広告:まりあ†ほりっく 第3巻 [DVD]
[携帯Top] [文字サイズ]

■春葉(15)

[*前p 0目次 #次p]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 
前頁 次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

翌週、神谷内さんは慈眼芳子さんのご遺族と話し合い、3月の『北陸霊界探訪』はお休みにして、代わりに慈眼芳子さんの追討特集を組むことにした。過去の慈眼さんの番組のダイジェストを編集し、また慈眼さんと関わりのあった霊能者数名による対談なども組むということだった。
 
どんな人が出席するのだろう?と思ったら、竹田宗聖!、火喜多高胤!、岩戸空海、それに“金沢ドイル”ということであった。竹田さんも火喜多さんも交友が広いからなあ、と青葉は思った。
 

↓ ↑ Bottom Top

夏野明恵から渡された江戸時代の『加賀七不思議』の本を読むと、下記のような七不思議が書かれていた。
 
なおここで「加賀」というのは「加賀国」(現在の石川県南部)ではなく「加賀前田家の領地」の意味だと序文にあった。現代風に言えば「加賀藩」の範囲、つまり加賀・能登・越中の三国、現代の石川県・富山県の範囲のことである。
 
(1)白山ひめ神社は加賀一宮(いちのみや)なのになぜ三宮の場所にあるのか?
 
これは実は青葉も疑問に思ったことがある。白山ひめ神社は白山市三宮町にあるのである。これはこの本の解説によると、白山ひめ神社は最初御間城天皇の御代に舟岡山に創建されたという。
 
御間城天皇というのを辞書で確認すると、崇神天皇のことと分かる。日本書紀に「初めて国を治めた天皇」と書かれている人である。恐らく大和朝廷の本当の創始者なのであろう。つまり日本の歴史とともに始まったような古い信仰なのだろう。
 
↓ ↑ Bottom Top

この舟岡山というのは現在の白山ひめ神社の北方にある、舟を逆さにかぶせたような形をした岩塊の山である。縄文時代の遺跡も発見されているから、古くから栄えた場所だったのだろう。
 
それが応神天皇の御代に麓にあたる、手取川河畔・十八講河原に移転したが、川の氾濫で度々社殿が破壊されたので、元正天皇の時代に少し川から離れた安久濤の森に遷座したという。ここが「一宮」の場所で、以前は北鉄の加賀一宮駅があった(2009年廃止)。
 
ところがこの社殿が室町時代の文明12年(1480)の火事で焼け落ちてしまったため、三宮があった現在地に移ったのだという。
 
それで加賀一宮が、なぜか三宮にあるのだということであった。
 
この三宮への移転は本当は一時的なもので、元の一宮の場所に社殿を再建する予定だったのが、資金などの関係で果たせず「一時的移転」がそのまま500年間放置されてしまったのかも知れないよなあ、と青葉は思った。
 
↓ ↑ Bottom Top


(2)有磯海に海上の都が見える。
 
これは有磯海(現代の呼び方では「富山湾」)に現れる蜃気楼のことを書いたものである。夜中の海に多数の灯りが見え、龍宮ではないかと言う人もあると書かれていた。
 
有磯海には光る烏賊(いか)が居て、春になると大量に海岸に押し寄せてくるとも書かれている。これはホタルイカのことであろう。春にはこのホタルイカが海岸に大量に打ち上げられ、現代では「ホタルイカの身投げ」と呼んでいる。
 
また能登側から有磯海越しに立山連峰が見えることもあり、まるで海の上に山がそびえているように見える。この現象が起きた後は天気が悪化するともあった。
 

↓ ↑ Bottom Top

(3)幽霊が飴を買いに来た
 
これはいわゆる「飴買い幽霊」の話で、青葉も以前関わったが、この伝承がある場所が金沢市内に5つある。この本では飴屋坂にあった飴屋さんがその舞台であると書かれていた。
 

↓ ↑ Bottom Top

(4)島が生まれる
 
この本の著者もこの問題のメカニズムには全く見当も付かなかったようで、伝承だけを伝える。能登では、海の下にあった岩が数十年経つと干潮時に海面に顔を出すようになり、やがて常時海面より上にある岩礁となり、そうやって無数の小さな島が生まれていくという。そのため漁師は海面よりずっと下にある岩でも、やがて舟の通行に影響を及ぼす暗礁になる場合もあるので気をつけよと言われているとこの本では書かれている。
 
現代の地質学の研究によればこれは能登半島が基本的に隆起地形だからである。内浦の一部(穴水付近や九十九湾など)では沈降地形であるリアス式の海岸が見られるが、外浦をはじめとして多くの地区で隆起地形である海成段丘が発達している。これは能登半島が何百年もの間、隆起し続けていることをあらわす。それで海の下にあった岩が次第に海面に姿を現すようになり、やがて島となるのである。
 
↓ ↑ Bottom Top


(5)奇岩が多い
 
ここは名前だけがたくさん記されていた。
 
巌門、兜岩、義経一太刀岩、弁慶二太刀岩、機具岩(二見岩)、鷹の巣岩、権現岩、水門岩、西保海岸、曽々木海岸・窓岩・、烏岩、帆立岩、見附島、恋路海岸、千体地蔵、羅漢山、日出坂、千畳敷、舟隠し。
 
↓西保海岸の一部(2013.4.24撮影)。こんな感じの海岸が続く。一応県道沿い。その県道の一部は断崖の途中を走っており、通行する際、生命の危険を感じる。ほとんどの区間が携帯の圏外だった。つまり事故ってもJAFが呼べない!

 
↓ヒデッ坂(日出坂)。林道を1.5kmほど登った場所にある。写真では分かりにくいが実物を見ると羅漢様が数体立っているように見える。この手の風景がいくつも並んでいて「日本のカッパドキア」と呼ばれているらしい。

 
↓ ↑ Bottom Top

↓上記急斜面の上部にある奇岩。心が汚れている人は変なモノに見えるらしい。

↓上記の岩を反対側から見たもの。心のきれいな人にはリボンに見えるらしい。

 
なお見附島については弘法大師が中国から日本に帰る途中で船の上から投じた3つの金剛杵の内、五鈷杵がこの島で見付かったので「見附島」と呼ぶという名前の由来が書かれている。ちなみに三鈷杵は高野山、独鈷杵は佐渡島で発見されたという。
 
↓見附島(2019.6.11撮影)

 
見附島は現代ではその形から軍艦島とも呼ばれるが、そういう名前は明治以降のものであろう。
 
↓ ↑ Bottom Top


(6)山の上に巨大な滝がある
 
これは記述を読んでみたら、現代では白山白川郷ホワイトロード(旧名:白山スーパー林道)の途中にある、ふくべの大滝のようである。標高900mという、山のかなり上の方にあるのに豊かな水量が落ちており、この林道観光の目玉となっている。しかし江戸時代には秘境中の秘境で、山伏などしか見ることはできなかったであろう。
 
↓落差86mの“ふくべの大滝”(2009.6.27撮影) 比較対象が無くて大きさが分かりにくいが現地に行くとかなりの巨大感がある。流量が多い時は道路も完全に水浸しになる。ちなみに心が汚れている人は別のモノに見えるらしい。

 
↓ ↑ Bottom Top


(7)女を男に変える杉がある
 
これが逆さ杉の記述であった!本の中に書かれている場所が確かに現代のH高校のある場所のようである。当時は宇良寺というお寺の境内だったらしい。
 
伝説によると、前田利家公が七尾の小丸山城から尾山城(後の金沢城)に本拠地を移した頃、利家公の親戚に寅という娘がいた。
 
娘は利家公の侍女として仕えていたが、ある時、公を暗殺しようとする忍者に気付き、自分の命を省みずにその忍者に抱きついて悲鳴をあげ、側近がその忍者を倒して利家公は無事であったという。
 
寅は数カ所斬られはしたものの命は取り留めた。公からは大いに褒められ「そなたが男なら侍に取り立てたい所だ」と言われた。寅も侍になりたいと思ったが、女の身でそれは叶わなかった。
 
↓ ↑ Bottom Top

それで寅は男になりたいと思い、逆さ杉の枝に糒(ほしい)の袋を2つぶら下げ、闇夜に宇良寺の鐘を抱えて四里ほど走り回ってからその糒を食べるということを9回繰り返した。すると9回目の闇夜の後、女陰の中から男根が生えて来て、男の姿に変じたという。
 
寅は利家公から、前田虎政の名前をもらって望み通り武士に取り立てられると、賤ヶ岳の戦い後の柴田勝家攻め、小牧長久手の戦いと連動した末森城の戦い、などで活躍。利家公亡き後も関ヶ原の際に、北陸方面で家康方として行動する2代目利長公の重臣として多数の首級を挙げる活躍。更には3代目利常公にも仕えて、晩年は家老まで出世したという。また性別が変る前からの友人だった人を妻とし、子供も4人できて、子供たちも代々前田家に仕えたという。
 
↓ ↑ Bottom Top

この話を聞き、徳川家の治世になった後も、しばしばこの杉に願を掛けて女から男になった娘がいたと言われている。
 

↓ ↑ Bottom Top

この伝説を読んでいて、青葉は思った。
 
要するに逆さ杉って、性を転換させる杉だったのか!
 
干飯の袋を2つ枝にぶら下げるというのは、男性器を連想させる。つまり男になるためのシンボリズムな訳だ。
 
しかし鐘を抱えて四里走り回るって、尋常の筋力ではないぞ!?男だって相当きついのをやりとげるほどの力がある女なら、男になりたかったかも知れないなあと青葉は思った。
 
鐘を抱えて4里走り回れというのは、あまりにもムチャ過ぎるから、校長先生は燈明を持って4町歩き回ればよいと改変したのかもしれない。ただその時干飯を枝に掛けるというのは、そのまま残したのだろうが2個ではなく1個にしたのは性器を連想しないようにするためかも知れない。もっとも校長先生がこれを書いた時点で、昔の伝説が既に変形してどこかに伝わっていた可能性もあると青葉は思った。
 
↓ ↑ Bottom Top

しかし果たして夏野明恵は女の子になることができるだろうか? 大学に合格したら女装で通学しなよ、と唆してみようかな?今日会った時の格好からして既に女性化しつつある気もするけど。
 

↓ ↑ Bottom Top

2019年2月1日(金).
 
大学の授業が終わった後、青葉は中畑さんとの最後の特訓をした上で、最終の新幹線で東京方面に出て、その日は江東区内のホテルに泊まった。
 
金沢21:00 (かがやき518) 23:32東京
 
そして翌2月2日は深川アリーナのサブプール(冬季でも24時間使用できる)で早朝3時間泳いだ上で大田区に移動した。
 
松本花子の春以降の運用の件で運営会社の会議をしたのである。
 
参加したのは、会長である青葉、社長である千里3、専務である鮎川ゆま、それに北海道から出てきてくれた小樽ラボの五島節也・矢島彰子、太田ラボの主・2A17(女子高生の制服を着ている)、編曲者の峰川イリヤ(2A17に視線を向けない!)、作詞者のとりまとめをしている清原空帆、営業窓口で沖縄から来てくれた内瀬瞳美、といった面々である。
 
↓ ↑ Bottom Top

「じゃ上島さんは3月31日で謹慎解除、4月1日から活動再開ですか?」
「これ他の人には漏らさないでね。東郷誠一さんからの内々の情報」
「上島さんが活動再開したら今の作曲料金ではやっていけないかもね」
 
「最初はみんなイメージ悪化の問題を考えて、あまり依頼しないだろうけど、次第に扱い量は増えていくと思う」
 
「そうなると供給過多になる可能性はあるね」
「料金下げる?」
 
「いや、無理に下げる必要はないと思う。やっていけなくなったら解散すればいいし」
「まあ夢紗蒼依みたいに巨額の投資している訳ではないから、やめてもそう惜しくは無い」
 
「結構楽しかったけどね」
 

↓ ↑ Bottom Top

「千里さん、夢紗蒼依にも関わっているんだっけ?」
という質問がある。
 
「ああ、あれは別の千里」
と千里3が言う。
 
「うん。千里姉って何人もいるけど、こちらに関わっている千里姉と夢紗蒼依に関わっている千里姉は別人」
と青葉が説明する。
 
「まじ!?」
「いや、あり得る気がした」
 
「だから今の段階では、夢紗蒼依の情報も松本花子の情報もお互いに漏れていないと思う。まあローズ+リリーのカウントダウンライブのお陰で夢紗蒼依の本拠地が小浜にあってどうもスーパーコンピュータを使っているようだということが分かったけどね。向こうはまだこちらの本拠地がどこでどういう制作体制取っているか知らないと思う」
 
「でもそれでかな。私、東京駅で東北新幹線に乗るという千里さんと会ってから自分は東海道新幹線で大阪に行ったら、そこでも千里さんと会ったことある」
とイリヤが言っている。
 
↓ ↑ Bottom Top

「千里は昨日話したことを覚えていなくて再度説明するはめになることがよくある」
と言っている人もいる。
 
「私、作曲家10人ほどで設立したドライバー会社の人に車の運転をしてもらっているんだけど、私を運んでいる最中に、別の千里から運転の依頼のあることが結構あるのよね。だから私が数人いるのは確実」
 
などと千里本人まで言っている。
 
「千里さんの活動量を考えたら5〜6人居ても不思議はない気がするよ」
と空帆。
 
「ちなみに千里の中には、ガラケーのT008持っている人、同じくガラケーのKYY10持っている人、シャープ・アクオスミニ持っている人、アースッスZenfone持っている人、富士通のアローズを持っている人、ソニーのXperia持っている人、サムスンのGalaxy持っている人、アップルiPhone持っている人、京セラUrbano持っている人を少なくとも確認している」
 
↓ ↑ Bottom Top

↓ ↑ Bottom Top

前頁 次頁目次

[*前p 0目次 #次p]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 
春葉(15)

広告:放浪息子-1-Blu-ray-あおきえい