[*
前頁][0
目次][#
次頁]
葛西まで戻ってから《こうちゃん》はNinja ZX600Rの取り外されている保安部品を取り付け、タイヤの空気圧も変更して、公道で走れる状態にしてくれた。11日はそれで少し走り回ってみたが、普段はZZR-1400を使わずにこっちでもいいんじゃないかという気がした。
「千里は1400とか600とかで慣れてしまうと、今更125とか250では物足りないかも知れんなあ」
などと《こうちゃん》は言っている。
「ところで例の北海道仕様のMD90/110改は本当は何ccだったのさ?」
「ガソリンの減り方で分かるだろ?」
「400cc?」
「ピンポーン」
「やはりねぇ」
「ちょっと空間を五次元的に押し込んだ」
「ふむふむ」
4月12日(火).
彪志は、千葉市内の自動車学校に入学した。初日は視力検査、写真撮影をして1時間シミュレータで練習してから、すぐに実車になる。30km/hの速度に「恐い〜!」と叫びたくなる気持ちを抑えながら頑張った。
順調にいけば4月26日に運転免許を獲得することができる。
4月12日(木).
味の素ナショナル・トレーニング・センターで、日本女子代表候補の第2次合宿が開始された。今回はヘッドコーチもアシスタントコーチも来ていない!アシスタントコーチは体調不良で来日できなかったらしい。本当に不安を感じるコーチングスタッフである。それで今回はWリーグ・ブリッツレインディアの元監督・マイク・スミス氏が指導をした。
お陰で、かなり充実した合宿になった!
まずスミス氏は英語を話すので、英語ならほとんどの選手が理解する。通訳を挟む必要がないのでコミュニケーションがスムーズだ。
日本の女子バスケットを熟知しているスミス氏なので、戦術などについてもしっかりとした指導をする。今回召集されている佐伯伶美などはスミス氏の愛弟子だが、特にたくさん叱られていた!
「チームで指導していた時よりきつい」
と思わず漏らしたら
「そりゃ日本代表にはより大きな要求をする」
とスミス氏は日本語で言った。
「コーチ、日本語できるんですか〜〜!?」
と伶美が驚いて言うと
「シークレット、シークレット」
と言ってスミス氏は指を唇の所に立てて、お茶目な表情をしていた。
スミス氏は千里を個室に呼んで言った。
「君の実力を僕は評価する」
とコーチは言う。
「ただ、代表を選ぶ場合は様々な要素が入る。どうしてもWリーグの選手は優先される。だから君は今の時点では、花園亜津子・三木エレンに続く第3のシューターであることを自覚しなさい」
「はい」
と千里は単純に返事をする。
「昨年のアジア選手権では、シューターを3人入れるという方針だったので君も選ばれた。しかし今年の選手選考者がどう考えるかは分からない。2人しか選ばれない場合に、君が選ばれるためには、花園亜津子と三木エレンを大きく超える成績が必要だ」
「分かります」
「だから、誰が見ても花園君や三木君より君が上だと思ってもらえるように頑張りなさい」
「はい、頑張ります」
それでスミス氏は千里に握手を求め、彼は力強い握手で千里を激励してくれた。
日本代表候補の合宿は18日(水)まで続く。
さて、4月4日にローズクォーツのシングル『艶やかに光って/闇の女王』が出たのだが、ローズクォーツはこの新曲のキャンペーンで、全国を駆け巡った。このキャンペーンでは、実は政子が《ローズクォーツのマネージャー代行》と称して須藤美智子の代わりに一緒に付いて回っている。
つまり・・・ごく自然にローズ+リリーの2人が一緒に動き回っているのである。ローズクォーツは13日には熊本と鹿児島でキャンペーンをした後、鹿児島から飛行機で沖縄に入り、宜野湾市のラグナガーデンホテルに泊まった。
広々としたスイートルームを見て政子は
「こんな部屋に泊まるなんてお金持ちになったみたい」
などと言っている。
「ここ1泊いくらするの?」
「21万円だよ」
「ひぇー!?そんなに高いんだ!」
「だから明日は頑張って歌おうよ」
「うん。私頑張る」
と政子は張り切っていた。
今回実はローズクォーツとスターキッズの合同バンドがローズ+リリーの伴奏を務めるのだが、スターキッズのメンバーは別途13日に羽田→那覇便で沖縄に入っている。また実はスリファーズがコーラスを務めてくれることになっていて、彼女たちも13日に那覇に入った。
今回は招待方式のシークレットライブなので、出演者は幕が開くまで分からない。実はスリファーズが羽田から那覇行きに乗るのを見たというのがネットに書き込まれたこともあり、シークレット・ライブをやるのはスリファーズなのでは、と随分ネットでは噂されていたようである。
実はKARIONとトラベリングベルズのメンバーも13日に沖縄入りしているのだが、こちらはスリファーズに比べて、ぐっと知名度が低い!
ライブは幕を下ろしたまま、『キュピパラ・ペポリカ』の前奏から始まった。この時点で、シークレットライブの演奏者は、ローズクォーツだったのかと思った人が半分くらい居たようである。この曲のCDはローズクォーツ名義でリリースしている。しかし半分くらいの人はローズ+リリーが出てくることを確信して、立ち上がり、熱狂的な歓声をあげた。
果たして幕が上がると、マリとケイが華やかな衣裳をつけてこの歌を歌い始めるので、てっきりローズクォーツと思っていた人たちもマリの姿を見て驚き、「うっそー!?」などと声を挙げ、その次には「マリちゃーん!」「ケイちゃーん!」と名前を呼び、激しい手拍子を打ち始めたのであった。
熱狂の中、ローズ+リリーは、2時間ほどのパフォーマンスを終えた。終了後、10分くらい拍手が鳴り止まなかった。
氷川は
「ふたり一緒に脱出すると目立つので、別々に脱出しましょう」
と言い、まだ拍手が鳴っている中、政子の手を引いて、会場の裏に駐めていたヴィッツに政子を乗せる。
まず最初にマリとケイと同じステージ衣装を着け、ウィッグとメイクでふたりの雰囲気に似た格好になっている、アンナガールズのリリコとエルザを載せた、加藤課長の運転するプリウスが発車する。案の定この車を追いかけるように走っていた男の子が数人居た。
ローズ+リリーがシークレットライブに登場したことは、会場内にいる人しか知らなかったはずが、登場した1分後にはその情報がツイッターに流れていたのである。それでファンが100人くらい会場周辺に集まってきていた。
その“おとり”のプリウスを見送ってから、氷川と政子を乗せた八雲礼朗の運転するヴィッツが発車した。
ダミーを載せた車を加藤が運転し、本物を載せた車を八雲が運転したのは、加藤課長はモンシングVer.2の仕掛け人、スイート・ヴァニラズや松原珠妃の“影のプロデューサー”などと言われて、マスコミ登場機会も多く、顔が知られているのに対して、八雲はあまり一般の人には知られていないからであった。
そして、その八雲のヴィッツが出て行った直後、今度は男装!したケイが乗り、KARIONのバックバンド・トラベリングベルズのSHINが運転するアルトが発車した。八雲の車の行き先は宜野湾市のホテルであるが、SHINの車の行き先は同じ宜野湾市でも、宜野湾市民ホールである。そちらでKARIONのライブが行われる。ケイ(蘭子)がそちらに出ている間は、氷川さんがマリを食事に連れて行ったりエステに一緒に行ったりしているはずである。
こういう時女性の担当は便利である。男の担当ではエステに付き合えない。
もっとも八雲礼朗はそのことを周囲に隠してはいるが、女性の身体を持っているので、実はエステに付き合える!彼は実質的に男装女子なのである。
(八雲礼朗は2008年に誤って性転換手術をされてしまった!)
マリは氷川と一緒に食事、エステ、更にお買物などにも付き合い、22時すぎにホテルに戻った。ケイは21時すぎまでKARIONのライブをして、その後、ホテルに戻った。
ふたりはこの日もラグナガーデンホテルのスイートルームに宿泊し、翌15日那覇→羽田便で帰京する。
「ライブどうだった?」
とケイはマリに訊いた。
「うん。美味しかったよ」
「美味しい!?」
「あ、いや楽しかった」
「じゃ、また歌わない?今年中にもう1〜2度くらい」
「いいよー。美味しい御飯が食べられるなら」
「もちろん豪華ホテル、豪華食事付きで」
「楽しみだなあ」
と政子は昂揚した顔で言った。
4月15日。ケイとマリはお昼の飛行機で東京に戻った。ケイは「ちょっと寄っていく所があるから先に帰ってて」と言ってマリを氷川さんと一緒にマンションに帰すと、この日東京で行われるKARIONのライブに向かった。
それより半日ほど前の4月14日23:50頃。
長崎市内の病院の廊下に久保早紀は座っていた。姉の宏香は30分ほど前に分娩室に入っていた。
看護婦さんが分娩室から顔を出して言う。
「もうすぐ生まれます。中に入りますか?」
「はい」
そう返事して早紀は中に入り、苦しそうにしている姉の手を握る。お姉ちゃんごめんねー。ボクが産めたらよかったんだけど、ボクが産める年齢になるまで光ちゃんの命が持ちそうになかったから、などと思っている。
赤ちゃんの頭が見え始める。姉の手を握り頑張ってと励ます。
やがて赤ちゃんの身体は全部出てきた。助産師が取り上げる。
その姿を見て早紀は「嘘!?」と思った。
赤ちゃんはヒクッヒクッヒクッとしている。そしてやがて「おぎゃー!」という元気な産声をあげた。
早紀が自分のBaby-Gの腕時計を見ると4/15 0:20:29であった。
産んだ宏香が思わず笑顔になる。既に3回も“自分の子供”を産んでいて出産は4回目ではあるが、産むのは命懸けだし、無事生まれてくれたのは物凄く嬉しい。
医師が臍の緒を切断する。
「元気な女の子ですね」
と助産師が笑顔で言った。
しかし早紀は呆然としていた。
嘘だ〜〜〜〜!なんで光太郎、女の子になっちゃったの!?と早紀は叫びたい思いを抑えていた。
千里は母に電話して言った。
「さすがにお父ちゃんに私の性別のこときっちり話さないといけないと思うんだよね。次、お父ちゃんが確実にいる日無いかなあ」
「5月1-2日なら居ると思うんだけどね。その前の28-39日も後の5月3-6日も、あの人スクーリングなのよ」
「そっかー。だったらそのどちらかで何とかしてそちらに行く」
と千里は言って電話を切ってから、困ったなあと思った。
その時期は代表合宿でアメリカに行っているのである。
彪志は結局3回目の挑戦で4月23日に第1段階の修了試験に合格した。
最初19日(木)に受けた時は細かい注意の累計で合格点を割り込んでしまった。それで翌20日(金)に再度受けたのだが、前を走っていた試験車が脱輪したのに驚き、自分まで脱輪して一発アウトとなった。それで土日は試験を受けられないので月曜日の試験となる。彪志はその2日間、近くのゲームセンターに行き《免許の鉄人》をやりまくった。
予め2000円分を100円玉に両替しておき、後ろに列ができてないことを確認の上で、その2000円分の100円玉が無くなるまで、運転シミュレーターをやりまくる。この《免許の鉄人》は自動車学校のシミュレーターと同じものなのである。但し100円でプレイできるのは30秒程度である。それをたくさんやることにより、実車を運転しているのと同等の経験を積んだのである。
土日に入れてもらった2時間×2日間の構内実車の教習に加えて、金土日と3日間ゲームセンターでシミュレーターを毎日2000円分プレイしたことで、自分なりに運転は上達したと思った。
「自分が運転席で何をすべきか、それが自分はまだよく分かっていない。どこに気を配るべきか、どこを操作すべきか、それを収斂(しゅうれん)させていかなければならない」
と彪志は自分に言い聞かせた。
しかしたくさん練習したおかげで月曜日に受け直した試験では、
「色々課題はあるが、残念なことに減点箇所が、不合格ラインに到達しなかった」
などと教官から言われた。
しかしその「運転がまだまだ」の部分はたくさん運転経験を積めば上達すると彪志は確信していた。だから取り敢えず第2段階に進んで、今まで以上に運転経験を積みたかったのである。
ともかくもこの修了試験合格で仮免許をもらい、第2段階・路上教習に進む。