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■夏の日の想い出・戯謔(17)
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(C)Eriko Kawaguchi 2019-01-26
2019年2月2日の夕方。
私は時間が取れたので政子が入院している病院に行ったのだが、政子は言っていた。
「昼間君歌ちゃんが来て話してたんだけど、暦を見たらさ、2月5日が新月なんだよね」
「へー」
「その日が旧正月だよ。この子、おめでたい子だから、お正月に出てきたりしないかな」
うーん。おめでたいのは政子かもと思ったが、そんなことは言わない。
「確かに新月や満月にはお産が多いという説もあるけどね」
それで私が帰ろうとしていたら、千里がお見舞いにやってきた。
「ちょっと用賀に寄ってきたんだよ」
「用賀に何かあったんだっけ?」
「私が前住んでいたアパートに西湖ちゃんが住んでいるんだけど、そこに私の私物を少し置かせてもらっているんだよね。それのメンテが時々必要なんだ」
「へー」
用賀駅は東急田園都市線の駅だが、三軒茶屋駅は東急の世田谷線・田園都市線の分岐点である。但し世田谷線の駅と田園都市線の駅は改札外連絡になっている。
千里がお土産にシュークリームとミルクティーを買ってきてくれていたので、それを私と政子と千里の3人で頂いた。
政子が訊いた。
「でもなんでシュークリームが3つあったの?」
「さあ。分からないけど、私が3つ買った時はたいてい3人居るんだよ」
「そういえばそんなこと言ってたね!」
それでシュークリームを食べてミルクティーを飲みながら話していたら、政子が「うっ」と声をあげた。
「どうした?」
「今のちょっと痛かったかも」
「赤ちゃん?」
「うん」
「陣痛かな。時間を記録しておいて。その間隔が短くなってきたら、いよいよだから」
「じゃ20:16っと」
と言って政子は時刻を手元の作詞用ノートに書いた。
「お母さん呼ぶ?」
と千里が言うので、私も
「それがいいかもね」
と言い、政子のお母さんに電話した。
「まだ最初の陣痛が来た所なんですよ。本格的に始まるのはまだ先だと思うんですけどね」
と私は言ったのだが、念のためこちらに来るということだった。
それで私と千里はお母さんが来るのを待ってから帰ろうかということにした。
千里は政子のお腹に触っている。
「今出て行くための準備運動を始めようかな、と思ってちょっと身体を動かしてみたってくらいだと思う」
「なるほどねー」
「千里は実際問題として2回出産したんでしょ?」
「そうだよ。1度目は時間が掛かったけど、2度目はすんなり出てきてくれた。あれって中にいる子の性格次第という気がする」
「へー」
そんなことを言っている内にまた陣痛が来たようである。
「20:25か」
と言いながら政子は時刻をノートに付けている。
私と千里は顔を見合わせた。
「10分間隔って充分短くない?」
「かも知れない。次がいつ来るかだね」
「青葉も呼ぼう」
「青葉こちらに来てるの?」
「ちょっと打ち合わせることがあったんで、出てきてもらっていたんだよ。青葉は月曜日からは期末試験だから明日の最終新幹線で富山に戻る」
「わあ、大変な時に申し訳無い」
千里が青葉(彪志の家に居た)に電話すると、彼女もこちらに向かうということだった。
次の陣痛は20:34であった。
「これマジで10分間隔で来ている気がする」
「ナースコールしよう」
それで助産師さんが来てくれたが、政子の様子を見て
「これはもう分娩第1期が始まっている」
と言った。
「じゃ赤ちゃん、もう出てくるの?」
「まだ始まったばかりですよ。これからだいたい15-16時間は掛かりますし、あなた初めてでしたよね?」
「はい、初めてです」
「初めての人は2日くらい掛かる人もありますから」
「こんなのが2日も続くんですか?」
「こんなものじゃなくて、どんどん痛くなっていきますよ。まあ速い人で12時間くらいね」
「速くてもそんなかぁ」
「赤ちゃんと出会うまで頑張りましょうね」
「はい」
「もし寝れるなら少し寝てた方がいいです。後になるほど体力使いますから」
「分かりました」
助産師さんは少し話してから、自分は今夜宿直だから、また後で様子を見に来ますと言って出て行ったが、助産師さんも大変だなと思った。
政子の陣痛は最初は10分おきだったが、その内、8〜9分おきに来る感じになってくる。しかも継続時間は長くなってくるようだった。私たちは政子に眠れなくてもいいから目を瞑っているだけでも違うよと言った。それで政子も目を瞑っていたものの、陣痛の度に起きてしまうようだった。
でもお腹空いた!と言うので、千里がコンビニに行って蒸しパンとおにぎりを買ってきてくれた。政子は陣痛が痛いと言いながらもおにぎりも蒸しパンも「美味しい美味しい」と言って、笑顔で食べていた。
22時過ぎにお母さん、そして青葉が相次いで到着した。
「私たちが付いてるから冬は家に帰る?」
「近くに居るよ」
と言って私は病院近くのホテルに泊まることにして予約を入れ、そちらに向かった。
朝6時に起きて朝御飯も食べてから出て行く。陣痛間隔は4〜5分になっており、子宮口は今3cmくらいまで開いてきたということだった。政子は
「痛いよぉ」と半分泣き顔だったので、私は手を握ってあげた。千里がどうもずっとお腹をさすってあげていたようである。青葉は付き添い用のベッドで寝ていて、お母さんは別室で休んでいるということだった。
「冬子さんが来たから、ちー姉はどこかで休んでなよ」
「そうする。じゃタッチ」
と言って千里が出て行く。青葉が代わって起き上がり、政子のお腹をさすってあげる。
8時頃、別室に居たお母さんがこちらに来た。政子もこの段階になるともうとても眠れないようだったが、それでも私たちとおしゃべりしていると、かなり気が紛れるようであった。
10時頃、千里が戻ってきて、お腹をさすってあげる役を交代した。どうも昨晩は2人で交代でさすってあげていたようである。
11時になってから助産師さんが見てお医者さんも呼ぶ。
「そろそろですね。分娩室に移動しましょうか」
「もう出てきます?」
「あと多分2時間くらいですよ」
「まだそんなに掛かるのか!」
病室から分娩室に歩いていくのだが、千里がしっかり支えてくれていた。
「まあ抱きかかえて行ってもいいんだけど、歩いた方が刺激になって出てきやすいみたいだし」
と千里は言っている。千里の腕力なら子宮の中身込みで60kgの政子を持ち抱えるのは全然問題無いのだろう。なんか90kgの彼氏を抱えて逆駅弁やったとか言ってたし!
分娩室の中にはお母さんと青葉が入り、私と千里は廊下で待機していた。千里が少し席を外したかと思うと食糧を買ってきてくれたので、アンパンと牛乳を飲んだ。
「これ通勤会社員の朝御飯、黄金の組み合わせだよね?」
「うん。合うんだよね〜。私は通勤生活やったことないけど」
「それはお互い未経験だね」
12時前にお母さんが「疲れた」と言って出てきたので、千里が代わりに中に入った。千里が買っていたパンを勧めると焼きそばパンを食べていた。ほんとに疲れたのだろう!12時半頃になって青葉が「一休み」と言って出てきたので、お母さんが再度中に入る。
2019.02.03 12:38.
「おぎゃー!」
という元気な産声が聞こえて、私は青葉と手を取り合って喜んだ。
看護婦さんが部屋の外に出てきて
「おめでとうございます。女の子でしたよ」
と言った。
「ありがとうございます」
青葉の顔に疲れが見える。きっとここに座っていても、ずっと政子をサポートし続けていたのだろう。
「まるで天使の声みたいだ」
と私が言うと、青葉はさっと五線譜とボールペンを渡してくれた。
「何て用意がいいの!?」
と呆れながらも、私は今この世に誕生した生命を祝福する歌を書き綴っていった。
この曲には『天使の歌声』というタイトルを付けたが、これが2018年度最後のローズ+リリー作品となる。
赤ちゃんが女の子だったので、名前は予定通り“あやめ”とすることにする。
「男の子だったらどうしたの?」
「それでもあやめで」
「え〜?」
「そして女の子として育てる」
「そういうのはやめなよ〜」
赤ちゃんの体重は3123gであった。
「自分の誕生日を体重にしてる」
と言って政子は面白がった。平成31年2月3日生である。
「西暦で1923gでも良かったけど」
「それでは未熟児だよ!」
「私が産む平成最後の赤ちゃんだ」
「まあ今から仕込んでも4月30日に間に合わないね」
産まれたのは36週と6日であった。正産期は37週からなので1日足りない。しかし体重が3123gもあるので(よほど栄養が良かったのだろう)、政子と私、お母さんの3人は医師とも話し合い、保育器は使用しないことにし、その日だけ新生児室で過ごして翌日から母子同室にすることにした。
(一般に37週未満または2500g未満の子は保育器に入れる場合が多い)
お医者さんは念のため赤ちゃんを色々診察していたが、今の時点では異常などは見られないということであった。
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