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■春葉(10)

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Jソフトでは1月4日が金曜日なので、月曜日の7日に仕事始めをした。もっとも大半の社員は年末年始関係無く仕事をしていた。ただし“千里”は1月3日夕方に(代理母さんが)産気づいたという連絡があったので夕方で帰らせてもらい、そのまま4日から6日まで会社を休んだ(桃香たちが仙台に行っているので誰も居ない経堂のアパートでひたすら寝ていた)。
 
7日朝《じゃくちゃん》はいつものように女装して!会社に出て行った。新年の挨拶の後、社長が「川島君」と“千里”を呼んだ。
 
「赤ちゃんはどうなった?」
と社長から訊かれる。
 
「はい。4日に生まれました」
「それはおめでとう!仙台の病院って言ってたけど、もうこちらに戻って来たの?」
「いえ。代理母さんと一緒に一週間くらい入院します。また退院の時は迎えにいきますのでお休みを下さい」
「うん。OKOK」
 
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それでデスクに戻り、年末に納品したシステムの資料整理をしていたら、事務の女性社員が
 
「これ来月の慰安旅行の概要ね」
と言ってプリントした紙を配っていた。
 
「へー。日光に行くのか」
「うん。華厳の滝と東照宮を見て、鬼怒川温泉に泊まる」
「ああ、よくあるコースだ」
「忙しい人が多いから1泊が限界なのよね〜。2月9-10日に行って11日は自宅休養」
 
自宅で休養できるとは思えん。たぶん会社に出てきて仕事だな、と《じゃくちゃん》は思った。
 
「ふーん。宿泊は**荘って、これ旅館?」
 
「そそ。ちょっと古い旅館で部屋も狭くて、トイレ・バスは共同だけど、その分料理は豪華だって。大浴場も10年くらい前に大改装してけっこうきれいらしいよ。楊貴妃の湯とか、かぐや姫の湯とか、白雪姫の湯とかあるって」
 
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「へー。白雪姫ってお風呂入ったんだっけ?」
「お風呂に入らない白雪姫って想像したくない」
「確かに」
 
と言いつつ《じゃくちゃん》はふと思った。
 
「男湯にも女湯にも、楊貴妃とかかぐや姫とかあるの?」
「まさか。それは女湯だよ。男湯は、司馬遷の湯とか、上杉謙信の湯とか、ナポレオンの湯とかあるらしいよ」
 
なんかそれ微妙に性別の怪しい人ばかりじゃないか?と《じゃくちゃん》は思った。司馬遷は男を廃業させられたし、上杉謙信は女ではないかという疑惑があるし、ナポレオンはセックスが弱かったみたいだし。そこに入ったら男性機能が低下しないか???
 
「私はどっちに入ればいいんだっけ?」
と《じゃくちゃん》は何気なく訊いた。
 
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「川島さん、まさか男湯に突撃するつもり?逮捕されるからやめといた方がいいよ」
 
ということは、まさか女湯に入らないといけない!??
 
だったら、俺、逮捕されちゃうよぉ!!!
 

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青葉は大学の授業もあるので6日(日)の夕方高岡に戻るつもりだったのだが、日本水連から「話がしたい」という連絡があり、6日の夜中まで和実のそばについていて、7日朝の新幹線で東京に出た。岸記念体育会館の水連事務局まで行く。
 
専務理事さんが出てくるのでびっくりする。
 
「世界選手権25mでの銅メダル、あらためておめでとう」
「ありがとうございます。色々支援して頂いているお陰です」
 
青葉はひょっとして自分の性別のことがまた問題になったのではと不安を覚えていたのだが、そういう話ではないようで安心した。
 
「でも400mメドレーの時も800mの時も、君はビデオ判定の対象になった」
「ええ」
 
「僕もあらためて放送局に頼んで競技のビデオを見せてもらったんだけど、明らかに1つ上の順位の選手より川上さんの方が先にゴールに到達しているんだよね」
「あ、はい」
 
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「それなのに川上さんはタッチ板の無い所に手の先を伸ばしていて、そこからタッチ板を探している間に次の選手がゴールしているんだな」
 
「すみませーん」
 
「それで川上さんにはタッチの特訓をしてもらうことにしたから」
「えっと・・・」
 
そういえばそもそもタッチの修行をしてこいと言われて短水路日本選手権に出たのが、一流スイマーの参加する大会に出た最初だったなと青葉は思い起こしていた。
 
「NTCが空いているからそこで特訓してもらおうかとも思ったんだけど、そちらの大学の期末試験も近いんじゃないかという人があって」
 
あ、それは南野里美さんかな?とも思った。お互いの期末試験の時期などを遠征先で話していた。
 
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「はい、本来は2月頭が試験なんですが、日本代表の合宿とぶつかるので、全科目レポートに変えてもらいました。でも授業を聞いてないとレポートが書けないんですよ」
 
「それでね。中畑秋菜さん知ってる?」
「はい。もちろん。以前オリンピックにも出られましたね?」
 
「うん。100mと200mの日本記録を持っていた。どちらも今は別の選手に破られたけどね。当時オリンピックで銅メダルを取っている」
「はい」
 
「彼女はもう現役からは引退しているんだけど、今結婚して金沢に住んでいるんだよ」
「そうだったんですか!」
 
「実はこの話を何人かで話していた時、中畑さんが確か北陸に引っ越したはずと言う人がいて、連絡を取ってみたら、コーチ役を引き受けてくれるということで。それで今月、プールが空いている平日に毎日夕方3時間タッチの練習をして欲しい」
 
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「はい。でも私のためにそんな大物さんが!?」
と青葉は驚いたが
 
「君はタッチさえ改善したら女子長距離で金メダルも狙える逸材だと思うのだよ」
と専務理事さんは言う。
 
「でも幡山さんもいますし」
 
「うん。彼女にも期待している。ぜひ東京オリンピックの800m女子自由形で日本がメダルを独占出来るように頑張って欲しい」
 
東京五輪〜〜? 私大学出たらもう水泳引退したいのに〜?などと青葉は思いながらも
 
「分かりました。頑張ります。御配慮ありがとうございます」
と笑顔で答えた。
 

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それでその日の夕方、金沢市内の市営プールで中畑秋菜さん(現在の苗字は春日)と会ったが、身長が167-8cmくらいで、小柄なのでびっくりした。この身体でオリンピックでメダルを取ったのか。凄いなと思った。先日世界選手権で競った外国の選手たちは女子でも身長が180cmを越えている選手ばかりだった。ジャネはけっこうな身長があるが、青葉は161cmなので、大人の試合に子供が出ているみたいだ、などとジャネは言っていた。南野さんも背が高い。実際中畑さんも
 
「あんたよくその小柄な身体で長距離泳ぐね!」
と驚いていた。
 
まずはプールを往復して来てゴールにタッチしてみてと言われる。手を伸ばした先にタッチ板が無いので探るようにしてタッチする。これを3回やった。
 
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「なるほど。君の問題点が分かった」
と中畑さんは言った。
 
「あんたは毎回同じ場所にタッチしている。でもそこにタッチ板が無い」
「あ、そうかも」
 
「下手くそなタッチの仕方が癖になっているから、最初から間違った所に手を伸ばしている。正しいタッチの仕方を覚えて、正しい癖で間違った癖を上書きする必要がある」
 
「なるほど!」
 
「最初は私が補助してあげるから、正しい位置にタッチする練習をしよう。正しい位置を覚えたら、何も考えていなくても正しい場所にタッチできるようになるよ」
 
「分かりました。それを何十回、何百回も練習して身体に覚え込ませるんですね」
「練習は1万回だな。合宿に入るまでの1ヶ月間に」
「ひゃー!」
 
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朋子はかなり迷った末、府中優子に電話をした。
 
「こんにちは。私、高園桃香の母ですが」
「あ、どうも、その節はお世話になりました」
 
優子が出産した時、朋子と青葉で彼女を病院に運んだのである。また優子は青葉が大学に入った時、あまりにも服装のセンスが悪い青葉のために、若い子が着るような服を選ぶのに協力してくれている。
 
2015.07 優子がアテンザを雨宮に売却。雨宮は千里の代理で車を探していた。
2016.04 青葉の入学(服選びに協力:千里・星衣良・桃香・朋子が同席)
2016.08 優子の出産(青葉と朋子が協力)
 
「奏音(かなで)ちゃんは元気?」
「ええ。もう走り回るし、最近はよくしゃべるし。もううるさいという感じで」
 
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「一度ちょっとお話があるんですけど、お伺いしていいかしら?」
「あ、はい、いつでもどうぞ」
 
それで朋子はその日のお昼前に府中家を訪問することにしたのである。
 

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朋子は自分のヴィッツに乗ると、途中イオンに寄りミスドでドーナツを8個買った。それで高岡市南部にある優子の家まで行く。
 
優子のご両親は出かけているということで、優子と奏音ちゃんだけだった。朋子はその方がいいかなと思った。
 
「わあ、ミスド大好きです」
と歓声をあげる。奏音もストロベリー・カスタード・フレンチを取ってほおばっている。その笑顔を見ながら朋子は自分が今から言わなければならないことを思うととても辛い気持ちがした。
 
「あなた信次さんとはいつ最後に会った?」
と朋子は尋ねた。
 
「6月に来たのが最後ですね。あいつも、私には未練は無いけど、奏音には会いたいからと言って。その前は去年の11月だったかな。まあ年に1度くらい来るつもりなのかも知れないなと思ってます。生活費は毎月ちゃんと送ってくれるから、私ものんびりと子育てに専念していられるんですけどね」
 
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などと優子は言っている。それで朋子は「ああ、この子、やはり何も聞いていないのね」と思って、悲しくなった。
 
「でもここしばらくメールもくれないんですよ。あいつの性格からして既に結婚は破綻してると思うけど、誰か好きな男でも新しくできたのかなあ」
などと優子は言っている。
 

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「あなた、やはり誰からも聞いていなかったのね」
と朋子は言った。
 
「誰からもって・・・何ですか?」
 
朋子は悲しい目をして、信次の会葬御礼のハガキを1枚差し出した。
 
「へ?」
と言って、優子は戸惑うように朋子を見る。
 
「あのぉ、これ何の冗談ですか?」
 
「冗談だったら、いいのだけど、信次さん、7月に亡くなったのよ」
 
優子は最初信じられないという顔で朋子を見た。そしてたっぷり5分くらいすると、涙があふれてきて泣き出してしまった。朋子は立ち上がり優子の傍に行くと彼女をハグした。
 
「嘘でしょ?お願い、嘘と言って」
 
「嘘だと言えたらいいんだけど。工事現場で上から落ちてきた鉄骨の下敷きになってしまって」
 
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「そんなぁ・・・・」
 
そのまま優子は恐らく15分以上泣いていた。朋子は彼女をずっと抱きしめていた。奏音はどうしたんだろう?という顔をしている。
 

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「でもでも、信次からは毎月奏音の養育費が送られて来ていますよ」
 
「私はよく分からないけど、それひょっとして自動送金が設定されているんじゃない?」
 
「あ・・・・そういえばそんなことを言っていた気がします。でもそれ残高尽きたりしないものなのでしょうか?」
 
「きっと残高が充分あったんでしょうね」
 
朋子は優子に、お墓参りに行かない?と誘った。優子はまだ気持ちの整理はつきそうにないけど、行きたいと言った。それで朋子は翌日、優子・奏音と一緒に千葉まで行くことにしたのである。
 
その日朋子は優子のご両親が帰宅するまで待ち、ご両親にも事情を説明した。ご両親も衝撃を受けたようで、お母さんは泣いていた。お母さんとしては、その内、優子が信次さんと結婚できる日が来るかもと思っていたかも知れないよなあと思った。なお信次が千里と結婚していたことは、さすがにご両親には言えなかった(優子自身は「信次が結婚した」ことは知っているが相手の名前は聞いていない)。
 
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その日、優子のことをご両親にお願いしてから朋子は帰宅したが、この件では川島のお母さんにも話をする必要があると思った。しかし自分ひとりで話をする自信が無かった。
 
それでタッチの特別練習から青葉が帰宅すると、相談した。
 
「優子さんの元カレって信次さんだったの!?」
と青葉が驚くので、朋子は
「あんた聞いてなかったっけ?」
と言う。
 
「聞いてない」
と答えてから青葉は言った。
 
「なんか凄く狭い範囲で恋愛やってる気がするんだけど」
「たぶん、同性愛の人たちの世界は狭いんじゃないの?」
と朋子は言った。
 

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