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和実は自分の荷物はコインロッカーに預けていたので身軽である。彪志の持っている荷物のひとつをさりげなく持ってあげるとさっさと歩き出す。その後ろを青葉と彪志が並んで歩く。
「あ、そうか。工藤さんでしたね。お葬式の時に会ってた」
と彪志が和実のことを思い出して言った。
「はい。お葬式の時は立て込んでいたから名刺渡してなかったですね」
と言って和実は彪志に名刺を渡した。
「へー。喫茶店にお勤めですか。チーフって凄いですね」
「まあメイド喫茶なんですけどね」
「え!?」
「でもいかがわしいことは一切無い健全なお店だよ」
と青葉がコメントする。
「飲食店営業だから、接待行為にならないよう、お客さんと3分以上話してはいけないことになっています」
「それチェックするのにカラータイマーを付けているんだよね」
「いやカラータイマー付ける案はあったけどお店の趣旨が変わりそうだからボツになった」
それで結局青葉と彪志の2人は和実に見送られて17:55発の総武線快速に乗った。
「そうだ。これ渡し損ねるとこだった。お夜食に食べて」
と言って、青葉はパン屋さんの袋を渡す。
「ありがとう」
と言って彪志は受け取った。
このパンの袋には実は仕掛けがある。袋のいちばん底に
《頑張ってね。あなたの青葉より》
と書いたメッセージカードが入っているのである。夜食を食べていてパンを全部食べ終わった頃、それが出てくることになる。
もっとも前夜の勉強を頑張りすぎて、明日の試験に差し支えたらいけないけどね、などと青葉は少し心配した。
その日千里は貴司をナショナル・トレーニング・センターまで送って行った後、江戸川区のマンションに行き、溜まっている作曲の作業をしていた。
お昼頃桃香から電話がある。
「へー。青葉がこちらに出てくるの?」
「うん。日帰りでね」
「高岡から東京日帰り〜〜?」
「あの子も無茶やるよな。彪志君が明日C大学の二次試験を受けるんで、その激励に来るんだよ」
「彪志君と一緒に泊まらなくていいの?」
「合格まではセックス禁止」
「なるほど〜」
「だから東京駅で激励して帰ると言っているんだけど、青葉が彪志君を東京駅でキャッチするだろう時刻を確認したら、その後千葉駅まで往復しても青葉は高岡に帰れるんだよ」
「へー」
「それでそのことを一緒に来る和実にメールしておいた」
「ああ、和実と一緒に来るんだ?」
「和実も青葉と同じ射水市の病院で性転換手術を受けることにしたらしい。その診察を受けに行っていた。それで和実が青葉を煽って、激励にピンポイント往復することになったみたい」
「和実が性転換手術を受けるの?」
「うん。この夏に受けるって」
「あの子、既に性転換手術は終わっているよね?」
「え?そうだっけ?今から受けるようなこと言ってたけど」
「だってあの子、完全な女体を持っているじゃん」
「おっぱいは大きいけど、ちんちん付いてるんじゃないの?」
「付いてないと思うけど」
「うーん。付いてないように見えるくらい完璧なんだよ」
千里は疑問を感じたが、まあいいことにした。
「じゃ、青葉は結局千葉駅まで来るのね?」
「そうなると思う。だからさ、千葉まで来た青葉を私たちでキャッチしないか?」
「彪志君も?」
「彪志君はそのままホテルに入って頑張って勉強してもらう。その彪志君と別れた後の青葉をキャッチして、少し煽っておこうという趣旨なんだよ」
「ああ」
「だって見ていてハラハラするよ。あんな青葉の態度じゃ、いづれ彪志君は青葉を見放す。青葉はあまりにも恋愛に消極的すぎるんだよ」
それは青葉が事実上中性だからだろうなと千里は思った。
「それは私も同意する」
「だから焚き付けようよ」
「OK。じゃどこで待ち合わせる?」
「青葉と彪志君は東京駅17:55の快速に乗って、千葉駅には18:39に到着すると思うんだけど、彪志君の新幹線の到着は17:24で早く着く場合もあるから、その場合、17:35に乗った場合は千葉に18:16に到着する」
「だったらそれまでに千葉駅に行けばいいね」
「うん。来れる?」
「行くよ」
「じゃ千葉駅で18時くらいに会う線で」
「OKOK」
車を使うと渋滞に引っかかった時まずいなと千里は思った。それで17時前に葛西のマンションを出てZZR-1400に乗り千葉駅まで行く。近くの時間貸駐輪場に駐めて駅に行く。入口の所で少し待つと17:40桃香がやってきたので、東京駅までの切符を買って中に入る。
桃香は「東京駅では外に出ずに戻ってくるんだから西千葉駅までの切符買って帰りは西千葉駅で降りたらいいよ」などと言うが「それってキセル」と言ってちゃんと買う。
(この界隈は「東京近郊区間」内で「大回り」ができるので、千葉駅から東京駅に行った後、たとえば東京→我孫子→成田→東千葉と回って東千葉駅で降りると、千葉→東千葉の140円で良い。但し日付が変わる前に戻ってこなければならないのでこの時刻からは不可能。「大回り」は同じ駅を通ってはいけないので往復乗車は違反になる。経過時間が長すぎて自動改札機で引っかかるので駅員にどういう経路で乗ったか説明できなければならない)
17:56頃、和実から2人が17:55の総武線快速に乗ったというメールが入った。すると電車は18:39に着き、青葉は帰り19:13発の快速に乗るものと思われる。
「青葉の乗る東京方面行きは何番線から出ると思う?」
と桃香が訊く。千葉駅の発車番線はランダムであり全く予想がつかない。
「うーん。たぶん3番線」
と千里。
「マジ?じゃそちらに行くか」
ということで移動する。
「あの付近で待ってよう」
やがて18:39ジャストに当駅止まりの電車が到着する。
「青葉、そのまま彪志君と一緒に御飯食べに行ったり、ホテルまで付いていくってことはないかな?」
と千里が訊く。
「それは彪志君のお母さんとの約束違反になるからしないと思う。それに青葉は新幹線+はくたかで帰るつもりでいる。はくたかで帰るには東京20:12発の新幹線に乗らなければいけないから、そのためには、千葉19:24-20:04東京、が間に合うギリギリ。コーヒーくらい飲む可能性はあるが、ホテルまで行く時間は無いよ」
と桃香。
電光掲示板に19:13久里浜行きは3番線からという表示が出る。ここで間違い無いようだ。ただ青葉はこれの次の今桃香が言った19:24に乗る可能性もある。そちらは9番線から出るようなので、青葉がこちらに来なかったらそちらに移動する必要がある。いったん上にあがって結構な距離を歩くことになる。
19:05、青葉が階段を降りてきた。こちらには気付かないようだ。千里が声を掛けようとしたが、桃香はそれを停める。そして青葉の後ろの方から回り込むようにしてそっと近づく。
桃香はいきなり青葉の背後から手を回して目隠しし
「だ〜れだ?」
と訊いた。
「桃姉!」
と青葉が振り返って声をあげる。いつもの無表情な顔が一瞬だけほころんだ。
「ごめーん。桃姉の所に寄ろうかと思ったんだけど、私が千葉市内に居たら彪志の気持ちが乱れるかもというので、必ず今日帰るという約束だったんだよ」
「うん。だから、一緒に東京駅まで行こう」
「わっ」
「それに青葉は20:12の《とき347号》に乗るつもりだったろ?」
「うん。それが《はくたか》に乗り継げる最終なんだよ」
「21:40の《とき353号》に変更しよう」
「え?」
「長岡に23:35に着いて、23:56《きたぐに》に乗り継げるんだよ。高岡に2:35着。その時刻に母ちゃんが迎えに来てくれる」
「あ、その連絡も使ったことあった!」
それで一緒に19:13の久里浜行き快速に乗った。通勤時間のピークを過ぎたので客はあまり多くない。3人は桃香と千里で青葉を挟むように座ったが、この電車の中で桃香は熱弁を振るった。それは青葉に対するメッセージでもあり、また千里へのメッセージでもあった。
「恋をする時って、相手を愛すること以上に、自分が相手の愛を受け止めることが難しい」
と桃香は言う。そして更に
「千里も青葉も、相手から来る愛を瞬間的に拒否する傾向がある。拒否されると相手は戸惑う」
と指摘する。
「それ以前にも言われたね」
と千里。
「彪志君は優しい。だから多少青葉が自分の愛を拒否しても、優しく包み込んでくれる。でもそれがいつまでも続くと思ってはいけない。いつもいつも愛を拒否されていたら、やがて彼は疲れてしまい、青葉との愛を諦めてしまうよ」
千里はそれも自分に言われている気がした。自分は貴司の愛を拒否してないだろうか。
「青葉にしても、千里にしても、やはり自分が生まれた時は女でなかったということを負い目に感じている。だから1歩引こうとする所がある。それがよくない。ふたりとも今年の夏には手術して本当の女の子になるんだろう?今のような気持ちでいたら、せっかく手術を受けてもずっと《元男だった》という気持ちを引きずる。それじゃわざわざ痛い手術を受ける意味が無いじゃん。もうそういう気持ちからは卒業すべきだ。ちゃんと《自分は女だ》という自覚を持とう。自信を持とう。そしてちゃんと相手の愛に応えて、幸せになりなよ」
この日の桃香の言葉は本当に熱かった。千里も貴司とのことで背中を押されている思いだった。そうだよ。私もうすぐ婚約指輪も受け取るんだもん。もっと貴司に優しくしてあげなくちゃ。千里はそう思った。
でも桃香も季里子ちゃんとの仲が進展してるのかな?わりとお似合いだと思うし、桃香もあの子と結婚してもいいかもね。そんなことも千里は考えていた。
東京駅に着いた3人はまだ開いていた食堂でカレーを一緒に食べた。
「千里が作るカレーも美味しいが、青葉の作るカレーも美味しい」
などと桃香は言う。
「私、この1年で随分料理を覚えた」
と青葉は言っている。
「もういつでもお嫁さんに行けるくらい鍛えられたんじゃない?」
「うん。結構自信が出てきた。お嫁さん、やりたい」
「彪志君がC大に合格して千葉に出てきたら、青葉、千葉の中学に転校して、彪志君のお嫁さんになったら?」
「中学生じゃ結婚できないよ!」
「だったら1年後に千葉の高校に進学すればいい」
「それも高校生で結婚したら退学になりそうな気がする」
と青葉は言うが
「私の高校の同級生で在学中に結婚して子供産んだ子いたよ」
と千里が言うと
「凄い!」
と青葉も桃香も言う。
「だって結婚している女性が社会人入学で高校に入ることもあるじゃん。それがよくて16歳以上の高校生が結婚してはいけないというのはおかしい」
「確かにそうかも知れん」
「それでその子が教頭先生と大激論やって、教頭・校長・理事長を言い負かして、認めさせたんだよ」
「頑張ったな!」
「最初はうっかり妊娠してしまったんで、中絶するつもりだったんだよ。だから女子みんなでカンパして中絶の手術代を作った。それで友だちに付き添ってもらって産婦人科に行って、手術の説明とか受けている内に、唐突に私この子を殺したくない。産むと言い出して」
「あぁ・・・」
「それで本人も産むためには高校辞めるのは仕方ないかなと最初は思ったみたいなんだけど、友だちとかに励まされて頑張って先生たちを論破した」
「やるぅ!」
と言って桃香は感動しているようである。
「だから青葉も高校在学中に彪志君と結婚して赤ちゃん産んじゃってもいいと思うよ」
「えっと・・・赤ちゃんはできたら高校卒業してからの方がいいかな」
「まあその方がいいかもね」
「でもどっちみち、高校卒業したら、東京界隈の大学に入って、一緒に暮らせばいいと思うよ」
と桃香は言う。
「うん、賛成、賛成」
と千里も言いながら、自分もやはり高校卒業した後、大阪付近の大学に進学すべきだったかなあ、などと考えていた。
青葉は「どうしよう?」という感じで悩んでいるようであった。