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■春約(13)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-09-28
2018年8月19日(日).
川島信次の四十九日法要が千葉市内の川島家で行われた。本当の四十九日は8月21日だが、平日なので日曜の19日に繰り上げたのである。お寺からお坊さんを呼んでお経をあげてもらい、その後、お墓に納骨に行った。
千里の友人の中で特に親しいクロスロードのメンバーや蓮菜・花野子なども出席したのだが、千里(千里1)はまだ茫然自失状態で、何を訊いても無反応だし、ほとんどお人形さんのような状態のままであった。
この時、クロスロードのメンツの間では来月性転換手術を受けることになっている淳のことをみんなからかっていた。
「逃げるなら今だよ」
「あとわずかの命になった、おちんちんを可愛がってあげよう」
「まあ40歳前に女になることができるみたいでよかったね」
「淳ちゃん可愛いから、先生がうっかり女と思って男の子に性転換しちゃったりして」
「それは困る!」
しかしその中で青葉が沈んでいるので
「青葉どうした?」
とみんな声を掛ける。
それで和実が困ったような顔をして言った。
「青葉、彪志君と喧嘩したらしいんだよ」
と和実が言う。
「なんでまた?」
「別れたことは認める」
と青葉。
「別れた〜〜〜!?」
それで和実は、彪志君のお母さんが見合いの話を設定し、彪志君に言わないまま盛岡に呼び、見合いをさせようとしたこと、彪志君が怒ってもちろん見合いはせずに戻って来たことを説明し、その話を聞いた青葉が
「せっかく見合いの話があったのなら、すればいいのに」
と言ったことを説明する。それがきっかけで口論になってしまったらしい。
「向こうも俺は怒ったとメールしてきている」
と青葉は言う。
「いや、それは彪志君が怒るの当然」
「でも彪志君はそれ絶対に青葉のこと嫌いになった訳じゃないよ」
「あいつ私のことなんか知らないと言っていた」
「それは言葉の綾だよ。青葉、彼のところに行って謝っておいでよ」
「そうだよ。すぐ謝りに行かなかったら、絶対後悔するよ」
とみんなで言う。
「いいよ。これはもう終わったことなんだから」
と言って、青葉は泣いていた。
ところで千里1が名古屋のマンションに置いていた楽器類であるが、青葉は千里2と話して(葛西のマンションには物理的に入りきれないので)いったん尾久の筒石が住んでいるマンションの千里の部屋に積み上げておくことにした。
現時点では単なる倉庫代わりで、千里1がその楽器群のことを思い出したら、適当な場所に移動させることにするが、そこに千里の“気配”があるのは、筒石にとっても“環菜”にとってもよいことである。
8月23日(木).
この日は様々な人の思惑が様々に入り乱れた日であった。ただこの日の事件に積極的に関与した人は全て、
「今日、環菜(神無・緩菜)が生まれる」
ということを知っていた。
さて、環菜を本当に妊娠しているのは千里(千里1)なのだが、その子宮と卵巣や女性器は美映の体内に入っている。これは千里(および妹連合軍+貴司本人)の“呪”と、京平の“呪”が複合した結果、こういうことになってしまったのだが、なぜそういう事態になっているのか理由を知っている人は誰もいなかった。ただ何かの作用の結果そうなっているようだと認識していた。
環菜本人が前世の“小春”時代の2017年1月(遠刈田温泉からの帰り)に
「私女の子に生まれたいのに、どうしてもお許しが出ないから、生まれたらすぐ去勢して」と千里に頼んでいた。これは小春の遺言のようなものなので、千里はそれを《こうちゃん》に頼んでおいた。
羽衣はなぜか美映の中に千里の女性生殖器が入っているのに気付いていたので出産の現場を見せることにより、千里の精神的な回復が促進されるだろうと考え、千里を美映が出産する病院まで連れて行くことにした。なお羽衣は千里が3つに分裂していることに全く気付いていない。
そして、京平は“妹”である環菜から直接『私が産まれた時に血液検査されると思うけど、調べたら私がパパの子供でもママ(美映)の子供でもないことが分かってしまう。そしたら赤ちゃんの取り違えを疑われて、私最悪どこか施設に預けられることになるかも知れないし、パパとママが私を育ててくれないかも。だから検体のすり替えをして欲しい』と頼まれていた。
環菜の遺伝子的な母は千里、遺伝子的な父は、小春自身の思い人であった川島信次である。つまり美映の子供でも貴司の子供でもないのである。全く偶然の作用だったのだが環菜はまんまと自分が好きだった男の子供になることができた。しかし、そのため遺伝子的には両親とも赤の他人である夫婦の子供として生まれて来ることになってしまった。環菜は実は“カッコウの子供”なのである。京平は可愛い妹のためにこの操作を了承した。
(京平と環菜はどちらも千里の子供なのでふたりは異父兄妹になる)
羽衣は作務衣姿で、この日早朝、千葉の川島家を訪れた。
羽衣は千里を自分のミスで死なせてしまって以来、千里の身体と霊的な能力の修復に努めてきたし、自分の眷属《ヤマゴ》を預けている。《ヤマゴ》は千里の携帯ストラップに擬態しており、誰かが千里に“心の声”で話しかけると、それを千里に直接伝える役割を命じられている。
羽衣は仏檀に香典を置いて阿弥陀経をまるごと暗誦した。千里は何も考えていないのだが、康子は「こんな長いお経をそらで唱えられるって、この人はひょっとして偉い尼さんなのかしら」と思った。ここで羽衣が作務衣姿というのが微妙に説得力がある。
それで羽衣が「千里をちょっと借りて連れ出したい」というのに、康子は同意する。
羽衣は千里のアテンザワゴンを勝手に持って来ていたのだが、千里はその車に乗ってかなり経ってから
「あれ?これもしかして私の車?」
などと言った。
「うん。ちょっと借りた」
「いいですよ」
しかしその後も千里(千里1)はずっとぼーっとした状態だった。
羽衣が運転するアテンザは13時半頃、豊中市のある産婦人科に到着した。羽衣に連れられて病院の中に入っていくと、廊下に貴司がいるのでびっくりする。
ここで羽衣は姿を消す。千里1としては実は貴司に会ったのは2017.6.15に市川ラボで貴司とデートして以来1年2ヶ月ぶりである。
「貴司、何してんの?こんな所で」
「子供が生まれそうなんだよ」
「貴司が産むの?」
「なんで僕が産まないといけない? 産むのは美映だよ」
そんな会話をしていたら、千里は結構調子が出てきた。それで結局それから実際に赤ちゃんが生まれるまでの1時間半ほど、2人の会話は続くのである。そして貴司との会話が弾む中、千里は少しずつ自分を取り戻していった。
やがて15時過ぎ、分娩室から
「おぎゃぁ、おぎゃぁ」
という元気な泣き声が聞こえる。
「やった!」
と叫んで、千里と貴司は思わずキスしてしまう。
そして分娩室から看護婦さんが出てきて告げる。
「産まれましたよ。女の子ですよ」
「すごーい。貴司、今度は女の子のパパになったね」
「うん」
「女の子のママになりたかった?」
「なんで僕がママになるんだよ!?」
千里は、美映さんのお母さんとかが来たらまずいからと言って病院を出る(*3).
すると羽衣が待っていた。
「帰りは自分で運転する?」
「ええ。しばらく運転してなかった気がするし、少しリハビリで運転します」
「うんうん。あ、そうだ。これ用意しておいたから」
と言って羽衣は千里に産褥パッドを渡した。
「へ?」
「京平君の時も使ったから分かるよね。でも君も女の子のお母さんになったんだから頑張らなきゃね」
と羽衣は言った。
それで千里1はさっき出産したのは実は自分であることに気付いた。
「後産まで終わった所で君の身体に戻ると思う」
「あははは・・・」
「そろそろだと思った所でSAかPAに誘導するよ」
「お願いします。運転中にいきなりあの痛みが来たら、私運転ミスるかも」
それで千里は車を出した。
(*3)実際には美映の母は美映の妊娠・出産を知らなかった。この件は後述。
千里と羽衣が乗ったアテンザが出て行ったのと入れ替わるように赤いミラが駐車場に入ってきた。
「じゃ、行ってくる」
と言って“看護婦の服装をしてマスクをしている”《こうちゃん》は病院の中に入っていくと、10分ほどで出てきた。
「今日1人の男の子が消えて、1人の男の娘が生まれた」
などと言っている。
「あんたも好きね〜」
「まあ生まれたてだから、あの子が男の子だったのは5分くらいかな」
「どんな男の子だった?」
「一瞬女の子かと思った」
「可愛いんだ?」
「ちんちんが無かった」
「それって、女の子ということは?」
「停留睾丸でマイクロペニスなんだよ。だから一見女の子に見える。だから俺が睾丸を、外側だけ睾丸に偽装した卵巣と交換した段階では、そのことに気付かず、医者も助産師も女の子だと思っていたかも」
「いっそそのまま女の子の形に変えてあげれば良かったのに」
「言われたことと違うことすると後で千里に叱られる」
「あはは」
「龍虎も西湖も可愛い女の子にしてあげたいのに、千里がダメだと言うんだよ」
「ふふふ」
それで《きーちゃん》はミラを出した。
環菜が生まれた前日の8月22日(水).
貴司から阿倍子に電話があった。
「君宛に市役所から手紙が来ていたんで、何で?と思って確認したら、君も京平もまだ僕の所の住民票に記載されたままなんだけど」
「え?でも離婚届は出したよね?」
「うん。でも離婚届だけでは住民票は移動されない。だから豊中市で転出届を出して、神戸市で転入届を出して欲しいんだけど」
「あ、そういうのが要るんだっけ?」
「してくれないと困る。だから住民票見たら、僕の名前の後に、君の名前、京平の名前が載ってて、その後に美映の名前が載っている状態なんだよ」
「きゃー!?じゃ、貴司、奥さんが2人載ってるの?」
「君の続柄は“同居人”と書かれているけどね。僕も見て仰天した」
「分かった。すぐ手続きする」
それで豊中市まで行くことにしたのだが、阿倍子は健康不安がある。途中で倒れたりしたらどうしよう?と思って、晴安に付いていってもらうことにする。
しかし結局は晴安の車で豊中市役所まで行くことになった。
8月23日。晴安は自分の車シェンタで阿倍子の家近くの道路まで来てくれた。
ちなみに女装である!
「この方が女2人連れに見えて、誰か知り合いが見ても、阿倍子が変な噂を立てられたりしないだろうし」
などと言っていたが、要するに女の格好で出歩きたいのだろうと阿倍子は解釈した。
「しかし住民票の件は僕も確認しておくの忘れてた。結構見落としがちなんだよ」
と晴安は2人を乗せて走りながら言う。
「私何にも考えてなかった!」
「それちゃんと出しておかないと、児童手当とかもらえないよ」
「きゃー、それは困る!」
豊中市役所に着き、転出の届け出をする。それで帰ろうかと思った時、京平が
「ぼく、こどものらくえんに行きたい」
と言った。
「子供の楽園って、京都だっけ?」
と晴安が訊く。
「京都のが有名だけど、この近くにも同じ名前の遊園地があるのよ」
と阿倍子。
「へー!」
(正確には京都のは「子どもの楽園」で、大阪のは「こどもの楽園」)
「あそこに随分行ったもんね〜」
「まあ近くなら寄ろうか。転入届は明日提出でもいいだろうし」
ということになり、3人は市役所の近くにある服部緑地という公園内にある《こどもの楽園》にやってきた。これが14時半頃である。
「じゃ2時間くらい遊ぼうか」
京平は喜んで走って行く。大型のローラースライダーに乗るようだ。その姿を見ながら、阿倍子と晴安は近くのベンチに座り、少しお話をした。
京平は呟いていた。
「ママとハルちゃんも、もっとデートすればいいのに。さて僕はうまくやらなきゃ」
と言って、自分の精神を、この公園のすぐ近くにある産婦人科病院に飛ばした。
今日はうまい具合に近所を通ることになったので、この公園に来たいと言ったのだが、それができない場合は、京平はお母ちゃん(千里2か3)に頼んで連れてきてもらおうと思っていた。
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