[*
前頁][0
目次][#
次頁]
1月6日木曜日。千里は午前中N高校の部員たちの練習に付き合った後、代々木に行く部員たちとは別れて羽田に向かい、旭川行きに搭乗した。
天津子からぜひ打合せに出席して欲しいと頼まれたのである。
冬休みの間に一度真枝三姉妹を会わせておこうということで、その日は函館の理香子、美幌町のしずかが各々保護者に連れられて旭川市内の、織羽が住んでいるD神社の一室に集まった。
おせちや、お餅にケーキなども食べさせてから、子供たちは天津子の友人・弥生が見てくれる。実際には神社の奥宮探検(?)をしていたようである。この神社の裏手には奥宮八社があり、ふつうにお参りして回るだけでも30分掛かるが、子供たちはひとつひとつの神社に興味津々だったようである。
さてこの場に集まっているのはこの6人である。
理香子の保護者 餅屋美鈴
しずかの保護者 桃川美智(春美)
織羽の保護者 海藤天津子・司馬光子(天津子の叔母)
3姉妹の父 真枝亜記宏
なぜか村山千里
「最初にこれを」
と言って、天津子が1枚の写真を出して来た。
「これは!?」
それは美智(春美)の若い頃の写真である。
「これを、亜記宏さんは自分の運転免許証入れにはさんでおられたそうですね?」
「はい、よくご存知で」
「これ織羽が持っていたんですよ」
「わっ、そうだったのか」
天津子は写真を裏返した。
それを見てみんな和(なご)む。
「織羽ちゃんの悪戯描きですか?」
そこにはパンダの絵が描いてある。まだ小さい頃のものだろうか。何とかパンダだろうと判別できる程度である。
ところがこの時、笑顔になったのは実際には3人だけであった。笑顔にならなかった1人、千里はその写真の裏をじっと見て言った。
「天津子ちゃん、それ何かおかしい」
天津子は頷くと
「おばさん、部屋を暗くして下さい」
と言う。
「うん」
と言って、光子が部屋の蛍光灯を消す。
「これを当てます」
と言って天津子は何かのペンライトのようなものを取り出し照射した。
「え!?」
写真の裏に何か紋章のような図案が浮かび上がったのである。
「呪(のろ)いの呪符です。内容までは説明しませんが」
「シークレットペンで書いたのか」
「そうです。それで紫外線のライトを当てると見ることが出来ます」
「誰がこんなものを?」
「分かるでしょ?」
と言って天津子は亜記宏を見る。
「実音子ですか?」
「免許証入れの、免許証とJAF会員証の間に昔の恋人の写真をはさんでおく。そんなのが奥さんにバレないわけないですよ」
「うーん。。。。」
「だから、実音子さんは、いまだに夫は美智さんのことが好きなんだと思った。それで呪いを掛けた。夫に気付かれないようにシークレットペンで呪符を描いた」
「それにもしかして織羽が気付いた?」
と美智(春美)が訊く。
「だと思います。だから織羽は、この呪符を無効にするため、その上にパンダの絵を描いてしまったんですよ。あの子、霊感がハンパ無いから気付いたのだと思います。美智さん、2010年の1月頃以降、運気が上がりませんでした?」
「『雪の光』を見つけてもらったのが2009年12月末だし、私がしずかを保護したのが2010年1月だし、お母さん(真枝弓恵)が私に遺産を残してくれていたことを知ったのが2月だし。確かに大きな転換点になったのかも」
「実音子さんの呪いが消えたからですよ」
「でも実音子さんは既に2007年11月に亡くなっていたのに」
「呪いは術者が死ぬと、最強のパワーで残されます。その呪いを跳ね返す処置ができた織羽は凄いと思います。かなり強烈な念を込めて、このパンダの絵を描いてます」
と天津子は言う。
一同顔を見合わせる。5歳の幼児にそれほどの霊的な操作ができたというのは驚異的である。
「この写真はどうするんですか?」
「美智さんがよかったら、処分させてください。霊的な影響が出ないような処分の仕方があるんです」
「ではお願いします」
「表と裏を剥離して分離することも考えたのですが、呪符のインクは表の写真の表面まで染み込んでいるんですよ。でも、表側をスキャンして、呪符の染み込んでいる部分をPhotoshopで丁寧に消去した上であらためてプリントして、美智さんにお返しすることもできます。作業できる人が少ないので、費用は写真本体の処分料まで含めて100万円ほど見て頂きたいのですが」
「分かりました、それでお願いします。100万円くらいでしたら出します」
と美智(春美)は言った。
天津子は紫外線のライトを消し、部屋の灯りを点けた。
「亜記宏さん、あなたが実音子さんと美智さんの二股になっていたのはいつ頃からいつ頃までですか?」
と天津子は単刀直入に訊いた。
「2000年の夏から暮れに掛けてです」
と亜記宏は厳しい顔で答えた。
「2000年の春に美智が大学を出て就職し、僕たちは『大人の付き合い』をするようになりました。美智もお金を貯めて性転換手術を受けたいと言っていました。当時は性転換しても戸籍上の性別を変更することができませんでしたが、それでもいいから、僕たちは手術が終わり、美智の身体が落ち着いた所で結婚式をあげるつもりでいました」
「僕はその年の春に札幌支店から***支店に転勤になりまして。その支店に居たのが実音子でした。何度か彼女からデートに誘われたのですが、僕は婚約者がいるから交際できないと言って断っていました」
「ところがその夏に泊まりがけの研修があった時、最終日に目が覚めると隣に実音子が寝ていたんですよ」
「うーん。。。。」
「今から思えばそれ自体がフェイクだったと思います。僕はした覚えがなかったけど、彼女は『とうとう私の思いを受け入れてくれたのね』とか言って」
「僕はしてしまったことは謝るし、場合によっては慰謝料も払うから別れて欲しいと彼女に言ったのですが、そんなこと言われたら死ぬとか言われて」
「よほどアキのことが好きだったのね」
と美智(春美)が言う。
この美智のひとことで、場はやや実音子に同情的な雰囲気になった。
「いや、僕がハッキリしなかったのが悪いと思います。当時、遠距離恋愛になってしまって、美智とは月に1度しかデートできない状態になっていました。寂しいという気持ちがありました。多分その心の隙間もあったのだと思いますが、結果的には僕は実質二股状態になってしまいました。でも当時僕は美智とはセックスしても、実音子とはその最初の一夜を除いては肉体的な関係は無かったんです。デートはしてましたが」
「セックスしなくてもデートしてたら、充分浮気」
と千里が明快に言う。亜記宏の言葉が言い訳のようにも聞こえたので千里は注意した。
「ええ。僕の心が弱かったのがいちばんいけなかったです」
と亜記宏は反省の弁を述べる。
「でもこのままではいけないと思いました。だから僕は美智を***に呼び寄せようと思ったのです。そして結婚式も挙げて一緒に暮らそうと」
「思っただけなの?」
と美智(春美)。
その質問に、亜記宏は複雑な表情をした。
「僕は口頭で今の状態を説明する自信が無かったから、手紙を書いた。今こちらで知り合った女性と二股状態になってしまっていること。でも彼女とはきっちり別れるつもりだということ。だから、結婚して欲しいから、仕事を辞めてこちらに来てくれないかということ」
「手紙?」
と美智(春美)が怪訝な表情で訊く。
「やはり、その手紙、届かなかったんだね?」
「私は知らない」
「手紙の中で、僕は浮気してしまった僕を許してくれたら、そして結婚してくれるなら、1月6日土曜日の午前10時、札幌時計台の前に来て欲しいと書いた。でもそこに美智は来なかった」
「だってそんな手紙、私受け取ってない」
「そして・・・その場で2時間待って、待ちくたびれていた所に実音子が通りかかったんだよ」
「それで彼女とできちゃったの?」
「当時はやはり美智が浮気を許してくれなかったんだろうかと思った。そこに実音子が来て、どうしたの?誰か待ってるの?とか言うからさ。振られたかもと言ったら、じゃ私が代わりにデートしてあげると言われて」
「で、デートしちゃったんだ?」
「実音子と本当にセックスしたのはその日だけだった。その後、僕のは立たなくなってしまった」
「その手紙を投函したのは何日か分かりますか?」
と千里が訊いた。
「お正月明けてすぐに投函しました」
「お正月って、ポストは郵便物でいっぱいですよね」
「はい?」
「その手紙をポストに入れた時ストンと中に落ちる音がしました?」
「え?そう言われると、どうだろう・・・」
すると千里はこんなことを言った。
「こういうことが考えられませんか?お正月で年賀状などで満杯になっているポストに、亜記宏さんが手紙を投函する所をたまたま実音子さんが見かけた。寄ってみて、ポストの投函口に手を入れてみると、何か分厚い手紙が大量の葉書の上に乗っている。取り出してみたら、亜記宏さんから女性宛の手紙だ。だから、彼女は持ち去ってしまったんですよ」
「うーん・・・・」
「それで亜記宏さんが札幌の時計台の所で待ち合わせすることが分かった。実音子さんは、手紙の後で電話で連絡を取り合った可能性もあると思い、しばらく待ったが、相手の女は現れる様子がない。それで自分が出て行って亜記宏さんに声を掛けた」
と千里は当時の状況の推測を話す。
「あり得る気がしてきました」
と亜記宏は言った。
言われてみるとあり得るストーリーだが、普通なら思いつかないと天津子は考えていた。千里がこういうストーリーを語ったのは、おそらくチャネリング的に得られたのだろうと想像する。だからこそきっと真実に近い。千里は天然の巫女である。そしてこういうことを期待して、天津子は千里をこの場に呼んでいたのであった。
「その後、僕は美智に振られたと思ったのですが、実音子と結婚するつもりだということをあらためて話したら、美智が激怒しまして」
「そりゃ当然」
と美智(春美)は言う。
「でも僕は当時、そもそも僕が浮気したこと自体を怒っていると思っていたんですよ。あの時、僕と美智は長時間話し合いましたが、結局美智はその結婚を妹として祝福してあげると言ってくれたんです」
と亜記宏。
「やはり、自分が法的に女ではないからという負い目があったから」
と美智(春美)。
「母にも驚愕され、そして母も怒ったのですが、美智が母をなだめてくれて、それで僕は実音子と結婚式をあげました」
「ちょっとしたボタンの掛け違いって感じもするね」
と光子は言った。
「いっそのこと、アキちゃん転勤になった時に、美智ちゃんに、結婚して一緒に来てくれと言っていれば良かったのよ」
と美鈴も指摘する。
「ごめーん。言われたんだけど、私当時はアキと結婚する自信が無かったから同行を断っちゃったの。法的に婚姻できないから配偶者手当とかももらえないでしょ?そのあたり会社から尋ねられると、説明が面倒になるしとか考えちゃって」
と美智(春美)は言った。
「やはり、『そんなの気にするな。愛してるなら付いてきてくれ』とか強引に口説くのが男というものよ」
などと千里は言っている。
千里さんは結構男性の理想論を語るよな、と天津子は思う。おそらくは彼氏に対する不満があるのではとも思う。きっと彼氏はその「男というもの」から外れるタイプなのだろう。
「だけどアキが実音子さんと結婚したからこそ、あの3人は生まれたんだもん。私はアキの子供を産んであげられなかったから。こうなるのもひとつの運命だったかのかも知れないね。男の娘はみんな子供を産めないという重い十字架を背負っているんだ」
と美智(春美)は言った。そのことばに一同は少ししんみりとした表情をした。
この時、千里は考えていた。
何か割り切れないものを感じていたのである。天津子の様子を見ると天津子もやはり悩んでいるようだ。ただ、この時の千里にも天津子にも、ここで感じた違和感の正体は分からなかった。誰かが嘘をついている気もしたのだが、その「嘘」も漠然としすぎていて、掴み所が無かった。