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1月5日(水)の午後、N高校のメンバーが代々木から千葉に引き上げてきたら、そこに何と横田倫代の両親が来訪して待っていた。
「うちの子が性転換手術を今すぐ受けたいみたいなことを言っているようなので」
と言うので、宇田先生と南野コーチ、それに千里が応対する。
「部員たちの間で、性転換して女子選手としてインターハイに行こうよ、みたいなことを言い合っていたのは事実のようですが、むろん強要したりすることはありません。身体のことについては、ご本人の一生のことですし、むしろよくよく話し合って、進めて下さいね」
と宇田先生は両親に話す。
「本人としては、性転換手術を受けるのはもう決めていて時期だけの問題だと言っていました。私たちもその気持ちを尊重したいと思っていますし、色々調べてみて、この手術は受けるのであれば、できるだけ若い内に受けたほうがいいことも確認しています。費用的なものも少しずつ貯めてはいるのですが、まだ充分な金額の用意ができているとは言いがたい状況でして」
とお母さんが話す。
「いわゆるガイドラインに沿って治療していくというのでは20歳すぎてから身体の改造を始めるようにということになっているのですが、実際にはそれは拷問に等しいんですよね。特に多感な時期に、間違った肉体に閉じ込められているという思いは、本人に物凄い精神的な負荷を掛けます。それに堪えられずに自殺してしまう人も多いです。性同一性障害の人の死因トップは自殺だと、もう何十年も前から言われています。でも倫代さんの場合、高校1年の時に法的な名前を変えて、昨年は去勢もして、一般的な人に比べたら充分恵まれている部類ですよね」
と千里は言った。
「それで実際問題として、性転換手術を受けた場合、どのくらい入院とかが必要なのでしょうか。そのあたりも、私たちもまだ先のことと思っていたのでよく調べていなくて。こいつは今すぐ手術を受けたいと言っていますが、それで、たとえば今期の期末試験を受けられずに留年とかになるとそれがまた辛いと思いますし」
と父親はやはり学業との兼ね合いを心配している。
「性転換手術といっても、色々な方法があるのですが、今すぐ手術して、学業とかバスケの活動とかに支障が出ないようにするのは簡易性転換手術しかないと私は思います」
と千里は言った。
「簡易・・・ですか?」
「通常の性転換手術では、ペニスと睾丸を取り、陰唇、陰核、膣などを形成します。しかし簡易性転換手術では、陰唇や陰核は作りますが、膣を作りません」
「作らないんですか!?」
「結局ですね。膣を作る手術がいちばん身体に負担が掛かるんですよ。身体に穴を開けて、そこに内張りをして男性との性交ができるようにしますから、膣の表面積の大きさの怪我をして、その自然回復を待つというのに等しい負荷がかかります」
「ああ・・・」
「ですから本式の性転換手術を受けると、どうしても回復に半年くらいかかります。むろん最初の1〜2ヶ月をすぎたらふつうの日常生活くらいはできるようになりますけどね」
「なるほど」
「バスケットの活動再開までには半年は休む必要があると思います。ですから今本式の性転換手術を受けてしまうと、結局夏まで静養していなければならないので、学校の授業には出られても、とても運動はできません」
「ですよね」
「ところが、開き直って膣を形成せずに、単に外見だけ女の子の形に変えた場合、侵襲の程度が小さいから、2ヶ月もしたら運動再開できるんですよ。ですから、今そういう手術をすれば春から練習再開できて、インターハイに間に合う可能性があります」
「インターハイに出られるんですか?女子としてですよね?」
と両親は驚いたように言う。千里は宇田先生の顔を見る。
「この基準は非公開なので、他では言ってほしくないのですが」
と宇田先生は前提を置いて話した。
「元男子であった選手が国際大会に女子選手として出られる条件を国際オリンピック委員会が示しておりまして。それによると物理的あるいは化学的に去勢して2年以上女性ホルモンを摂取していること、そして性転換手術を終えていることというのが条件になっています。倫代さんは高校に入ってすぐから女性ホルモンを摂取し始め、2ヶ月ほど経過した2009年6月頃には実質去勢状態になっています。その後の女性ホルモン投与の記録、毎月の女性ホルモン・男性ホルモンの血中濃度の記録が残されているので、もし性転換手術が済んでいれば、2011年6月以降、国際大会に女子選手として出ることもできる資格が出来ます」
「国際大会にですか?」
「まあ国際大会に出るためにはインターハイでベスト5に選ばれるくらいの実力を付けることも必要ですが」
「さすがに無理」
と倫代本人は言っている。
「そういう国際基準を念頭に置いて、高校に女子生徒として在籍していること、心理的に女性であるという診断書が取れていること、というのを前提として、バスケ協会の内部基準として、去勢後1年以上の女性ホルモン投与で都道府県大会まで、2年以上の女性ホルモン投与に加えて性転換手術まで終えていることで全国大会への出場を認めています。ですから、倫代さんが6月前に性転換手術を終えていた場合、6月の時点で女子選手として都道府県大会・全国大会に出場する権利が認められます」
と宇田先生は説明した。
「6月に出場するには、たぶん3月くらいまでには手術してないと無理ですよね?」
とお父さんが言う。
「体調の回復に掛かる時間を考えたらそれが限界だと思います」
と千里は言う。
お母さんが質問する。
「その簡易性転換手術を受けた場合ですね。ヴァギナが無いということは結婚できませんよね?」
「はい。男性とのセックスができませんから。ですから、後であらためて、造膣手術を受ける必要があります」
「なるほど」
「それは後で作ることも可能なんですか?」
それについては千里が説明する。
「一度に本格的な性転換手術をする場合、ペニスを膣の材料に使う方法が主流なんです。ところが簡易性転換手術をしてしまうとペニスは単純切除して廃棄してしまうので、いざヴァギナを作ろうとした時に材料がなくて困ることになります。ここで2つの方法があります」
と千里は言葉をいったん切った。
「ひとつの手は、膣を作るもうひとつの方法であるS字結腸法を使うことです。この場合、腸の一部を利用して膣を作ります。元々、発生的に膣と腸はひとつの器官が別れてできているんですよ。ですから腸を利用して膣を作ると、男性がインサートした時の感触もいいし、よく湿潤して、縮んだりもしない優秀な膣ができます」
「へー」
「逆にペニスを再利用して膣を作る場合は、ペニスは湿潤しないので、湿度の足りない膣になり、ローション無しではセックスできないという人もあります。そしてこの膣は萎縮してしまいやすいので、ダイレーションといって膣を拡張する作業を一生続ける必要があります。いわばシューストレッチャーみたいなものですね。腸を使う場合はこのダイレーションをする必要がありません」
「だったら、ペニスを使うより、腸を使った方が優秀なのでは?」
「ええ。でも腸を使う場合、大手術になりますし、侵襲が大きいので回復にも時間が掛かるんですよ。またどうしてもお腹に手術跡が残ります。それと腸はいつも湿潤しているので、実は湿潤しすぎてしまい、おり物が多くて、常時ナプキンを付けていないといけなくなります」
「一長一短があるわけですか!」
「更に最近はペニスを材料に膣を作る場合でも、粘性を持つ器官、例えば尿道を広げて貼り付けるなどの手法で、割と湿潤する膣を作ることが可能になっていまして、だいたい2006-7年頃から一部の病院でそういう術式が行われるようになっているんです」
「やはり進化しているんですね」
「それで簡易性転換手術をした場合の膣の作り方ですが、ひとつはこのS字結腸法を選択する方法、もうひとつが切断したペニスを冷凍保存しておいて、後にそれを解凍して膣を作る方法です」
「なるほど!」
「これは短期間、基本的には1〜2年以内に造膣術をする場合が想定されます。そうしないと長期間保存すると、保存するための費用も掛かりますし」
「ああ、それは高そう」
「でも簡易性転換手術をしても、後でちゃんと膣を作って結婚もできるんですね?」
とお母さんは確認した。
「はい、そうです。ですから、今簡易性転換手術を選択してもいいと思うんです」
と千里は答えた。
するとお父さんが少し考えるようにして倫代に言った。
「だったら、もうやっちゃうか?」
「手術してもいいのなら私、手術受けたい」
と倫代は言う。
「もしそういうことでしたら、わりとすぐ手術してくれる病院を紹介できますよ」
と千里は言った。
「その先生の技術は?」
「年間50人くらいの性転換手術をしてますから腕は確かです」
「そんなにしてるんですか!」
「ちょっと問い合わせてみましょう」
それで千里がその病院に電話してみると、最短の場合で12日(水)に手術可能だという。
「事前に最低1日入院してくださいということです。それで色々検査して、問題がある場合は手術は中止になります」
と千里はコメントしておく。
「取り敢えず診察だけでも受けてみます?」
「そうですね。手術費用は最悪銀行から借りますよ」
とお父さんは言った。
それで千里が付き添って、横田親子を都内の病院に連れて行くことにした。南野コーチも同行してくれた。
病院では採尿・採血された上で、心理テストのようなものも受けさせられた。それでその結果をもとに、両親を交えて、倫代は医師と話し合ったようである。
診察室から出てくると、お父さんが言った。
「12日に手術してもらうことにしました。11日火曜日に入院して、12日手術です」
「ご両親はどうなさいますか?それまで付いておられます?」
「私はこの子が退院するまで付いているつもりですが」
と母は言って夫を見る。
「私は仕事があるので、いったん今夜の《はまなす》で帰ろうと思います。それであらためて休暇を取って、火曜日に出てきて火水木と付いてようかと思います」
と倫代の父は言った。青函トンネルを越える急行《はまなす》に乗ると翌朝旭川で会社に遅刻せずに出ることが可能である。料金的にも北海道と東京を行き来するルートの中では苫小牧−大洗のフェリーを使う方法の次に安い。
東京1756-2059八戸2118-2218青森2242-607札幌652-812旭川
「お母さんは、どちらに泊まられます?」
「どこか千葉か東京かで安い旅館でも取って」
「もしよかったら千葉市内の私のアパートを使われませんか?何も無い場所ですが」
と千里は言った。
「えっと・・・」
「私はここに泊まり込んでいますから」
と千里が言うと、南野コーチが、なるほどー!という顔をする。
「それに私、13日以降は合宿に入るから、アパートを不在にするんですよ。ですから、倫代さんが退院するまで私のアパートを使っていいですよ。ご主人と2人で泊まってもいいですよ」
「でもそんなに長時間よいものでしょうか・・・」
「ただ、近い内に引越予定でかなり物を搬出しているんですよ。洗濯機はあるので気にならなければ使ってもらっていいですが、冷蔵庫はもう搬出してしまったので無いです。あと布団も2組あるので、気にならなければ使ってもらっていいです」
「助かるかもです」
「一週間ホテルに泊まればそれだけで何万も掛かりますからね。といって北海道まで往復するのもまたお金が掛かるし」
と南野コーチが言う。
「あ、それとうちのアパート雨漏りが酷いので、居室には入れないんですよ」
「へ?それではどこで暮らしておられるんですか?」
「台所だけが雨漏りしないので、台所に本棚とか衣装ケースも置いて、台所に布団を敷いて寝ているんですよ。それでも構わなければ」
「構いません!」
とご両親は言った。
更に南野コーチは言った。
「もしうちの合宿のほうの料理とか雑用とかボランティアで手伝って頂けたら、食事も出しますよ」
「あ、それはやります。娘がほんとにお世話になっているし」
とお母さんが笑顔で言った。
そして倫代は母親から「娘」と呼ばれたことで、はにかむような仕草をした。
オールジャパンは6日、準々決勝の4試合が代々木第1体育館のセンターコートで行われた。
ジョイフルゴールド×−○サンドベージュ
ビューティーマジック×−○エレクトロウィッカ
ステラストラダ×−○レッドインパルス
ハイプレッシャーズ×−○ブリッツレインディア
第1試合ではジョイフルゴールドがWリーグ1位のサンドベージュと激突した。サンドベージュは札幌P高校にもマジ100%だったが、ジョイフルゴールドとの試合も全力で来た。女王に全力で来られては、まだ今年のジョイフルゴールドには抵抗するすべがない。大差で敗れたものの、ゲーム終了時にサンドベージュの選手達に笑顔が無かった。点差は点差として本当に余裕が無かったのだろう。