争心を掻き立てられた。
それで龍虎は昼休みの間、御飯も食べずに駐車場に駐めた母の車の中でひたすら持って来た電子キーボードで練習を続けた。
午後1時から大会は再開される。
2番目に「○○小学校5年たしろりゅうこちゃん、曲はショパン『別れの曲』です」と呼ばれて、龍虎はステージにあがった。龍虎は無心になっていた。
「どうぞ」と司会者から言われて、龍虎はピアノの上に両手を置くと、もう目をつぶって弾きだした。
龍虎は全ての音を省略せずに弾く気になっていた。それは物理的に指が届かない龍虎にとっては、ほぼ不可能に近いことである。しかしそれをやるつもりでいた。
むろん指が届かないのだが、そこを瞬間的な指の移動でほとんど違和感無く弾く。指が届く人でも各々の指が鍵盤を叩くタイミングは微妙にずれる。その「許容範囲」の時間内で指を素早く移動して両方弾くのである。
龍虎はこの手法で全ての音を完全に演奏した。
弾き終えた時、龍虎は一瞬頭が空白になった。手が筋肉疲労でこわばっているのも感じる。
しかし物凄い拍手が送られているのに気付き、立ち上がって、両手でドレスの裾をつかみ、膝を曲げて観客に挨拶した。
15:20に演奏は終了。審査に入るが、その間、ゲストで来ていたプロのピアニストがベートーヴェンのピアノソナタ14番『月光』を弾いてくれて、龍虎たちはその美しい調べに陶酔した。
やがて審査員長が出てきて、結果を発表する。
優勝はリスト『ラ・カンパネラ』を弾いた6年生の人、準優勝はラヴェル『夜のガスパール』から第3曲『スカルボ』を弾いたやはり6年生の人、3位はショパン『革命』を弾いた5年生の人だった。
龍虎は個人的には3位になった人がいちばん巧かった気がした。1位の人と2位の人が弾いた曲は、どちらも超難曲であり、それに挑戦したのは凄いが、“弾きこなしていない”と思ったのである。音を追うだけで精一杯という感じの演奏だった。
「この他に特別賞を差し上げます」
と司会者は言い、
「チャイコフスキー『ピアノ協奏曲1番第一楽章より』を弾いた田中慶子ちゃん、ショパン『別れの曲』を弾いた、田代龍子ちゃん」
と呼ばれる。
龍虎は思わず嬉しさをそのまま表情に出して、先生に背中を叩かれてステージに登る。もうひとり特別賞をもらった子はこの大会の先頭で弾いた小学1年生である。それで最初に田中さん、続いて龍虎が賞状をもらった。
「特別賞のおふたりは偶然にも頭に『田』の字が付く女の子ですね」
などと司会者さんが言っている!
ボク女の子って言われてる!と思うが、ドレスを着ていて男と思う人はまず居ない!
そして賞状の名前は「田代龍子」と書かれていた!(お約束)
龍虎は、ステージ上から客席を見ていて、自分と同じ『別れの曲』を弾いた、あまぎせいこちゃんを認めたのでそちらを注視した。ドレスではないので結構目立つのである。
彼女が目をつぶって、眠っている?ふうなのを見て、龍虎はなぜか敗北感を感じた。
くそー。あの子に負けないようにピアノの練習頑張るぞ!と龍虎は思った。
11月3-4日、全日本社会人バスケットボール選手権大会が秋田市で開かれた。ここに出てきているのは、実業団、クラブチーム、教員連盟の代表であるが、クラブチームは今年からは新たに創設された全日本クラブバスケットボール選抜大会(9.8-9前橋市)の上位3チームが出られることになった。ローキューツはこれに優勝してここに出てきた。
一方、実業団の方は9.15-17に行われた全日本実業団バスケットボール競技大会の上位3チームが出てきている。玲央美たちのジョイフルゴールドはこれに優勝してこの大会に出てきた。
両者はクラブチームの1位と実業団の1位なので、決勝戦で当たる可能性が高い、と玲央美は思っていた。お互いに相手が強敵というのは分かっている。この大会は2位以上でお正月のオールジャパンの出場権が取れるので、とにかく準決勝にまで勝てばオールジャパンに行けることになる。2010年に社会人選手権では準決勝でローキューツとジョイフルゴールドが激突し、当時まだ成長中のチームだったので苦戦したが、何とかジョイフルゴールドが勝ってオールジャパンの切符を掴んだ。
昨年は決勝戦で両者は当たり、また激戦の末ジョイフルゴールドが勝ったが、どちらも2位以上で一緒にオールジャパンに出ている。
しかし今年はローキューツに千里が居ない。
麻依子も居ない。
誠美はまだ居るものの、ちょっと寂しいなと玲央美は思うが、今年もローキューツを倒して優勝するぞと玲央美は自分の心を引き締めた。
ところがである。
今年のローキューツは準決勝で当たった山形D銀行(実業団2位)に僅差で敗れてしまったのである。
久しぶりのオールジャパン出場を決めて、D銀行の鶴田早苗たちが涙を流して喜んでいたが、玲央美は詰まらないなと思った。今年のローキューツだって、森田雪子・風谷翠花・原口揚羽・水嶋ソフィアなど高校時代に鎬を削った相手がいるから、きっと決勝戦まで来ると思っていたのに。
玲央美は決勝戦でD銀行を圧倒し、得点女王・スリーポイント女王・アシスト女王の三冠、それにMVPにも選ばれたものの、フラストレーションが溜まる思いだった。
やはり千里とやりたいよぉ。
スリファーズ(thurifers:香炉を持つ者という意味)という3人組歌唱ユニットのリーダーである牧元春奈は2012年8月25日、アメリカ・カリフォルニア州バーリンゲームのX病院で性転換手術を受け、高岡市内で1ヶ月ほど静養していたのだが、9月下旬に新曲を録音、11月3日から25日まで全国ツアーを敢行した。
しかしさすがに体調に不安があるので、青葉がこのツアーにほぼ随行して彼女の身体のメンテをしてあげた(全部には付き合いきれないので、一部は菊枝に代行してもらった)。
11月23日には沖縄公演に付いていったのだが、この時は同じくツアーに随行している、スリファーズの実質的なプロデューサーである冬子(ケイ)に誘われ、青葉はエステに行った。
女性専科のエステで身体を揉みほぐされて、青葉は“女になった歓び”をあらためて感じた。那覇から戻った後、24日には横浜公演に行くのだが、途中桃香・千里と会って、彪志と一緒に4人でお昼を食べた。
「青葉、手術して女の子になった感想は?」
「凄く調子がいいよ」
と青葉は答える。これは本当に正直な気持ちだ。
「昨夜は彪志君に入れてもらったか?」
「もちろん入れてもらったよ」
と青葉がぬけぬけと言うので、かえって彪志君の方が恥ずかしがっている。
昨夜は青葉は彪志のアパートに泊まっているのである。
「千里は入れさせてくれない」
と桃香が言っている。
「当然」
と千里。
「減るもんじゃないし、させてくれてもいいのに」
「**ちゃんとすればいいじゃん」
と千里は言う。
「ちょっ!」
「桃姉、浮気?」
と青葉が訊くと
「桃香が浮気しないのは2月31日くらい」
などと千里は言っている。
もっともこの時、青葉と千里には認識のズレがあり、青葉は桃香が千里と恋人同士なので、**ちゃんとするのが浮気だと思っている。しかし千里は桃香が**ちゃんと現在付き合っているという認識なので、千里を夜中に襲うのが浮気という認識である。
胎児が子宮内で死亡してしまい、その掻爬手術を9月22日に受けた篠田阿倍子はその後、半ばボーっとして神戸の自宅で過ごしていた。
病院には1日だけ入院させてもらい9月24日には自宅に戻ったのだが・・・・
実はその後、全く貴司に会えないのである。
何度か連絡するも「ごめん。忙しくてそちらに行く余裕が無い」という話である。そもそもバスケット選手は冬の間はシーズンで忙しくなるようだ。会社の仕事は結構免除してもらい、出張なども少ないようなのだが、その分ひたすら練習しているようである。どうも聞いていると貴司は夕方から夜中まで1日5〜6時間練習しているようだ。
そういう訳で全く会えないので、ひょっとするとこのまま自然消滅してしまうのかも知れないという気がしてきた。
「でも生活費どうしよう・・・」
と阿倍子は思う。
現在阿倍子は全く収入源が無いのである。9月に貴司から、少しお金をもらったものの、それを節約して少しずつ使っていたのが底を突きかけていた。バイトしようにも、まだ体調が悪く、買物に行くだけでも途中で座り込んでしまうことが多い。
ところがその貴司が12月の頭になって突然やってきたのである。
「ごめーん。ご無沙汰して」
と言っている。
「ううん。忙しかったみたいだし」
「ちょっと頼まれてくれない?」
「あ、うん。何?」
「年賀状を書かないといけないんだけど、バスケット選手は印刷した年賀状の送付が禁止なんだよ。だから宛名も裏も全部手書きしないといけなくて」
「大変ね!」
「でも僕字が下手でさ。それに今シーズン中で物凄く忙しくて」
と貴司は言うが、阿倍子は物凄く不安であった。
「私も字が下手なんだけど」
「そうなの?」
「ちょっと書いてみるね」
と言って阿倍子は、その付近の広告の裏にボールペンで
『謹んで新年のご挨拶を申し上げます』
と書いてみせた。
「うっ・・・」
と貴司が声をあげた。
「分かった。ごめん。誰か友だちに頼むよ」
「ごめんねー。役に立てなくて」
「じゃ悪いけど、時間があまりないから、また」
と言って、貴司はもう出ようとする。
「あ、貴司さん、今日は泊まっていけないの?」
と阿倍子が言うと、貴司はギクッとする。
泊まる・・・結果的に一緒に寝ると・・・自分が今男の身体ではないことがバレてしまう!
(それで貴司は実はここの所、浮気をしていない)
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娘たちの振り返るといるよ(5)